沸き立つ魔力を叩きつけるように振り上げられた玻璃山の腕。その軌道を遮るように、扇雄介は赤坂と勇者の間に音もなく滑り込んだ。
防御の構えではない。まるでホテルマンが顧客を案内するかのような、ひどく自然で淀みのない動作。それが逆に、玻璃山の振り下ろそうとした腕の行き場を失わせた。
「な、なんだお前は。俺の裁きを邪魔する気か!」
「とんでもない。あなたの推論は実に興味深く、事件解決への新たな視座を与えてくれました」
扇は一切の敵意を感じさせない、柔らかくフラットな声で告げる。
内心では「穴だらけの三流推理だ」と呆れ果てていながらも、彼の表情には微塵もそれが出ない。20年間、自己暗示によって心拍数すらコントロールしてきた男にとって、この程度の「外面」を作るのは呼吸をするよりも容易い。
「ただ、我々も調査の途中でありまして。あなたのその素晴らしい推論を裏付ける『物理的な証拠』を探すためにも、ここは一度、場を収めていただけませんか。赤坂さんも、部下を心配するあまり少々取り乱してしまっただけです」
「……ふん。凡人の感傷など俺には理解できんが」
玻璃山は扇の恭しい態度に毒気を抜かれたのか、あるいは自尊心を満たされたのか、振り上げていた腕を不満げに下ろした。
扇は心の中で安堵の息を吐く。
桜花乱舞が魅了されている現状、ここで戦闘になれば一般人である赤坂たちを巻き込むのは明白だ。今はとにかく、この「勘違いした爆弾」を穏便に外へ追い出すことが最優先だった。
とはいえ――これで、勇者が止まるかはわからない。
彼らは往々にして異常な価値観で動くものだ――および知能亢進系の勇者は基本的に、おかしな論理の飛躍を起こすものだ。
精神が、過剰に暴走する知性についていけていないのだ。あらぬ方向に向けて暴走し、あらぬ妄想をする自分を止められない――集中できないといってもいいだろう、あらゆるものがのべつ幕なしに連想され、その結果、もともと考えていた物事とまったく関係のない結論にたどり着く。
彼は特にその傾向が強い――だから、思いつくはずの推論の穴に気が付かない――および、そこに、わずかな隙ができる。
扇はパイプ椅子から立ち上がった姿勢のまま、敢えて玻璃山の目を見つめ返さず、彼の足元あたりに視線を落として恭しく言葉を紡いだ。
「玻璃山さんのような『英知』を司る方であれば、すでにお気づきのこととは思いますが……この事件、小松さん個人の凶行として片付けるには、あまりにも『裏』が大きすぎる」
「……裏、だと?」
玻璃山の眉がピクリと動く。
扇は内心で「かかった」と小さく笑った。知能が暴走し、常に新しい刺激や複雑な思考を求めてしまうパターンの勇者にとって、「まだ自分が解き明かしていない巨大な陰謀」という餌は、抗いがたい魅力を持っている。
「ええ。彼が桐島さんに懸想していたという動機は、あなたの推論通り間違いなく存在したのでしょう。ですが、問題は『手段』です。一介の会社員が、どうやってあの強大な力をもたらす未認可の薬物を手に入れたのか」
「それは……俺に勝つため、裏社会の連中から……」
「その通りです。つまり、彼にその薬を与えた『本物の悪』が、まだこの社会のどこかに潜んでいる。彼を利用し、あなたのいるこの会社に危険な怪人を解き放った黒幕が」
扇はあえて「あなたのいる会社」と強調した。自己評価が異常に高い玻璃山にとって、自分が間接的に狙われたという構図は、彼の思考を小松個人への怒りから、見えざる黒幕へとシフトさせるのに十分な材料だった。
「……なるほど。確かに、あの程度の小物が単独で俺の牙城を脅かせるはずがない。裏で糸を引いている愚か者がいるということか」
玻璃山は顎に手を当て、ブツブツと高速で何かを呟き始めた。彼の瞳が、眼前の赤坂や扇を通り越し、虚空の彼方にある「巨大な陰謀」の幻影を追いかけ始める。
過剰に回転する知性が、扇の与えた僅かなヒントから無数の――およびそのほとんどは見当違いの――可能性を連想し、彼自身の脳内を埋め尽くしていく。
「おっしゃる通りです。我々『正義の味方』は、その黒幕の流通ルートを追うために動いています。ですから、実行犯である小松さん個人の問題は我々にお任せいただき、玻璃山さんにはどうか、その卓越した頭脳で『真の黒幕』の正体の暴くための大局的な動きに注力していただけないでしょうか」
扇の言葉は、完璧な『持ち上げ』だった。
小松の処遇に関する決定権を暗にこちらへ引き寄せつつ、玻璃山のプライドを満たして別の方向へと誘導する。
「……ふん。お前たちのような三流ヒーローに任せておくのは不安だが……俺の頭脳は、もっと高次な問題を解決するために使われるべきだというのは事実だな。あの程度の雑魚の処理にかまけている暇はない」
「ええ、そうでしょう、こちらは僕らにお任せください。」
「いいだろう、お前に任せる――見どころのあるやつだ、覚えておいてやろう。」
そう言って踵を返す男に、扇雄介は典雅に礼――高校時代に行った校外学習で習った礼法が役に立つとは思わなかったなと思いつつ――をする。
「……」
その背を見送って、扇雄介はにわかに沸き立つ疑念を想起する。
小松何某の現状はあまりにあの男に都合がいい。
彼の思い患っている――明言はしていないがあの様子と放っている精神波形から明白だ――女性にアプローチしていた男が、一般的に犯罪者として扱われる理由で社を去った。
それも、普通は手に入れられないだろう薬を、どのようにしてか入手して。だ。
魅惑の力で女性を奪うことは彼のプライドが許さない、亢進した知性が矛盾に気が付いてしまう――彼の知性は彼自身にも制御ができないのだ。
『……英知の、勇者。』
あの支離滅裂な推論をぶち上げる人間にできるだろうか。
ヒーローに偽装情報をつかませ、偽の取引があったかのように偽って――彼に薬を打つ。
偽装情報と偽取引の演技は勇者の知名度と能力を恐れる者を使えば不可能ではあるまい。
それに、聞いた話では、小松何某氏は自分と同じであまり優秀とは言えなかった、気が強い印象も受けない。
となれば――勇者に、ここに来いと言われれば、拒否はできなかっただろう。
自分でも、ここまでは想定できる。
天塚ほどでなくとも、十分な知性がある人間なら、この程度の計画ならば、あるいは……
『……思考補助の力とやらがあると聞くが――それ込みなら、いける、か?』
確信はないが――ありそうだなと、思った。