空、望まれぬ星が二つある。 作:暴れ球
一話
リラは上機嫌で「フローリシュ・アンド・ブロッツ書店」にいた。
その前に、薄暗いふくろう百貨店でふくろうたちと世間話をして、ストロベリーとチョコレートのサンデーを二つもやっつけたばかりだった。
入学に必要なものはほとんど揃っている。レギュラスが用意してくれたから。杖も買っている。黒檀と不死鳥の尾羽根。十二インチ。ブラックの名の通り深い色の黒の杖を、リラは気に入っていた。あとは教科書を揃えるついでに、目に留まった本を二、三冊ほど――四冊かもしれない、いや五冊かもしれない――買おうと思っていた。
そこで、リラは一人の男の子と会った。
黒くてくしゃくしゃの癖っ毛に、明るい緑色の目。眼鏡は何かにぶつかったように少し歪んでいた。そして額。癖っ毛の下から、稲妻型の傷が覗いていた。
「何か探し物?」
なんとなく、リラは話しかけていた。きょろきょろと物珍しそうに見て回る姿が天井までぎっしりと詰まった本の背表紙よりも、どこか目に留まったから。
「えっと……うん。ちょっと、探してて」
「ホグワーツの一年生用の教科書を?」
「そう――なんでわかるの?」
驚いたように目を丸くする少年の素朴な反応に、リラは頬を緩めそうになった。
「わかりやすくあちこち見てるもの。それにリストを持ってるし」
「あ……そっか」
男の子は恥ずかしそうにした。
「毎年新入生が来るから店員も慣れてるわよ。ピックアップしてもらいましょう。その間に気になる本でも探せばいいわ」
リラは言って、店員にリストの教科書を二人分揃えるように頼んだ。店員は会釈を返し、何度も繰り返した作業のように本棚の間に消えていった。
「君もホグワーツなの?」
「ええ。そんなところ」
リラは言って、少しだけ眉根を寄せた。ホグワーツ行きは、あまり乗り気ではなかった。レギュラスと過ごす時間が減ってしまうから。寂しい、と明け透けに言うのは恥ずかしかったから、何も言うものですかと決めていたが。
男の子はその沈黙を別の意味にとったのか、不安と少し落ち込んだ様子を見せた。
「君ならきっとうまくやれるよ。だってこんなにしっかりしてるんだから。僕、絶対劣等生だよ。きっとハッフルパフに組み分けされるんだ、少し前までずっと魔法なんて何にも知らないで過ごしてたんだから……」
「誰かから聞いたの? それ」
先入観が強い。けれどマグル生まれでいきなり魔法界のことを知ったのなら当然か、とリラは緩やかに否定した。
「不安になる気持ちはわかるけど、どの寮からも優秀な魔法使いは出ているわ。大事なのはどんな寮に入ったかよりも、その寮で何をするか、じゃないかしら。四寮のどこでも、入ってみればきっとなんとかなるわよ」
少し気取って、なんでもないことのようにリラは言った。普段はあまり言わない、根拠のない楽観的な言葉だった。同年代の子供と接する機会がなかったから、お姉さんぶりたかったリラのいたずらごころ。それでも男の子の気持ちを明るい方面へ変えるには十分だったようで、いくらか笑顔が戻ったことにリラはほっとした。
「ありがとう。……君はどこに入ると思う?」
「スリザリンじゃないかしら。一族は代々そうだったらしいし。例外は居たようだけど」
例外。天狼星は家系図から消されて、現在はアズカバンである。そのことは言わなかった。
店員が呼ぶ声が聞こえた。会話を切り上げて、支払いを済ませる。教科書を纏めて鞄に入れて、それじゃあと別れようとしたところで、男の子から呼び止められた。
「まだ何か?」
「えっと、ごめん。君ってよく本は読むの? ここにも慣れてるみたいだったから」
男の子は、もう少し話がしたいみたいだった。
「まあお得意様と言えばそうかもしれないけれど。何か気になるものでも見つけた?」
「そうではないんだけど……魔法使いの本って初めてだから、何から読めばいいのかわからなくって」
「おすすめを知りたいってこと? 別にいいけれど……」
リラは少し考えた。
