パシャ、という乾いた音が、戦場には不釣り合いなほど軽く響きました。
現代人にとって馴染み深いその電子音は、しかし、この場においては死刑執行の合図に等しかった。
「――――」
まずい。
とっさに振り返った先、視線の向こうで、女学生がこちらを見て固まっている――避難誘導が済んでいない。
当たり前だ、彼の変身は唐突だった、警報などなかったし、超人と化した七星にすら不意打ち気味だったのだ。
幸い、繁華街のど真ん中ではなかったものの、ここは住宅街の人通りの少ない道というだけだ、普段の戦闘とは明らかに状況が違う。
注意していたゆえに、七星に驚きはない、ないが――少し、タイミングがまずい。
七星が予想していたよりも、ここへの到達が速い、どうやら、何かで気分がよくなってスキップしてきたらしい――まったく、気分がいいならもっとゆっくり歩いてほしいものだ。
そこに来て、この惨状だ、目立ちたい、バズりたいと常々思っている少年少女には、格好のネタだった。
基本、ヒーローの戦いを動画に上げる機会というのは、稀だ。
モンスターが出るときはいつだって、避難誘導があるし、もしも、避難誘導ができないほど急激、もしくはひそやかに町に現れた場合は、基本、動画など撮っている間に死んでしまう。
ゆえに、この惨状を動画に収めるのは――確かに、格好のネタだった。
だが、今はタイミングが悪い。
「――御g―――」
七星が叫ぶよりも速く、スレイバーの巨体が反応した。
七星に向けて振り下ろされようとしていた巨大なハサミが、空中でピタリと止まる。
そして、その異形の首が、油の切れた機械のようにギギギと不快な音を立てて回転した。
視線の先には、スマホを構えた1人の学生。
そして、その背後で遠巻きに様子を窺っていた数人の野次馬たち。
逃げていなかったのではない。
彼らは「見ていた」のだ。
安全圏から、映画か何かを見るような気軽さで、自分たちの日常が非日常に侵食される様を、レンズ越しに消費していたのだ。
それが、どれほど愚かな行為かを知る由もなく。
「――――――ぁ。」
こぼれた声が、何か意味があったのかはわからない。
「――――――MIかGeさぁぁぁあN!」
不協和音が響いた。
引きつったような、しゃがれたような、歪んだような、奇妙な声。
少なくとも、先ほどまで話していた少年の声ではありませんでした。いびつなエフェクトのかかった声――まったく、こんなところまで特撮か?
ぎゅるんと、向けられた目が、女学生をとらえて――口から放たれた泡が、勢いよく放たれる。
泡がアスファルトに触れた瞬間、ジュッという嫌な音が響き、白煙が上がった。
強酸だ。
コンクリートさえ溶かすそれを、生身の人間が浴びればどうなるか――想像するだに恐ろしい。
昔のグロテスクなB級映画だ、子供には見せられない惨状がそこにはあるだろう。
ゆえに。
「――扇!」
――正義の味方《特撮オタク》の目の前で、そのようなことは起こらない。
ひゅるり――と、風が吹き、泡が左右に裂ける。
アスファルトを溶かし、不快なにおいの蒸気を沸き立たせる――が、それでも、少女は無事だった。
風の覆い、迫る災害からあらゆるものを守る壁。重すぎるものは阻めないが、泡ごときならばどうにかなる。
「――いつから気が付いてたんです?」
「最初っからだ、俺の耳を舐めるな、ドローンの音がしてんだよ。」
苦笑しながら隣に現れた男に告げる。
ルモス・ベゼル――天塚新。
「相変わらず可愛げのない聴力ですねぇ。」
光の粒子をまといながら実体化した天塚――ルモス・ベセルが、やれやれと肩をすくめる。
「七星イヤーは地獄耳なんだよ、で?」
「強酸性の消化液に、神経毒のガス。吸い込んだらアウトです、一般人なら肺が爛れて窒息死ですね。」
「なら、換気が必要かね。」
頭上から声が降ってくる。
見上げれば、街灯の上にしゃがみこんだ翡翠の影――ウィンドヴェーラーが、ひらりと手を振っていた。
「――風圧帯・拡散。」
彼が指を鳴らすと同時、路地裏に停滞していた不穏な空気が、爆発的な突風によって上空へと巻き上げられた。
毒の霧が晴れ、視界が開ける。
そこには、3人の「正義の味方」が並び立っていた。
銀の格闘家、光の科学者、風の超能力者。
特撮番組のオープニングなら、ここでタイトルロゴがドーンと出るところだろう。
「――――フェタァァァァァー!」
叫ぶ――カニの怪人のその姿はどこか哀れに映った。
「完全に錯乱済み……やっぱ薬ですかね?」
「わからんが――思考はぐちゃぐちゃだな。」
彼に見えているのは、怪人の内面――ドロドロに溶けた思考の海だ。
「『愛してる』と『殺したい』と『見てほしい』がミキサーにかけられている。理性なんて欠片もない、あるのは純粋な衝動だけだ。」
「厄介ですねぇ。対話による解決は不可能、か。」
天塚が冷徹に断じると同時、怪人が動いた。
右の大鋏を振り上げ、重戦車のような勢いで突っ込んでくる。
狙いは、前衛に立つ七星ではない。
その後ろ――呆然と立ち尽くす御影だ。
「ミカゲェェェェェェ!!」
「――よそ見とは感心しないな。」
ドガァッ!
鈍い衝突音が響く。
七星だ。
怪人の突進に対し、彼は一歩も引かず、正面からその懐に潜り込んでいた。
大鋏の振り下ろしを左腕の籠手で受け流し、がら空きになった胴体へ右掌底を叩き込む。
さて、ここから先は消化試合だ。