「やっぱ時期が悪いのかぁ……?」
小学校の昼休み。生徒に寄ってはグラウンドでサッカーや、ドッジボールに勤しむ時間である。だが、いつもの四人は図書室にいた。
魚の図鑑や、何十年と前に発刊されたものではあるが、釣りのハウツー本が蔵書にあるからだ。特に釣りの本は、ある意味で彼らのバイブルでもある。それがタダで読み放題だし、騒がしくしなければ、多少おしゃべりしても大丈夫だ。なにせここは小学校である。廊下で走り回る生徒の声で、多少の話し声など気にならないからだ。
「昨日は一匹も釣れませんでした……」
「まぁー、暦の上じゃあ春だけど。気温は、ほとんど冬みたいなもんだしねぇ」
「俺もレンみたく番ギル釣ってみたかったなあー」
「そうはいうが、僕もあれきり釣れなかったからね」
「結局釣れてたのは、ナギサちゃんだけでしたね」
「エサは卑怯だろうよー」
「いうてあたしも変なエサで釣ってたじゃん。言われる筋合いはなくない?」
「ひもグミなんてワームみたいなものだろう」
「根掛かりしても安心だな、食えるんだし」
釣り場のごみ問題、という意味では画期的なエサかもしれない、と冗談めかして言う。釣り人の間では、木の枝や水底の石や草などに針が引っかかり、釣り場にラインやルアーが取り残されるため起こるものだ。
「その点、フライはいいですよ? 針はともかく、絹の糸、鳥の羽、動物の毛……ぜんぶ自然にあるものですから」
そうした事情から、フライフィッシングは環境負荷が低いとされている。
しかしフライ人口は少ない。
なぜならルアー販売で食っているようなほとんどの釣具屋では儲からないからである。店で売らないから人口が減っていく悪循環だ。
「しかしまぁ……せっかく買ったというのに鱗付けもできないのは少しばかり切ないか」
「冬でも釣れるところ、ないかなー?」
「暦の上では春なんだけどなー」
うーん、と頭を悩ませーーふと、ひらめきが走る。
『今のフィッシング業界でのトラウトは、ネイティブより養殖、自然渓流より管理釣り場が主体なんだぞ?』
霞のムカつくドヤ顔と共に再生されたあの日の言葉。
「管理釣り場……」
「ん、管釣りか? 確かに釣れるだろうが……近くにあったか?」
「鯉の釣り堀なら知ってるよ。隣の地区でやってるじゃん、
「僕もそこか、あるいは少年自然の家近くのへらぶなの釣り堀しか知らない」
「県境に向かう途中でニジマスの釣り堀が……いやあそこはエサ専門か」
「そもそも遠いだろう、何で行くつもりだ?」
「遠くていいなら隣の県に、ニジマスでフライとルアーができるところがありますね。エサはダメですけど……」
「いやあたしべつにエサ専門ってわけじゃないから。気にしなくてもいいよ?」
「そもそもゴリラじゃ繊細なルアー操作は無理だろ」
「あんだと?」
「まぁまあナギサちゃん……」
うーん、うーんと頭を捻り、そうして到達した答えはーー
「ーーカスねぇ! 近くで管釣りできるとこ教えて!」
餅は餅屋、釣りのことなら釣具屋に聞くことであった。
「こらこらキッズー。お姉さんは今、仕事中だぞ?」
「でも暇そうじゃん」
平日の午後、多くの大人はまだ仕事中という時間帯だ。客など、へらぶな関係を見に来た老人か、ヒマな大学生が海釣り関係に数人いる程度、である。
「もうすぐ仕事帰りの大人たちが来るんだよ。それの準備ってものがあるのさ、
まぁーキッズにはわからないか、このレベルの話は」
「じゃあ実際、なにやってんの?」
「掃除しているふりをしているのさ」
「サボってんじゃん。店長に言ったろ」
「おーけい分かったキッズ、何を知りたいんだい?」
「さっき言ったろ」
記憶力がないのか? とうろんな目で見る。
「管釣りねぇ……ヤマメだのイワナだの、キッズはほんとうにトラウト系が好きだねー」
「僕はバス釣りのほうが好きだが」
「外来種の法律改正の煽りを受けて、バスは縮小傾向なんだよねぇ。ほら、テレビで見たこと無い? ザリガニ飼育に許可が必要になるって」
「そんなことも、言っていたような……?」
「そんなところにトラウトだ。低水温でも活性があるからねぇ。サーモンと一緒で養殖技術が確立されているのも大きいんだよねー。ブラックバスは国の許可がいるしー」
「そーなのか?」
「そうらしいな」
「ほーん」
「トラウトコーナーに管釣り向けの商品、たくさん並べてあるから見てみるといいよー。初心者向けのお助けルアーとか、あれめっちゃ釣れるんで楽しいんだ。じゃ、お姉さんは仕事に戻るから……」
「いや待てよ」
管釣りの話を聞きに来たというのに、それを少しも話さず仕事という名のサボりに戻ろうとする霞を呼び止めた。
「ちっ、気づかれたか」
「当たり前だろ、管釣りの情報を聞きに来たんだから」
「管釣りねぇ……」
霞は面倒くさそうに眉根を寄せた。
「ぶっちゃけ管釣りって、安鎮川に比べたら大物を狙うところってだけで、魚が釣りたいだけなら安鎮川で十分だよ?」
「でもカスねぇ言ってたじゃん。時代はネイティブより管釣りだって」
「だってお姉ちゃん、よその出身だもの。そりゃよその基準になるよ」
「そうなの?」
「てかこの辺でトラウト系の管釣りがないのって安鎮川のせいだからね」
「そうなの!?」
「そこらの管釣りより魚影が濃いって、上がったりだって商売」
