特撮オタクたちは、勇者を超越する   作:猿マン

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第167話:失う恐怖

 昼の屋上に渦巻くのは、殺意というよりも純粋な排除の意志だった。

 

 御影の指先から放たれた黒く淀んだ呪いの奔流が、扇の急所を的確に穿たんと迫る。

 

 扇は微塵も動揺を見せない。彼の肉体を包み込んでいた見えない殻が、内側から爆ぜた。

 

 青白い閃光が昼の光すら一時的に駆逐する。

 

 現れたのは、星の瞬きを閉じ込めたような多面体の瞳と、深淵の夜空を思わせる瑠璃色の肌を持つ異形。

 

 首元で大気の流れがマフラーのように揺らめく。

 

 機械的な変身装置に頼らず、20年という途方もない時間を費やし、肉体と精神の境界すら破壊し尽くした末に至った超人体。

 

 『人の原質』と化した扇の周囲には、極限まで圧縮されたψ意識場の力場が展開されていた。

 

『……一応正体隠してんだからあんまり派手にやらんでほしいんだけどねぇ、強い悲しみを感じる……』

 

 内心で眉を顰めつつ――彼は、内側で沸き立つ熱情を煮えたぎらせてその力を振るった。

 

 瞬間移動――それも、これまで類を見ない規模の超次元移動だ。

 

 向かう先は1つ、鏡面次元だ。

 

 あの時、妖霊との戦いで被害を避けるために使われた鏡面次元は鏡がある限り消えることなくその場に存在し続ける――ゆえに、超空間次元移動で渡ってくることができる――そう、理論をぶち上げたのは、おとといの天塚だ。

 

『うまく行ってよかった、セブンに礼言っとかんとな。』

 

 御影の放った呪詛の束を、一睨みにて消散させ、痕跡すら残さず消滅させる。

 

 攻撃が完全に無効化された事実が、御影の焦燥をさらに加速させる。

 

 彼女の背後から、もう1人の影が地を蹴った。

 

 真紅のバルーンスカートを風に翻し、手にした刀に灼熱の炎を纏わせた灯だ。

 

 彼女は妹の放つ重苦しい感情の波に引っ張られるように、戦士としての冷徹な歩法で扇の懐へと肉薄する――七星が教えた技だ、まったく、運動神経が良いやつはこれだから……

 

 姉妹の間に事前の打ち合わせはない。だが、血の繋がりと幾多の死線を共に潜り抜けた経験が、完璧な挟撃陣形を自然と構築させていた。

 

 灯の斬撃が、空気を焼き焦がしながら扇の頸動脈を狙って薙ぎ払われる。

 

 同時に、御影の足元から青白い魔力の波紋が広がり、コンクリートの床を透過して無数の光の鎖が噴出する。

 

 上空からは炎の刃、足元からは捕縛の鎖。逃げ場を完全に塞いだ、勇者としての圧倒的な暴力の連携。

 

 並の魔物であれば―――いやさ、魔人であっても一瞬で塵へと還っていたはずの飽和攻撃だ。

 

 だが、青き超人は動じる素振りすら見せなかった。

 

 彼の網膜には、現在の事象ではなく、これから起こる120秒間の未来のすべての分岐が、確固たる映像として再生されている。

 

 変身状態における完全な未来予知。

 

 扇は、光の鎖が足首を捉えるコンマ数秒前、重力を無視したかのようにふわりと数センチだけ宙に浮き上がった。

 

 鎖の先端が空を切って虚しく交差した直後、今度は灯の灼熱の刃が迫る。

 

 扇は最小限の動きで首を傾けた。炎の熱線が青い肌の表面スレスレを通過し、背後にあった金属製の空調設備を両断する――鏡面次元でなかったら、今頃修理代に頭を抱えていた事だろう。

 

 轟音と共に設備が崩壊し、火花が散るが、それすらも扇の周囲に展開された念力のドームによって弾き返され、彼に触れることはない。

 

 灯は止まらない。

 

 斬撃の空振りを強引に身のこなしでキャンセルし、反動を利用した回し蹴りを扇の胴体へ叩き込もうとする。

 

 七星から叩き込まれた格闘術の理合。力任せの勇者の戦い方から一歩抜け出した、洗練された一撃。

 

 しかし、扇はその蹴りの軌道すら事前に視ていた。

 

 彼は反撃することなく、ただ念動力のクッションを空中に配置する。

 

 灯の脚が目に見えない柔らかい壁に深く沈み込み、その莫大な運動エネルギーが音もなく吸収、分散させられていく。

 

 後方から、御影がさらなる術式を編み上げる。

 

 彼女のサファイアブルーの瞳には、かつてないほどの焦燥と、冷酷なまでの排除の意志が渦巻いていた。

 

 自身の大切なテリトリーを、家族という不可侵の領域を脅かす異物。

 

 それを消し去らなければならないという強迫観念が、彼女の魔力回路を限界まで酷使させる。

 

 頭上に展開された数十もの魔法陣から、雨霰のように氷の槍と高密度の魔力弾が射出される。

 

 息もつかせぬ飽和攻撃。

 

 灯もまた、扇の防御を崩さんと執拗に刀を振るい続ける。

 

 屋上の床がひび割れ、フェンスがひしゃげ、コンクリートの粉塵が舞い上がる。

 

 局地的な災害のような惨状の中心で、扇はただ舞うように回避と相殺を繰り返していた。

 

 彼は一切の攻撃行動を取らない。

 

 取れないのだ、彼女たちが、何に怒っているのかよくわかるから。

 

 それは、変化を嫌う人の業であり――あらゆる人間が普遍的に持つ、恐怖だ。

 

 何かが変わってしまう、何かがそこになくなってしまう、何かが――自分の掌の上から、こぼれ落ちてしまう。

 

 その恐怖を、彼はよく知っている――幼稚園のあの日、彼はたぶん人生で一番強くそれを感じたから。

 

 あの日、自分が夢見たことも、共に夢を叶えると誓い合った場所も、よく自分を見に来て、初めてかっこいいねと言ってくれた少女も。

 

 そのすべてを奪われそうになったあの日、彼はそれらがすべて壊れる恐怖とそれに立ち向かう勇気を得た。

 

『俺はやれる俺はやれる俺はやれる俺はやれる――』

 

 そう言いながら駆け出して行ったことを、友人たちすら知らない。

 

 あれがどれほど恐ろしかったか、なくすことのない人は知らないまま生きていけるから。

 

 そのために戦おうと、そう思えた人間が自分だから。

 

 彼は、この2人を攻撃できない。

 

 たとえ、核爆弾に等しい癇癪でも、誰かが受け止めなければ壊れてしまう。

 

 勇者とはそういうものだ、加護という身に余る力を与えられ、その加護に心を奪われたもの――いつだか、指輪の魔法使いが言っていた。

 

 人の心をなくしたものは、人間ではない。と。

 

 だとしたら――人の心奪われた者たちは、怪人と言えるだろうか?

 

 言えるだろう、そして――ヒーローとは、たぶん、そういう人たちを助けたいと思う人のことで、そういう人が目の前にいた時、救うことにためらいを覚えない人のことなのだ。

 

 それがわかるから――彼は、攻撃をしない。

 

 扇雄介はじっと待つ、さなぎが蝶に羽化するその時を、じっと待ち続けるのだ。

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