特撮オタクたちは、勇者を超越する   作:猿マン

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第119話:……絶望

 午前3時。黒土製薬の地下深層。

 

 特撮班専用ラボへと続く堅牢な防爆扉の前に、笹藤麗華は立っていた。

 

 通常、この扉を突破するには天塚新が構築した多重の生体認証と、AIによる行動予測プログラムをクリアしなければならない。徳光電産のクラッカーチームをもってしても外部からの侵入は不可能とされた鉄壁の要塞だ。

 

 だが、「内部の人間」として配属されたことで、わずかながら綻びを突く余地は生まれた。

 

 麗華は手元にある小型のデバイスを電子錠のインターフェースに接続する。

 

 徳光電産の裏の技術部が数日がかりで組み上げた、瞬間的な認識阻害プログラム。天塚のAIが定期的な自己診断(メンテナンス)に入る数秒のタイムラグを狙い、偽の認証データを流し込む。

 

 カチャリ、と。

 

 重々しい音を立てて、分厚い扉がわずかに開いた。

 

「……うまくいきましたわね」

 

 小さく息を吐き出し、麗華はラボの中へと滑り込む。

 

 もし発覚すれば、黒土製薬との協力関係は破綻し、特撮班から即刻追放されるだろう。大企業のご令嬢としてあるまじき凶行。だが、彼女に躊躇いはなかった。

 

 勇者に心を壊されかけている姉を救うためなら、泥をすする覚悟はとうにできている。

 

 室内は、青白いモニターの光だけが明滅する薄暗い空間だった。

 

 足の踏み場もないほどに散乱したプリント基板、無造作に積み上げられたエナジードリンクの空き缶、および何の実験に使われたであろう用途不明の機材の山。

 

 彼らがここに持ち帰った『怪人』たちは、さらに奥の隔離区画にいるはずだが、彼女の目的はそちらではない。

 

 麗華は迷わず、部屋の中央にある天塚のメインコンソールへと向かった。

 

 キーボードに指を這わせる。彼女自身の権限ではアクセスできない深層フォルダへと、徳光電産のデバイスを経由して物理的にハッキングを試みる。

 

『彼らは、このラボのどこかに隠しているはず』

 

 麗華の瞳に、執念の火が灯る。

 

 勇者を一撃で両断する筋力。空を歩き、弾丸を跳ね返す念動力。それらはすべて、あの悪魔の薬『H.A.D』の副作用を完全に克服した「成功例」である証拠だ。

 

 彼らは表向きには治療薬を開発していると偽り、その実、自らの力の源泉である完成版のH.A.Dを独占している。でなければ、あのような神懸かった力を人間の身で振るえるはずがない。

 

「H.A.D……完成型……身体強化プロトコル……」

 

 検索ウィンドウにキーワードを打ち込む。

 

 膨大なデータが画面を滝のように流れていく。彼女の優秀な頭脳は、その文字列の羅列から必要な情報だけを瞬時に拾い上げていった。

 

 だが、画面に表示されるのは、彼女の期待するものとは程遠いデータばかりだった。

 

 表示されたのは、先日捕獲された「怪人03」や「怪人04」の凄惨なスキャンデータ。

 

 細胞レベルで脊椎が金属に置換され、自壊を待つばかりの痛ましい生体構造。そして、致死量の10倍の麻酔薬を仮想の血管に打ち込み、強制的に細胞を還元させるという、狂気じみたシミュレーションのログ。

 

「違う……私が知りたいのは、こんな失敗作の末路ではありませんわ……!」

 

 焦燥感が胸を焼く。麗華はさらに深く、彼ら自身のパーソナルデータが格納されているであろう領域へとアクセスを試みた。

 

 天塚の防壁が警告音を発しかけるが、持ち込んだデバイスがギリギリのところでそれを偽装信号で打ち消す。

 

 開かれたフォルダ。そこには『正義の味方・身体機能および精神構造ログ』と記されていた。

 

「これですわ……! ここに、彼らが何を服用し、どうやってあの力を得たのかが……!」

 

 震える指でファイルを開く。

 

