分身スキルの最強戦術って自爆特攻じゃね?   作:sasarax

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第64話  噂

 システィー先輩とリリエッタの再会が叶った翌々日。俺はリリエッタを連れてシュクラ流の道場を訪れていた。

 

 今日はシスティー先輩が道場に来る予定だと聞いていたからだ。二人のためにもまた会わせてあげたかったのだが。

 

「えっ? システィー先輩、道場に来てないんですか?」

 

「そうなんだよ。今日来る予定だったんだけどね」

 

 出迎えてくれたフレデリック先生が教えてくれる。

 

「突然、任務でも入ったんですかね」

 

「かもしれないね。どうも、ついさっき貴族街で事件があったようだし」

 

「ああ、あの雷が落ちたような轟音ですか」

 

 道場までの道すがら、貴族街の方で落雷のような音が鳴り響いたのだ。実際に雷光も確認できたし、もしかしたら晴れにもかかわらず本当に雷が落ちたのかもしれない。

 

 そういえば、システィー先輩のスキルもおそらく雷関連だよな。

 

 詳細はさすがに聞けていないが、前に一瞬だけ使ったときやリリエッタの口ぶりから、そんな感じのスキルなのは間違いない。

 

「どうする? システィー君はいないが、稽古していくかい?」

 

「そうですね。リリエッタに格好いいところを見せたいですし」

 

 システィー先輩がいないと聞いて、リリエッタは少しだけ寂しそうに見えた。

 

 帰っても洗濯板を作るくらいしかやることがないし、それなら稽古をつけてもらおう。リリエッタには退屈かもしれないが、もしかしたら興味を持ってくれるかもしれないし。

 

 その後、リリエッタに応援されつつ、半日ほどフレデリック先生に直接稽古をつけてもらう。

 

 かなり上達したと褒めてもらえたが、先生には剣先をかすめることすらできなかった。

 

 前にシスティー先輩から聞いたのだが、これでフレデリック先生は元王国騎士であり、騎士団の団長候補にも挙がった傑物なのだそうだ。脳筋過ぎて気が付いたら政争に負けており、騎士団を追いやられて地方の道場主を今はやっているそうだが。

 

 しばらく汗を流したあと、道場を後にする。

 

「リリエッタ、お腹が空いただろ? なにが食べたい?」

 

「お兄様と一緒ならなんでもいいよ」

 

「おっと、一番困る返答が来ちゃったな」

 

 ならいつものようにシルフの食堂に向かおうか。

 

 馴染みの食堂の入り口を潜れば、どことなくいつもとは異なる空気感を感じた。

 

 他の飲食店よりも清潔感こそあるものの、良くも悪くも飾り気のない大衆食堂という印象が強いのがシルフの食堂だ。しかし今日はワンランク上の華やかさがあった。

 

 内装が変わっているわけではないのだが、中央の大きなテーブル席を陣取り、優雅に食事をしている男の雰囲気がそう錯覚させるのだ。

 

 庶民に比べて上等な洋服。金糸の髪は丁寧に後ろに撫でつけられ、紫色の瞳は涼やかだ。

 

 帝国の第一皇子ユーヴェイン!?

 

 再び遭遇した変態皇子を確認し、俺はすぐさまリリエッタの手を引いて踵を返そうとした。

 

「あれ?」

 

 しかし同じようにユーヴェインに気付いたリリエッタは不思議そうに小首をかしげ、懐から水晶玉を取り出そうとする。

 

「なんだかお兄様のときと同じで、証の紋が熱くなったような」

 

「リリエッタ。それは出しちゃダメだ」

 

 輝く証の紋を取り出そうとしたリリエッタの手を止める。

 

「お兄様?」

 

「いいから、それは絶対に出さないでくれ」

 

「う、うん」

 

 強い口調でそう言えば、リリエッタは証の紋を戻してくれた。

 

 あとは店を出ていくだけなのだが、入口で軽く騒いでしまったことで、食事をしていたユーヴェインが顔を上げてこちらを見た。

 

 形のよい眉が、おや、という感じに上がる。

 

 さらに彼はおもむろに席を立つと、こちらに近づいてくるではないか。

 

「ふむ」

 

 ユーヴェインは顎に手を当て、俺とリリエッタの顔を観察してくる。

 

「な、なんですか?」

 

