そのイワナ、お小遣い三ヶ月分につき。   作:神楽風月

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#7

 いちばんの大物をみんなで持ち上げて写真を取った。常連の子たちと、という一言を添えて店頭に飾るらしい。個人情報がうるさいから顔を隠されるため、これを釣り上げた怜の栄光はここの六人しか知ることはないのが、少し、寂しいかもしれない。

「ーーというわけで、捌くわ」

 キャンプエリアから少し進んだところ、炊事場エリアで、霞がエプロンを装着しながら宣言をする。

「このサイズだと、一匹で二キロぐらいよ。ぬめって持ちづらいのが難点ね。このぬめりが、いわゆる魚臭さの原因」

 流水に当てながら、亀の子たわしでガシガシと表面を擦る。

「この子の鱗はとっても剥がれやすいわ。たわしで擦ってあげると、ボロボロ落ちるでしょう? 釣ったときに触っただけで、細かい銀鱗が手について、キラキラするくらいよ」

 言われて、晴はふと自分の手を見る。

 銀粉がついたように、ほんとうにキラキラしていた。

「けど、べつに全部落とす必要はないわよ? 三倍体って身が柔らかくなりやすいから。やりすぎると皮がボロボロになってしまうわ」

 そうしてざっと鱗を落としたあとにまな板へ。

 大きめのステンレス包丁を鞘から引き抜いて、先端を魚の肛門へ当てる。

「ちなみに魚の可食部ってどれくらいか知ってる?」

 問いかけながら、ざぁ、と一気に腹を切り開いた。

 割った腹から見えるのは、きれいな桜色の身だ。サケ科なのだから、そのままズバリ、サーモンピンクと呼ぶべきかもしれないが。

「かしょくぶ?」

「食べられるところよ。バナナとか、スイカだったら、皮以外ね。スイカの皮を食べる地方もあるけど」

「えー……どれくらいだろ?」

「頭と、骨と、内蔵以外……ですよね?」

「感覚で言うなら、頭が全体の1割程度じゃないか?」

「魚にもよるだろうけど、ボクも、そう思うな」

「んで骨っしょ? 全身にあるけど細いし……8割くらいじゃない?」

「内蔵分を忘れているぞ」

「じゃあ7割じゃない?」

「いい線ね。正解は6割前後よ」

 手慣れた様子で、あっとうまに頭を落とし、三枚におろしてしまう。

 桜色をした切り身を全員に見せながら、霞は続ける。

「この、切り身になった部分ふたつ。これでだいたい6割くらい……とはいえ、魚はお肉よりも可食部の考え方が広いわ」

 落とした頭を指さし、

「頭はアラ汁に使います。骨は出汁が詰まっているから、これも煮出しちゃいましょう。三枚のおろしたときの、真ん中の身も、骨の間の肉はスプーンでこそげとって、つみれにしましょうか……そう考えていくと、捨てるとしても内蔵ね。魚によっては内臓を塩辛にすることもあるから一概にはいえないけれど、川魚は寄生虫がね」

 一匹を捌けば、つづけて、二匹目、三匹目……大きかったその三匹以外は、さすがに川へ返してしまったが、それでも、とんでもない量に見えた。

「ちなみに、一食で食べる鮭の切り身はだいたい100グラムね。だから2キロのうちの、6割を、100グラムで割って……何人前だと思う?」

「いくつだ?」

「すぐに諦めるんじゃあない。そんなだからお前は算数が苦手なのだ」

「来年は数学になるんですよ?」

「ざっくり計算したら10人分くらいじゃない?」

「正解。実際は魚ごとに身のつき方に違いが出るから、平均だと約8人前前後かしら?」

「ひとり2人前食えばいけるか」

「いや、それが三匹分あるって話でしょーが」

「私そんなに食べられません……」

「ボクも、そんなに食べられないよ。姉さん」

「ここで全部食べるわけないじゃない。頭はアラ汁に使うけれど、ほかは切り身にして包んであげるわ。おかあさんに焼いてもらいなさい」

「はーい」

 三枚におろして柵にしたその身を、さらに小さく切り分ける。するとようやく、スーパーなどで見慣れた鮭の切り身状のものが出来上がるのだ。

「せっかくだし、このまま作りながら、お姉さんの授業を続けようかしら?」

「俺、勉強嫌い」

「美味しいお昼ご飯、食べさせてあげないわよ?」

「ずりぃー」

 晴は唇を尖らせた。その姿に苦笑しながら、下ごしらえを続けていく。

「食の安定供給として、魚の養殖と対比して上げられるのは鶏肉ね。鶏は成長が早くて、骨が少なくて、かつ均一に育てられるわ。二ヶ月もしないでお肉にできるの。工業的な見方だけど、製品としての肉なら、鶏肉はとても優秀」

