特撮オタクたちは、勇者を超越する   作:猿マン

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第107話:時間が必要

 天塚の口から発せられた肯定の言葉に、応接室の空気が凍りついた。

 

 彼女の呼吸が、ヒュッと甲高く引きつる。

 

 大きく見開かれた瞳からはとめどなく涙が溢れ続け、その顔は信じられないものを見るように青ざめていった。

 

「……っ、やっぱり……!」

 

 ギリリ、と、彼女の手がスカートの裾を白くなるほど強く握りしめる。

 

 最悪の予想が的中した絶望。そして、愛する夫を道具として扱われている……と彼女には思えることへの、激しい怒り。

 

「やっぱり、あの人を実験台にしてるんじゃないですか! 治療薬を作るためだなんて……あなたたちは、あの人をなんだと――!」

 

「あなたの夫であり、子の父であり、救うべき1人の人と考えています。」

 

 激昂し、立ち上がろうとした彼女の悲痛な叫びを、天塚の静かで、しかし決して揺らぐことのない声が遮った。

 

「あなたのお怒りはごもっともです、僕らにそのような意図が全くなかったとは言えませんし、あなたたちが感じている心労を軽んじたのも我々の責任です。謝罪します。」

 

 そう言って頭を下げる彼に、しかし、母親である女性の怒りは収まらない。

 

「謝って済む問題じゃないでしょう……!」

 

 床に額がつくほど深く頭を下げる天塚に対し、彼女の悲鳴のような怒声が応接室に響いた。

 

「そんな綺麗な言葉を並べたって、あの人が帰ってくるわけじゃない! だったら今すぐ会わせて! 私が連れて帰ると言っているのに!」

 

「……それは、できません」

 

 天塚は静かに頭を上げ、冷徹なまでに真っ直ぐな視線で彼女の血走った瞳を見つめ返した。

 

「なぜですか! やはり、実験の邪魔になるから――」

 

「連れて帰れば、彼はおそらく、また人を襲うからです。」

 

「……ぇ。」

 

 事実だけを切り出したその言葉の重みに、彼女の怒声がピタリと止まる。

 

「――いいですか、奥さん……姉元美咲さん、あなたの旦那様である姉元光輝さんは、現在、特異な状態にあります。」

 

 嘘をつかない――そう決めた以上、彼はその言葉を紡ぐことにためらわない――それが彼らだ、一度決めたら20年だろうが完遂するまでひたすら続ける。

 

「現在、表向きは重度の過労と未知の感染症による隔離治療として、旦那さんがここにいることは、ご存じのことと思います。」

 

「わかっています!それが一体何――」

 

「まず、現行法上、光輝さんがH.A.Dの影響で起こしたあの暴行事件は刑事罰に処されることはありません」

 

 天塚は冷徹な事実で、彼女の悲鳴のような抗議を遮った。

 

「法整備が間に合っていないんです。現在、H().()A().()D()()()()()()()()()()ことになりますし、心身喪失状態での犯行として処理されるでしょう。……だから、連れて帰って家で隠し通せば問題ないと、あなたは思っているのでしょう?」

 

 図星だった。彼女の肩がビクッと跳ねる。

 

「ですが――問題は法律ではありません。現在、あなたの旦那さんは『あなたに害をなすママ友を行動不能にする』ことだけを行動原理としています。異常な執着心と、それを実行する力を持ったまま」

 

 そこに、善悪の判断能力はない。

 

 薬によって歪められ、視野が極限まで狭窄した今の彼は、かつての心優しい夫ではないのだ。

 

「いいですか。今の光輝さんにとって()()()()()()なんです。おそらく、彼はその目的を遂行するためならば――」

 

 お子さんやあなたを利用、あるいは傷つける可能性があります。

 

 それは、一見すると本末転倒な結果に見えるだろう。

 

「妻を――ひいては、子供を守るために彼は薬を服用した、だが、その結果が、自分の子供や妻を傷つける結果になるなど、あり得るのだろうか?」そう考えるかもしれない。

 

