「やーすごいことになってますからね、今。」
「あ、やっぱりそうなん?」
キャンパスでのギガンテス討伐の事後処理を終え、地下にある特撮班へと帰り着いた七星一也は、軽く首を鳴らしながら疲れた息を吐いた。
彼を出迎えたのは、壁一面のモニターを前にして白衣姿のまま腕を組む天塚新の、呆れ果てたような声だった。
七星がモニターに目をやると、そこには無数のニュースサイトやSNSのタイムラインが凄まじい速度で流れていた。
すべてが、先日会議室で暴言を吐いた中堅女性ヒーローへの、際限のない非難と中傷の嵐だった。
『一般市民を偏見で糾弾する欠陥ヒーロー』
『これが正義を名乗る者の本性か』
赤坂の同僚であった初老の男が義憤に駆られてか金のためか週刊誌に情報を売ってから、すでに数日が経過している。
ネットの炎上というものは数日で鎮火することも多いが、この件に関しては別だった。
火の手は収まるどころか、まとめサイトや過激な配信者たちによって絶えず燃料が投下され、彼女の経歴から過去の些細な言動に至るまでが徹底的に掘り返され、叩き潰すための娯楽コンテンツとして消費され続けていた。
「僕の組んだ情報統制AIで、現住所や親族の連絡先など、実生活に致命的な影響を及ぼすデータへのアクセスだけは物理的に遮断していますが……この有様です。狂騒は全く収まる気配がありません」
天塚は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、冷たい侮蔑を込めて画面を睨みつけた。
「安全な場所から石を投げる遊びとしては、これ以上ないほど格好の標的だからな」
「これでもし、ポリコレ団体とか生き残ってたらもっと大事だったんだろうなと思うとこれでもましだってんだから恐ろしいところがあるよな。」
「なーこれは勇者の功罪ってところか?」
七星は用意されたパイプ椅子にドカッと腰を下ろし、忌々しい記憶を呼び起こした。
第2次の勇者帰還が起こったころ、世間にはポリティカルコレクトネスが浸透し始めていた――それは、いいのだ、それ自体に問題はない、なかった。
勇者の逆鱗に触れたこと以外は、問題なかったのだ。
「ひどい話でしたからね、『俺たちのヒロインをブスにする気か』だの『お前たちが庇うってことは、俺たちが不細工だってのか』だの……難癖ですよあんなの。」
「まあ、ポリコレ団体的には、あれでも仲間にする気だったんだとは思うが……」
当然、すれ違いというのは起きるものだ。
そして、それが、最悪の形で発芽したのが――当時、イギリスで起きた『集団自殺強要事件』だ。
勇者の悪名を一気に押し広げた事件とうたわれることもあるその事件は、発端は簡単なものだった。
彼らの一派が、高名な勇者の『パーティメンバー』である女性たちの容姿や振る舞いに対し、多様性の欠如や偏った価値観の押し付けだと、ネット上で抗議キャンペーンを展開した。ただそれだけのことだった。
現代社会のルールに則った、あくまで言論による問題提起。彼らは勇者を「対話が通じる同じ人間」だと信じていたのだ。
だが、絶大な加護によって自我が肥大化し、世界のルールそのものを自らの主観で塗り替えられると錯覚した勇者にとって、それは対話ではなく『神に対する不敬』に他ならなかった。
その日からだ。勇者の行動を道徳や倫理で縛ろうとする社会的な動きが、世界中から文字通り「消滅」したのは。
正論を振りかざせば、理不尽で防ぎようのない超常の暴力によって命を絶たれる。法や警察機構すら勇者の前では機能しないという絶対的な恐怖が、大衆の口に重い蓋をしたのだ。
「まあ、おかげさまで、こういう時にもそういう団体は出てこないんだが……」
「出てくると大惨事だからなぁ、あんときは……軍の6割が鎮圧に出て死んだんだったか。」
「別の勇者が出てくるまで暴れ散らかしてましたからね。」
今だ苦々しい、かさぶたのような記憶は、この世界における新たな指標を作るに至った――勇者には、手を出すな。
「2度目はやりたくないな。」
「ですねぇ……で、桜花乱舞さん、雲隠れしてるんですか?」
「らしい、連絡がつかないってのが、よくないよなぁ。」
七星が腕を組み、顔をしかめた。
「世間から叩かれ、信じていた正義が揺らぎ、頼れる人間もいない。独りで暗い部屋に引き籠もってりゃ、思考もどんどん悪い方へ落ちていく」
「まあ、あの強気な性格ですから、ほとぼりが冷めるまで意地でも顔を出さないつもりなのかもしれませんがねぇ」
天塚が少しだけ気遣うようなトーンで呟いた。
「どうにか落ち着いてくれるといいんけどなぁ」
扇が小さく息を吐く。
同業者として同情はするし、心配もしている。だが、彼女が今どこで何を考え、どんな絶望の淵に立たされているのか、そしてそこに「どんな影」が忍び寄っているのか。
この時の彼らはまだ、知る由もなかった。