特撮オタクたちは、勇者を超越する   作:猿マン

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第141話:――出すぜ

 ――何が起きたのか、彼にはわからなかった。

 

 自分たちは完璧に計画を実行していたはずだ。

 

 あの女から示された通りに、ひどい匂いのする液体を地面に撒き、よくわからない図形をステンシルアートのように地面に記載し、その図形の上で謎の文言を延々唱え続けた。

 

 計画は、間違いなく進行していたはずだった。

 

 話に聞く謎の「正義の味方」とやらを、社会のどん底から這い上がった『真理の勇者』たる自分が、完膚なきまでに叩き潰し、その存在ごと消し去る。

 

 あの時自分の配信を邪魔をした男への復讐の機会を彼は見逃さなかったし、それが正しいことだと信じていた。

 

 無防備に這いつくばる扇を見下ろし、顔面を蹴り飛ばした時のあの極上の愉悦。他者を見下し、絶対的な強者の側に立ったという甘美な確信。

 

 あの生意気な男を赤黒い箱の中に閉じ込めた瞬間、己の勝利と栄光は確定したはずだったのだ。

 

 だというのに。

 

 ローンウルフの背筋を、冷たい汗が滝のように伝い落ちていた。

 

 本能がけたたましく警鐘を鳴らしている。このままでは自分が狩られる側に回るのではないかという、弱者特有の惨めな恐怖感が、胃袋の奥底から泥のようにせり上がってくる。

 

 勝者は自分だ。自分は神に選ばれし勇者なのだ。そう頭の中で何度反芻しても、震えが止まらない。

 

 彼は白頭鷲を模した異形の猛禽の姿のまま、ギリッと鋭い嘴を噛み合わせた。

 

「おい……どうなってんだ、これは!」

 

 苛立ちを隠しきれない声で、ローンウルフは叫んだ。

 

 彼の視線の先にあるのは、扇を閉じ込めた赤黒い光の直方体だ。空間そのものを切断し、対象を概念ごと内側へ折り畳んで圧壊させるはずの絶対的な『檻』。

 

 だが、その箱は今、異様な悲鳴を上げていた。

 

 ミシッ、ギギギッ……!

 

 物理的な実体を持たないはずの魔術的構造物が、まるで過大な圧力を受けた潜水艦のように軋んでいる。

 

 箱の表面に走る赤い文様の隙間から、眩いほどの青白い稲妻がバチバチと火花を散らして漏れ出していた。周囲の空気が焼け焦げるようなオゾン臭が漂い、強烈な静電気が廃工場のコンクリートの粉塵をフワフワと宙に浮かび上がらせている。

 

 内側から膨張する、凄まじい圧力。

 

 ただの人間が、勇者のような魔力も持たない旧時代の遺物が、高次元の封印を内側から力任せに『押し返して』いるのだ。

 

 中心で、まるで折りたたまれた人形のようにまとめられていたはずの男は、すでにその腕をかすかに両側に向けて伸ばし体を激しく震わせながら鉄箱を押し返さんとしているように、彼には見えた。

 

「何、何が起きてんだ!」

 

「あら、お客様、いけませんよ、離れては、押し切られてしまうでしょう?」

 

「何が起きてるのかと聞いてるんだ!」

 

「何と言われましても……見ての通りですよ。押し返されかけています。」

 

 その言葉の意味を、ローンウルフの脳は激しく拒絶した。

 あり得ない。そんなことが起きていいはずがない。

 

 自分は『真理の勇者』だ。腐りきった社会と、傲慢な偽物の勇者どもを駆逐するために選ばれた救世主だ。

 

 あの薬――H.A.Dによって最強の力を手に入れ、今まさに、鬱陶しい旧時代の遺物をゴミのように踏みにじり、絶対的な勝利の玉座に足をかけたばかりなのだ。

 

 相手は加護も持たない。

 

 特別な薬で強化されたわけでもない。

 

 ただの、時代遅れの痛々しいオタクだ。

 

 血反吐を吐かせて無様に這いつくばらせ、この世から消し去るための箱に放り込んだ。あとはそのままペシャンコに潰れて終わりだ。そのはずだった。

 

 だというのに、なぜ。

 

 どうして、あの男はまだ生きて、あまつさえあの絶対の檻を『内側から押し返して』いるのだ?

