「――で、こっちはちっとも進んでへんわけやけど。」
「だね……」
昨日の麗華の様子を思い出し、げんなりと灯がつぶやく――あの少女ほどご機嫌といければよかったのだが。
「誰もうちらに薬のことは話さへんし。」
「風紀委員の名前出してもダメだったからねー」
放課後の旧校舎。窓ガラスに夕焼けが反射する静かな廊下で、灯は苛立たしげにインカムの感度を調整した。
勇者という肩書きも、風紀委員長からの依頼という大義名分も、この閉鎖的な学園の生態系の中では、かえって生徒たちの口を重くさせる理由にしかなっていない。
『――無理もありませんよ。もしその薬が、本人の努力なしに成績や運動能力を劇的に引き上げるものだとしたら、使用者は絶対に手放したくないでしょうし、周囲も関わり合いになりたくないはずです』
耳元で、ラボにいる天塚の涼しげな声が響く。
「そらそやけど、1人ぐらいおらんもん?止めたろ思うようなやつ」
『あなたなら止めようと思いますか?』
「え、しかとするけど。」
『なら他の人だってそうですよ。風紀委員長の名前を出したのも失敗でしたね、余計に警戒されますよ』
インカム越しに、ラボにいる天塚の涼しげな声が響く。
『成績が上がる、足が速くなる。そんな夢のような薬を隠れて使っている生徒が、学園の治安維持を担う人間の名前を出されて素直に白状するはずがありません。薬を没収されるか、停学になるかの二択ですからね。彼らも風紀委員長を警戒しているからこそ、尻尾を出さないよう巧妙に隠れているんです』
「……わかっとったら先言えや……!」
『勝手に行動して後で連絡してきてそれ言われても困りますよ。』
「そらそうやけど! じゃあどうやって探れっちゅうねん。勇者の力で脅すわけにもいかんし。」
『ええ、それは絶対にいけません。確実に雲隠れされますよ。』
「ぬー!!」
「お姉ちゃん、とうとう獣に……」
歯をむき出し、獣のように唸る姉を見つつ苦笑した御影。いないとしても光景が浮かぶような2人の様子に苦笑しつつ、天塚はそろそろ助け舟を出すことにした。
『さて、そろそろ実地試験も終わりでいいでしょう、調査の仕方をお教えしますよ――ちょうど今、試験薬生成中で暇ですし。』
「は?」
『今、携帯に座標を送りました、そこに七星がいます、そこに向かってください。』
「お、おう……ここ、学校の外やん」
灯がスマホの画面を覗き込み、怪訝な顔をする。表示されたピンは、学園から数駅離れた繁華街の裏路地を指していた。
「なんで七星さんがそんなとこにおるん?」
『百聞は一見に如かず、です。あかねさんとも別れたんでしょう?すぐに向かってください。ものの調べ方を教えましょう。』
天塚はそう言い残し、一方的に通信を切った。
納得がいかない顔の灯だったが、文句を言っていても事態は進展しない。彼女は御影の手を引いて教室を飛び出した。
「――お、お疲れー」
そう言って、七星が手を上げたのは1軒の民家の前だった。
「お疲れ様です――ここは?」
「ん?天塚から聞いてないなその分だと――君らが調査頼まれてから、1週間以上学校休んでいるやつの家。」
七星は、見事なまでに住宅街の風景に溶け込んでいた。地味なスウェットに首からタオルを下げ、どう見ても近所をランニング中のお兄さんか、休日の暇を持て余したおじさんにしか見えない。
勇者としてのオーラを隠しきれない灯たちとは対照的な、完璧なカモフラージュだ――もしくは有名人としてのオーラが湧かない小市民ということだろう。
「はぁ? 1週間休んどる奴?」
灯が怪訝そうに眉をひそめる。
「リストの奴らか?」
「いや、リストには載ってない。ただの一般生徒だろ。」
七星が首を振り、民家の2階の窓――カーテンが固く閉ざされた部屋を顎でしゃくった。
「魔法の薬っていったって、体に作用しているんなら間違いなく強烈な副作用がある。異常な発汗、瞳孔の散大、および薬効が切れた後の極度の疲労感。」
それはあたかも、病気のようにひどい肉体の反応。
「そういうのが出てまで学校に来ようってやつはそうそういない、ってことは学校を休んでいるはずだ。」
『――その通りです。』
耳元のインカムから、天塚の涼しげな声が流れる。
『風紀委員長が提示したリストは、あくまで学内で目に見える変化……「成果が出ている例」に過ぎません。彼ら学生の自治組織には、欠席した生徒のプライバシーに踏み込む権限もなければ、その背景を調査する手段もない。だからこそ、僕ら大人の出番というわけです。』
「なるほどな……委員長くんらは学校の中を一生懸命調べとったけど、その外側で倒れとる奴らまでは気が付かんかったっちゅうわけか」
灯が納得したように頷く。あの真面目そうな委員長が嘘をついているわけではなく、単純に学生という立場の限界だったのだ。
「ああ。天塚の調べだと、ここの息子さんは1週間前から熱を出して寝込んでいることになっている……が、風邪にしては欠席日数が長いし、インフルにしては学校に連絡が行っていない。」
七星はそう言うと、迷うことなく玄関のインターホンを押した。