『はめられたなー』
『おおむねの予想通り罠!はっきり分かんだね』
『といっても、こいつを殺させるわけにもいかないでしょう、現状、唯一の口が利ける妖霊ですよ』
脳内回線で交わされる三人の思念は、この緊迫した状況下にあっても驚くほど軽妙だった。
桜花乱舞――かつての同胞であり、今は妖霊『腐毒』の下で何かしらの企みを始めた女――が、紫の瘴気を撒き散らして虚空へと消えた直後。議場を満たすのは、パニックに陥った官僚たちの悲鳴と、彼ら「異形」に向けられた明らかな敵意だった。
「動くなッ! 貴様ら、何者だ!」
最前列に陣取っていた勇者の一人――『閃槍の勇者』が、大剣を構えながら怒鳴り声を上げる。
彼らの目に映っているのは、民間人を守ったヒーローの姿ではない。隔離カプセルを守るように突如として顕現した、未知にして強大な「魔物」の類だ。
魔力がないにもかかわらず、勇者すら圧倒する暴威を振るう存在。それは彼らの理解の範疇を超えた、純粋なる恐怖の対象でしかなかった。
「……ああ、そうか、お前らだな?築造の小僧をとっ捕まえた化け物ってのは!」
『雷迅の勇者』が吠える。
彼の全身から溢れ出した紫電が議場の空気を焼き、バチバチと耳障りな放電音を撒き散らした。
静寂。
いや、それはほんの一瞬だけだった。
「囲め!」
閃槍の勇者の怒号が議場全体を揺らす。
金属を擦り合わせるような嫌な音を立てて勇者たちが展開し、半壊した議場の出入口を塞ぐように隊列を組む。剣先が一斉に三人へ向けられ、その鋭い輝きが割れた窓から差し込む陽光を反射した。
床へ散乱した硝子片までもが、その緊張を映し返している。
天塚は周囲を一瞥した。
崩れた柱。倒れ込んだ机。腰を抜かした官僚。蒼白な顔でこちらを見つめる兵士たち。
誰もが「敵」を目の前にした表情だった。
「ここであったが百年目だ――テメェらもとっ捕まえてやろうじゃあねぇか!」
叫び、雷劫が閃く。
体の電子化。
稲妻の速度で走る雷迅の勇者は、いつぞや猫宮を襲った勇者と同じものから力を得たのだろう、その速度は砲弾よりも速く、音を置き去りにする。
全身から放たれる紫電が、周囲のコンクリートをチリチリと焦がし、不快なオゾン臭を周囲に撒き散らす。その言葉には、同胞たる設楽天京を無残に狩り取られた怒りよりも、自分たち「選ばれた存在」の領域を脅かす未知の生物に対する、強烈な排他心がぎらついていた。
「魔力の一欠片も持たねぇ家畜風情が、勇者《オレたち》の前に立ちはだかるなよ。その生臭い箱から離れろ。それは俺たちの獲物なんだよ!」
彼らの放つ魔力のプレッシャーは、確かに凄まじいものだった。
事実、何人かの魔力に感受性が高いのだろう議員が失神しているのが見て取れる――警護に来ているのではなかったのか?
そう毒づきたくなるほどに、議場を満たす空気は澱み、重く、有害なものへと変調していた。
その混沌の最中、世界が紫電に染まった。
雷鳴がとどろき、異常速度で駆け抜けた男の拳が、最も前に出ていた七星に向けて放たれて――
「――あぁ?」
――止まった。
空中でまるで、見えない網にでも捕まったかのように、男の身体が、その拳が、完全に静止する。
男の纏う雷光が、目に見えない絶対の壁にぶつかり、四方八方へと濁った火花を散らして逃げていく。
それが念力だと、彼はきっと気が付かなかっただろう。
彼が知っている超常は、すべて『加護』という名の、世界のルールに基づくシステム化された奇跡のみ。
目の前の『人の原質』――扇雄介が、ただ視線を僅かに向けただけで、大気を、重力を、そして彼自身の運動エネルギーを物理的な「粘土」のように捏ね上げ、座標ごと完全に固定したのだという理不尽。
マッハを越える速度で空間を裂いたはずの右拳が、七星の顔面数センチの空間で、滑稽なほど静かに、ピタリと縫い留められている。
気が付かぬまま、拘束され、気が付かぬまま浮き上がらされて――気が付かぬまま、椅子に押し付けられた。
「な……な、んだ、これは! 身体が……動かねぇ……!」
「動けないようにしてるからな」
そういって苦笑したような声が漏れる――その出所を見て、会場の人間は凍り付く。
しゃべっている。
魔物としか思えぬその生き物は、至極当然のように、こちらを見つめて、言葉を発している――まるで魔王のように!
「ひ、ひぃぃ……っ!」
「喋った……!? あの化け物、人の言葉を……!」
ひな壇の奥で、命からがら生き延びていた有識者や官僚たちが、腰を抜かしたまま悲痛な悲鳴を上げた。
彼らにとって、魔物とは本能のままに暴れ、破壊と殺戮を撒き散らす「言葉の通じぬ害獣」だった。そして勇者とは、その害獣を狩るための絶対の正義。
だが、目の前の存在は違う。
知性を持ち、人を、世界を支配せんとする、魔物の王。
魔王。
彼らからすれば、この圧倒的な暴力と、あまりにも自然な人語を操る超人たちは、世界を滅ぼすために現れた新しき「魔王の降臨」に他ならなかったのだ。
『……そうなるかぁ……』
『まあ、想定通りではありますよね――仕方なし、プランBで!』
『あぁ?ねえよそんなもん』
『いや作ったよ昨日』
『いや、急に梯子外すなよ』
どこか気の抜ける思念の送りあいをしり目に、ひらりと、中空に漂う、夜空の深淵を凝縮したような瑠璃色の肌をした何かが地面に降りたつ。
「――皆さまどうもこんにちは、本日はお日柄もよく……よく……天気がいい」
そういって、夜空の青をその身に湛えた人間のような物――扇雄介は、世間に向けて慇懃に頭を下げた。