「コックハックルも、私たちには欠かせません……!」

「うふふ」

 そっちの視点は無かったと、思わず笑みが浮かぶ。

「魚は逆に、圧倒的に効率がいいわ。変温動物だから、体温を維持するためのエネルギーも成長に回せる。だから増肉係数が鶏肉より優秀よ」

「ぞうにくけいすう」

「少ないエサでたくさん太れる、ってことね。あとはオメガ3脂肪酸が体に良いとかあるけど……逆に言えば、彼らは工業製品としてみたら、水温や水質管理がシビアとも言えるわね。鶏肉は逆に、放っておいても大丈夫、までは言わないけれど、管理が楽よ」

「へぇー……」

「どっちが優秀ってわけじゃないわ。でも、いいものはたくさん増えたほうがいいじゃない?」

「確かに」

「うんうん。お姉さん、素直な少年は好きよ」

 ほとんどを切り身にし終えて、よーし、と腰に手を当てる。

「今日のお昼は『ネギトロつみれのアラ汁』に、『カサネサクラの杉板焼き』よ」

「おー……?」

「……ちなみにネギトロって骨の間の肉を『ねぎ取る』って言葉から来たから、ネギもトロも入っていないわよ?」

「わ、わかってらぁ!」

 大きな声で誤魔化すが、察されてしまっているのか、霞は苦笑している。

「なにかお手伝いしますか?」

「じゃあ、男の子たちには、せっかくだから火起こししてもらおうかしら? 女の子は私のお手伝いで、お米は……量も量だし、今回は炊かないでおきましょう」

「火起こしかぁー」

「キリモミ式か?」

「あーれーはー……四年のころの林間キャンプだっけ?」

「そんなに本格的なのにしなくていいわよ。軍手して、小枝集めて、薪組んで、ライター」

「あ、それでいいんだ」

 なるほど、と頷いて。

「じゃー、まずは小枝かぁ」

「勝手に使っていいのか?」

「わざわざ折らなければ、焚き付けに使っていいらしいわ。落ち葉とか枯れ枝とか、放置してあるほうが、腐れてダメになっちゃうらしいの」

「そっか。じゃ、いこうぜ。レン、タマキ」

「えっ」

「えっ」

 晴と環の視線が合う。

「……ねぇ、君。まさか」

「ボク、女の子だよ……?」

「えぇ……?」

「いや、お前、いや……間違いようがないだろう……?」

「タマキ、ってあからさまに女の子の名前じゃん」

「確かに環は女子に人気だけどさ……」

「ボク……そんなに男の子っぽいかな……?」

「いや、そういうこともあるかなぁ……って。俺のいとこも、季節の春で、ハル、だし……カスねぇも、イケメン、って言ってたし……だって失礼じゃん!? 女っぽい名前を気にしてる男だっているだろ!! そういうアニメの主人公がいただろ!?」

「ぶん殴られるわよ?」

「もうちょっとこう、違うところに向ける必要があるんじゃないか? その気遣いは」

「ハルさいてー」

「ハルくんは純心ですので」

 私だけは気づいてました、とばかりに、なんのフォローもしなかった栞が眼鏡を押し上げる。

「でも、これにこりたら、いつもの友達(・・)を放っておかないようにしてくださいね?」

「……はい」

「はい、結構です」

 反省して肩を落とす晴に、栞は満足げに頷いた。

 

 

 

「ーーさ、完成」

 アルミホイルに包まれたまま、ひとつの料理がアウトドアテーブルにサーブされる。イスは霞と環のふたりぶんしかないためか、立食形式であった。

「まずは、カサネサクラの杉板焼きよ」

 三十分以上吸水させた杉の板に、食材を置いて焼く料理だ。燃えないまでも煙を上げる杉の香りが食材に移り、燻製に近い味わいとなる。その煙を逃さないため、今回はアルミホイルで蓋をしている。

