特撮オタクたちは、勇者を超越する   作:猿マン

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第128話:ある少女の決断

「――では、そちらの方の捜査も進展しているのですね。」

 

「ええ、まあ、といっても、一切犯人の話にたどり着いていないので何と言ったものかって感じはありますが。」

 

 そう言って肩をすくめるゆかりに、声をかけた本人である麗華は仕方がないと付け加える。

 

「それこそ、何ともならないこともありますよ、神様でも魔法使いでもないんですから。」

 

「生徒たちに成績向上や身体能力の変化という『結果』は出ているのに、その薬を誰から買ったのか、どうやって受け取っているのかという物理的な証拠が一切出てこないのはどういうことなんでしょうねぇ。」

 

 黒土製薬の特撮班専用ラボ。いくつものモニターが発する青白い光に照らされながら、白雲ゆかりは疲労の色が濃い顔で深くため息をついた。

 

 デスクの上には、解析途中のデータやエナジードリンクの空き缶が散乱している。

 

 徹夜続きの彼女の視界の先で、笹藤麗華は仕立ての良さが際立つ私服姿のまま、優雅な立ち姿で微笑みを浮かべていた。

 

「天塚先輩も今は本命のH.A.Dの治療薬開発にかかりきりで、学園のスマートドラッグの成分解析までは手が回らなくて……あ、お茶入れますけど、麗華さんもどうです? 」

 

「まあ、ありがとうございます。」

 

 ゆかりが「よいしょ」と小さく声を漏らしながらキャスター付きの椅子から立ち上がり、ラボの隅に設置された給湯スペースへと歩いていく。

 

 その無防備な背中を見送る麗華の瞳から、それまで浮かべていた柔らかな温度がスッと消え去った。

 

 残ったのは、氷のように冷たく、および泥のように暗い、絶望的な決意の色だけだった。

 

『……ええ、あなた方は神様でも魔法使いではない。どんなに強大な力を持ち、理不尽を粉砕する力があろうとも、都合のいい魔法の薬なんて持っていないのですから』

 

 麗華の胸の奥で、冷え切った思考が静かに渦を巻く。

 

 学園で出回っている劣化版の薬のことなど、今の麗華にとってはどうでもよかった。

 

 あの日、このラボの深層データにアクセスし、彼らの強さの秘密を知った。

 

 悪魔の薬『H.A.D』の完成形など存在しなかった。彼らが勇者を凌駕する力を振るえるのは、20年という途方もない時間を費やし、自らの肉体と精神を狂気的なまでに削り続けた「努力の結晶」でしかなかったのだ。

 

 その事実を知った時、彼女は彼らに対して底知れぬ畏敬の念を抱いた。同時に、自分の求めていた「姉を即座に救い出すための都合の良い力」がこの世のどこにも存在しないという現実に、完全に打ちのめされた。

 

 彼らに頼れば、あるいは長い時間をかけて勇者を社会的に追い詰めることは可能かもしれない。

 

 だが、麗華の姉には時間がないのだ。

 

 今この瞬間にも、あの下劣な勇者の狂気に晒され、心を壊されかけている。明日にも取り返しのつかない事態になるかもしれないという恐怖が、毎秒ごとに彼女の理性を削り取っていく。

 

 だからこそ、彼女は「悪魔の囁き」に耳を傾けるしかなかった。

 

 絶望の淵に沈んでいたあの夜、突如として彼女のスマートフォンに送り込まれてきたメッセージ。

 

『あなたの願いを叶える力を、特別に無償で提供いたします』

 

 妖霊と名乗る、あの名状しがたい無機質な存在からの接触。

 

 彼女は、扇や天塚が必死に行方を追っている「本命の黒幕」そのものだ。

 

 そんな存在に与することが、どれほど愚かで危険な破滅への道であるか、徳光電産の娘として育てられた麗華の優秀な頭脳が理解していないはずがない。

 

 だが、それでも。

 

 確実に、および即座に勇者を殺せる力を手に入れられるのなら、己の魂を売り渡すことすら彼女にとっては安い取引だった。

 

『ごめんなさい、白雲さん。皆様のことは心から尊敬しております。ですが、私にはもう、この道しか残されていないのです』

 

 麗華はハンドバッグの中に忍ばせていた、スティック状の小型デバイスを静かに握りしめた。

 

 徳光電産の裏技術部門が開発した、軍用規格の電子麻酔器。対象の神経パルスに直接干渉し、1瞬で深い昏睡状態へと陥らせる非致死性の制圧兵器だ。

 

 妖霊側からの要求は明確だった。

 

 「特撮班の技術の要である白雲ゆかりの身柄」と引き換えに、麗華が望む力を与える、と。

 

「お待たせしましたー。熱いから気をつけてくださいね。って、あれ?」

 

 湯気を立てるカップを2つお盆に乗せて振り返ったゆかりは、先程までそこにあったはずの麗華の姿が視界から消えていることに首を傾げた。

 

 足音は一切聞こえなかった。

 

 元ヒーローである雨傘から徹底的な歩法と隠密の技術を叩き込まれていた麗華は、息を殺すようにして、すでにゆかりの背後の死角へと回り込んでいたのだ。

 

「……えっ?」

 

 ゆかりが違和感に気づき、顔を振り向かせようとしたその瞬間。

 

 麗華の滑らかな手が、羽が触れるような静けさでゆかりの首筋へと伸びた。

 

 カチッ、と微かな起動音が鳴る。

 

 デバイスの先端から放たれた不可視のパルスが、ゆかりの延髄を正確に貫いた。

 

「ぁ……れ……?」

 

 悲鳴を上げる暇すらなかった。

 

 ゆかりの瞳から急速に焦点が失われ、その体が糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。

 

 ガチャン、と陶器のカップが床に落ちて割れ、琥珀色のハーブティーがラボの床に広がった。

 

 麗華は崩れ落ちるゆかりの身体を、音を立てないように素早く抱きとめた。

 

 驚くほど軽く、温かい身体。この小さな肩に、彼女は特撮班の装備開発という重責をすべて背負っていたのだ。

 

「……本当に、申し訳ありません。あなたの献身も、扇さんたちの誇り高き戦いも、踏みにじるような真似をしてしまって」

 

 気を失ったゆかりの耳元で、麗華は懺悔するように小さく囁いた。

 

 その声は微かに震えていたが、彼女の表情はすでに後戻りのできない冷酷な決意に固まっていた。

 

 ラボの防犯システムは、すでに彼女が持ち込んだ徳光電産のジャミングデバイスによって、この一角の映像だけを数分前のループ再生へと書き換えられている。天塚が異変に気づくまでに、わずかながら猶予はあるはずだ。

 

 麗華はゆかりの身体を慎重に抱え直すと、ラボの裏口に繋がる非常用エレベーターへと向かって、影のように音もなく歩き出した。

 

 その足取りに迷いはない。

 

 これから自分が向かう先が、取り返しのつかない修羅の道であると理解した上で、彼女はただ、愛する姉を救うという1つの目的のためだけに、暗闇の奥深くへと姿を消していった。

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