あってはならぬことのはずだった。
自分は勇者なのだから、最後には自分が勝つのだと信じていた。
なのに、なぜ今、この男は自分を前にこうも悠然と立っていられる?
勇者になった自分には、万人がひれ伏すはずだ。
自分の価値を見出せなかった親も、自分を気持ち悪いと排除した学校も、自分の力を発揮させなかった社会も、すべて。
そうだと信じてきたし、これまではそうだった。
親は帰ってきた自分を家の誇りだと呼んだ、あれほど威張りくさって『もっと周りと合わせろ』なんて言ってきた両親も黙った。
自分にイキリ散らかして、攻め立ててきた連中も黙らせた。
警察だって俺には――僕には手出しできない。
それが、勇者だった。
そのはずなのに――なぜ、自分が負けかけているのだ?
「――――――おかしいだろうがよぉおおおお!」
設楽が狂乱と共に足を踏み鳴らす。
ドゴォォォン!と建物が悲鳴を上げ、屋上のコンクリートがまるで生き物のように隆起した。
ひび割れた床から飛び出したのは、建物を支えていたはずの極太のH鋼と、無数の鉄筋だ。
それらが設楽の意思に従って飴細工のようにねじ曲がり、彼の目の前で2本の長大なレールを形成する。
さらに、千切れた高圧電線が蛇のように絡みつき、バチバチと青白いスパークを散らし始めた。
「俺の『築造』に作れねぇもんはねぇ! 見ろ、特撮《テレビ》で見たんだろ? これがお前らの大好きな『超電磁砲《レールガン》』だ!」
2本のレールの間に、圧縮された鉄塊が装填される。
勇者の魔力が電力へと変換され、空気が焦げる異臭《オゾン臭》と共に、莫大な磁場が嵐のように吹き荒れた。
それは、理論もへったくれもない、勇者の理不尽な力だけでねじ伏せる、即席の処刑台だった。
狙いは一瞬、放つのもまた一瞬だ。
轟音、という言葉すら生ぬるい。
大気が裂帛の悲鳴を上げ、屋上の空気が衝撃波によって白く爆ぜた。
2本のH鋼レールの間を走り抜けたのは、設楽の魔力によって極限まで圧縮された鉄の塊だ。
初速はマッハ70。
現代の戦車装甲すら紙切れのように貫通し、その背後にある街区ごと消し飛ばす破壊の光条。
回避は不可能。瞬きする時間すら与えられない死の宣告。
物理法則に従えば、扇雄介の頭部は熟れた果実のように弾け飛び、その存在は肉片へと変わる――はずだった。
「――は、ぁ?」
設楽の喉から、間の抜けた音が漏れた。
死んでいない。
血の1滴すら、流れていない。
それどころか。
キィィィィィン……という、不快な金属の共鳴音と共に、赤熱した鉄塊が、扇の鼻先数センチの空間で
まるで、透明な琥珀の中に閉じ込められた羽虫のように。
困ったようにその眉のない眉間にしわを寄せる青色の人型は、以前その場に健在だった――いや、それどころか『砲撃を空中で止めて見せた』
彼がかざした手の先で、キュルキュルと弾丸が回転している――まるでまだ前進を続けているかのように。
「……漫画の技って、真似してみると案外かっこよくないな、エフェクトが足りないのかね……?」
そう言いながら、男は――扇雄介は肩をすくめた。
「あんまり派手に壊すな。直すの大変なんだよ。」
「……何をした?」
「砲弾を念力で止めた。」
「ありえねぇだろ、なんでそんな真似ができる?」
「鍛えたからな。」
苦笑交じりに告げる――ありえない。
鍛えた程度で、あるいは、何かを訓練しただけで、こんなことはできない、あり得ないことだ。
「ふざけんなよ……! 鍛えた? 努力? そんなもんで、俺の『加護』が破られてたまるかよ!」
設楽が叫び、足元のコンクリートを強く踏みつける。
瞬間、屋上の床面が波打った。
まるで生き物のように隆起した床材は、無数の鋭利な槍《スパイク》へと姿を変える。
「死ね! 串刺しになれ!」
全方位からの刺突。
逃げ場のない飽和攻撃。物理的に肉体を貫く質量と速度の暴力。
人間であれば、回避不能の死の牢獄。
だが――
「――芸がないな。」
青の超人は、動かなかった。
いや、動く必要すらなかった。
迫りくるコンクリートの槍衾は、彼の体表数センチのところで、見えざる力場に阻まれて静止していた。
「知らなかったか?超能力者に槍は刺さらない。」
「――ほざけよ!」
恐怖を怒りで塗りつぶし、設楽が両手を振り回す。
周囲の瓦礫、鉄骨、給水タンク――あらゆる「物質」が彼の意のままに形を変える。
生み出されたのは、コンクリートで模られた巨大な機関銃(ガトリングガン)の砲列だった。
「蜂の巣にしてやる! 消えろ! 消えろォ!」
轟音。
回転する石の砲身から、毎秒数十発の石礫が弾丸となって吐き出される。
火薬も機構も無視した、魔力による強制射出。
音速を超える石の嵐が扇を襲う――はずだった。
「逆転ちぇ……ああ、いや、まんまはまずいか……あー……『逆行』……技名考えんの忘れたー……」
つぶやくように告げられた言葉と共に、扇が掌をくるりと返す。
ただ、それだけの動作だった。
キィィィィィン!と、空間がきしむような音が響く。
音速を超えて迫っていたはずの石の嵐が、まるでビデオテープを巻き戻したかのように、唐突にそのベクトルを反転させた。
「――は?」
設楽の間抜けな声が漏れる。
自らが吐き出したはずの死の雨が、倍の速度を持って、自らの生みの親である砲身へと殺到したのだ。
ドガガガガガガガガッ!
破砕音が連続して響き渡る。
コンクリートで作られた模造の銃器が、内部から食い破られるようにして爆ぜ、粉塵となって霧散した。
「――――何をした!魔法か!?いや、魔力の動きなんて見えなかったぞ!?」
自分の作り出した最強の火器が一瞬で砂利に変わった光景を前に、設楽が後ずさる。
もう、彼には理解ができなかった。