くぁ、と一つ欠伸をする。
小柄な身体の割に、僕の胃袋も頭も燃費が悪い。
魔術刻印によって変質したこの身体は生命力は普通の人間の十倍くらいはあるんだけど、どうにもそれに比例してと言うか出力を維持するための燃料効率が悪い。
ただ生きるのではなく、万全に稼働するにはそれなりにエネルギーを必要とするのだ。
「ぷえー…」
昨夜精神的に疲れて帰ってみれば『に、兄さんから他の女の匂いがします…!』と荒ぶる桜による尋問でベッドに入れたのは深夜を越えてからになり、挙句昨日の暴走っぷりが恥ずかしくなったのか、今朝は羞恥で目を合わせようとしないし早々に学校に行ってしまったせいで弁当がない。
それはあなたの姉と野生の金ドリルの匂いです、とどれだけ説明しても聞いてもらえなかったのは何なのか。
女関係で僕がだらしなかったことなんてないだろうに。
そういうのは僕の役目じゃない。
とにもかくにも、寝不足で空腹だ。
普通に僕の燃費だと死ねる。
…いっそ夜に備えて今日はもうサボってしまおうか。
街に出て泰山の麻婆でも食べて、家に帰るとちょうどいい時間にはなるわけだし。
「なんだよ慎二。寝不足か?」
そんなことを考えていたら、前の席の平和そうな顔をした男が振り返った。
僕の数少ない友人であり、同時に魔術と紙一重の生活をしている一般人でもある。
正直なんであの親と周りの環境があってただの一般通過お人好しでいられるのかはわからないが、まぁ。
…平和なのはいいことだ。
アインツベルン潰しに一枚噛んでる僕としては、素直にそう思う。
でもハーレム野郎は死ね。
「はっ。ついでに空腹だよ。なに?お優しい衛宮は弁当を恵んでくれたりするわけ?」
「む。毎日妹の作ってくれる弁当を頬張ってるのに珍しいな」
「そういう衛宮は毎朝毎夕妹と登下校かい?あれ、絵面が結構あぶないからやめたほうがいいと思うけどね」
全然似てない兄妹というのも大変だ。
その妹が美少女だとなおのこと。
「その言葉、そっくりそのままお返しします」
「ふん」
わざとらしい丁寧語と共に、おどけたようにくっくと笑う衛宮にムカついて、僕はそのまま椅子の席を軽く蹴り上げた。
僕の伸びない身長のせいか、僕と桜が並んで歩く姿もまぁまぁ犯罪臭がないでもない。
二人とも目立つ容姿ではあるわけなので。
とは言え桜が余計な呼び方をしなければ姉と弟に間違われる僕らと違って、ただのロリコンにしか見えない衛宮にそれを指摘されるのは腹が立つ。
「おいおい…学校の備品は大事にしろよ。ま、なんだ。から揚げくらいなら分けてやるから、購買でおにぎりでも買ってきたらどうだ?」
「ま、衛宮がどうしてもって言うなら仕方ない。食べてあげてもいいよ」
「相変わらず素直じゃないなぁお前」
なぜか素直になれないのは、たぶん僕のせいじゃない。
名前が悪いよ名前がー。
まぁ知らないけど。
十数年前に、普通に事故で亡くなったという本当の間桐慎二が成長していたらどんな人物だったかなんて僕が知るはずもない。
「でももっと素晴らしい提案をしよう。普通にサボっちゃおうぜ衛宮」
「…今日は本当に珍しい事ずくめだな」
衛宮の困惑もまぁ仕方がない。
なにせ僕は無気力怠惰極まる男だが、同時にサボって何かをしようとするほどエネルギーに満ちているわけでもない。
長いものには巻かれていくのが僕の流儀。
でも今日は、普通に眠すぎて帰りたい。
このあと仕事をしなきゃならないし。
「……たまにはいいか。今日は俺が作った弁当だし…この弁当は日頃の感謝を込めて後藤くんにでも進呈しよう」
「お前の方こそ珍しく話が早いじゃんか!よし、泰山行こうぜ泰山。あそこ最近春なのに冷やし中華始めたらしいし」
「絶対麻婆乗ってるだろそれ!」
「何でもいいけど一成が帰ってくる前にとっとと行っちゃおうぜ」
「…それもそうか。急げば5限には帰ってこれる…よな?」
「僕は帰るけどね」
なお、妹さんのことだけじゃなく、僕の見た目とやり取りも相まって衛宮にはロリコン疑惑が根強いらしいが、それもまた僕のあずかり知らないことなのであった。
「つーかツッコミ待ちなのか知らないけどその鼻の絆創膏はなに?いつも以上に冴えない顔で、ひっぱたこうかと思ったくらいなんだけど」
「いやー、昨日風呂に石投げ込まれてな*1」
「なんだ、妹の風呂覗いてぶん殴られたのかと」
「ぶっ!?い、いや!そんなことはしないけどな!?*2」
「あそう。へー」
「聞いたならちゃんと聞けって!」
「はいはい、衛宮はすごいねー」
●
