「――姉を、ですか?」
『そうです、雨傘さんの車なら、勇者側も干渉がしにくい。』
冷静に語る天塚の言葉に、麗華は不快そうに眉をしかめた。
現在、姉の春華は徳光電産の迎賓館にある、天塚の手で魔力遮断加工が施された「特別室」にいる。勇者による直接的な念話や不快な贈り物の転送は、あの部屋の機能によって防がれているはずだった。
「……意味が分かりませんね。あの部屋の防護機能は、天塚様ご自身が『現状で最高のもの』だとおっしゃったではありませんか。それをわざわざ外へ連れ出すなど、自殺行為ですわよ」
『物理的な干渉と、低周波の電気的な遮断についてはそうです。ですが、お姉さんの「意識」そのものにマーキングされている場合は話が変わる。お忘れですか?お姉さんは以前、あの勇者からの贈り物を直接手に取ってしまっている。その際、魂の波長の一部を「共有」させられている可能性があるんです』
インカム越しに聞こえる天塚の声は、冷徹な診察結果を告げる医師のようだった。
『あの部屋の機械で防げているのは、外から内への物理的な「転送」です。ですが、すでに内側に入り込まれた「パス」を通じた干渉――つまり、夢への侵入までは遮断しきれない。現にお姉さんは、あの安全な部屋の中でさえ、毎晩見えない男に追い回される悪夢を見続けているでしょう?』
「それは……」
麗華は言葉を失った。確かに、姉の憔悴は物理的な安全とは無関係に進行している。昨日も、何もいないはずの空間に向かって「来ないで」と怯える姉の姿を、彼女は見ていた。
『これ以上、ただ守っているだけではジリ貧です。お姉さんの精神が焼き切れるのが先か、あの部屋の装置の寿命が来るのが先か……という勝負になる。だから、こちらから打って出るんです。お姉さんを黒土製薬の本社へ「移送」します。物理的な肉体を運ぶと同時に、その精神を扇のψ意識場に直結させるためにね』
「扇様の、超能力……」
『ですです。扇の能力は、対象の精神の深層、無意識の階層まで浸透できる。お姉さんが眠りにつき、あの勇者が夢に侵入してきたその瞬間――そのパスを逆利用して、扇の精神を相手の「居場所」まで逆流させる。夢の世界から、現実の潜伏先までを1本の線で繋ぐんです。それができれば、逃げ場はありませんよ』
理にかなっている。麗華の脳内は、その作戦のリスクとリターンを瞬時に計算した。他人の夢を中継点にして敵の本体を割り出す。特撮班のリーダーであるあの男にしかできない、そしてこの現状を打破できる唯一の手段。
「……分かりましたわ。雨傘、準備を」
麗華が背後に控える男に命じる。雨傘は静かに頭を下げ、手にしたタブレットで車両の起動シーケンスを開始した。
「天塚様。姉様を本社までお連れします。……道中の安全は、保障していただけるのでしょうね?」
『もちろん。あちらの「東西の騒ぎ」はすでに七星君が片付けました。今は鏡面次元の余波で、周囲の空間も不安定になっている。動くなら今です』
通信が途絶えると同時、麗華は姉のいる特別室へと向かった。
30分後。夜の闇に沈む首都高速を、漆黒のセダンが滑るように走っていた。
後部座席で渋い顔の麗華はぽつりとこぼす。
「……襲って、来るでしょうか。」
「可能性はあります。あの部屋と同じ手法で防護されているとはいえ、相手は勇者ですからね。」
雨傘の答えは慎重だった。
緊張。
時間帯を昼にしたのは『夢』による追跡を避けるためだが――そもそも、夢に干渉しているという話もどこまで本当かわからない。
何を介してくるのか、いまだ明確な答えは出ていないのだ。
だが、事態は音もなく、そして「物理的」な故障という形で忍び寄ってきた。
チリッ……。
静粛性が自慢の高級セダンの車内に、微かな、けれど耳障りな金属音が混じる。
雨傘が即座にバックミラーを確認し、計器類に目を走らせるが、警告灯は1つも点灯していない。だが、熟練の運転手である彼の指先が、ステアリングに伝わる不自然な「震え」を感知していた。
ボンネットの奥から、ガリガリと硬いものを噛み砕くような、生々しい破壊音が響いた。
勇者の権能『アイテムボックス』。
それによって物が取り出されるとき、基本的には物体は勇者の手元に現れる。
武器の取り出し、装備の取り出し、アイテムの回収。
そういった行為を行うための力だが――実のところ、物体を取り出すのは手元でなくとも構わないし、『物をしまうのもまた、触れている必要はない』
アイテムボックスの性質上『生物は入れられない』が、同時に――それ以外なら、なんだってしまいこめるのだ。
ゆえに、『エンジンだけ』を遠隔で回収することも、可能なのだ。
当然、車は止まる――高速道路のど真ん中で、だ。
「―――――雨傘!」
「掴まれ!」
叫び、ハンドルを切る。
急制動。
エンジンが消え去ろうが、車は急には止まらない。
壁にぶつけてでも止める気の動きは、幸いにもなくなっていなかったブレーキのおかげで、功を奏した。
「――これが……」
勇者の攻撃。
麗華は、生まれて初めての敵意に体を震わせた。