「ん? ああ、小さくともレディを不躾に見てしまったか。謝罪はしないが、説明くらいはしてやろう。なに、簡単なことだ。どうも貴様の顔をどこかで見たことがある気がしてな」

 

 そう告げたユーヴェインの視線はリリエッタではなく、俺の方を向いていた。

 

「灰色の髪に紫の瞳、いや、色合いよりも顔立ちか。やはり見覚えがある。かなり前だったような気がするが……宮殿の肖像画だっただろうか?」

 

 まずいな。

 

 目の前の男と俺たちは血のつながりのある関係だ。兄弟親戚の誰かと俺の顔立ちが似ている可能性は普通にありうる。下手をしたら俺たちがファムファタールの子供たちであることがばれてしまうかも知れない。

 

 どうする? 逃げるか? いや、それこそ不審がられて印象に残ってしまうか。

 

「……父上の幼い頃を描いた画に似ているか?」

 

 んなわけねえだろぶっ飛ばすぞ!

 

 おっと、種馬皇帝に似ていると言われ、ついつい暴言が飛び出してしまうところだったぜ。

 

「まあよい。思い出せぬということは、そこまで関係性の深い相手ではなかったのだろう」

 

 しばし考え込んでいたユーヴェインだが、早くも切り替えたらしく席に戻っていく。

 

 ふぅ、危ないところだった。第一皇子があまり深く物事を考えないタチで助かった。

 

 あとはさっさと退散すれば。

 

「なにをしている? 貴様たちもここに食事をしに来たのだろう? 非礼な真似をした詫びもかねて、同じテーブルを囲むことを許そう。さあ、席につくがいい」

 

「お兄様? どうするの?」

 

「……断ったところで、はいそうですかと許してくるような手合いじゃないよなぁ」

 

 ユーヴェインの中で一緒に食事をすることは決定事項のようだった。

 

 俺は諦めて、リリエッタと一緒に向かい側の席に座った。

 

「ここの料理は、まさに庶民の店という感じの複雑さや深みのない料理だがな。なかなかいけるぞ。遠慮せずに好きなものを頼め。私の奢りだ」

 

「ありがとうございます。けど、お金はちゃんと持ってるんですか?」

 

 以前の全裸待機のことを思い出してそう聞けば、ユーヴェインはフッと笑って懐から一枚のコインを取り出した。

 

「抜かりはない。事前にしっかりと調べはついている。庶民は恐るべきことに、この一枚の銅貨で腹いっぱいの食事をするというではないか」

 

「銅貨」

 

「銅貨だね」

 

 なるほど、ユーヴェインが取り出したコインが金貨や銀貨であれば、お腹いっぱい食べられるという言葉に偽りはないだろう。あるいは銅貨であっても大銅貨であれば、品物によってはお腹を満たせるかも知れない。

 

 しかしながら、今ユーヴェインが自慢気に取り出したのは小粒銅貨であった。

 

 日本円にして百円相当の価値しかない、最小の貨幣だ。

 

「それ一枚で食べられるのは、豆のスープか黒パンくらいですよ」

 

「なぬ!?」

 

 ユーヴェインは瞠目し、テーブルの上の品々を眺める。

 

 肉と魚、ふっくらと焼かれたパンに具沢山のスープ。さらには酒まで。

 

 うん、大銅貨であろうとまったく足りないな。

 

「わ、私は騙されたというのか!?」

 

「それ、誰に聞いた情報なんですか?」

 

「あー、な、なななな……か、ま……の女だ」

 

 仲間と呼ぶのに大変な躊躇いがあった。恐らくはイライザと呼ばれた、あの不気味な女だろう。

 

「魔女め。まさか時間差でこのような罠を仕掛けてこようとは。元はと言えば、あやつが勝手な真似ばかりするからこの街を去らねばならぬというのに、最後の最後までこの私にこのような仕打ちを!」

 

 怒り心頭といった表情でユーヴェインは悪態をつく。

 なにがあったかは知らないが、イライザとの間で諍いがあったらしい。

 

「よくわかりませんけど、この街を出ていかれるんですか?」

 

「ん? ああ、つい半日前のことになるのだが、仲間の女が馬鹿をやらかしてな」

 

 ユーヴェインは冷たい酒で喉を潤し、愚痴を混じりに教えてくれる。

 

