アズの背中が人混みに消えていく。
通路には妙な静けさだけが残っていた。
ゴン・フリークスは首を傾げる。
「“凝”ってそんなに大事なの?」
隣で、
キルア・ゾルディックはまだアズが消えた方向を見ていた。
「……アイツ、何者だよ」
ウイングはしばらく黙っていたが、
やがて静かに口を開く。
「かなり危険な人です」
「やっぱ強いんだ!」
「ええ。恐らく……相当」
ウイングは言葉を選ぶように続ける。
「あの人は、無意識に周囲へ圧を与えていました」
「圧?」
「念能力者は強くなるほど、隠していても“気配”が滲む場合があります」
キルアが小さく舌打ちした。
「……やっぱ念能力者か」
「しかも熟練者でしょうね」
ウイングの脳裏に、
先程のアズの姿が浮かぶ。
力みが無い。
隙も無い。
それでいて、
いつでも人を殺せる静けさがあった。
(あれほど自然に“隠”を扱うとは……)
相当場数を踏んでいる。
恐らく、
戦闘経験が異常だ。
ゴンはそんなことより、
さっきの言葉が気になっていた。
「でも、“凝をサボるな”ってどういう意味?」
ウイングは二人を見る。
「念能力者同士の戦いでは、“見えない攻撃”が最も危険だからです」
「見えない攻撃?」
「はい。“隠”です」
ウイングは自分のオーラを薄く隠す。
すると、
先程まで感じられていた気配が急激に薄くなった。
「うわっ」
ゴンが目を丸くした。
「消えたみたい!」
「完全には消えていません。ですが、“凝”を怠ると見逃します」
ウイングは続ける。
「念能力者同士の戦いでは、“見えているもの”だけを信じると死にます」
キルアの表情が僅かに変わった。
ゾルディック家でも似たようなことは教わっている。
殺気、
視線、
呼吸、
気配。
“見えないもの”を読む重要性。
ウイングは静かに言う。
「先程の彼は、恐らく実戦経験からそれを理解しているのでしょう」
「実戦経験?」
「ええ」
ウイングの視線が、
アズの消えた方向へ向く。
「あの人は、“人を殺す側”の動きでした」
空気が少し重くなる。
ゴンだけが、
どこか不思議そうな顔をしていた。
「でも悪い人には見えなかったよ?」
キルアが即座に返す。
「見た目で判断すんなって!」
「だって何か……変だけど嫌な感じしなかった」
ウイングは小さく息を吐いた。
「それが一番危険なんです」
「?」
「本当に危険な念能力者ほど、自然に人へ溶け込みます」
ゴンは少し考えた後、
笑った。
「でも面白い人だった!」
キルアは呆れた顔をする。
「お前なぁ……」
その時。
ウイングはふと、
アズが最後に残した言葉を思い返していた。
“凝だけはサボるな”
(まるで……)
まるで、
実際に“隠された攻撃”で多くの人間を殺してきた者の忠告だった。
その日の夜。
パドキア共和国の街はネオンに染まり、
雨上がりの湿った空気が漂っていた。
ホテルの一室。
アズはソファへ深く沈み込み、
煙草を咥えながらぼんやり天井を眺めていた。
机の上には、
開けっぱなしの酒瓶。
脱ぎ捨てられたコート。
灰皿代わりの空き缶。
酷い有様だった。
「……汚っ」
部屋へ戻ってきた
マチ・コマチネが即座に顔をしかめる。
アズは動かない。
「おかえり」
「何これ」
「部屋」
「ゴミ溜めの間違いでしょ」
マチは床の酒瓶を蹴りながら進む。
「アンタ数時間でどうやったらこうなるの」
「才能」
「殺すよ」
「怖ぇな……」
全く怖がっていない声だった。
マチは慣れた手付きで窓を開け、
換気を始める。
「煙草吸いすぎ」
「74型切れそうなんだよな」
「また変なの集めてる」
「変じゃねぇ」
マチは小さく溜息を吐き、
机の灰皿を片付ける。
その最中。
「……仕事は?」
アズが聞く。
「終わった」
「早かったな」
「アンタと違って真面目だから」
「嫌味か?」
「事実」
マチはそこで、
ふとアズを見る。
「……何かあった?」
「別に」
「アンタが“別に”って言う時、大体何かある」
アズは少し黙った。
煙を吐く。
「ガキに会った」
「ガキ?」
「妙なガキだ」
マチの手が止まる。
「……天空闘技場?」
「ああ」
「強かった?」
「まだ弱ぇ」
「じゃあ興味ないじゃん」
アズはしばらく黙っていたが、
やがてぼそりと言った。
「勘がいい」
マチの眉が僅かに動く。
アズは基本、
他人へ興味を持たない。
強者ですら、
「強ぇな」で終わることが多い。
そんな男が、
わざわざ口にする。
「どんなガキ」
「真っ直ぐだった」
「ふーん」
「あと白いのもいた」
「白いの?」
「ゾルディック家のような気配だった」
マチが少しだけ目を細める。
「……へぇ」
アズはそこで煙草を揉み消した。
「まあ、もう会わねぇだろ」
その言葉とは裏腹に。
脳裏には、
真っ直ぐこちらを見上げてきた黒い瞳が残っていた。
“おじさん、すごく強いよね!”
