特撮オタクたちは、勇者を超越する   作:猿マン

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第69話:錯乱

 ――グヂュ、と。

 

 それは、決して人間が立てていい音ではない。

 

 水風船が破裂するような、あるいは、濡れた雑巾を限界まで絞り切って引きちぎったような、湿った破壊音。

 

「――っ、下がれ!」

 

 七星が御影を抱えてアスファルトを蹴ったのは、本能的な危機察知によるものです。

 

 一瞬前まで竹林と呼ばれていた少年が立っていた場所から、爆発的な勢いで何かが膨れ上がった。

 

「あ、ア、ぁぁぁぁガァァァァァァッ!!」

 

 絶叫。

 

 だがそれは、言葉としての意味を成していませんでした。

 

 喉が、声帯が、口腔が、内側からあふれ出した「異物」によって作り変えられていく苦悶の響き。

 

 街灯の明かりの下、少年のシャツが内側から突き破られる。

 

 裂けた皮膚の隙間から覗いたのは、骨でも肉でもない。

 

 濡れそぼった、赤黒い甲殻だった。

 

「な……」

 

 七星の腕の中で、御影が息をのむ気配がした。

 

 無理もない。彼女は勇者として多くの魔物を見てきただろうが、これは違う。

 

 魔法陣から現れるファンタジーの住人ではない。

 

 ついさっきまで言葉を交わしていた人間が、物理法則を無視して、メリメリと音を立てて「中身」をさらけ出しているのだ。

 

 人間の形をした蛹(さなぎ)が、無理やりこじ開けられるかのように。

 

 顔面の皮膚が左右に裂け、その奥から、複眼を思わせる無機質なレンズと、呼吸音を鳴らす排気ダクトのような器官がせり出してくる。

 

 異臭が鼻をついた。

 

 血の匂いと、錆びた鉄の匂い、および薬品特有のツンとする刺激臭。

 

 変身、などという生易しいものではない。

 

 これは――

 

「……変態(メタモルフォーゼ)、ってか?」

 

 シャレにならない。

 

『この前の怪人とは違う個体……やっぱり薬か?』

 

 薬品ごとに、変態先の姿が違う?またずいぶんと特撮じみたものだ。

 

 あの構造変化が、先立って自分が見た怪人と同じものである確証はないが、少なくとも――

 

『このまま、放置はできん。』

 

 それだけは確かだ。

 

 それは、爛々とこちらを見ながら光る瞳を見ても明らかに思えた。

 

「――ほら、みてよぉ、御影さぁん!僕も、僕も勇者に――いや、それを超える存在になれたんだぁ!」

 

 けたけたと哄笑を上げる。

 

 その声の震えに、明らかに正気のそれではない。

 

 見た目は――カニに、近いのだろうか?

 

 全身を覆うのは赤黒い甲殻だ。

 

 だが、自然界に存在するカニのように整ったものではない。

 

 右腕だけが異常に肥大化し、指が癒着して1つの巨大なハサミを形成している。対して左腕は細く長く、まるで鞭のように地面を引きずっていた。

 

 シオマネキを思わせる非対称な不均衡。

 

 背中からは甲殻類の脚のような突起が数本生えだし、わしゃわしゃと空気を掻いている。

 

 口元からは泡があふれ、複眼のようなレンズの奥で、かつて竹林だった瞳がぐるぐると回っていた。

 

『シオマネキング……じゃねぇな、あれよりもっと生物的だ。』

 

 おまけに、足も動いている――まったく、質が悪い個体をさらに悪くしないでもらいたいものだ。

 

「かっこいいだろう? 強いだろう? これなら、君を守れる! 君を僕だけのものにできる!」

 

「カニの横恋慕か?前を向けないのは歩きだけにしてくれ。」

 

 服の前を開く、胸に装着された装置のスイッチを入れる――トランサーが動く。

 

 腰から引き出された1枚のカードが、踊るように胸に飛び込んだ。

 

「――変身。」

 

 刹那、七星の体を銀色の輝きが包み込む。

 

 キィィィィン! という甲高い駆動音と共に、空間そのものが震えた。

 

 衝撃変身。

 

 変身の瞬間に発生する余剰エネルギーを、光ではなく物理的な『衝撃波』として周囲に撒き散らす、彼独自の変身プロセスだ。

 

「っち。」

 

 至近距離でその衝撃を浴びたスレイバーが、たまらず後ずさる。

 

