「――さいなんしたねぇ、先輩。」
「いや、まあ、僕はいいんだけども」
吹き抜ける夜風が、街の喧騒を遠くへ押し流していく。
その傍らで、重い溜息と共に缶コーヒーのプルタブを開けたのは、かつて『ヒロイックアカウント』で苦楽を共にし、現在は別の事務所で活動している後輩ヒーロー、堀田だ。
「先輩が気にしてなくても、業界全体がとんでもないお通夜状態なんすよ。ほんと、見てて吐き気がするくらい世間の掌返しがエグくて……いや、いつもそうっていえばそうなんすけどね。」
堀田の言葉には、同じく命を張って街を守ってきた同業者としての、やり場のない徒労感が滲んでいた。
「うちの事務所にも連日マスコミが押し寄せてきて、『ヒーローの特権意識についてどう思うか』なんて下世話な質問ばかりぶつけてくるんすよ。まあ、聞かれるようなことしたのは桜花乱舞っすから何とも言えないんすけどね……」
「いつも通りじゃねぇ。」
桜花乱舞が過去に相棒を勇者に奪われ、そのトラウマから心を歪ませていた背景など、世間の群衆には知る由もない。
彼らにとって重要なのは、正義の味方が見せた「人間らしい醜悪な隙」を徹底的に叩き、自らの溜飲を下げる娯楽としての消費だけだ。
「せっかく怪人の一件で評価上がっていたのに……まーた役立たず逆戻りっすよ。」
「まあ、正直、言われるだけのこと言っちゃったからなぁ……」
扇が視線を向けた先、駅前にそびえ立つ巨大な街頭ビジョンには、明日に控えた『妖霊公聴会』の特別番組が大々的に映し出されていた。
『――ついに明日、政府は確保された高次元生命体との公式な対話に乗り出します!』
政府が「高次元生命体の正体と、その侵略目的の解明」を宣言して以来、世界は震えるような緊張感と、それ以上に醜悪な「野次馬根性」に支配されていた。
ニュースのヘッドラインには『勇者召喚は本当に救済だったのか?』『我々を怪人に変えた加害者の正体』という文字が踊る。
街頭インタビューに応じる市民たちの顔には、恐怖よりも、未知のバケモノが「人の立場」に落ち、詰問を受けることへの歪な期待感が張り付いていた。
画面の中で熱に浮かされたように語る有識者たち。街頭インタビューに応じる市民たちの顔には、得体の知れない脅威に対する恐怖など微塵もなかった。
「あれ、マジで気味が悪いっすよ。まるで救世主か宇宙人でも迎えるみたいな騒ぎになってるじゃないっすか、先輩たちが捕まえたんすよね。」
「……どうかな?」
「勇者が勝てないやつに勝てる奴なんて先輩たちだけっしょ。」
堀田が缶コーヒーの残りを飲み干し、忌々しげに顔をしかめる。
「で、あれ、実際に捕まえられてんすか?」
「一応ね、天塚が閉じ込めてるよ。」
「はー……やっぱり先輩たちが捕まえてんじゃないっすか。」
「あ。」
片眉を上げる――後輩の分際でこざかしくなったものだ。
「あいつらなんすよね、HADばらまいてたの。」
「正確には女の妖霊だけだ、後の妖霊はあの女を殺しに来ただけだ。」
「で、そいつらを勇者の手柄にしたんすか?」
堀田は力なく肩を落とし、手元の空き缶をじっと見つめた。
あまりにも想定を超えた規模の真実に、彼の「普通のヒーロー」としての常識が、きしきしと音を立てて軋んでいるのがよく分かる。
「勇者の手柄にしないで、先輩たちの手柄だってこう評価すりゃいいじゃないっすか。」
「仕方なかろう、僕らの正体はまだ明かせない、周りを巻き込み過ぎるからな。」
「そりゃそうっすけど……でも勇者っすよ?またデカい顔するじゃないっすか。」
「じゃあ暴れられる方がましか?」
「……うーん……」
扇は、ビルの屋上から見える巨大な電光掲示板の文字を見つめた。
テレビの討論番組では、有識者たちが「妖霊の基本権」や「地球の法律は彼らに適用されるべきか」といった、およそピントのずれた議論を大真面目に戦わせている。
細胞すら持たず、人間の生死を「一時的な睡眠」程度にしか思っていない精神生命体に対し、現代社会のルールを適用しようとするその滑稽さ。
「それにしたってもうちょっとあるんじゃないっすか?協力者に名を連ねるとか。ないんすか先輩たちに功名心とか。」
「ないよ、別に褒められたいわけでもないしな……後、単純に、これ以上情報載せるとわけわからんくならねぇ?」
ごく最近起きた魔王来襲、それから時間を置かず、これまで一度も世の中に出てこなかった妖霊の確保に、今回の公聴会だ、ここでもし、実は人間は超人になれます!などと言えば、それこそ大ごとだ。
「――まぁ、先輩がそう言うなら、そういうもんなんスかね。情報過多で俺の頭がパンクする前に、その辺で線引きしとくのが正解なのかもしれねぇっす」
堀田は頭をごしごしと掻きむしり、諦めたように笑った。
彼の立つ位置からは、雑居ビルの狭間に切り取られた夜空と、その下で極彩色に瞬く無数の光の洪水が見える。
都市の喧騒は、防音ガラスのないこの高所において、不快な唸りとなって風に乗っていた。
『なんもないといいが……』