私以外に誰もいない空間で、じじじっと積極的な音が響く。
びくっと肩を震わせれば、なんのことはないただの明かり。けいこうとう?っていうらしい。こんなのでビビっちゃうタマだったかなー、わたし?でもでも、しょーがないじゃん!言い訳するように、狭くともともどこか埋まらない空間でぐでーと寝転んでみる。口を酸っぱくするような人は今はいない。そう私は今、月人かつ地球人生初の留守番というものを体験しているのだった。『生まれて』初めてづくし。ちょっとの刺激も、なれる前は過剰に感じるといいますか。
てか大体さー?生まれて3日の赤ちゃん置いていくー?ぶっちゃけありえなーい!えっ、3日でここまでもの考える赤ちゃんは普通じゃない?あーあーきこえませーん。普通じゃないぷりちーさってんなら聞き入れてやるよー?にしても、そんなことに気づかないなんて、やー『いろは』ってば案外あわてんぼうさんだなぁ。なんて本当は、この世界から逸脱している私の存在のせいだなんて分かってる。彩葉の余裕を私が奪ってしまっているのだ。ここに来て、ホントの初日は彩が目に眩しすぎて、はっきりと見えるのにぼんやりとするというか。とにかく好奇心で満杯だったので気づかなかったけど、さっき調べたネットで私がどんな生物に該当していたか、ここでの普通ではどうなのか。ある程度は把握できた。全てを理解するには経験も必要だし
周囲が暗く染まる中ぼんやりと天井を見上げる。独り電灯の下で、軽口大会。そうでもしないと暇で暇で仕方ない。好奇心は身の丈以上にバリバリ最強ナンバーワンに持ってるつもりだけど、なによりも……。いやいやいや、かんがえるのやーめよ。
外からは出処が判然としないが、月夜の下まばらな音。窓を開けていなければ届いていないだろう。
外から隔離され、人工的な明かりに捕らわれている私は絶賛1人であった。一人暮らし、とかじゃない。そうだったのはここの元の主だ。
ぐーっと空気を読まないお腹が不満を訴える。
『ちょっとまってて』
私のオネダリに、深々と溜息を尽き最低限の身なりで、彼女は月夜へ飛び出していった。月人調べでも夜更けに女の子一人で出歩くのって地上の治安的にどーなのよー?とは思う。あまりに迷い無さすぎて止めることすら出来なかったけど。
生まれて初めて得る肉体の不快感。あそこだとこんな思いもしなかったなー、とぼんやりと天井を見上げる。果敢に白熱へ挑む虫しかいない。お腹は不満を訴え続け、肌が人肌を恋しがる。
異様に静まり返った外にもう一度目を向けると、明かりがついているのはきっとこの部屋ぐらい。光の中だからこそ、音がまばらだからこそ、世界からの興味のなさをより1層強く感じてしまう。
逃げるように目を背けてみると、その先は結局何度も見つめた扉だった。そっと近づき、ドアノブに手をかけてみて……結局止まる。なにかよく分からない意思が私の手を止めている。代わりに耳を押し当てると、金属的な冷たさが耳につたわってきた。
聞こえるのは私の心臓の音だけ。階段を上がる音も、ドアの前で片手が塞がっているため鍵を探してまごまごしている様子も何も聞こえない。
何も。
ぎゅぅっと膝を掻き抱く。
なんなんだろこの気持ち。データベースは何も答えてくれない。
地球へたどり着いてからこの3日間、私はいつも温かさとともにあった。それは物理的な意味だけではなく、あの少女__いろはが心の奥に持つ普段見せないもので、とてもかけがえのないもの。記憶からサルベージしてくると、それは夜風の冷たさに変わった。とても寒い訳じゃない。温度的には過ごしやすいと言ってもいい。だってのに、彼女がいないだけで。この部屋に自分しかいないだけで。例えようもなく、胸がかき乱される。『窓』から見下ろした時のあの人たちははこんなものを抱えて生きていたんだ。こんな気持ちになるほど、失いたくないものがあったんだ。瞳を閉じて名前の無い感情に胸を預けると、それは重く沈んでいく。私の概念という色に深みを付け足してくれる。
地球という環境で生きるには、適応しなければいけない尊き実感。
形が無くとも、月にはなかった温かみは私の心に残っている。なんて言葉で表せばいいか、今はまだ分からない。
行きずりの赤ん坊相手に、目を離すことなく、危険をはいして、笑顔に安心してくれて、一緒に眠ってくれた。
刺激を受け続けた私が、彼女の胸の中でなら安心して眠れた。胸の中に何も無かった私が、名前をつけたい感情を産むほどに柔らかく丁寧に接してくれた。
思い出すほど、胸の中の塊は重くなる。それの価値を過去になってからようやく実感する。
けれども、やはり私には重いものだったのかもしれない。
質量の分だけ、それは溢れて溢れて、大袈裟ではないにしろ止まらずに、私の手を濡らしていた。
「ああこれが」
ネットで見たことがあるだけの言葉。
「寂しいってことなんだ。」
午前2時1分と19秒、彼女はまだ帰らない。
「ただいま、適当に買ってき……うわっ、あんたなんで泣いてるの?」
扉が開いて、目をまん丸に開いた彩葉が一番に目に飛び込んでくる。お腹のへりなんてどうでも良くて、その顔が見れただけで何かが満たされる。
ああ、私泣いてるんだ。ネットで見た時は生産性のない行為と感じた。辛いとは、悲しいとは、寂しいとは、どういうことか胸の奥で受け取れていなかった私が切り捨てようとしていたもの。けれど、必要、なんて言葉じゃ片付けられないんだ、と思い知った。
それと同時に。
「ああもう、ぐしゃぐしゃにしちゃって……えっとタオルまだダンボールに入れてなかったはず……。そんなにお腹すいてたの?」
心配げに、暖かく微笑んで顔を拭いてくれる彼女の顔を見れただけで、かなり得したんじゃね?なんて思ったりして。
けれども彼女を知りたいと思ったのは、離れたくないと思ったのはきっと赤ん坊でいた時から。
そしてこの瞬間に、私は名前の無い感情の外観を整えた。
だから、私はこの次に、美しい瞳をした彼女へ対する感情に名前をつけられた。
深夜2時10分。
くぅ。
ま抜けた音が最後にひとつ鳴って、彼女が微笑んだ。
映えないつまらない部屋だってあなたがいれば、暖かい。
だから、わたしをもう置いていかないで。