背後から、鞭腕が迫る。
ローンウルフは地面に顔を擦りつけながら、その凶器の軌道を瞳に映していた。
扇の背中は完全に無防備だ。その威力たるやあらゆる物質を粉砕しうるだけの威力がある。
あの生き物の肌は見るに普通の肌ではないが――その光沢通り金属だとしても、物理的な質量による粉砕までは防げない。重装甲の怪人と化した美咲が放つ、怒りと悲哀に満ちた必殺の1撃。
直撃すれば、あの青い化け物とて無事では済まない。
『やれ! 殺せ!』
ローンウルフは内心で狂喜の叫びを上げた。このまま扇が潰れれば、自分を拘束している忌まわしい戒めも解ける。
だが――彼の歪んだ期待は、次の1瞬で木端微塵に打ち砕かれた。
鋼索が扇の後頭部を捉える数ミリ手前。
何もないはずの空間――そこで、突如として動きが止まった。
それはあたかもそれ以上進むことを許されていないかのような完全なる停止だ、まるで腕全体を鎖でぐるぐる巻きにされたかのように、腕が止まっている。
自分と同じだ、何かの力で、行動を完全に抑制されているのだ。
まるで鉄板を体に上から押し付けられているかのように動かない自分の体のように、あの女の体もまた――
『――っち!使えん女が!』
やはり、自分以外の男など知っている売女はこの程度しかできないのだ、まるで信用ならない!こうなれば――
「――しねぇっぇぇぇぇぇぇぇぇぇえぇっぇっぇっぇ!」
絶叫。
恨みと惨めさと、嫉妬を込めた一撃はこれまでにないほどの大きさを持って勢いよく放たれる――それは、殺戮の振動塊だ。
勇者すら回避を許されず、内臓を破裂させて絶命した超高周波の圧縮弾。音速を凌駕する死の波紋が、地面に縫い付けられた白頭鷲の怪人の口から、青い超人へと一直線に殺到する。
不可視、無音、高速。
回避不能なる一撃は、あの日巫覡の勇者を殺したあの一瞬から見てもなお、さらなる進歩を見せる必殺の一撃だ。
殺せずとも、無傷で通ることなどできるはずもない。
それに何より――
「!」
びくんっ!と眉間から生えていると思われる羽が跳ねる――こちらの衝撃塊に気が付いたのかもしれないが、意味はない。
何せ――
『後ろにあの女がいる!』
自分とあの女であの男を囲むようにしていた関係上、あの青色の化け物の背後にはあの女がいる。
哀れな被害者である化け物、あの連中はあの女に負い目があると聞いている。
あの手の意識の低い連中は取捨選択ができない、世界の偉大なる進歩のため、人を犠牲にする覚悟もない。
だから、この一撃は躱せない。
あの生き物が一体どんな方法で高速移動しているとしても、それはあくまでも音速を超えぬ範囲での話。
音速の壁を超えた時特有の衝撃音も響かぬあの動きでは、すでに放たれたあの衝撃塊は躱せない。
当たる。
確信をもって、彼はそう信じた。
『――超力・念動返し』
――砲撃が、自分に向けて反射されるまでは、本気でそう思っていたのだ。
「―――ぇ?」
感じる。
一体いかなる奇跡かはわからないが、あの男に向けて放った砲撃が、自分のもとに帰ってくるのを。
それは、勇者すら殺す一撃、思い返すのは魔物――および、あの日殺した勇者の傷。
円形に、まるで何もなかったかのようにくりぬかれた穴の向こう側に見えた景色。
――自分もあんなふうになるのか?
死ぬ。
絶対に死ぬ。
極限まで圧縮された超高周波の振動塊が、自らの眼前に迫る数ミリ秒の間に、ローンウルフの脳裏には走馬灯のように過去の記憶が駆け巡った。
誰にも認められなかった日々。部屋の片隅で社会を呪っていた孤独。H.A.Dを手に入れ、全能感に酔いしれたあの瞬間。
すべてが、この一撃で終わる。自らが他者に振りかざした暴力の因果が、寸分の狂いもなく自分自身を穿とうとしているのだ。
「あ、アアアァァァッ!!」
無様な悲鳴を上げ、彼は目を固く閉じた。
直後、全身をミンチにされるような凄まじい衝撃が、怪人体を容赦なく蹂躙した。
ゴバァッ!!
大気が悲鳴を上げ、廃工場の床がクレーターのように吹き飛ぶ。
猛禽の羽毛が散り、強靭なはずの赤黒い甲殻がガラス細工のようにひび割れ、粉々に砕け散っていく。H.A.Dによって強制的に引き上げられていた魔力回路が内部でショートし、暴発したエネルギーがさらなる連鎖破壊を引き起こす。
圧倒的な衝撃の奔流。
「ぎぁあぁぁぁ!」
絶叫する――半端に、体が頑丈なせいで、痛いだけで死ねない!
動けないからだが衝撃を逃せずに念動力の内側で激しくのたうつ――痛い!
「ああぁぁぁっぁぁぁぁあぁぁぁ!」
――許せない、許せない許せない――
暴れ、のたうち――
バリィィィッ!と、空間そのものがひび割れるような嫌な音が鳴った。
極限の苦痛と憎悪、そしてH.A.Dによる魔力の暴走が、扇の念動力による『檻』を強引に引きちぎったのだ。
全身の羽毛は黒焦げに炭化し、自慢の生体装甲は無惨にひしゃげている。右目も潰れ、どす黒い体液を垂れ流しながらも、ローンウルフは立ち上がった。
もはやそこに「真理の勇者」を気取る傲慢な配信者の面影はない。あるのはただ、己をこんな無様な姿に貶めた存在への、純度100パーセントの殺意だけだった。