特撮オタクたちは、勇者を超越する   作:猿マン

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第118話:ある少女の混乱と……

「――怪人化を、解除できる薬?」

 

 私の口から滑り出た声は、自分でも驚くほど乾ききっていた。

 

 ティーカップの縁をなぞる指先が、微かに震えるのを必死で押さえ込む。

 

「まあ、まだ、全然目処立っとらんらしいねんけどな。でもまあ、あの天才マンが言うとるんやし、そのうちできるんちゃう?」

 

 向かいの席で、赤髪の魔法少女――黒土灯は、まるで明日の天気でも語るような気楽さでポテトを口に放り込んだ。

 

 彼女の屈託のない言葉が、私の脳髄を冷たい刃でゆっくりと削り取っていく。

 

 怪人化を、解除する。

 

 元の人間に、戻す。

 

 天塚新という稀代の天才が、今、そのための治療薬の開発に心血を注いでいる。

 

 その事実が意味するものを、私の優秀すぎる頭脳は瞬時に弾き出し、および全力で否定しようとしていた。

 

 おかしい。理屈に合わない。

 

 彼ら『特撮班』の3人は、あの異常な身体能力、勇者すら圧倒する超常の力を有している。私はそれを、あの悪魔の薬――『H.A.D』の副作用を完全に克服した、唯一の成功例なのだと確信していた。

 

 だからこそ、私はこの得体の知れない部署に潜り込んだのだ。彼らが独占しているであろう、その完成された『力』の秘密を手に入れるために。

 

 それなのに、なぜ彼らは『治療薬』などというものを作っているのか?

 

 自らの力の源を否定し、無効化するような薬を開発する理由がない。彼らが本当にH.A.Dの成功例であるならば、求めるべきは更なる出力の向上か、あるいは量産化のはずだ。

 

 彼らは、あんな力を持っていながら、それを『治すべき病』のように扱っているというのか。

 

『まさか……本当に彼らは、薬など使っていないというの?』

 

 そんな考えが脳裏をよぎり、即座に奥歯を噛み締めて打ち消した。

 

 あり得ない。人間が、ただの鍛錬や精神論で勇者を凌駕するなど、科学的にも物理法則的に絶対にあり得ないのだ。

 

 彼らは何かを隠している。私から、世界から。圧倒的な暴力を独占するための、もっと冷酷で合理的な理由があるはずなのだ。

 

 そうでなければ、困る。

 

「……そうですか。それは、素晴らしい朗報ですね。魔物に勇者に怪人では、一般の人たちも混乱しきりでしたから……」

 

 私は表面上の完璧な微笑みを顔に貼り付け、紅茶を1口啜った。喉を通る液体が、砂を噛むように味気ない。

 

 時間がないのだ。

 

 私には、彼らの呑気な『正義の味方ごっこ』に付き合っている猶予など、1秒たりとも残されていない。

 

 脳裏に浮かぶのは、力なく微笑む姉の顔だ。

 

 美しく、誰よりも優しかった私の姉。彼女は今、徳光電産の奥深く、最も厳重なセキュリティで守られた部屋に幽閉されている。

 

 いや、保護と言えば聞こえはいいが、実態は怯えて隠れているだけだ。

 

 あのおぞましい勇者に見初められてしまったあの日から、姉の時間は止まっている。

 

 権力も、財力も、法でさえも、勇者という絶対的な暴力の前には無力だった。警察は及び腰になり、政治家は見て見ぬ振りをする。

 

 父でさえ、会社を守るために姉を差し出すべきか、毎夜書斎で頭を抱えているのを私は知っている。

 

 姉を救うには、勇者を殺すしかない。

 

 法が裁けないのなら、私が裁くしかない。

 

 そのための『力』が必要なのだ。たとえそれが、人間の尊厳を捨て去り、異形の怪人へと成り果てる悪魔の劇薬であったとしても。

 

「……麗華様。お顔の色が、優れませんが。」

 

 背後に控えていた雨傘が、静かに声をかけてきた。

 

 その低い声にハッとして、私は無意識のうちに自分の膝を強く握りしめていたことに気がついた。

 

「いいえ。なんでもありません。ただ……天塚様の頭脳をもってしても、まだ完成の目処が立たないということに、少し不安を覚えただけです」

 

 私は雨傘を振り返らずに答えた。

 

 この初老の元ヒーローは、私の焦燥をすべて見透かしているような気がしてならない。彼もまた、あの3人と同じように『何か』を知っている。知っていながら、私には決して語ろうとしない。

 

 私を子供扱いし、危険な真実から遠ざけようとしている大人特有の傲慢な優しさ。それが今の私にはひどく呪わしかった。

 

「うちの天才おっさんなら、そのうちひょっこり完成させるやろ。なんせ、徹夜でブツブツ言いながらモニター睨みつけとるし。扇のおっさんも、また暗い部屋に引きこもってなんか探しとるみたいやしな。」

 

 灯がジュースの氷をストローでかき回しながら、他愛のない日常の風景としてそれを語る。

 

 扇雄介が、無響室に籠もっている。

 

 彼らもまた、何かを必死に探し、焦っているのだ。

 

 それが治療薬のためなのか、あるいは彼ら自身の『力』を維持するための何かなのか。

 

 私には分からない。分からないことが、これほどまでに恐ろしいとは。

 

『もし……もし彼らが本当に薬を使っておらず、私には到底手の届かない方法でその力を得ているのだとしたら。』

 

 私はどうやって姉を救えばいいのか。

 

 どこにあるとも知れないH.A.Dの売人を探し出し、不完全で自壊するかもしれない未完成品にすがるしかないのか。

 

 冷たい絶望が、足元からじわじわとはい上がってくる。

 

 違う。彼らは絶対に何かを隠している。

 

 天塚新のラボ。あの男の防壁の奥底に、必ず私の求める『完成された力』への手がかりがあるはずだ。

 

 彼らが怪人を治療しようとしているのも、単に自分たちの優位性を脅かすイレギュラーを排除し、実験データを独占するための隠れ蓑に違いない。

 

「……ええ、そうですわね。扇様や天塚様なら、きっと素晴らしい結果を出してくださるでしょう。私も、徳光電産の技術部門をさらにプッシュして、彼らの研究を全力で後押しさせていただきますわ。」

 

 私はもう一度、完璧な令嬢の微笑みを作った。

 

 力は、必ず手に入れる。

 

 彼らが隠し立てするなら、私がこの手で暴き出す。

 

 姉の未来を、理不尽な勇者の暴力から奪い返すためなら。

 

 私はティーカップの中で揺れる暗い水面を見つめながら、己の心に棲みつき始めた冷たい狂気を、静かに飲み込んだ。

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