高校の制服のサイズが合わないからという理由で着ている白いジャージに黒のショートパンツ。
青い髪に青い瞳。
白い肌に整った顔。
口を開けば人を小馬鹿にしたような言葉が飛び出るものの、それだって大した威力はない。
やる気のないおどけた嘲笑は、その裏に隠された彼の善性が透けて見えるのだから。
そのあどけない少女のような容姿とその言動のせいで、変にこじらせた人間は多数いるのだが、それはさておき。
月光の照らす校舎で、机にひじをついて窓をぼんやり眺める姿すら神秘的だ。
少しだけ、話しかけるのを躊躇うくらいには。
「───お待たせしたみたいね。もしかして、私に会いたくて早くきちゃった?」
「ハ、まさか。デートでもないのに僕が早めに来るわけないじゃん」
私の挑発を、適当に受け流すその少年は鼻で笑った。
まぁおそらく真面目な彼のことだ。
事前に下調べや仕込みでもしていたのだろう。
「単に昼からサボったら担任に呼び出されて反省文書いてただけだよ。言わせんな恥ずかしい」
「私のモノローグ返してくれる?」
「何の話?」
こんなくだらないやり取りも1年ぶりだと思うと感慨深いものだ。
もしイギリスに行かず冬木に残っていたら、こいつとクラスメートになる未来もあったのだろうか。
それも、この教室で。
「…ふん、心の贅肉ね。あーやだやだ、久しぶりの帰郷だからってこんな…」
「なに?太った?あいたぁ!?ノータイムで殴りやがったなお前!」
今でも、私は間桐慎二との出会いを覚えている。
『やぁ、はじめまして。君が遠坂さんで間違いないかな』
『あら、そういうあなたは間桐慎二くん、だったかしら?』
『へぇ、君みたいな高貴な存在に覚えてもらえてたなんて光栄だね』
桜が養子に出された間桐家の嫡男。
桜を養子にした途端、唐突に代替わりが起こり、魔術の世界において決して小さくはない波紋を呼んだ新規当主。
…架空元素使い、間桐慎二。
時計塔には従順で、同時に功名心も見られず、幼いながら政治的なバランス感覚もいい。
自分の希少な魔術属性を正しく理解し、時計塔の利権には近づき過ぎず、社交界にはほどほどに顔を出す。
隠し事は少なく、敵意も少ない。
小市民的な報酬の依頼で小遣い稼ぎをするだけで満足している旧家への興味は徐々に失われていった。
…そんな新しい当主の噂もまだ風化しきっていない時期に、当の本人が話しかけてきたことに対して、私はかなりの敵意と警戒心を向けていた。
『おっと、まだ何もしてないのに敵意は向けないでほしいなぁ!…ましてや、僕と君は同じ妹を持つ者同士、だろ?』
『……!』
まぁ実際のところ、シンジが話しかけてきたのは桜が魔術師ではなくなった、という事を伝えに来ただけだったのだけど。
シンジはシンジで、間桐の家に桜を養子に出したという遠坂を警戒し、はかりかねていたからこそ嫌味な態度をとっていたし、私は私で桜の新しい兄である彼に纏わる憶測混じりの噂話と慇懃無礼な態度もあって警戒心を解くのに少し時間がかかってしまった。
…もう少し言い方があったろうにと思わなくもないけど。
『……桜』
『姉さん…!』
だが、私が桜と再びただの元姉妹として…なんの憂いもなく再会できたのは間違いなくシンジのおかげだった。
全て自分が力を欲したまで、だなんて露悪的に笑う彼の善性は輝かしいものだった。
…まぁ魔術師としての機能を失うための過程に言いたいことはないでもないが、頭に浮かんだ罵詈雑言は、桜の笑顔を見て胸にしまった。
『いい?シンジ。もし桜を泣かせたら許さないから』
『…言われなくても、さ。いいかい、遠坂。そんなことはね、あの日僕が兄になった時点で覚悟してるんだよ。全部が偶然のせいで始まったことだとしてもね』
あの時のシンジは、不覚にも───
「───おい遠坂?人を殴ってから回想に入んのやめてくんない?」
ま、いいや。
そう言って立ち上がる間桐慎二は、やる気のない目で私を見上げた。
「で、ちゃんとステッキは回収出来たワケ?あれがなきゃいくら天才の僕がサポートしても無理だと思うんだけど」
「…まぁ、回収できたと言えなくはない状況よね。うん。実質的に達成できてるのなら、間違いなく」
「はぁ?」
数分後、バカステッキに離反された挙句小学生の女の子を巻き込むことになったという事情を知った慎二は、しばらく口を利いてくれなかった。
衛宮士郎とはどんな形でも友だちになるし、姉と妹は仲良くなるべきと信じて頑張ったシンジくんという話でした。
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