「まだ目的を達成できておらんというのに、お陰でこの街を去らねばならなくなってしまった。せっかく父上にアピールできる好機だと思ったのに……まったく、これはあれを制御しきれなかったオズワルドの責任だな」

 

「はあ、大変だったんですね」

 

「私の苦労を理解してくれるか、庶民の子供よ。そうなのだ。大変だったのだ」

 

 自棄になった様子でモリモリと食事を頬張りながら、ユーヴェインの口調はじょじょにヒートアップしていく。

 

「大体、お忍びだと最初から言っているのに、正体を知ってしまったかもしれん相手を故意に見逃す馬鹿がどこにいる? しかも、元々は罪のない子供だからかと私も理解を示しかけたのだが、それは違ったのだ。奴はなんと言ったと思う?」

 

「わかりません」

 

「わからぬよな? そうとも、わかるはずがない。奪ったスキルで殺せないから今は見逃すと言ったのだ。なんだそれは馬鹿なのか!? 貴様の殺しのこだわりなど知らぬわ! それだけならまだしも、代わりに口封じを買って出た我が侍従をも傷つけおってからに! あの魔女にはもう付き合いきれんと飛び出した私は悪くないはずだ!」

 

 お、おう。大声で話してるけど、これ聞いていい話なんですかね? 周りからの注目も浴びてますよ?

 

「お兄様、怖い」

 

 リリエッタもユーヴェインの剣幕に、ビクビクしながら俺の服の裾をつまんできた。

 

 なんて男だ。妹を怯えさせるとは、お兄様の風上にも置けないな。

 

 しかもやけ食いしてるし。お金、ないんだよな? また服を剥かれても知らないよ?

 

 ……仕方ないなぁ。

 

 なにがあったのかは今ひとつわからないが、もう帝国に帰ってくれる気みたいだし、このままこの男が食い逃げで捕まってそれが覆されるの方が問題だ。

 

「なるほどなるほど。すごく大変だったんですね。わかりました。ここの食事代は俺が持ちましょう」

 

「なんと」

 

 ハムスターみたいに頬に食事を詰め込んでいたユーヴェインは、俺の言葉につり上がった眉を下げた。

 

「庶民の子供とは思えぬ見上げた奉仕の心だな。よかろう。その心意気に免じて、この場はご馳走になってやろうではないか」

 

 ははっ、ぶっ飛ばしてやろうかな?

 

「それに……」

 

 ユーヴェインの視線が、怯えるリリエッタに向けられた。

 

「……貴様の妹を怯えさせてしまったみたいだな。大人げなかった。許せ」

 

 頭を下げることはなく、謝罪の言葉も口にはしなかった。けれど、それはおそらく皇子としては最大限譲歩した言葉だったのではないだろうか。

 

「変な話をしてしまったな。せっかくの食事の場だ。楽しい話で盛り上がろうではないか。おい、給仕よ。この子供たちに温かな庶民飯を届けてやってくれ」

 

「はいよ」

 

 ユーヴェインが頼んだ食事を俺とリリエッタは食べながら、ワイン片手に楽し気に話す彼の言葉に耳を傾ける。

 

 さすがにそれ以上、身分をほのめかすようなことをユーヴェインは口にしなかった。

 

 また、社交界に出ているだけあって話は巧みであった。いつの間にかリリエッタも怯えた様子をなくして、興味深そうに時折頷いている。最初は彼のことを不審そうに見ていた周りの客も、笑顔でユーヴェインの話を拝聴し始めていた。

 

「つまり私は長兄として、多くの弟と妹たちの手本にならねばならぬ立場ということだ。しかも五十人だぞ? 私でなければ、とても兄などやっていられぬであろうな」

 

「ははぁ、兄ちゃんのお父さんはすげぇがんばったんだなぁ」

 

 話半分といった顔で、隣の席のおじさんが相槌をうつ。

 

 冗談だと思っているようだが、それ本当の話ですよ。

 

「そう、我が父は偉大なのだ。私もな、それに追いつこうと必死に足掻いているところだ。であればこそ、今回の任務もやり遂げてみせたかったのだが」

 

 赤ら顔で酒臭い息を吐き、ユーヴェインは懐から一枚の羊皮紙を取り出した。

 

「一応、聞いておこうか。我が宴に参加できた幸運なる庶民たちよ、貴様らに問う。フィーネ・アルトゥールという名前に聞き覚えはないか? 十二歳の街娘であるらしいのだが」