「――そんなことあるはずない!あの人は、優しい人で――」

 

「ええ、そうなのでしょう、だから、被害があの程度で済みました。」

 

「だったら!」

 

「だが、()()()()()()()()()んです。あなたを愛し、守ろうとした旦那さんは、優しく、人を傷つけることなどしないあなたのご主人は『人を傷つけた』んです、わかりますか?」

 

 それは、彼女の視点から見ればあり得ないことだっただろう。だが、起きたのだ。

 

「あの薬はそういう薬です、凶悪なまでの視野狭窄を引き起こします――彼はおそらく、あなたたちを認識できるでしょう、普通に話すことも可能です、ですが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。」

 

 それが、今の彼なのだ。

 

 この状態を解除するためには、彼を薬から解放するほかない。

 

「で、でも……戻せる方法はもうあるって書いてあるじゃないですか!ほら、勇者なら治せるかもって――」

 

「ええ、我々は奇跡的に元に戻った実例を知っています。その方法も、心当たりがあるといっておきましょう。」

 

「やっぱり!私の夫を実験台に――」

 

「ですが、彼とご主人には明確に違う点があるんです。」

 

「――?」

 

「あなたの旦那さんは、明確に人を傷つけてしまったのです。」

 

 そこが、いつだって問題なのだ。

 

 彼は法が裁かずとも、罪人なのだ。

 

 人を傷つけてしまった、それは事実なのだ、変わりようがない。

 

「いま、彼をその方法によって元に戻してしまえば、彼は非難の矢面に立たされることでしょう――少なくとも、政府の人間はそれを狙っているはずです。」

 

 

「現在、政府は怪人についての対応に追われている。そして、世間の恐怖と怒りの矛先を向けるための『生贄(スケープゴート)』を探しているんです」

 

 天塚の言葉は、氷のように冷たく、そして鋭かった。

 

「考えてもみてください。人間のコンプレックスや不満が化け物を生み出すという事実が公表された今、世間は疑心暗鬼に陥っています。『あいつが怪人になるんじゃないか』『いや、あいつだ』と。そんな状況で、『実際に人を傷つけた怪人が、無事に人間の姿に戻りました』と発表されたらどうなるか」

 

「……っ」

 

「マスコミはあなた方の家を包囲し、ネットでは個人情報がすべて晒し上げられる。ご主人がどれだけ優しかったか、どれだけママ友の嫌がらせに苦しんでいたかなど、誰も考慮してはくれません。ただ『化け物になった危険人物』として、社会から徹底的に袋叩きにされる。お子さんも、二度と普通の学校には通えなくなるでしょう」

 

 美咲の顔から、さっと血の気が引いていく。

 

 一瞬だけ、怒りで赤く染まっていた瞳が、今度は底知れぬ恐怖に見開かれた。

 

「それが、この国の――人間の社会というものの現実です。奇跡的な魔法や超能力で彼を元に戻すること自体は、もしかしたら明日にも可能かもしれない。ですが、それは彼を『社会的な死』に追いやることと同義なんです」

 

 それを、彼らは避けたかった。

 

 正直に言って、薬ができるできないはどうでもいいのだ、扇の瞬間移動で1瞬で現れて高速で体を治したっていい、治し方はもう知っているのだ。

 

 警察に――政府に語った話などおためごかしだ。治験などどうでもいい、すでに細胞のサンプルは採ったし、分子構造のサンプルは1週間も前からできている。

 

 薬効の探知は十分に行っている――問題はそこではない。

 

 こういった非難を食い止める方法は1つしかない。

 

「そのうえで、我々が治療を遅らせているのは事実です。治療薬の効果確認に、旦那さんを使おうとしている事実も否定はしません。ただ――今、旦那さんを元に戻せば、間違いなく、政府は責任を旦那さんにかぶせようとするでしょう。」

 

 時間が、必要なのだ。

 

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