特撮オタクたちは、勇者を超越する   作:猿マン

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第202話:うごめく妖霊

「――はっ、世界の終わりってわけ?」

 

 赤々と、そして不気味な紫を帯びて燃える夜空を見上げ、桜花乱舞は吐き捨てるように嘲笑した。

 

 大家をヒーローの肩書きで威圧し、法的根拠など欠片もないまま強引に踏み込んだこの一室。彼女は確信していたはずだった。ここには、あの醜悪な怪人へと成り果てた男の「本性」が隠されているのだと。

 

 不摂生な肉体の内側に溜め込まれた、同僚への歪んだ執着や、勇者への呪詛。それらがこの部屋に、悪臭を放つ証拠として転がっているはずだと。

 

 だが、現実は彼女の期待を無惨に裏切った。

 

 畳の上に並べられたのは、付箋が幾重にも貼られた業務マニュアルと、新製品のアイデアを不器用な字で書き留めた、汚れ1つないノート。机の端には、同僚たちと笑顔で写る集合写真が飾られている。

 

 そこには、あの「英知の勇者」が語ったような陰湿なストーカーの痕跡など、塵ほども存在しなかった。

 

 棚にあるのは、真面目一辺倒な男が、ただ実直に明日を生きようとしていた形跡。それだけだ。

 

「……気に食わない。どこまで化けてやがるんだ、この豚は」

 

 桜花乱舞は、机の端に置かれた小松の仕事用のボールペンを無造作に弾き飛ばした。

 

 証拠がないのではない。彼女にとっては「証拠が見つからないこと」こそが、彼が巧妙に本性を隠している証なのだと、自身の歪んだ正義が叫んでいる。

 

 あの時、自分や相棒を窮地に追い込んだ化け物が、ただの善良な小市民であってたまるか。もしそうなら、彼を『排除』しようとした自分の苛立ちは、一体どこへぶつければいいというのか。

 

 彼の潔白が証明されればされるほど、彼女の中に溜まったドロドロとした不快感が、沸騰した泥のように溢れ出す。

 

 その時だった。

 

「……誰だ。不法侵入か」

 

「あはは。君、あの小松って子の幸せなんてどうでもいいと思ってたでしょー? 君が信じてる世界を守るためには、彼みたいなのが絶対的な『悪』じゃないと困るんだもんね。でも事実は違う。一生懸命生きてた子が理不尽に踏み躙られて、それを叩き伏せた君が後悔してるなんて。……可哀想だよねぇ」

 

 実体を持たぬ紫の靄が、乱舞の足元から這い上がってくる。扇雄介の追跡を逃れ、自らの成分を爆発させてこの世界に残留した『忍び足で現れる腐毒』の残滓だ。

 

「……黙れ。貴様に何がわかる」

 

「わかるよー力が偏っているから、君みたいな強いヒーローでも、こんな不快な思いをするんでしょ? だったら、私が君に『力』をあげる。君自身が勇者と同じ加護を持てばいいんだよー」

 

 紫の靄が、乱舞の胸元へとゆっくりと絡みつく。

 

 薬物などの物理的な媒介すら不要。高次元の生命体が、対象の精神に直接介入し、己の魔力――『加護』を強引に刻み込もうとしている。

 

「私が君に加護をあげて、君が自分の絶対的な力でその男を『悪』だと断罪すればいい。すべての人間が加護を持てば、君の苛立ちも平常になる。そうすれば、君が間違っていたことにもならない……ねぇ。いい案でしょー? 平等ってやつだよねぇ……」

 

 無頓着で残酷な提案。

 

 乱舞は、刀の柄を握る手を震わせながら、自身の内側に宿る「自分だけが正しいと信じたい」という醜悪な欲望が、流れ込んでくる腐毒の加護と完全に共鳴し始めるのを感じていた。

 

 彼女の魂が、妖霊の仕掛けた甘い陥穽へと音もなく落ちていく。

 

  

 

 

 

 

 

 同じ頃、都心の喧騒から取り残された、古びた地下のバー。

 

 赤坂猛は、喉を焼くような酒を呷り、テーブルに並べられた扇雄介とゆかりの写真を睨みつけていた。

 

「……あんな奴が、ゆかりの隣にいていいはずがない」

 

 彼の脳裏に焼き付いているのは、先日の会議室で見せた扇雄介の横顔だ。

 

 一見して冴えない、小太りの男。だがその瞳の奥には、常人には到底理解できない狂気の深淵が覗いていた。

 

 あんな「非日常」が、従妹であるゆかりをたぶらかし、自分たちの清廉な家族の輪を汚そうとしている。

 

 あの子を連れ戻さなければならない。かつての、穏やかで安全な日常へ。そのためには、扇雄介という毒を、この社会から根絶する必要がある。

 

「……だが、俺には力がない」

 

 握りしめた拳が震える。玻璃山という勇者に突きつけられた、圧倒的な暴力の格差。正論も財力も、勇者の気まぐれ1つでゴミ屑にされる現実。

 

 扇という化け物を排除するには、自分もまた、相応の「暴力」を手にしなければならない。

 

「素敵だよねぇ。家族を守りたいって、最高に自分勝手でいいと思うよー」

 

 隣の席。誰もいないはずの場所に、紫の靄が澱のように溜まり、不快な言葉を紡ぎ出した。

 

「なっ……! 誰だ!」

 

「んー? 君の味方だよー。君たちの大事な場所を、勝手な理屈で踏み荒らしてさ。あんなの、いなくなればいいのにねぇ」

 

 老いて若く、艶やかで枯れた声。赤坂の耳元で、肺腑を爛れさせるような囁きが響く。

 

「……でも、君には力がない。多少の不幸はあっても仕方ないよねぇ? 背に腹は代えられないしさー」

 

 紫の靄が、赤坂の首元にまとわりつき、皮膚から体内へと溶け込んでいく。

 

「君に力をあげるよー誰かにすがるんじゃなくて、君自身が『加護』を持てばいいんだよ。そうすれば、あの男だって怖くない。君の理想の家族を取り戻せる」

 

 それは、究極の誘惑だった。物理的な薬物ではない。精神の深奥に直接植え付けられる、絶対的な「異常な力」への招待状。

 

「俺が……加護を持てば、あいつを消せるのか。俺の知っている日常を、ゆかりを、取り戻せるのか」

 

「あはは、もちろんだよーみんな加護を持てば平等。君が望む形に世界を書き換えちゃいなよ……君の手で、理想の家族を取り戻しなよぉ」

 

 赤坂の瞳に、危うい熱が宿る。

 

 自分よりも巨大な、理解不能な「異常」を排除するためには、自分自身がそれを超える何かになるしかない。その極端な理論に、彼の歪んだ兄心は容易く飲み込まれていった。

 

 天空のオーロラが揺らめく下。

 

 桜花乱舞と赤坂猛。

 

 自らの「正義」と「家族」という独善的な檻を守るために、彼らは妖霊の撒き散らす腐毒――精神に直接刻み込まれる「加護」にその身を委ねようとしていた。

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