「キャー! 誰か助けてぇ!」
絹を裂くような悲鳴。
暗い路地裏から響くそれは、魔物被害の多い昨今でも、珍しい――魔物だと、悲鳴を上げる前に殺されるし、勇者なら、悲鳴を上げる余裕もないからだ。
それでも、夜の町に響いた彼女の悲鳴に応えるように……いや、待っていたかのように誰かが現れ、悲鳴の主の前に降り立つ。
ヨレヨレのシャツを着た20を超えていそうな男。彼は欠伸をしながら悲鳴の主と、その目の前に立つ謎の生物を順に眺める。
それは、およそ、尋常の生き物ではなかった。
スマートな人型だが、肩幅が広く逆三角形のシルエット。
中世の騎士の鎧と、猛禽類の羽毛が融合したようなどこか生物的な外殻を持つ。色は白頭鷲を思わせる白と黒、差し色に金が入った――鷲のような頭の生き物。
フルフェイスのヘルメットのような形状だが、額から鼻筋にかけて鋭角なクチバシの意匠がある。
後頭部から白い羽毛のようなたてがみがなびいている。
まるで、特撮に出てくる怪人だ、魔物というには人間的すぎるが、同時に、魔人ではありえない。
あいつらは、おしなべて赤い肌と頭部からせり出す角を持ち、それを隠すことをしない。それが、魔人だ。
魔王から貰い受けた誇りの証であるその姿を隠すなど、あの連中には考えられないのだ。
単なる狂人か……あるいは。
『あの妙な連中の仲間か……?』
設楽天京とかいう馬鹿な同胞が謎の生物に負けたことを、彼は知っている。
その連中も、おおよそ、魔人の姿をしてなかったと聞いている――この生き物のように。
『……もし、勇者を倒したっていう輩なら……』
こいつを、殺せれば、自分の力の証明になる。
どうにも、こちらに『帰って』きてからパッとしない毎日だったが――なるほど、とうとう運が回ってきたらしい。
そんな考えをおくびにも出さずに、男は背後の女性に視線を向ける。
「めんどくせーけど、悲鳴を無視するのも目覚めが悪いからな。あんた、助けは必要か?」
「あ、あなたは?」
「通りすがりの勇者だ」
彼はチラリと悲鳴の主の胸元を見る。それだけではない。彼女の容姿を確認するように何度も視線を向けた。
大当たり。
内心舌なめずりをしながら嬉しそうにしていると彼女はおもむろに背中に抱きつく。自分の胸を押し当てるようにだ。
――どうやら、物の道理というものをわかっているらしい。
「助けてください勇者様!もし、もし助けていただけるなら、私……!」
「仕方ねぇな……」
やれやれと頭を掻くも鼻の下が伸びきっている。
下心を隠そうとするも、誰の目から見てもバレバレだ。
「さてと。」
ピッと、1枚の札が彼の手の中に滑り落ち、稲妻もかくやという速度で怪人の体に向けて放たれる。
「……!」
触れた。
その瞬間に起きた変化は、怪人本人にしか、わからなかっただろう。
動けない。
体が、まるで、鉄の板に押し付けられたかのようにまったく動かない。
指も、髪の毛一本動かない。
怪人は驚き狼狽える。当たり前だ。勇者は圧倒的な力の象徴、争って勝てるはずがない。
どうしてこんなことに? 疑問が思考を支配する。
「なんでそんなに驚いてるんだ?俺、なんかしたかな。」
やれやれとため息をつく。
無論、あの札の主たる彼に、この札の効果も、怪人に何をしているのかもわからぬはずがない。
所詮は圧倒的な自分の力を見せびらかしているだけ。強いと言われたいがための方便。
自己顕示欲の表れでしかないのだ、こんなものは。
『それで、それで一体どれほどの命を奪ってきたと思っているのだ……!』
魔物の命を徒に弄んできたのだ、この力で。
許されない、許されていいはずもない。
殺さなければ!奪わなければ!この男を、この世から!
消し去るのだ――魔物のために!共存のために!殺戮者を!皆!私が救世主になるのだ!
「さて――どこの誰かしらねぇが、俺に会ったことを悔やむんだな。」
言いながら、勇者の男はおもむろに、そして、自信に満ち溢れた様子で、歩み寄る――その手に握られた1枚の札が、怪人を粉々にできることを、彼は十分に理解していた。
転じて、怪人はそのようなことはわからない――否、理解していても、気にしていない。
猛烈な怒りが、突き抜けるような苦しみが、彼の体を突き破ろうとしているのがわかった――あの薬が、自分に力をくれる。
あの薬が、自分に向けて、叫んでいるのだ――自分達の、無念を晴らせと。
自分の体を通して、彼を動かすのだ――勇者を、殺さねばならない!
勇者殺すべし!勇者殺すべし!
叫んでいる、体の内側で、その力が、喉を引きちぎるように飛び出すのを感じる。
くちばしが、開いた。
「―――――――――――――――――――――――――――」
「ぼっ?」
くぐもった声が漏れる――それが自分の声だと、勇者にはわからなかった。
いや、そもそも、声が出たことすら、彼は気がついていなかっただろう。
その時、彼の両耳は破壊され、胸部には円形の穴が開いていたのだから。
ごぼっ。
口から、血塊があふれた。
何が起きたのかもわからず、何が起きていないのかもわからないまま、巫覡の勇者、中峰司はこの世を去った。
そんな光景を驚きとともに見つめた怪人の耳に届いたのは、先ほどまで勇者に縋り付いていた女の、喜びに満ちた無機質な言葉だった。
「――おめでとうございます、ユーザー、あなたが『最初の1人』です。」