「でも本の嗜好の共有って、ちょっとむずがゆいというか、恥ずかしいわよね。なんでその本が好きなのかとか、なんでその本をおすすめしたのかとか。そういう思考の流れを透かして見られるような気がするから」
言われて気づいたのか、男の子はまた恥ずかしそうにした。
「あぁ……ウン、確かに、そうかも。嫌だったらごめん」
「別に嫌ってわけじゃないけれど。読みたいのはフィクション? ノンフィクション?」
「あんまりこだわりはないと思う。たぶん」
「呪文集とか? それとも歴史書?」
「ウーン」
「なんでもよさそうね」
ふむ、と少し考えて、リラは本棚に手を伸ばした。『クィディッチ今昔』、それと魔法動物や魔法植物の本を数冊。それを男の子に手渡した。
「クィディッチ! ハグリッドが言ってた……。君って動物とか生き物が好きなの?」
「人間よりはね」
リラは肩を竦めた。冗談のつもりだったが、男の子は目をぱちくりさせてリラを見つめた。
動植物本はリラの趣味で、クィディッチの書籍を選んだのは兄の趣味で、ほとんど勘だった。でも男の子の興味から外れてはいないようだったのでリラは少し心の中で息を吐いた。本を人におすすめするなど初めてのことだったので、意外にも緊張していたらしい。
「ハリー? ハリー!」
大きくて野太い声が、店の外から聞こえてきた。声圧でビリビリと店内が震えている。男の子は――ハリーは、慌てたように店の外に視線をずらした。
「ハグリッドだ!」
「迎えが来たの。それじゃあここまでね」
リラはハリーに手渡した分の本の代金も払って、出口に向かった。
「え? あの、ちょっと、これ!」
「プレゼント。ホグワーツに行っても頑張って」
店内を覗いていた小山のように大きな人影の隣をすり抜けて、リラは店を出た。
慣れないことをしたという自覚はあった。ちょっとだけ張り切りたい気分だったのかもしれない。あれがハリー・ポッター。見た時から気づいてはいたけど、想像よりも普通の男の子だった。闇の帝王を斃したというのだから、もっと英雄然としているのかとも思っていたが。先入観はいけないな、とリラは自分の中で反省する。
その時、ガァ、と鳴き声が聞こえた。
聞き慣れた声だった。思わず緩みそうになった頬を引き締めて、ツンとした顔を作る。片手を横に上げたら、一羽のワタリガラスが腕に止まった。
「ひとりで行けるって、あたし言ったわ」
不服そうに言いながら、リラはカラスをじとっとした目で睨みつけた。
カラスは、もといレギュラスは、本物のカラスのように首を傾げた。『迎えに来ることくらいは、許してほしい』――そう言っているのが聞こえるようだった。
※
列車の時間がやってきた。
リラ・ブラックは、ダイアゴン横丁で買い物を楽しんでいた時とはうって変わって、不機嫌だった。
親代わりの兄――正確に言えば兄ではないのだが――と別れを告げ、キングズ・クロス駅の九と四分の三番線にたどり着き、列車にトランクを運び込むところに苦労していたところで親切な赤毛の双子に手伝ってもらった。そこまではよかった。
だが、そこからがいまいちだった。
リラの顔は、そこそこ知られている。特に、聖なる二十八一族が集う社交界では。アークタルス・ブラックより手解きを受け、パーティへのデビューもしたばかりだった。
次代を担うはずの男子二名は既に表舞台から去っている。シリウス・ブラックはマグルの虐殺とピーター・ペティグリュー殺害の罪で終身刑。レギュラス・ブラックは死喰い人として死亡。血が絶えたかと見えたところで現れたのが、リラだった。次なるブラック家としての注目を集めるには十分ではあった。
けれどリラはそういうものは苦手だった。嫌いであるといってもいい。王族を僭称するブラックらしからぬ思考回路であることは自覚していたが、こればかりはどうにも性である。きっとレギュラスの育て方だったのだろう。
ブラック家がどういう一族なのかは教えてくれたが、思想教育的な面で言えば、純血主義だとかそういうものは一切なかった。なんなら家にあったそういった本は処分されるか、リラの手が届かない書庫の隅の方へ追いやられた。アークタルスもそれを見ていた。