 霞がそのアルミホイルを割り箸で割り開けば、ふわっとしたいい香りが鼻腔をくすぐる。味付けはシンプルに塩と胡椒、風味付けに渚たちが切った輪切りのレモンや、ローズマリーが乗っている。

「おぉ〜……」

「いい香り」

「ふっくら焼けてます……!」

「カサネサクラは脂の強い品種だから、ちょっと胡椒を強めに当てているわ。子供にはピリッと辛いかもしれないから気をつけてね?」

「僕はむしろ、辛いほうが好みでね」

「ボクはちょっと苦手かも……」

 杉板の上から、紙の小皿に取り分けて全員の前へ。

「アラ汁も行くわよ」

 使い捨ての丼に、ざぁっと、なみなみとよそう。環がねぎとって丸めた、ごろごろと不揃いのつみれが入っていて、その他には栞の切ったいちょう切りのにんじんや、大根などが入っている。

「合わせ味噌かな」

「うちの味は白味噌。君は覚えなくていいからね?」

「いやべつに覚える必要ってなくねぇ?」

「そうですね。私達は、地元の味を大切にしないとです」

 うんうん、と。栞は深く頷きながら言った。

「でも、こうやって自分の釣った魚を食べるって、あたしたち初めてじゃない?」

「確かに。跳魚では逃がすのが常識だからな」

「あら光栄。うちのカサネサクラが初めてなのね。美味しいを約束するわ。あと」

「あと?」

「今日のMVPたちに、おかしらをプレゼント。いる?」

 お玉にすくったカサネサクラの頭を見せる。巨大なそれは、どうにもお椀には入りそうにない。どん、と乗っかって、天を仰ぎそうだった。

「いやぁ……見栄えが悪くねぇ?」

「スターゲイジーつみれ汁か」

「美味しいのは分かるけど……」

「頬肉とか絶品なのに」

「いや、見た目の問題じゃない?」

「ぎょろっとしてるのと、目が合うのは、ちょっと……」

「それがダメで魚が嫌いな子がいるもんねぇ。しょうがないか……」

 すぅっと、鍋の中へ戻してく。

「これは今晩の、お姉さんのお酒の肴になりました」

「飲みすぎないでよ、姉さん」

「大丈夫、チューハイ一本しか持ってきてないもの」

「いつもベロベロになるじゃん……」

 どうにも酒には弱いらしい。

 意外な一面を知りながら、改めて、ふたつの料理を前にする。

「それじゃ、手を合わせて……」

「いただきまーす」

 小学生らしく、学校給食のように。お互いの、いただきます、の声が重なる。

「んじゃ、まずは杉板焼きかな」

「僕も始めは杉板にしようか。胡椒がきいて、パンチがありそうだ」

「私はつみれをもらいます」

「やっぱ自分で切ったのとか気になるしねー。あたしは杉板」

「なら、ボクはつみれだね」

 それぞれ、思い思いに料理へと手を伸ばす。

 晴は紙皿を持ち上げて、杉板焼きの身へすっと箸を差し込んだ。柔らかい身に、箸がすっと差し込まれた途端、ふわっと蒸気が上がる。ふっくらと仕上がって、それでいて、溶けた脂がまるで滝のように溢れ出てくる。確かに油が強いようだ。一番好きなハラスの部分を口に含めれば、じゅわぁっと甘い脂が舌いっぱいに広がってくる。

「……うまいっ」

 味が濃く、ともすればしつこい味にもなりそうなくらいの脂を、レモンの酸味が中和して、胡椒の辛味が引き締める。

「世間じゃ天然物をありがたがるけれど、脂のノリを考えたら、やっぱり養殖には敵わないわ。脂を少なく、身を引き締めたければそういう環境で育ててしまえばいいけれど、そうはしない。だって脂が乗っていたほうが、圧倒的に美味しいって、買う人はみんなそう思っているから」

「なるほどなー」

 次はアラ汁だ。こっちにもたくさんの脂が浮かんでいる。あるいは肉でも入れたかと思うほどだ。だが、肉と違ってサラサラとした脂はちっともしつこくなくて、やはり、美味かった。