普通のガキなら、
近寄る前に逃げる。
なのにあの少年は、
怖がるより先に興味を持った。
アズはソファへ深く沈み込む。
「……変なガキだ」
マチは掃除しながら、
少しだけ笑った。
「アンタが言うと説得力ないね」
翌朝。
ホテルの部屋には、
カーテンの隙間から薄い陽が差し込んでいた。
ソファでは、
アズがロングコートを被ったまま寝ている。
煙草の箱は床。
74型の吸い殻は空き缶の山。
そして。
「……汚い」
マチの低い声が響いた。
次の瞬間。
ドスッ。
「痛っ」
アズの脇腹へ蹴りが入る。
「起きろおっさん」
「……朝から暴力反対」
「昼」
アズは薄く目を開ける。
時計を見る。
「……まだ寝れる」
「ダメ」
「何で」
「服買いに行く」
沈黙。
数秒後。
「帰る」
「行く」
「面倒」
「その格好の方が面倒」
マチはクローゼットから、
黒いコートを摘まみ上げた。
「アンタこれしか持ってないの?」
「あるぞ」
「どこに」
「そこ」
マチが開けた鞄の中には、
全く同じ黒服が数着入っていた。
「……」
「……」
「終わってる」
「便利だぞ」
「オシャレって概念ないの?」
「オシャレで腹は満たせねぇだろ?」
「そういう話じゃないんだけど」
アズは欠伸をしながら起き上がる。
無精髭を雑に掻き、
煙草を探す。
「74型どこやった……」
マチが箱を投げる。
「はい」
「サンキュ」
「その前に顔洗って」
「面倒い」
「臭い」
「煙草だろ」
「全部」
アズは面倒そうに顔をしかめた。
だが、
結局マチに押し切られる。
数十分後。
パドキア共和国のショッピング街。
黒のロングコート姿のアズは、
死んだ魚みたいな目で歩いていた。
対してマチは普通にスタスタ進む。
「……帰りたい」
「まだ店入ってもない」
「もう十分頑張った」
「歩いただけ」
「褒めろ」
「嫌」
周囲の視線が微妙に集まる。
理由は単純。
アズの威圧感が異常だからだ。
黒尽くめ。
傷跡。
鋭い目。
無精髭。
どう見ても一般人じゃない。
しかも隣には、
美人だが目付きの鋭い女。
近寄り難いことこの上ない。
店員ですら、
少し躊躇している。
マチは気にせず店へ入った。
「これとか」
黒シャツを見せる。
アズは見る。
「今と同じだな」
「今のよりマシ」
「違いが分からん」
「分かれ」
アズは適当に服を見る。
だが数秒後にはもう飽きていた。
視線は自然と窓の外へ向く。
そこを、
見覚えのある二人組が通っていた。
黒髪の少年。
白髪の少年。
ゴン・フリークスと
キルア・ゾルディック。
ゴンは即座にアズへ気付く。
「あっ! おじさん!」
キルアの顔が一瞬で曇った。
(またかよ……!)
アズは面倒そうに煙を吐いた。
「……会ったな、ガキ」