 

「おい、知ってるか?」

 

「知らんなぁ」

 

「家名持ちってことは、代々兵士とか商人とかをやってる家系だろ? 衛兵の詰め所にでも行けばわかるんじゃないか?」

 

「生憎と、素性を隠して潜伏しているようでな。この名前をそのまま名乗っているとは考えにくい。ああ、そうだ。ズィーベンとかいう名前を名乗ってる可能性もあるそうだが」

 

「ズィーベン? 新しいプラチナ冒険者の?」

 

「そりゃ、冒険者ギルドか、任命した教会の聖女様に聞くしかないだろうよ」

 

「それができたら苦労せんわ。戯けめ」

 

「おいおい、わけありかぁ? もしかして、隠し子かなにかを探してるとかか?」

 

「そんなわけがなかろう。いや、父上のことだからこの街に居てもおかしくはないのか?」

 

「すげぇお父さんだな!」

 

「そう、父上はすごいのだ! 昔、まだ可愛かったマクシミリアンと一緒に父上の真似をしたりもしてな!」

 

 話がまた父親自慢に戻ってきてしまった。完全に酔っぱらっている。

 

 しかし……そうか。ユーヴェインの目的はフィーネだったのか。

 

 ベルフェゴルと同じだ。未だにこのあたりにフィーネが潜伏していると考えて、この地に調査にやってきたのだろう。

 

 巻き込まれたゼルクト伯爵は可哀そうに。六聖教会もいい加減、王国と話をつけてフィーネを保護したことを公表できないものか。そうしたらこういうこともなくなるだろうに。

 

 なお、フィーネの名前やズィーベンの名前が出た段階で、俺は息を殺して空気と同化していた。いきなり心臓に悪いことはやめてくれよ。ユーヴェインが酔っぱらっていなければ、動揺に気付かれていたかもしれない。

 

 フィーネの行方を知る人物を前にしても、そのことにまったく気づいた素振りのない帝国の第一皇子様は、なんとも楽しそうに周りの客と肩を組み、手に持った酒を天高く掲げてみせた。

 

「このように楽しい酒の席は久しぶりだ! うむ、お馬鹿な仲間の所為で散々苦労をさせられ、なんの成果も得られなかった旅路だったが、最後の最後で楽しい気分にさせてもらった! 礼として、皆、ぞんぶんに飲んで騒ぐがいい! お代はすべて私がもとう!」

 

 おおーと歓声があちこちの席から飛ぶ。

 

 なるほどね。皇子様らしい太っ腹な台詞だが、ひとつだけ言わせてくれ。

 

「あんたは小粒銅貨しか持ってないだろ!」

 

 俺は全力で止めた。

 

 ああもう、なんて傍迷惑な皇子様なんだ! さっさと帝国に帰ってくれ!

 

 

 

 

 

「大変ご迷惑をおかけしました」

 

 そう言って頭を下げたのは、店に駆けつけたレオンハルトと呼ばれた男だった。

 

 身体のいたるところに包帯を巻いた痛々しい姿の彼は、酒瓶を抱いてグースカ眠る主をつま先で何度も蹴り飛ばしたあと、俺の代わりにお代を全額払ってくれた。

 

 第一皇子の侍従ということで、先ほどのユーヴェインのように俺の顔立ちについてなにか言われるかと思ったが、特に反応を示すこともなく、レオンハルトは面倒そうな顔でユーヴェインの襟首をつかむ。

 

「では、私はこれで失礼します」

 

「あ、はい。お疲れ様です」

 

「ええもう本当に、最悪の旅でした。転職を本気で考えたくなりましたよ」

 

 心底疲れた様子でそうつぶやくと、懐から取り出した回復ポーションをがぶ飲みしつつ、レオンハルトはユーヴェインを引きずりながら暗い路地に消えていった。

 

 どうやらいつの間にか夜になっていたらしい。

 

「リリエッタ。俺たちも帰ろう」

 

「うん」

 

 リリエッタと手をつないで家路につく。

 

 アパートまでの短い道すがら、リリエッタがおずおずと聞いてきた。

 

「ねえ、お兄様。さっきの酔っぱらいの人に会ったときにね、証の紋が熱くなったの。紫色の瞳をしてたし、もしかしたらわたしたちの本当のお兄様なのかも」

 

「……そうかもな」

 

