特撮オタクたちは、勇者を超越する   作:猿マン

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第137話:ただ一つだけ

「!」

 

 一瞬の空白、誰にもわからぬ何かが起き、周辺の気配が一変する。

 

 廃工場の錆びた鉄骨も、血に濡れたコンクリートの床も、視覚的な風景は何一つ形を変えていない。

 

 だが、その場にいる妖霊も、ローンウルフも、自分たちを取り巻く空間が強引に『移動』させられたのだと本能で理解した。

 

 肌を撫でていた夜風が、ある1点を境にピタリと止まっている。

 

 いや、風だけではない。空間の質量そのものが変質していた。

 

 肺に吸い込む空気は水底のように重く粘り気を帯び、網膜に映る光の屈折率すら微かに狂っている。

 

 耳障りだった廃工場のノイズは、まるで巨大な無響室に放り込まれたかのように、一切の反響を失って死に絶えていた。

 

 先ほどまで扇を押し潰そうとしていた「箱」の絶対的な引力が、別の――遥かに巨大で圧倒的な「何か」の圧力によって、完全に相殺、上書きされている。

 

 景色は先ほどまでと全く同じだ。

 

 しかし、この空間の物理法則の支配権が、自分たちの手から見知らぬ何者かへと奪い取られた事実だけが、肌を粟立たせるような絶対的なプレッシャーとしてそこに存在していた。

 

「――あら、空間移動ですか。ずいぶんと派手な魔法ですね。」

 

「うちの後輩は優秀でね。」

 

 そんな中にあってなお、妖霊に動揺はない。

 

 至極あっけらかんと、彼女はその空間が何か見抜いた。

 

「黒土様、腕のいい勇者様だったのですね、ここまでの鏡面領域を作り出すとは――ああ、いえ、そうですか、水鏡様が協力されているのですね。」

 

「そのために呼んだんだ、当然だろう。」

 

 ぎちぎちと体を鉄の箱に押し込められながら扇は苦笑する――そうでもなければ、国とつながっているあの少年を会社になど入れない。

 

 全ては、この瞬間のために。だ。

 

「未来まで予知されるのですか?我々妖霊以外にそのようなことができるとは驚きです。」

 

「安定しないがね、おかげさまで、ずいぶんと苦労させてもらった、お前以外に別の妖霊が来るのはさすがに新の奴も想定外だったから。」

 

 だから、計画を変えた。

 

 全ては、あの予言を――いや、もっと前から始まっていたのだ。

 

「怪人が出始めたころ、お前の行方を探った時、僕はあの未来を見た。」

 

 忌々しき新たなる妖霊の登場、それによって荒廃する町――自分たちの敗北。

 

 ゆえに、彼らは計画を立てた。

 

「お前が麗華に接触するのはわかってたから、雨傘さんに頼んで監視をしておいた――まさか、『スマホの画面の上に映像を差し込む』なんて、意味の分からない方法で接触してくるとは思わなかったが。」

 

「ネットワークは天塚様に監視されておりましたから……見抜かれるとはさすがです。」

 

「それは光栄だ――まあ、見抜いたのは天塚だからそっちに行ってもらうしかないんだが。」

 

 そうして、この女が麗華に接触するとわかっている以上、あの社内は決して安全ではない。

 

 だから。

 

「あえて、古い情報を語り、計画が遅々として進んでいないように見せた、お前に、麗華嬢から情報が漏れることを前提にして。」

 

 あの無響室に入ったのは全てはそのたえだ――外に情報を漏らさずに、テレパシー以外の方法でやり取りするにはあそこしかなかった。

 

「テレパシーはお前に探られる危険性があったしな?」

 

「まったく、人のことを覗き見好きの妖精のように言われるのですね?心外です。」

 

「ほざけよ、薬の売人が、人様にどうこう言える仕事してねぇだろお前。」

 

「ええまあ――ああ、だから、水鏡の勇者を呼び出したのですね、この領域を作り出すために。」

 

「そうなる――じゃないと、僕ら誰も本気出せんからな。」

 

 鏡面次元。

 

 鏡の中の世界という明らかにファンタジーに全振りしたこの領域に侵入できるのは勇者だけだ。

 

 鏡面への侵入の呪文なる魔法だか魔術だかを使い、鏡に接触した者、鏡に映った任意の存在を鏡面の領域に引きずり込む――それなりに難易度の高い呪文であるらしいそれ。

 

「まさか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とは、さすがに想定しておりませんでした。」

 

「されてちゃ困るさ。」

 

 そのためにあれほど迂遠にやったのだ。

 

「私との会話も、この魔法の時間稼ぎですか。」

 

「もちろん。」

 

 扇本人の意見として、あの言葉は本心しか語っていないが――それはそれだ、別の意図がないといった記憶はない。

 

「ずるい人ですね、いいのですか正義の味方がそれで。」

 

「知らんのか、正義の味方は『善良な人の代わりに悪人を叩きのめす悪人』だぞ、どんな嘘もつき放題なんだよ。」

 

 みちみちと、体を締め付ける鉄箱の圧力は増している――もはや、体のほとんどが、内に巻き込まれている。

 

「そのために、自分は封印されてもいいのですか?自己犠牲の精神は素晴らしいものだと存じますが……少々、詰めが甘いのでは?」

 

「――封印?お前、また勘違いしてるな。」

 

 みちみちと音を立てて空間ごと自身を折り畳もうとする「箱」の中で、扇は穏やかに、けれど冷徹な響きを湛えた声で告げた。

 

「……何が、でしょう?」

 

 妖霊は小首を傾げる。その動作はどこまでも優雅だが、背後で力なく座り込む麗華や、人形のように固定されたゆかりの存在が、その美しさを悍ましいものへと変えていた。

 

「さっきも言ったが、僕は運動神経もよくないし、頭も悪い、才能だって雑巾の搾りかすぐらいもないし、人徳だってからっきしだ。」

 

 天塚にさえ、彼は運動神経で勝てたためしがないし、七星よりも自分が愚かだと思ったことなど掃いて捨てるほどある。

 

 ただ。

 

 ただ1つだけ、あの2人の友人に負けないことがある。

 

 それだけは、たとえこの夢が覚めても持ち続けられると確信しているものが1つだけある。

 

「――僕は憧れだけは人類一だぞ。」

 

 バチンと、空気が爆ぜる音がした。

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