分身スキルの最強戦術って自爆特攻じゃね?   作:sasarax

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第57話  お兄様

 翌日の午前。

 

 アパートの前で待ち合わせをしていたカインズさんに、俺は昨日の帰り道で出会った三人組のことを相談してみた。

 

「そのイライザという女性のことは知りませんが、馬鹿皇子と呼ばれていた人物とその従者らしき男については心あたりがありますね」

 

 話を聞いたカインズさんは、思案気な顔になって教えてくれた。

 

「ユーヴェイン皇子とオルドリンド侯爵家の嫡子レオンハルト。帝国の第一皇子と乳兄弟でもある、その右腕ですね」

 

「帝国の皇子。なんでまた、そんな奴らが王国の街に。たしかこの国と帝国って敵対してるんですよね?」

 

「二、三年に一度、小競り合いを繰り返す間柄です。二十年ほど前、先代の皇帝の時代には大きな戦争もありましたね。ただそれ自体は痛み分けで終わっていますし、国交も断絶しているわけではありません。理由まではわかりませんが、外交で王国に来ている可能性は否定できませんよ」

 

「外交ですか。第一皇子ってことは、ユーヴェインは次期皇帝ってことですよね? そんな大事な人間を敵国に行かせたりします?」

 

「そこが少し特殊なのですが、ユーヴェイン皇子は第一皇子であって第一位皇位継承者ではありません。今、第一位皇位継承権を持っているのは、第二皇子マクシミリアンです」

 

「えっと、母親が側妃だからとかって理由ですか?」

 

「いいえ。逆にユーヴェイン皇子を生んだのが正妃で、マクシミリアン皇子を生んだのが側妃ですよ」

 

「理由がわからないんですけど。普通に考えたら、正妃の生んだ長男が次の皇帝ですよね? よっぽど人格か能力に問題があるとかですか? でも継承権二位ってことは、そこまで問題があるわけでもないのか」

 

「ユーヴェイン皇子の問題点は大きくはひとつだけです。それさえなければ、順当に彼が次期皇帝になっていたことでしょう」

 

「問題点?」

 

「スキルを持っていないことです」

 

「ああ、なるほど」

 

 スキルを持っていないなんて普通のことだ。なにせスキル所有者はとても珍しい。いくらスキル所有者が生まれることの多い貴族王族であっても、そんなピンポイントで後継者が持っているはずがない。

 

 それは帝国以外の話であり、常識だ。

 

 現皇帝は『種馬』スキルの持ち主。その子供たちはなんと、八割以上がスキル持ちなのだという。そのうち半分以上が有用なスキル持ちだというのだから、げに恐ろしきは優秀な母体を見繕える種馬スキルの力だ。

 

 どうやら第一皇子様は、正妃の長子という生まれだったのに、そんな高確率のガチャ抽選にもれてしまったらしい。

 

 いや、正妃だからか。政治的な意味合いで結婚しなけれならなかった相手。つまりは皇帝が直接選んだ相手というわけではないのだから。

 

「今の皇帝は極端な実力主義者です。長子であっても、皇帝にふさわしくないと判断したら順位の変動が起こります。といっても、歴史などを鑑みて長子にこそという周囲の人間は多いようですから、派閥という意味では彼が最大規模のようです」

 

「それでも第二皇子の方が継承権が上ってことは」

 

「それだけ第二皇子が優秀ということです。もちろん、スキルも含めてね」

 

 そこからカインズさんは、今の帝国の皇位継承戦について軽く解説してくれた。

 

 最大派閥の第一皇子ユーヴェインと、現皇帝からの期待値が一番高い第二皇子マクシミリアン。人気の高いこの二人を中心に、五十人を超える皇子皇女らが継承戦を行っているという。

 

 しかも皇帝は、そんな子供たちの争いを激化させるように、半年に一度、城に巨大な掲示板を用意し、皇位継承権の順位と変動を民衆に向けて発表しているそうだ。

 

 初夏に発表されたときの順位の上位三名が、以下のとおりだという。

 

 一位 第二皇子マクシミリアン

 二位 第一皇子ユーヴェイン

 三位 第三皇女ナターリア

 

 四位以下はそのまま四位が第四皇子、五位が第五皇子と、順当な順位が続いているらしい。皇女が継承争いに食い込んでくることはかなり少ないようなので、第三位のナターリアがどれだけ優秀かがわかるというものだった。