 しかし、目に飛び込んできたテキストに、麗華は息を呑んだ。

 

『被検体A(扇雄介):超能力覚醒。

現行、最もエネルギー効率が高く、理論上まったく制限なくエネルギーを取り出すことができる――が、周辺への精神被害を遮断する方法がない、新素材の作成を検討。

彼の訓練方法を模倣できれば、世界のエネルギー問題が解決するが……いったいどうやれば、9日も水の一滴も飲まずして生きながらえるのだろう?被検体2よりも理解できない。

以下、20年における脳内細胞の変質を別紙4に記す。』

 

「……は?」

 

 麗華の口から、間抜けな声が漏れた。

 

 意味がわからない。薬の成分データや、遺伝子操作の記録ではないのか。

 

 震える手で、次のスクロールを下ろす。

 

『被検体B(七星一也):チャクラ解放における肉体硬化。

3体の被検体において最も魔術的側面に近い。精霊・妖霊無しでも人体に魔性は宿るらしい。

超能力とは別系統のエネルギー性質だが、機械による観測可能性から魔力ではない、現行最も不可解なエネルギー性質、ただし、念力ほど高出力かつ無尽蔵には生み出せないらしい、肉体を介しうる神秘だからだろうか?

※注記:エネルギーの物理的変換率が常軌を逸しているため、カロリー消費が異常。常にジャンクフード等の高カロリー食を要求する。』

 

『被検体C(天塚新):プランク長エネルギー制御。

時空相転写機構《Planck Phase Reconstructor》概略、微小時空の泡(quantum foam)を細胞単位で制御する生体時空構造体としての肉体維持のために、自作の薬品を1日40種類服用し、肉体の内燃機関を強引に調整が必要、習得年次改良を考慮したいが、過度な肉体改造は肉体と脳に損傷を与える危険性あり、要改良。』

 

「……嘘、でしょう?」

 

 画面の光に照らされた麗華の顔は、蒼白になっていた。

 

 H.A.Dの組成式など、どこにもない。

 

 魔力によって細胞を書き換える神秘の薬効も、勇者の加護を人工的に再現するスマートな科学技術も、そこには一切記されていなかった。

 

 あるのはただ、狂気。

 

 ただ『特撮ヒーローになりたい』という子供のような夢のために、人間の限界を物理的、精神的に破壊し続けた、20年にも及ぶ愚直で無謀な「努力」の痕跡だけ。

 

「こんな……こんな馬鹿げた記録で、私を騙せるとでも思って……!」

 

 麗華はギリッと奥歯を噛み締めた。

 

 信じられない。信じるわけにはいかない。

 

 もしこれが真実だとしたら、自分が求めていた「即効性のある力」など、この世のどこにも存在しないことになってしまう。

 

 姉を救うための魔法の薬は、彼らの手の中にもないということになる。

 

「カモフラージュです……! どこかに、本当の薬が……っ!」

 

 半ばパニックに陥りながら、麗華はデスクの引き出しを乱暴に開け、壁面の保管庫へと駆け寄った。

 

 厳重なロックの掛かった冷蔵保存庫。パスコードを解析ツールで強引にこじ開ける。

 

 プシュッ、と冷たい空気が漏れ出した。

 

 そこに並んでいたのは――

 

「……『怪人対策用・高濃度鎮静剤(試作)』……? 」

 

 手に取ったアンプルに貼られたラベルには、無機質な文字が印字されていた。

 

 力を与える薬ではない。

 

 それは間違いなく、狂ってしまった人間を『元に戻すため』だけの、純粋な治療薬のプロトタイプだった。

 

「どうして……どうして、ないの……!」

 

 アンプルを握りしめる手が小刻みに震える。

 

 足から力が抜け、麗華はその場にへたり込んだ。

 

 冷たいタイルの感触が、彼女の絶望をさらに深いものへと引きずり込んでいく。

 

 ないのだ。

 

 彼らは本当に、薬など使っていなかった。

 

 圧倒的な暴力で姉を蹂躙しようとする勇者を、明日明後日にも殺せるような都合のいい力など、初めから存在しなかった。

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