「お父さん、すごかったね」
「えへへ……はい、頑張ったっていってました」
向かい合わせの席に座る若い男――赤坂猛に対して、黒土御影は月明かりのように白い髪を揺らしながら、普段とは全く異なる柔らかな笑みを浮かべていた。
ここはお昼時の喧騒から少し外れた、落ち着いた雰囲気の純喫茶である。カラン、と涼しげな音を立てるアイスティーを前に、御影は年相応の、いや、それ以上に無邪気で愛らしい顔を覗かせていた。
ゆかりや御影たちにとって従兄にあたる赤坂は、幼い頃から何かと一緒に遊んでくれた自慢の兄であり、御影の世界を構成する数少ない『大切な家族』の一人だった。
普段、家族以外の人間に対しては恐ろしいほど希薄な感情しか持たず、他者の生死にすら何の関心も抱かない彼女だが、身内である彼に向ける親愛の情は絶対的なものだ。
つい昨日、彼が突然婚約者を連れて実家に顔を出した時も、最初は驚きこそしたものの、大好きな兄の新たな門出を心から祝福していた――と本人は思っている、思い込もうとしている。
「お父さん、昨日の公式公聴会の対応ですごく忙しそうだったから……でも、テレビで見ててかっこよかったです。お兄ちゃんも仕事忙しいのに、わざわざ時間作ってくれてありがとう」
「いや、いいんだ。僕も御影ちゃんの顔が見たいと思ってたからね。それに……食事会では、ゆかりと少し気まずい空気になっちゃったから」
赤坂が苦笑交じりに視線を落とすと、御影も「あー……」と少しだけ困ったように眉尻を下げた。
昨晩の黒土家での夕食会。久々に集まった親族の和やかな場で、赤坂はゆかりに対して、ある苦言を呈した。それが原因で、空気がひどく冷え込んでしまったのだ。
「お姉ちゃん、途中で怒って帰っちゃったから……でも、お兄ちゃんのこと嫌いになったわけじゃないと思うんですけど」
「わかってる。ゆかりが怒るのも無理はないさ。久々に会った従兄から、いきなりあんなことを言われたらね」
赤坂は真剣な眼差しを上げ、まっすぐに御影の白い瞳を見つめた。
彼の目には、純粋な善意と、大切な身内を心底から案じる深い焦燥が宿っていた。
「でもね、御影。僕は本気でゆかりのことを心配しているんだ……あの『扇雄介』という男のことは、君も知っているだろう?」
その名前が出た瞬間、御影の柔らかな笑顔が、ほんのわずかに――コンマ数秒だけ、ピクリと硬直した。
扇雄介。白雲ゆかりが愛する婚約者であり、かつて五歳の時に凄惨な手段で魔物を屠ったことで、赤坂たち親族から蛇蝎のごとく嫌悪されている男。
そして同時に、特撮班に身を置く御影にとっては、誰よりも頼りになる『先輩』であり、彼女の小さな世界において、すでに『家族の枠組み』に組み込まれつつある大切な存在でもあった。
「……雄介先輩、ですか」
「先輩……ああ、君も同じ部署にいるから、彼のことは職場の人間として見ているんだったね」
赤坂は深く息を吐き出し、テーブルの上で両手を強く組んだ。その手には、じっとりと冷たい汗が滲んでいる。
「僕は反対なんだ。あんな……いつ暴走するかもわからない、得体の知れない危険な人間に、ゆかりを任せるわけにはいかない。君も親戚の集まりで聞いているだろう? あの男が五歳の時、血みどろになりながら魔物を執拗に殴り殺したという異常な話を。ゆかりの両親が彼を忌み嫌うのも無理はない。あいつは普通の人間じゃないんだ」
彼の言葉に嘘や打算は一切ない。ただ純粋に、自分が慈しんできた『家族』を、親族間で不気味な怪物として語り継がれる男から守りたいという、まっすぐな正義感だけで動いている。
だからこそ、彼は御影を呼び出したのだ。ゆかりの可愛い妹分であり、すぐ近くで働いている御影から、あの男の危険性を証言してもらい、共にゆかりを説得する手助けをしてほしいと。
「お願いだ、御影。君からもゆかりに言ってやってくれないか? あの男から離れるべきだ、目を覚ませって。君もあの部署にいるなら、彼の狂った部分を少なからず見ているはずだ。このままじゃ、ゆかりが不幸になる」
御影はゆったりと、こてんと首を傾げた。
彼女の頭の中で、恐ろしく冷え切った思考が巡り始める。
彼女の小さな世界は、「愛する身内」と「それ以外の無価値な背景」だけで構成されている。
目の前に座る赤坂は、その世界を構成する大切な住人の一人だ。白雲ゆかりも当然、誰より愛すべき姉としてそこにいる。
今、その大切な身内同士が、たった一人の外部の人間を巡って決定的な亀裂を生み出そうとしている。赤坂の言葉通りにゆかりが扇から離れることは絶対にない。ゆかりのあの男への執着は病的なものだ。
となれば、赤坂とゆかりの断絶は免れない。最悪の場合、赤坂という存在が黒土家の親類縁者から距離を置き、永遠に離れていってしまうだろう。
だから、扇雄介には消えてもらうべきだ――その、はずだ。
そのはずなのに。
「……その、ね、お兄ちゃん?」
「何だい?」
「……そ、の、ね……えーっと……」
唇が張り付く、喉の奥で言葉がへばりつき、まるで動きもしない。
それでも、彼女は精一杯の力で、唇を開いた。
「それは、お姉ちゃんのしてほしい事じゃ、ない、と、思うの。」