 

 とはいえ、毎回のように順位が変動している一位と二位の二人がハナ差だとしたら、三位のナターリアとの間には三馬身くらい差がついているという。それ以下については、考慮に値しない大差なのだとか。競馬かな。

 

 実際に皇帝からしたら、子供たちの争いは競馬感覚なのだろう。帝国の今後を左右する、一世一代の大舞台で競わせているのだ。

 

 無論、すべての皇子皇女らが積極的に継承戦に参加しているわけではない。

 

 スキルを持たない者や、持っていたとしても末端の皇子皇女らは言うに及ばず、高位の生まれであり、判別系スキルの中でも最優とされる『鑑定』スキルまで持って生まれてきた第三皇子も、すでに継承権を放棄しているらしい。

 

 もっとも第三皇子の場合は、スキルが便利過ぎて馬車馬のように年中無休で働かされた結果、皇位継承権を返上するので長期休暇をください、それが無理ならせめて月に一度はお休みをください、と泣いて訴え出るまで追い詰められたことが放棄の理由らしいが。

 

 いろんな意味で、帝国の皇子皇女らは大変なようだった。

 

 この説明を聞くかぎり、第一皇子ユーヴェインが外交目的で街を訪れているとはなかなか考えにくかった。

 

 むしろ逆で、弟に抜かされた継承権を上げるために、敵国に単身乗り込んでなにか工作をしているのではないかと疑ってしまう。

 

「ゼルクト伯爵に報告した方がいいですかね?」

 

「どうでしょう。市井の我々が知らないだけで、伯爵が滞在を把握している可能性はありますし。その場合は、下手に見かけたなんて言わない方がいいでしょうから」

 

「変に騒ぎ立てない方がいいってことですか」

 

「ええ。頭の片隅に置いておくくらいでよろしいかと」

 

 帝国の皇子と聞いて気にはなってしまうのだが、俺としては彼よりも、イライザと呼ばれた女性の方が気になっていた。

 

 感覚としては、ベルフェゴルと遭遇したときに似ている。

 彼女はあいつと同じ目をしていた。誰かを憎み呪い殺すことに慣れた、そんな妖しくも濁った瞳だった。

 

 その眼差しはまっすぐ俺を射抜いて、俺のなにかを見抜いていた。理由は上手く説明できないが、まるで秘密を暴かれたような不安が身体を焦がすのだ。

 

「俺的には、平和的な目的でやってきたようには見えませんでした。特に、そのイライザっていう女が」

 

「そこまでおっしゃられるのなら、私の方で軽く調査をしておきましょう。なにかわかったらお伝えしますよ」

 

「すみません。変なことを頼んでしまって」

 

「構いません。本業の一環でもありますからね」

 

 カインズさんは帽子を深くかぶる仕草をすると、いつもの表情に戻した。

 

「そしてこちらは副業の話になるのですが、ドライさん。奴隷の購入の件ですが、いかがされますか?」

 

「……代替手段は見つかりませんでした」

 

 俺も気持ちを切り替え、昨夜出した結論を述べた。

 

「奴隷を買いましょう」

 

「わかりました。では商館に向かいましょうか」

 

 奴隷商館は街の大通りに、堂々と構えられていた。

 

 カインズさんの先導に従って足を踏み入れれば、装飾華美なエントランスに出る。正面の受付カウンターでは、ギルドの受付嬢のような綺麗な服に髪を整えた女性が、笑顔で出迎えてくれた。

 

「ようこそ。本日はどのようなご用件でしょうか?」

 

「奴隷の購入で来ました」

 

 ためらいを察してくれているのか、カインズさんが受付対応をしてくれる。

 

「条件は簡単な細工仕事ができること。年齢性別は問いませんが、安ければ安い方が助かりますね」

 

「かしこまりました。教育の度合いにご希望はございませんか?」

 

「希望はありません。また主人となるのは私ではなくこの子になりますので、そこも配慮をお願いします」

 

「お子様との契約をご希望ですね。では、お子様にもいくつかご質問をさせてください」

 

 受付嬢さんの視線が俺に向く。やや困ったように眉を顰められた。

 

「男です」

 