 

 足の震えが止まらない。胃の腑から込み上げてくるのは、絶対者としての余裕などではない。自分より遥かに巨大で、理不尽で、底知れぬバケモノの前に引きずり出された小動物の恐怖だ。

 

 自分が築き上げた『最強』という前提が、あの箱の中でうごめく男の腕1本によって、ガラガラと音を立てて崩れ去っていく。認めたくない。認められるはずがない。もしこれが出てくれば、自分はどうなる?

 

 狩る側から、狩られる側へ転落する。その確信が、彼をパニックへと追いやっていた。

 

「……ッ、見ての通りじゃねぇだろ! なんであんな真似ができるんだよ! お前、絶対逃げられないって言ったじゃねぇか!」

 

「ええ『勇者程度ならば破れない』と申しましたね。」

 

「それは絶対に破られないってことじゃ――」

 

 ない。

 

 今気づいた、勇者程度ならば破られないということ即ち――

 

「ええ、あの方の力は勇者を凌駕しているということになりますね。」

 

 その言葉の意味を脳が理解した瞬間、ローンウルフの喉の奥からヒュッと情けない音が漏れた。

 

 勇者を凌駕している。

 

 そんな馬鹿な話があるはずがない。勇者こそがこの世界における絶対の力であり、生態系の頂点だ。自分はH.A.Dという奇跡の薬を手に入れ、その頂点に君臨するはずの存在だった。だからこそ、何の加護も持たない旧時代の遺物など、ゴミのように踏み潰せると信じていたのだ。

 

 だが、現実はどうだ。

 

「――殺す!」

 

 殺意は1瞬、瞬間的に沸き立つ激情と恐怖が、彼の喉を蠢動させる。

 

 ゴボリと喉が動く、それは、勇者すら絶命せしめる彼の必殺技、手から出すふりをしながら、勇者の真似事をする際に行使される強大なる力。

 

 振動。

 

 人の可聴域をはるかに超える爆発的な振動の塊を線のように放ち、万物を物理的に消し飛ばす必殺の攻撃。

 

 速度は音速――をはるかに超え、勇者すら反応できないほどだ。まとめられたあの箱など容易に粉々に消し去れる。

 

「ああ、それはよした方がいいと思いまs――」

 

 妖霊の女が何かを言い切るよりも早く、彼の口から、音の凝集塊が放たれる。

 

 出た、やった、勇者にすら防げぬ絶死の1撃が瞬きほどの隙間も残さずに駆け抜けて――

 

『―――!?』

 

 ――空中で霧散した。

 

「ああ、やはり無駄でしたね。」

 

 困ったように頬に手を当てる妖霊の女のことなどまったく目に入らない、今、目の前で起きたことが理解できない――

 

「――ああ、悪いね、あんたと怪人の奥さん……美咲さんだったか、あの人が向こうの2人の方に向かわないように時間を合わせようとしたんだが……この分だと、待ちきれないらしいな。」

 

 箱の中から、声がする。

 

 それは、あの日、配信の邪魔をしてきたあの男の――

 

「向こうもいい塩梅まで来たみたいだし――そろそろ僕も、本気出すぜ。」

 

 言いざま、鉄の箱の上辺に当たる部分になるはずのかけらを突き破るように腕が屹立した。

 

「――超力」

 

 まるで、大気をかき回すように――あるいは、どこかで見た古い特撮ヒーローのように、両腕を大きく外回りに円を描くように動かし、胸の前で交差させる。

 

 くしくも、3人が最後の1音を発したのは同時だった。

 

「「「――変身。」」」

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