高らかに、それでいて、まるで恋人の名を呼ぶように。
顔だけの妖霊が叫んだ。
「そうです、それですよ、初めの1人、我々の同胞、ほど近き人――それが欲しいのです!」
水槽の特殊な液体が、彼女の歓喜に呼応するように激しく波打つ。天塚が豪語した『あらゆる干渉を遮断する壁』の内側で、純粋な魔力の奔流が渦を巻き、青白い火花がパチパチと散った。
「ずいぶんと楽しそうだな。」
「楽しいですとも!これ以上ないほどに――これが、我々の望む人の姿なのですから!」
「ほう?」
興味ありげに、扇雄介は片眉を上げて見せる。
「わかりませんか?あなたです、扇雄介様!あなたが必要だと!」
「……」
「肉体の極北たる七星様ではなく、英知の深淵である天塚様でもない――あなたです、扇雄介様!精神の宇宙を統べる者、想念の君、あなたが、人類の目指すべき場所――
それが、自分たちの目的だと、彼女は声高に語る。
「わかりませんか、我々の与える加護が、どうしてこれほど有害なのか!」
それはひとえに、人間という種族の精神的弱さだ。
名声に浴し、快楽におぼれ、興奮を捨てられない――そんな、人間の欠点。
それが、彼らを『病《勇者》』たらしめてしまう、だが――だが、この男は?
存在するだけで、加護を受けたはずの勇者すらたやすく踏み越える彼は?1度だってその力におぼれただろうか?
名声に浴し、快楽におぼれ、興奮のために自分の力を使っただろうか?
「――なかったでしょう?」
それが、重要なのだ。
「あなたは常に、自分を律し、力を正しく扱おうとしている――それが正しいかどうかを考え続け、一本の通った指針を握って決して曲がらない。」
それがどれだけ得難いことか、あるいは、扇雄介本人どころか、周りの人間も気が付いていないだろう。
「――ゆえに、あなたが良いのです、扇様!あなたという個人が、あなただけが勇者を救える。」
もし、もしだ、世界のすべてが扇雄介と同じだけの精神力を身に着けることができたら?
もしも、全人類が彼と同じようにすべてをおもんばかり、自分を顧みることが『常に』できるようになったら?
もしそうなれば――
「この世に、勇者など生まれません!
だから――
「わかりますか、扇様――我々はあなたが欲しい、あなたを普及させたい……すべてをあなたにしたいのです!!」
高らかに、そう告げる――それは、正しく狂気の計画だった。
「だから、僕のことを知ってたのか。」
「ええ、ええ、驚きました、これほど我々に近く、それでいてこれほど遠い生物がいるなどと思いませんでした――我々の初期アプローチである薬を捨ててしまおうか考えたほどです!」
あの時、彼女たちの連盟は分解の危機を迎えたのだ――だが、その甲斐はあった。
「私達、妖霊全体の目的『異世界の救済』という目的において、あなたほど素晴らしい精神をお持ちの人間はいなかった!我々の加護すら受け止め、勇者たり得るだけの精神性を維持できる人間の理想的なモデルケースだったのですから!」
「ふむ……それが妖霊の目的か?」
「ええ、我々の善意が皆様に与えた不利益に関しては謝罪します――ですが、必要なことなのですよ、あの世界は、我々の助けなく存続はできません。」
それが事実かどうかは、さすがに扇にはわからない。だが――すくなくとも、嘘の気配はしない。
「ふむ……」
「忌々しき魔物どもによる攻撃は激しさを増し、世界は危機的状態でした――勇者は必要だったのです。」
それは、あるいは事実なのだろう、そして、勇者が生まれた。
「ですが、我々妖霊の影響で、今度はこちらの世界に問題を生み出してしまった――反省しています、それゆえ、我々は立ち上がったのです。」
「……その割には、人様を薬漬けにしてるようだが。」
「あれは試練ですよ――あの苦しみを乗り越えることができれば、人間はあなたに近づける。」
それは、ある種、武芸の修行に近い発想だった。
苦しみ、痛みを得たからこそ、心は強くなる――そう言いたいのだ。
「それのために、わざわざ人を苦しめるわけだ。」
「仕方がないことです、人間は死なねばなりません。」
「お前たちが異世界救済ごっこをするための駒としてか?」
「そのような言い方をされるとは……悲しいことです、我々は、最大限皆さんのために動いているのですよ?」
嘘は――ない、質が悪い話だ、根本的に人間とは判断の基準が違う。
「――そのためなら、人を襲う勇者の手伝いもするわけか?」
「勇者……ああ、『忍び足で現れる腐毒』のところのお客様ですね?ええ、ええ、その通りです、あの一家の皆様は大変すばらしい心をお持ちですね、結局、麗華様もここをお辞めにならなかったのでしょう?」
「お前のせいで休職中だがね。」
「そのお休みを経れば、あの方もより強い心を手にできることでしょう。」
にこやかに告げる――本心から言っている、質が悪い女だ。
「だからこそ、我々はあなたが欲しいのです――どうです?我々と共に、世界を救いませんか?」
工場で言ったセリフが再び、耳に届く。
彼が20年もの地獄を耐え抜いたのは、決して高潔な精神などではない。ただ『正義の味方になりたい』という子供じみた妄執に縋り付いただけの、ひどく泥臭い人間の意地に過ぎない。
その人間の弱さや痛みを奪い、自分のような異常者で世界を塗り潰そうとする妖霊の傲慢に、扇は深々と溜息を吐き出した。
「……わかった、お前たちが理解できんことだけは――天塚。」
「録音しましたよ。」
「よし――」
指が、パチンとなった。
妖霊の心にわだかまっていた謎の熱量が消える――
精神暴走。
制御されたそれによって生み出された熱情によって情報が漏れた。
「――あら、はめられてしまいましたね?」
「さんざん人様をはめたんだ、1回ぐらいは受け入れろ。」
少し不満げな女に肩をすくめる――
不快感の果てであっても、彼の力に陰りはなかった。