 この反応をされることはよくあるので、俺は先んじてそう伝えておいた。受付嬢さんは謝罪するように頭を下げたあと、改めて質問を開始した。

 

「ではお客様。ご年齢をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 

「九歳ですけど、一か月後には十歳です」

 

「お求めの奴隷は年齢が近しい方がよろしいでしょうか?」

 

「あー、ちゃんと言うことを聞いてくれるかっていう心配もあるし、やっぱり近い方がいいですね」

 

「ありがとうございます。では最後の質問になりますが」

 

 平然とした顔で受付嬢さんが聞いてくる。

 

「性的な奉仕はご希望でしょうか?」

 

「不要で」

 

 やめろ! そんなことを聞かないでくれ! やるせない気持ちになっちゃうよ!

 

「かしこまりました。では商談用のお部屋にご案内させていただきますので、準備が整うまでそちらでお待ちください」

 

 俺は頷いて、カインズさんと共に案内の従業員についていく。

 

 商談用の部屋はかなり広く、丸いテーブルと大きめのソファが用意されていた。

 

 ソファにカインズさんと並んで腰かける。クッション性がかなりよい。エントランスもそうだったし、奴隷商って儲かるみたいだな。

 

「ドライさん。先ほどの受付での質問ですが、私に遠慮していたらそう言ってくださいね? 十歳くらいでそういう奴隷を買うのは、富裕層ではよくあることなので恥ずかしがる必要はありません。あ、もしあれでしたら、奴隷を吟味している間、私は別室に待機していましょうか?」

 

「変な配慮をしないでください。本当にそういうのはいいです」

 

 簡単にそういう目的で買えるなら、俺はさっさとセリカ相手に卒業してるよ。

 

「ドライさんはアインさんとは違って、女性にはあまり興味がないんですね」

 

「えっ? あいつ、女漁りでもしてるんですか?」

 

 そいつは聞き捨てならないな。フィーネが近くにいるにも関わらず、他の女に現を抜かすとか、俺の風上にも置けないんだけど。

 

「ああいえ、フィーネさんと仲がとてもよろしいので」

 

「ふむ。相手はフィーネでしたか」

 

 ならば許そう。

 

「ちなみに、あの二人ってどこまで進展してるんですか?」

 

「友達以上恋人未満って感じでしょうか。フィーネさんからの大好きアピールは見ていてわかりやすいのですが、アインさんは少し読めないところがありますので。それでも迫られてまんざらでもない顔をしているので、最終的にくっつくのは間違いないでしょう」

 

 なんだろう? 自分のことを客観的に聞かされるのって、なんかむずむずする。

 

「あとフィーネさんは最近思春期のようでして。皇帝のタリスマンを購入したりと、そういったことに興味津々のお年頃のようです」

 

「うぇっ!? 前に言ってた俺と同い年くらいの強い女の子ってフィーネのことだったんですか!?」

 

「はい。ただ、フィーネさんは皇帝のタリスマンの造形にピンとこなかったようでして。実際にこの目で見たわけではないのですが、アインさんに見せびらかしてドン引きされたらしく」

 

 あれを!? 見せびらかす!? お守りとはいえ、普通はこっそり家の引き出しとかにしまっておくものだよ!

 

 それはさすがにフィーネ相手でも反応に困るわ。いや、むしろフィーネだからこそか。あれを買っちゃったとか言われて見せられたら、なにに使う奴なんですかねという感想しか思い浮かばないだろうな。

 

「そこから彼女にはちゃんとした性教育が必要だという話になり、アルフィリア様が挙手したことで色々と、まあ、あったようですね」

 

 そこからあの手紙の内容につながるわけね。

 

 う~ん。子宝に恵まれるにはそういう行為は避けられないわけで、そこにつながったという意味ではタリスマンの効果があったということなのだろうか?