 少なくとも、リリエッタにとっては間違いなく兄だろう。俺としても血のつながりはあるに違いない。

 

 けど俺としては、関わり合いには絶対になりたくない手合いだった。

 

「そうだな、ちゃんと言っておくべきだよな」

 

「お兄様?」

 

「もしかしたらリリエッタにとっては、お兄様やお姉様が増えることは嬉しいことなのかもしれない。けど俺はさ、これ以上兄弟姉妹を名乗る相手と関わり合いになりたくないんだ」

 

「どうして? 血がつながってるんだよ?」

 

「つながっていてもだよ。俺とリリエッタの兄弟姉妹ってことは、帝国の皇帝の血縁ってことだ。下手に関わり合いを持つと、帝国内の政治に巻き込まれる。そうしたら、こんな風に街の中をのんびりと歩くこともできなくなると思う」

 

 俺はそれが嫌でこうして庶民の暮らしをしている。

 

 権力だけを追い求めるなら、証の紋を持って帝国に行くなり、六聖である分身の術を餌にこの国の政府と接触しているだろう。

 

「俺は自由に生きたいんだ。もし争いごとに関わることになったとしても、それは俺が選んだ結果であってほしい。少なくとも、巻き込まれてなんてまっぴらごめんだ」

 

「…………」

 

「でもこれは俺の考えだ。リリエッタに強制するつもりはない。もしリリエッタが望むなら、今からでもあの二人を追いかけて証の紋を見せてもいい。そうしたらリリエッタを彼らは帝国まで連れていってくれるかもしれない」

 

「……そうしたら、お兄様はどうするの?」

 

「俺? 俺はこの街に残るよ。お別れになるな」

 

 その言葉はリリエッタにとってかなりの衝撃だったようだ。

 

「お、お兄様とお別れなんて嫌! せっかく、せっかく平和に暮らしていけるって思ったのに!」

 

「リリエッタ……」

 

「ごめんなさい、お兄様。わたし、もう変に証の紋を誰かに見せるのをやめるから。だから……お別れなんて、言わないで」

 

「ああ、悪かった」

 

 言い方が悪かったのだろう。これでは俺のことを無理やり選ばせてしまったようなものだ。

 

 けれど、いずれリリエッタも自分で選ばないといけない日が来るだろう。

 

 生まれ持った血筋は今更変えられない。運命がいずれ、リリエッタの元にまで辿り着く日がやってくる。

 

 できれば、そのときに悔いのない選択をこの子にはしてもらいたい。

 

「リリエッタが望むなら、これからも一緒に暮らしていこう」

 

 そのときまでは一緒にいよう。悩んだら相談に乗ってあげよう。

 それが本当の意味では兄にはなってやれない俺の、精一杯の可愛い妹に対する愛情表現だった。

 

「うん、リリエッタはお兄様と一緒に暮らす。暮らすの」

 

 ぎゅっといつも以上に力強く手を握ってくるリリエッタは、不安そうな横顔をしていた。

 

 ……システィー先輩にも、ちゃんと今日のことを伝えないといけないな。

 

 彼女が帝国に対してどんなスタンスを見せるかはわからないが、リリエッタのことが大好きな先輩のことだ。俺のように彼女の意思に任せるなんてことはしないだろうな。

 

 次にシスティー先輩が道場にやってくるのは、たしか三日後の予定だ。

 

 そのときにでも相談しよう。

 

 

 

 

 

 そして三日後――俺はリリエッタと一緒に再びシュクラ流の道場を訪れていた。

 

 今日こそはと思ったのだが、しかし道場に先輩の姿はなかった。

 

「フレデリック先生。システィー先輩は今日も来てないんですか?」

 

「ああ、うん。そうなんだよ」

 

 歯切れの悪いフレデリック先生。

 

「先生。システィー先輩になにかあったんですか?」

 

「なにかあったかどうかはわからないが、ちょっとよくない噂を聞いてね」

 

「噂?」

 

「ああ、なにかの間違いだとは思うんだけど。実はね」

 

 ちょいちょいと手招きをされる。

 どうやらリリエッタには聞かせたくない話のようだ。

 

 フレデリック先生に近づくと、耳元に小声でその噂について教えられた。

 

 曰く、

 

「システィー君が奴隷としてオークションにかけられるって噂があるんだよ」

 

 そんな、あり得ない噂を。

 

 

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