つまり、リラが純血貴族らしからぬ女に育ってしまったのは、二人のせいである。そう思うことにしている。
何が言いたいかというと、リラは自分の中のタイミング以外で人に話しかけられるのがすこぶる嫌いだということだ。
ブラック家の長女が入学すると親から聞いたのだろう。あるいは、ダンスパーティで顔を合わせたことがあるのかもしれない――リラは覚えていなかったが。同じ一年生に混じって上級生までもがリラに口々に話しかけてくるのには、さすがに辟易した。
ブラック家の力は、未だに健在だ。アークタルスは老いて自ら立つことが少なくなりつつも、それでもその指先はウィゼンガモットまで届く。その庇護であるリラに阿り、威光に触れようとでもいうのだろう。リラにとっては、知ったことではなかった。お祖父様に直接言えと言ってやりたかった。表面上は、さらりと受け流したが。
そんなわけで、リラは一人しかめっ面をして人の流れから逃げ出した。
列車の隅の、誰もいないコンパートメントに滑り込んで扉を閉め、窓側の席に陣取って、あとは本を開いて、もう到着まで誰とも会話をしない構えだった。
けれど、そんなリラの心とは裏腹に、コンコンと扉がノックされた。
「どうぞ」
無視するのも忍びないので、渋々返事をする。ガラリと扉が開いて、顔を出したのは上級生の男子だった。
「ごめん、もう他の席が空いてなくて。良ければ相席を頼みたいんだけど……君ひとりかい?」
こくりと頷くと、同意ととったのか、男子は同じようにしてコンパートメントに体を滑り込ませた。
「ありがとう、助かるよ。僕はセドリック。セドリック・ディゴリー。君は?」
「リラ・ブラック。よろしくお願いします、ミスター・ディゴリー」
セドリックは呼び捨てでいいよ、と爽やかに言ったが、リラは訂正しなかった。
不機嫌丸出しすぎる態度にリラは内心で反省したが、セドリックは気にしていないようだった。その後は何度か当たり障りのない会話を交わしたが、リラが読書に集中し始めると、セドリックも会話をやめて自身の本を読み始めた。無理に話しかけてこない点は、好感が持てるとリラは思った。
しばらくすると、コンパートメント内が俄かに騒がしくなった。セドリックを見つけた赤毛の双子が入ってきたからだ。
フレッド・ウィーズリー。ジョージ・ウィーズリー。血を裏切る者の一族。レギュラスがそう言っていたのを思い出した。リラは特に何も思わなかったし、トランクを運んでもらった恩もあったので彼らを受け入れた。彼らの体が比較的小さなリラの体を隠してくれたので、通路から覗いてくる人がいなくなったのも助かった。
三人が話し、騒ぎ、時にリラに投げられてくる会話のボールを返しながら、列車の時間は過ぎていった。慣れない騒がしさは気になったが、不快ではなかった。
フレッドとジョージ。二人はユーモアに溢れ、人を笑わせるのが得意なようだった。リラもふと油断したタイミングで笑わせられてしまった。どちらがどっちなのかわからなくなりそうだったので、リラは纏めて覚えることにした。
セドリックは品行方正な人のようだった。でもふざけるときにはふざける。ジョージがコンパートメントで爆発させた花火がリラの顔に飛んできた時にさりげなく手で庇ってくれたので、「この男はモテるんだろうな」とリラは思った。
そうしているうちに、列車が減速を始めた。ホグワーツが近づいてきたのだ。
「リラはどこの寮にするんだ? グリフィンドールにしとけよ」
フレッドがニヤリと悪戯っぽく笑いながら言った。
「スリザリンなんかやめとけよ。あいつらみんな、寮監からして性根が腐ってる」
ジョージも続いた。
「それならハッフルパフに来なよ。僕らの寮だ。歓迎するよ」
セドリックも言った。
「どこに入るかなんてわからないわよ」
リラは憮然として言い返した。けれど、みんなが緊張をほぐそうとしてくれているのはわかっていた。
三人は気を利かせて出ていったので、リラは遠慮なくローブへと着替えた。
ホグワーツに到着する。組み分けの時である。