 

 ていうか。

 

「他人事みたいに言ってますけど、フィーネに売ったのってカインズさんですよね?」

 

「いやぁ、まさかあの勢いで買われて、実際の行為について知らないとは思っておらず。……すごく怒られて減給されました」

 

「妥当」

 

 まさに妥当でしかないよ。フィーネが新しく心の傷を作ってなければいいのだが。

 

「そんな感じで、アインさんはフィーネさんと仲良しですからね。ツヴァイさんはセリカさんと仲良しでしょう? となれば、ドライさんとしてもお相手が欲しいのではと思いましてね」

 

「興味がないわけじゃないんですけど」

 

「ふむ。もしや伯爵様を紹介してくれた先輩とやらに懸想しているとか?」

 

「システィー先輩? ないない」

 

 たしかに見てくれは可愛いし、性格に難はあるけど優しいところもある。領主様の騎士でもあるし優良物件といえるだろう。

 

 けどなんていうか、フィーネやセリカみたいに女性相手としては見られないんだよな。意地悪な先輩。あるいは悪友。そんな感じのイメージがあまりにも強すぎる。

 

 あと自分でいうのもなんだけど、俺って好きになるより好かれたいタイプなんだよな。俺に優しくしてくれる人を俺も好きになってしまうというか。

 

 セリカも最初はシスティー先輩みたいな印象が強かったけど、今はほら、良くも悪くも俺のことが大好きになっちゃったから。それでこちらも女性として意識しちゃってるところは正直あるな。

 

「向こうもからかい甲斐のある後輩としか思ってないでしょうし、そういう関係に発展することはありませんよ」

 

「ではやはり、ここは練習も兼ねて可愛らしい女奴隷にしておきましょうか」

 

「だからってそこに戻らないでくださいよ」

 

「近くに置いておくなら、むさくるしい男よりも女性の方がよいのでは?」

 

「……否定はしませんけど」

 

「あと純粋に、君に近しい年齢なら女奴隷の方が安いです」

 

「納得せざるを得ない理由をありがとうございます」

 

 ほな女奴隷にしておこうか。

 

 そんな俺の心の動きを察したわけじゃないだろうが、店員が連れてきたのは、俺と同い年か少し年上の女奴隷ばかりだった。

 

 足枷をつけ、昔の俺が着ていたような貫頭衣を身に着けた五人の少女たちが、俺とカインズさんの前に並べられる。

 

 直立不動の状態で陳列された彼女たちは、俺たちを不安そうな眼差しで見ていた。昨日、孤児院の子供たちを見たあとだからか、明らかに栄養状態が悪いそのやせ細った姿に心を痛めてしまう。

 

 特に一番最後に入って来た少女。可哀そうなくらいガリガリだ。

 

 ぼさぼさの長い髪は地毛が淡い色なのもあるのだろうが、灰をかぶったかのように汚らしく、足元を見つめる目には光がなかった。

 

「こちらがお客様にオススメする商品でございます。安ければ安いほどいいとおっしゃられていたので、うちの最安奴隷もご用意させていただきました」

 

 店員がそう言って手で指し示したのは、他の奴隷と見比べてもボロボロな灰被りの少女だった。

 

「衛生状態があまりよくなくて申し訳ありません。今朝、他の街より届いたばかりの商品でして。もし目障りということなら退室させますが?」

 

「そうですね。ドライさん、どうしましょうか?」

 

 カインズさんはさすがにないなという眼差しで彼女を一瞥したあと、こっそりと耳元で囁いてくる。

 

「高めの奴隷を買わせようとする交渉術ですね。ここで下がらせると、最安値の奴隷は案内してくれなくなります」

 

「……一応、残しておいてください」

 

「かしこまりました。では、近い場所の奴隷からご紹介させていただきますね」

 

 店員が端から説明をしていく。

 

 一番の年齢がどうこう。二番の健康状態がどうこう。三番の奴隷になった経緯がどうこう。四番の性経験がどうこう。五番は教育がまだされていないのでオススメできませんどうこう。

 

 名前ではなく番号で人が呼ばれ、少女たちもそれを当たり前のこととして受け止めていた。

 

 嫌な気分だった。昔を思い出す。カインズさんと雑談していて行けるかと思ったが、やっぱり俺にはこの場所はダメだったらしい。

 

 いや、それでも買わないとなんだけどさ。

 

「では簡単に自己紹介をさせますので。ああお前たち、主人となられるのはお子様の方だから間違えないようにな」

 

 ひととおりの説明のあと、店員がそう促した。

 

 相手が俺、というところで少女たちの顔色が少し明るくなる。

 

「ちなみに男性ですので、そこも間違えないようにするんだぞ」

 

 しかしそう付け足されると、五人のうち三人が表情を曇らせた。一人はなんか嬉しそうなままで、最後の一人は最初から最後まで無反応で足元を見つめたままだった。頭がふらふらと揺れているし、気分でも悪いんじゃないか?

