「下で君のこうなる前の写真を見た、筋肉、半分くらいになってるだろ。」
「……」
少年は毛布を頭まですっぽりと被り、頑なに沈黙を守ろうとする。だが、その薄い布越しに伝わる震えは、彼自身が誰よりも自分の肉体の異変に気づいていることを物語っていた。
「体重も10キロ以上落ちてるはずだ。鏡を見るのが怖いんじゃないか?自分が自分でなくなっていくみたいで。」
だから、母親や父親に顔を見せられないのだ、心配されるとわかっているから。
七星一也は腰掛けたまま静かに言葉を紡ぐ。責め立てるような口調ではない。ただ、淡々と事実を突きつけているだけだ。
「お母さんの反応からして、たぶん君のことを大事にしてる、お父さんも、ちょっと昭和の価値観の強い人だけど悪い人じゃないみたいだしな。」
だから、余計に困っているのだろう――彼にはもう、自分でもどうしていいのかわからないのだ。
部屋の空気が、重く澱んでいる。
ベッド上の毛布の山が、微かに、だが確かに震え始めた。
「……父さんは、結果がすべての人間なんだ」
擦れたような、嗚咽を噛み殺すようなくぐもった声が、静まり返った密室に落ちた。
堰を切ったように、少年の口から本音が零れ出す。それは誰かに聞いてほしかった悲鳴であり、同時に誰にも打ち明けられなかった呪詛でもあった。
「ずっと言われてきた。『お前には期待しているんだぞ』『やればできるはずだ』って。でも、僕は天才じゃない。いくら睡眠時間を削って机に向かっても、どうしても越えられない壁があった。テストの順位が貼り出されるたびに、家に帰るのが恐ろしかったんだ」
七星は腕を組み、口を挟むことなく静かに耳を傾ける。
どこにでもある、ありふれた学生の悩みだ。だが、その「ありふれたコンプレックス」こそが、この手の薬が――ひいてはそれを売る人間が最も好む土壌であることを、彼は知っていた。
「だから、あの薬にすがったのか。頭が良くなる『魔法の薬』だって聞いて。」
愚かしいと笑うことは容易だったし、大抵の人間が、さかしらにそういって後ろ指を指すのが、彼には容易に想像できる――だが、それほど珍しい事ではないのだ。
昔、どこかの誰かが言っていたセリフが脳裏をよぎる――『抱えきれない現実という物が、世の中にはある』彼にとって、それは親の期待だったのだろう。
「……最初は、ほんの少しのつもりだったんだ。大事な模試の前に、1粒だけ。そしたら……頭の中の霧が嘘みたいに晴れて、全部が理解できた。問題を見た瞬間に、答えが向こうから頭の中に飛び込んでくるんだ。自分が神様にでもなったような気分だった。」
「らしいな、前にこの薬を使ってたやつからそんな話を聞いた記憶はあるよ。」
実際、錯誤させるに足る力はあるのだ、当たり前のことだが、魔法の薬とは、それだけの異常性と超常性をはらんでいる。
毛布の中から覗いた少年の瞳には、いまだにその全能感の記憶が焼き付いているようだった。しかし、その輝きはすぐに絶望の濁りへと沈んでいく。
「でも、薬が切れると、自分の、普段の自分の思考が、まるで亀みたいに遅くて……」
耐えきれなくなった。
異世界ですらある、典型的な『霊薬中毒』の症状の1つだと、以前水鏡に聞いたことがある。
「飲むと、どんどん速くなるんだ、思考も、動きも、何もかもが、びっくりするぐらい速い。」
そのスピードに、彼は慣れ過ぎてしまったのだ。
「それで、ある日、母さんに言われた――やせたねって。」
そこで、彼は気が付いたのだ、自分の――状態に。
「気にしなかった、最初は、けど、服の、腕のところ、どんどん細くなって、スカスカで……このままじゃ、まずいと思って。」
その時には、もう手遅れだった。
「さっきも言ったが、君の脳が魔術によって変異して君の体から、並外れた速度で栄養を奪い去ってる、普通の人間よりもはるかに速い。だから、筋肉の分解も速くなって――」
こんな姿になった。
七星が静かに引き継ぐと、少年は力なく首を縦に振った。
「体が泥みたいに重い、頭だって働かない、1つのことに集中できないんだ、親にも、こんな干からびた姿、見せられない……!」
七星は静かに頷く。霊薬の離脱症状。代償を前借りした結果、肉体と精神の双方が激しいマイナスに振れている状態だ。
「わかってる――けど、お前さん、今のままじゃ病院にだって行けないだろ、もう、ほとんど飯だって食えてない、栄養を体に送り込む必要がある。」
「でも……」
「親父さんだって、わかってくれる――っていうか、それどころじゃないさ。」
「……なぐ、られる。」
「俺が止めるさ、今の君には人の助けがいるよ。」
「……わか、った。」
ポツリと、少年がようやく承諾の言葉をこぼす。
七星は立ち上がり、少年の頭に軽く手を置いた。
「よし。よく言った」
結果から言って、彼の父親は彼を殴らなかった。
泣きはらした母親を見て、怒り狂った顔で居間に入って――変わり果てた息子に愕然とした。
どうしていいのかわからない表情のまま、彼は持っていたカバンを落とし、七星につかみかかった。
「お前が息子をこんなにしたのか。」
「何をしたんだ。」
「殺してやる。」
まあ、いろいろと言われて――七星はそのすべてを受け止めた。
彼の目には、息子をかばう父親と、それを見ながら少しほっとしている息子だけが見えていた。
初めから、こうしていれば――きっと、もっといい解決策だって、きっとあったのにと思いながら。