「すげぇんだな、安鎮川……」
「立地もいいしねぇ」
彼女は腕を組んでうんうんと唸る。
「まず魚を捕食する鳥が寄り付きづらいんだよねー、あれ管理している林業組合の人の腕がいいのかな、いい具合に木が防鳥ネット代わりになってるのよ。管釣りの泣き所って、鳥よけなんだよ。天然の川を利用したストリームタイプなんか特にそう。カワウが飛んできて魚を食べちゃう」
「ほぇー……」
身近にあれば、案外、そのすごさはわからないものだ。
「そこへ来ての釣り人よ。特にフライフィッシャー。根こそぎ釣ってくやついるからねー。もはや漁なのよ。管釣り、エリアトラウトはだいたいのところで持ち帰り可だから。おまえそんなに食えんやろって数持ち帰るやついるからねー」
「まぁ、フライは釣れますからね……」
「安鎮川で満足できないんだったら、放流区間に足を伸ばすのが一番だとお姉さんは思うなー」
「放流区間?」
「そー」
霞は、棚の上の方を指差す。
そこにはコーナー名もさることながら、釣りの仕掛けなどの情報が書かれたポスターが貼られている。そのうちの一角に、釣り場情報があった。
「君等が自転車で行ける距離だと、隣の市ぐらいまでじゃない? そーするとー、あそこ。遊漁券が必要になるけど本流域だし、けっこう頻繁に放流する予定だから大物がかかって楽しいよー」
川の名前は、
それこそ彼らでも名前くらいは聞いたことがある県内有数の一級河川だ。
だが、そこはーー
「魚のいない川じゃないか」
「そうだねぇ」
地元ではとても有名な話だ。
そこはかつて銅山として栄えた町で、今では鉱山労働者向けに掘られた温泉が有名になった場所である。銅が掘れたことからその名がついた、
見ようによっては地獄を流れる川にも見えて、不気味さすら感じさせる場所だ。
「そこで試験放流が始まったの、今年からだから。キッズは知らなくて当然だよねぇ」
あれ、最新情報。と、こともなげに霞は答えた。
「キッズは知ってるかな? かつてコイが、水質浄化につながると信じられて、放流されていた話を」
「……すこしだけ、聞いたことはあります」
答えたのは、栞だ。
「どうなったと思う?」
「結果として……コイしか住まなくなりました」
ある本にはこう書かれている。
コイはヘドロをエサとするため、汚れた水の浄化につながる、と。
実際のところは強い雑食性で、水底の泥を巻き上げるなどして水を濁らせ、自分たちしか住めない環境にしてしまう……あまり知られてはいないが、生態系を大きく乱す要注意外来生物の一種である。
「でも、大人はなんて言ったと思う?」
「……魚が住めるくらい、きれいになりました」
「そういうことなのだよ、キッズ」
厳しいようだが、実は放流に意味はほとんど無いとする研究者がいる。川にも酸素溶解度というものがあり、魚が住める数には限界がある。増え過ぎれば酸欠によって死んでしまうのだ。完全に無意味とは言わないが、少なくとも考えなしに行えるようなことでもない。
「知られてないけど、安鎮川は奇跡の川だよ」
何百年と続けられてきた跳魚の里帰りは、管釣りと見間違うほどの魚影の濃さを生み出した。だからといって、それは他の川で行えるようなことではない。
「まー、釣り人としては楽しむのが一番だよキッズー。釣ったら楽しい。楽しいからまた来よう。また来たときも釣れるように、きれいにしよう。きれいにしたから、魚が増えてきた……そういう流れを作るのがお姉さんたちなのよー?」
うさんくさい笑みを浮かべながら、そう、話を締める。
「ちなみにうちでは赤金川漁協の年券も取り扱ってるよー。年券ならたったの七千円、現場での日券だと千円だから、なんと週一で通えば二ヶ月で元が取れちゃう。うわ、おっとくー!」
「金儲けしか考えていないのか」
「やっぱカスねぇってカスだわ」
「まー気分良くは買えないよね。そんな外来種の話しといてさぁー」
「なんていうか、言外に釣り尽くして来いって、言ってるようなものでしたよね……?」
「小賢しいキッズどもめ。ここはお姉さんの話に心打たれて、年券を買っちゃうながれだろうに。釣り尽くすために毎日通って、ルアーロストしまくってお姉ちゃーんって泣きつくところだろー?」
「釣り尽くせるわけねーだろばーか。いないことを証明しろって、そういうの、悪魔の証明ていうんだぞカスねぇ」
「やっぱりお姉ちゃん、君のこと嫌いだわ。キッズはもっとうんことちんこで喜ぶ無知さと無邪気さがないと」
「いや、うんことちんこで笑うだろ?」
「大人になるとうんことちんこじゃ喜べないんだよ。いや、ちんこでは喜ぶか」
「ド下ネタをかますなカス姉さん」
「そんなんだからカスねえって呼ばれるんだぞ」
「カスねえって彼氏いないっしょ?」
「いそうには見えませんものね……」
「ええい、黙れ黙れキッズども。冷やかしなら帰ってくれたまへ」
しっし、と追い払うように手を振った。
「ちぇ。なんだよ、せっかく年券買ってやろうと思ったのに」
「キッズー。お姉ちゃんは信じてたよ、ふぅ〜!」
「ベアリングでも装備しているのか、というくらい滑らかな掌返しだな」
「お姉ちゃんの手首には十個以上のベアリングが入っているのさ」
「高級リールかよ」
呆れてものも言えない、と。ため息を一つついた。