特撮オタクたちは、勇者を超越する   作:猿マン

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第138話:こんなこともあろうかと

 時間が少しさかのぼる。

 

 扇が真紅のスーツの女――妖霊の本体が仕掛けた箱型の封印に呑み込まれようとしていた、その数分前のことだ。

 

 西の廃工場。取り壊しを待つだけの荒涼としたコンクリートの平原で、七星一也は飛来する凶刃の雨をただひたすらに躱し続けていた。

 

 白蝋の巨人が振り下ろす黒曜石の刃は、一撃がビルを両断するほどの質量と魔力を孕んでいる。まともに受ければ、いかに鍛え抜かれた彼の肉体であっても無事では済まない。

 

 だが、当たらない。

 

 七星は最小限のステップと上半身のわずかな捻りだけで、巨大な刃の連撃を涼しい顔ですり抜けていく。

 

「動きが大きすぎるんだよ、チーターでも風でもないんだ、そう機敏には動けないのさ。」

 

 軽口を叩きながら、迫る横薙ぎの1撃をしゃがみ込んで回避する。彼の動きには焦りも恐怖もない。

 

 一方、東の鉄塔。

 

 ステンドグラスの肉塊が放つ、音速を超える数千のガラス片の弾幕。天塚新は、それを自律稼働するドローン群と、手元の端末から展開した光学障壁で防いでいた。

 

「いくら高次元の存在とはいえ、3次元の物理法則に縛られている以上、攻撃の軌道は計算可能なんですよねぇ」

 

 飛来するガラスの雨をすんでのところで逸らしながら、天塚は白衣の裾を翻す。彼の周囲には、演算によって弾かれた破片が幾重にも突き刺さり、異様な光景を作り出していた。

 

『――新、そっちの持ちはどうだ?』

 

 インカムから七星の落ち着いた声が届く。息1つ乱れていない。

 

「大丈夫でーす。思ったより強くないですねお2人さん。」

 

『トランサー無しで戦えてるしな、この分だとお前の想定は合っていそう。』

 

「ですねー」

 

 

 

 

 

 

 それは、根本の話だった。

 

 運動をする時――ランニングでも、あるいは筋トレでもいいが、こんなことを聞いたことがないだろうか?

 

『無理はしないように、準備運動をきっちりと行ってください。』

 

 若いうちは気にもしないそれは、しかし、ある程度の年の人間になるとその重要性がわかる。

 

 無理なのだ、体が、自分が思っている数倍は動かない。

 

 膝はぎしぎしと痛み、腰はまるで貫かれたように動かない、肺はあっという間に破裂しかねないほど激しく蠢動する、呼吸はあっという間に上がり、まともに足も上がらなくなる――人間とは、あるいは、肉体に押し込められた生き物とはそういうものだ。

 

「それが、わかっていない気がするんですよね。」

 

 無響室で、扇に次の手を聞かれた時、天塚はそう仮説を立てた。

 

「情報としては知っているかもしれませんが――感覚としては、たぶん知らないでしょう、妖霊。」

 

「あー……そうかもしれんね。」

 

「実際、あの赤スーツの売り子も動きにくそうだったしなぁ。」

 

「……そうだったか?」

 

「さぁ?チャクラマンの言うことはよくわからないんで、気にしないでいいですよ。」

 

「待って、チャクラマンって何、なんか俺の輝かしい名前、勝手に決められていない?」

 

「だっていまだに決定稿出してこないから……」

 

「……自分のヒーローネームは悩むってヒロ〇カでも言っていただろう!?」

 

「「だって僕らはもう決めてるし……」」

 

「っく……」

 

 などという会話を交わしてから時間も流れ、この理論が正しいのか証明する機会は案外あっさりと訪れた。

 

 

 

 

 

「あのお歴々の体が成分とやらでできていることは、水面君やら灯さんから聞いてわかってますが――どうも、思ったよりこっちの次元にいると消耗するようですね。」

 

 だから、勇者に力を与えられる存在でいながら、勇者はおろか魔神にも勝てない程度の身体機能でしか活動できない。

 

 並の魔物程度なら勝てても、竜やそれに匹敵する魔物にすら勝てるかどうかわからない、妖霊の力は今、格段に落ち込んでいた。

 

『出てこなければ、やられないのに……』

 

「それだけ重要事案なんでしょうよ――おっと。」

「こっちへばりました。」

 

 東の肉塊の動きが明らかに鈍る。

 

 高速旋回していたステンドグラスの破片は軌道がブレ、周囲の魔力がまるで脂汗のようにボロボロと剥がれ落ちていた。

 

『こっちもだ。』

 

 白蝋の巨人の動きもまた明らかに鈍り、関節の軋む音が重く不規則になっている。

 

 3次元の肉体という強固な枷が、彼らの体を確実に摩耗させていたのだ。

 

「――さて、準備運動は終わりかな?ばててるとこ悪いが、お前らには聞きたいことがあるんで、捕まってもらうだろ、公共の福祉的に考えて。」

 

「ああ、動かない方がいいですよ、エネルギー使いたくないんでしょう?あの売り子の妖霊を滅ぼすのに1滴でもエネルギーを使いたくないのはわかってます。魔法を打たない理由はそれでしょう?」

 

 ぎりりと、妖霊たちの口から、彼ら自身さえ聞いたことのない音が響く――それは生まれて初めての歯ぎしりだった。

 

『ぎぎぎっ……』

 

 口から漏れるのは苦悩と憤懣に満ちた呻きだけだ――もはや、彼らに、言葉を発する余力すらな。

 

 呼吸の仕方すら、彼らは知らないのだ。成分界にそんなものはなかったから。だから、この体の不調すら、彼らにはよくわかっていない――知っていたことなど、もうとうに頭から抜け落ちている。

 

 だから――もう、後のことなど気にしないことにした。

 

 この苦痛から逃れるため、使命を果たすため、2人の妖霊は体の中に秘めた成分を暴走させる。

 

 魔法――それも、破壊的な力を扱う際の原質ともなりうるその力を、彼らは生き生きと暴走させ、周囲のすべてを消し飛ばす。

 

「うーん、想定通り。」

 

「負けた怪人ってのはどうして、爆発したがるんでしょうねぇ……ショッカーの戦闘員よろしく泡にでもなればいいものを。」

 

 はずだったのだ。

 

 チャプン、と。

 

 都市の喧騒を覆い尽くすほどの重低音が響き渡る中、全く似つかわしくない、澄み切った水滴の落ちる音が空間に響いた。

 

『――!?』

 

 次の刹那、妖霊たちの視界がグニャリと反転した。

 

 空に浮かんでいた月は足元へと沈み、眼下に広がっていた都市のネオンサインが頭上へと逆立ちする。

 

 右にあったはずの看板の文字が鏡文字に変わり、廃工場の錆びた鉄骨も、鉄塔の冷たい鋼材も、すべてが左右反転した奇妙な光景へとすり替わった。

 

 および何より、先ほどまで鼓膜を打っていた都市のノイズ――車の排気音、遠くのサイレン、人々のざわめきが、まるで電源を切られたかのように完全に消え去っていた。

 

 何が起きたのか――それを、判断するよりも速く、彼らの耳に飛び込んでくるのは……

 

「――悪いがそれはさせない。」

 

「こんなこともあろうかと、こちらで対策は打っておきました――ああ、いいですね、これ、1回言ってみたかったんですよ。」

 

 彼らを見下す、2対の声だった。

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