 徒手空拳で戦うことに特化した、殴るためだけのヒーロー。

 

 インパルス・バングル。

 

 その銀色の仮面の下で、七星は冷徹に眼前の怪人を見据えた。

 

「――腐れ蛮族がよぉ!出張ってきてんじゃねぇぞ!」

 

 口から泡が飛ぶ――何とも、語彙力のない煽りだ。

 

「――淑女を誘おうってわりに、無礼が過ぎるぞ男の子、不調法は嫌われるぜ。」

 

 銀色の仮面が、あきれたように首を振る。

 

 その余裕が、スレイバーの逆鱗をさらに逆撫でした。

 

「うるせぇ!死ね!死ね!死ねぇぇぇ!!」

 

 理性を失った怪物が、右腕の巨大なハサミを振りかぶる。

 

 その質量は、軽自動車1台分にも匹敵するだろう。

 

 魔力によって強化された筋繊維が悲鳴を上げ、空気を切り裂く轟音と共に、銀色の脳天目掛けて振り下ろされた。

 

 直撃すれば、コンクリートの電柱すら粉砕する一撃。

 

 だが――七星は動かない。

 

 避けない。

 

 ただ、静かに腰を落とす。

 

 断頭――読んで字のごとくだ――斧が迫る、数秒後の惨劇をカニの怪人は哄笑と共に受け入れる。

 

 それを阻む者がいるとすれば、それはやはりただ1人。

 

 ――王心七征拳・回し受け――

 

 ――銀の手甲を纏った、この世で3人だけの正義の味方だ。

 

 大きな円を描くように、腕がくるりと回される。

 

 回転する腕が、まるで羽のように優しく、断頭の力を込めてふるわれたはさみに触れ――流す。

 

 流れる川の水のように、滑らかで淀みのない誘導は、接触を接触と感じさせない。

 

 さきだっての怪人にも使ったこの技は、しかし、今回は一段先の技もあった。

 

 右上段から左への振り下ろしの一撃を右手で受け流す、そうした時起こる現象は1つ――体が、右に流れる。

 

 結果、カニの左手は自分の体が障害となって右側の防御を行えない。

 

 結果、生まれる隙を見逃すインパルス・バングルではなかった。

 

 右の腕を流す過程で生まれた力を、余すことなく腰に、回転と捻じりの似て非なる2つのものが合致した時、左手がうなりを上げる。

 

 ――王心七征拳・正拳――

 

 拳を縦に、体に打突痕を残さぬのが、彼のささやかな自慢だった。

 

「――ごぼっ……ごぼっぼおぉ!」

 

 口から激しく泡を飛ばし、少年は再び襲い掛かる――その目には、もう、七星しか見えていない。

 

 やはり――

 

『錯乱してる。』

 

 先立っての事件の犯人らしき男もそうだった。

 

 あの後の警察の捜査によると、あの事件の犯人らしき怪人は、あの時、集団で会社を出てきた社員たちの内、1人を執拗に追いかけまわしていたらしい――あの時、足元で転がっていた人物だ。

 

 体に生えた牙とも刃ともつかないあの刀身で、彼をずたずたにしようとしたその時――突如、彼は集団の中にいた女性社員を見つけて、ふらふらと近寄り、何かを訴えるように体を誇示し始めたのだという。

 

 だから、あの時、七星たちは間に合ったのだ。

 

 その話を聞いた天才の反応は1つ――錯乱しているのではないか?だった。

 

「いや、まじめな話――自分の中で、目標が定まらなくなっているのでは?」

 

 だから、殺害対象がいるのに、手を出さず、ほかのことにかまけた。

 

 要するに、『その時、思考に上がった行動』が、あの怪人たちのすべてになるのだ。

 

 だから、殺害対象よりも女を優先するし、告白に来た女を放置して、七星を狙う。

 

 厄介な性質だった――つまり、この怪人を相手にするときは、少しでも注意を引くものをほかに作ってはならないのだ。

 

 例えば、音、何かが壊れる音がすれば、すぐにそちらに気を取られるだろう。

 

 あるいは匂い、好きなにおいなどさせれば、同じことだ。

 

「……何あれやばぁ。」

 

 ――および、光。

 

 特に、写真のフラッシュなどもってのほかだ。

 

 ――今のような。

 

 パシャっと、スマホのシャッター音が、した。

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