精神空間の深奥。鼓膜ではなく、扇の脳内に直接展開された念話のネットワークに、現実世界で待機している七星の訝しげな思念が響いた。
『――つまり何か?異世界人どもが騙くらかしてるって?』
扇が引き出した妖霊の異常な生態と狂気的な論理。それを共有された特撮班の面々が辿り着く疑問は、極めて真っ当なものだった。
妖霊の傲慢さを知れば知るほど、彼らによって呼び出された「勇者」と、彼らを呼び出した「異世界人」の構図そのものが歪んで見えてくる。
『そこまで入ってないが、単純に異世界人が被害者って論説には疑問が出て来たな。』
扇は圧縮したψ意識場を維持したまま、冷静に思念を返す。
魔王の脅威に晒された可哀想な異世界人。それがこれまでの前提だったが、妖霊の「自己満足」が根底にあるのなら、その前提すら疑ってかかる必要がある。
『でも、水面の奴も一応魔王倒してきてんだろあいつ、『未達者』と『夢食』みたいな例外以外はあらかた倒してきてるって話だし……嘘ついてる感じ、しなかったんだろ?』
七星の指摘はもっともだった。
横柄な勇者ばかりではない。水面のような純粋な善意を持つ少年すらも、「魔王を倒し、世界を救った」と語り、その使命感に殉じようとしている。彼らが集団で口裏を合わせているとは到底思えない。
『僕の超感覚は感知してない。』
扇が短く断言する。自己暗示で生理機能すら統べる扇の超感覚を誤魔化せる人間など、そうはいない。
『僕の脳波測定でもそうでした――が、嘘でなくても、この状態は起こりうるんですよね。』
回線に割り込んできた天塚の思念は、氷のように冷たく理知的だった。科学の徒である彼には、すでに1つの最悪な仮説が組み上がっているようだ。
『……ああ、あれか、勘違い的な。』
扇の呟きに、天塚が即座に肯定の思念を返す。
『ですです。』
本人は真実だと信じ込んでいるが、与えられた情報そのものが偽りだった場合。
嘘発見器も、超能力者の読心も、彼らが「自分は正しいことをした」と本気で信じている限り、異常を検知することはできない。
『あー……呼び出されて魔王だって教えられて、襲われたから倒してたけど実は全然別種族だったぜ!的な……?』
七星の思念に、嫌悪感が混じる。
言葉の通じない未知の環境。圧倒的な力と使命を与えられ、「あれが敵だ」と教えられれば、人は疑わずに戦う。それが全くの無実の存在であったとしても。
『そうなると……勇者連中の向こうでの扱いって……』
天塚の言葉が濁る。もし、異世界人が悪意、あるいは妖霊の実験の駒として勇者を利用していたのなら、勇者たちの輝かしい英雄譚は、ただの「兵器としての虐殺記録」へと成り下がる。
『スカイウォールじゃね?』
七星の口から、分断と戦争を引き起こした特撮作品の巨大な壁の名が漏れた。誰もが正義を信じながら、その実、誰かの手のひらで踊らされて殺し合うだけの地獄の構図。
『ハザードが止まりませんねぇ……』
天塚の皮肉めいた嘆息が脳内に響く。理不尽な状況を特撮の符丁でコーティングしなければ、胸糞が悪くてやっていられない真実の気配。
『……この話のノリだと、冗談抜きに向こうの世界に宇宙にしかいない種族が敵として降りてきて――とかいうパターンもありえるから困るよなぁ……』
いずれにせよ。
『――その妖霊、あの赤スーツより話が聞きやすそうだな。』
『ですねぇ、公聴会に引きずり出しましょう。雄介、逃がさないでくださいね。』
『そうしたいのはやまやまだが――そうもいかんらしい。』
『『!』』
扇の短い返答に、2人の気配が同時に跳ね上がる。
精神空間に立つ扇の額、眉間から伸びる2本の羽根状の器官が、まるで驚かされた猫のようにけたたましく屹立した。
――未来予知。それも、とびっきりの。
「――君とお話しする前に仕込んどいたんだぁ、
紫の靄が、楽しげな忍び笑いと共に悍ましい事実を告げる。
だが、扇雄介の心に揺らぎはない。
「知ってるよ。」
驚きはない。彼の超感覚が捉える「2分先の未来」には、すでにその先の光景が、逃れようのない絶対の事実として映し出されている。
脳裏に浮かぶのは宇宙。
暗黒の真空に浮かぶ青い地球を、丸ごと覆い尽くすように描かれた巨大な黒い魔法陣。煌々と不吉な光を放ちながらも、魔性を持たぬ只人の目には決して映ることのない、超大規模な魔性の刻印。
「――現代文明の破壊とは大きく出たな。」
扇は、ひどく平坦な声で吐き捨てた。
その毒雲が直接人命を奪うわけではない。だが、それは間接的に数億の命を削る最悪の兵器だ。
あの魔力を帯びた雲がオゾン層と触れた瞬間、猛烈な振動が引き起こされ、超高出力の電磁波――巨大なEMPとなって地表に降り注ぐ。
そうなれば、電子機器は一瞬にしてお釈迦になる。交通網、通信、医療機器、果ては発電所や軍事施設に至るまで、現代文明の基盤が完全に破壊される。人類社会に与える影響は甚大だ。
「仕方ないじゃーん、君らがどんな人か話しか分からなかったんだもん。人類の危機ぐらいじゃないと、逃がしてくれないでしょ?」
妖霊の言葉には、罪悪感など微塵もない。
自分を捕縛しようとする扇の力――「この空間から逃がさない」という強烈な意思を感じ取ったからこそ、彼女は『扇雄介が絶対に無視できない人質』を盾にしたのだ。文明そのものを破壊の危機に晒せば、正義の味方である彼らは必ずそちらの対処を優先する。
「好き勝手いってくれる――」
「言われるだけのことはしてるでしょ?……またね『瘴気の男《ミアズマン》』。可能なら、私の毒で死んでくれると嬉しいな。」
次の瞬間、精神空間に漂っていた紫の靄――妖霊の体が、内側から激しく爆ぜた。
『自爆――』
扇は、吹き荒れる魔力の暴風を念動力で受け流しながら舌打ちした。
それが彼女にとって、唯一の逃亡手段だったのだ。
おそらくは、もともと扇に接触する際、自らの成分を半分に分けて仮初の肉体を作り、その片方の肉体でだけ、この精神空間にコンタクトを取ったのだ。
そして今、切り分けた肉体と精神を爆発させ、本体との接続を強制的に断ち切って逃げおおせた。
地球規模の爆弾を仕掛けた上で、自分の半分を切り離しての逃亡。
面倒なことを!
いや、それよりも――今は空の上の爆弾だ。
『――一也。』
扇は意識を一瞬で現実世界へと引き上げ、念話の回線に鋭く呼びかけた。
『いつでも来い。』
七星の返答は一瞬。すでにチャクラを極限まで練り上げ、空を穿つ準備を終えている。
『新』
『北半球はこっちで、南は君が。』
天塚の声もまた、焦りとは無縁だった。
地球を覆うほどの巨大な電磁波の嵐。それを無力化するには、半透明の超人による光圧防壁と、扇雄介の念動障壁で星を丸ごと覆い隠すしかない。スケールが大きすぎるが、彼らに「不可能」という辞書はない。
『了解――さて、もう一仕事だぞ!』
現実世界で目を開いた扇は、夜空の青を湛えた体を沈み込ませ、天空を見上げる。
現代文明を守るため。正義の味方たちの、星を股に掛けた迎撃が幕を開けた。