「……お姉さんの最後の授業だけど。君たちは、ブルーギル、どうして入ってきたか知ってる?」

 しみじみと、霞は問いかける。

「食用だな」

 すぐさま答えたのは、怜だ。ブルーギルの釣りを研究するときに、調べたのだろう。

「当時皇太子だった上皇様が、シカゴ市長からだったか、食用にと送られたのが最初だったはずだ。戦後の日本で、繁殖力が強いタンパク質源として、最初は一部で研究されていたが……上皇様に送られた魚だから、自治体や釣り人が、良かれと思って放流したとされている」

「詳しいわね。その通り」

「アレ食えんの?」

「アメリカではパンフィッシュと呼ばれて、フライパンに収まる魚として有名だ。身は淡白でクセがないが……いかんせん、小さく小骨が多い、手間がかかるという理由で食卓には登らなかった」

「ブラックバスだってそう。こっちはゲームフィッシュとして、もだけど」

「うまいの?」

「ハルの基準はそれしかないの?」

「スズキ科だから不味くはないな。きれいな水でなければ、泥臭くて食用には向かないが」

「アメリカだとフライで釣れる人気のゲームフィッシュですね」

「ほーん」

「そしてヘラブナの放流よ」

「あれは美味しくなさそうだよな」

「琵琶湖周辺では食用だ。あらいにふなずし、ふなこくとかな」

「実はヘラブナも食用に品種改良されたものだけど……こっちはゲームフィッシュとして人気だから放流されたのよ。その稚魚に紛れ込んで、爆発的に広がったわ。他には、ブラックバスのエサとして放流されたりね」

「だからセットで釣れるのか……」

 釣り人の肌感覚で、その三種は同じ場所でできるとは思っていた。

 歴史までは、知らなかった。

「ブルーギルも、ブラックバスも、ヘラブナも。最初は善意。日本を豊かにしよう、っていう情熱が始まりなの。それが、今の侵略的外来種。悲しいわね。もしかしたらカサネサクラも、そう呼ばれてしまうかもしれないわ」

「……」

「美味しかったでしょ? カサネサクラ」

「うん」

「だから、大丈夫。いまのところはね」

 市場は冷たい。

 不味いなら誰も買わない。

 だからーー美味しいものを作る必要がある。

「……さぁーてと。お姉さん疲れちゃったし、ちょっとお酒、飲んじゃおっかなー!」

「姉さん」

 しんみりした空気を吹き飛ばそうと、わざとおどけるように背伸びをした。

「飲んだら、寝ちゃうんだから。まずは後片付けしないと……」

「少しぐらいいいじゃない?」

「じゃあ……すこし、片付けのお手伝い、します?」

「あら、いいの?」

「ごはん作ってくれたり、魚も捌いてくれたしねぇ。恩返しくらいしないとあたし怒られちゃう」

「ハルなんか、ここで食べなければおにぎりのひとつも買えないからな」

「バカ、おにぎりくらい買えるわ」

「ジュースで消えるんじゃないか?」

「……ジュースでも腹は膨れるからなっ」

「ダメですよ、ハルくん……」

「いや片付けしないとは言ってなくねぇ!?」

「私は無駄遣いのほうを言ってます」

「ぐぅ……」

「まぁ、片付けの前に、だ」

 いまだ山盛りの料理を指差し、

「まずは食べて片付けないとな」

「釣れすぎるのも考えもんだな」

 これは釣りの腕を恨むべきか、誇るべきか……悩ましい問題だ。

「でも、こうやって釣りをして、わいわいご飯を囲むのも、悪くないですね」

「ボクも、こんなに大人数で釣りをして、ご飯を食べるのは、初めてかも」

「またやりてぇなー」

「まだ四月じゃん。チャンスはたくさんあるよ、きっとね」

「ああ、もうじき藤の花が咲く。咲けば渓魚の最盛期だ」

「その後はみくまり祭りもあるしな!」

「はは、気が早くない?」

「そんなもんだろ。四月はな」

 きっと、楽しい一年になるだろう。

 赤金川に咲いた一足早いサクラに、最高の予感がする。そんな、心の踊る日だった。




※この作品はフィクションです。名称もだいたいフィクションですが偶然一致することがあります。
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