 

 そのあと、端から順番にアピールをされる。

 

 基本的には真面目に働きますので買ってくださいというアピール。喜色を浮かべていた女の子は、それに加えて色々と性的にいけますとがっつりアピールされた。君のそのたくましさはなんなんだ。性的云々は置いておいて、第一候補にするしかないんだけど。

 

「では五番、自己紹介を」

 

「…………」

 

「五番? おい、聞こえてないのか!?」

 

「聞こえて、ます」

 

 店員が声を荒げると、五番と呼ばれた灰被りの少女がか細い声を返し、初めて顔を上げた。

 

 薄汚れた顔が、俺とカインズさんの方を向く。

 

「……力は、弱いです。身体も、丈夫ではないです。買っていただけるなら、真面目に働きます」

 

 どこか投げやりで、飾り気のない言葉だった。

 声自体に抑揚もなく、眼差しと一緒でどこまでも無感動だ。

 

 買ってほしくないというよりも、どうせ買われるわけがない、自分が選ばれるわけがない、そんな態度だった。

 

 店員が顔をしかめるが、それすらも気にした素振りはなく、また足元に視線を落とそうとして。

 

 ふと、その視線が俺と合った。

 

 伏目がちだった瞳が大きく見開かれ、俺の姿を映す。

 

 綺麗な、紫色の瞳だった。

 

「あの!」

 

 突然、少女が大きな声をあげる。

 

「あの、あなたはわたしのお姉様ですか!?」

 

 さらにそう叫んで、俺に向かって近づこうとしてきた。

 

「五番! なにをしてるんだ!」

 

 店員が慌てて押しとどめようとするが、彼女はするりとその腕を避けて、すぐ目の前まで詰め寄ってくる。

 

 俺の瞳を穴が空くほど見つめてきたかと思うと、彼女はおもむろに自分の口に指を突っ込んだ。

 

「おえぇえ」

 

「五番! なんてことを!」

 

 身体を丸めるようにして嘔吐する少女に、店員はパニック寸前だった。

 

「誰か! 誰か来てくれ! 奴隷がお客様に大変な粗相を!」

 

 店員が大きな声で叫び、救援を求める。

 

「大丈夫か?」

 

 俺は少女に声をかけて手を差し出した。

 

 やはり気分が悪かったのだろうか。だからって自分で吐こうとしなくても。

 

 少女は何度か喉を蠕動させたあと、生理的に出た涙の浮かんだ顔をあげて、手に持ったそれを差し出した俺の手のひらの上に乗せた。

 

「やっぱり、お姉様だ」

 

 胃液に塗れた、親指の先ほどのビー玉みたいな小さな水晶玉。どうやら彼女はそれを体内に隠していたらしい。俺の手のひらの上で、その水晶玉は淡く輝きを放っていた。

 

「見て。見て。わたしもね、同じなの」

 

 少女は目を見張る俺の手から水晶玉をつまみあげ、自分の手のひらの上に乗せた。

 

 引きつるような笑みを浮かべた少女の手の中で、それはより鮮烈な光を放つ。よくよく見れば、光を放っているのは水晶の中に刻まれた紋章であることがわかった。

 

「これはまさか!」

 

 隣でカインズさんが驚きの声をあげる。

 

「まさかですよね」

 

 俺はある可能性に思い当たり、頬を盛大に引きつらせた。

 

「申し訳ございませんお客様! すぐにそれをどかしますので!」

 

「きゃっ!」

 

 そうこうしているうちに、部屋にやってきた何人かの店員が少女を取り押さえると、引きずるようにして俺から引き離し始めた。

 

「やめ、離して! お姉様! 助けてお姉様!」

 

 少女は涙を浮かべて、俺に向かって手を伸ばした。

 

 ああもう!

 

 俺は様々な考えを一瞬のうちに頭を巡らせて、そのあと彼女を部屋から引きずりだそうとした店員たちに声をかけた。

 

「その子を買います!」

 

 そういうしかなかった。

 

「あと俺はお姉様じゃない! お兄様だ!」

 

 そしてそれは混乱のあまり出たお兄ちゃん宣言であった。

 

 

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