分身スキルの最強戦術って自爆特攻じゃね? 作:sasarax
自爆魔法の一撃を受けて、イライザが地面の上に倒れ伏す。
近くに本体の俺がいたため最小威力の自爆だったことに加えて、最後に麻痺のためつかむ力の弱かった分身の俺を突き飛ばしていたことで、イライザは直撃を免れてみせた。
それでも爆風を至近距離で浴びたのだ。イライザは原型こそ保っていたものの、突き飛ばした方の腕を根本から消失し、全身にやけどを負ってぴくりとも動かない。
「……なんとか倒せたか」
爆風のダメージに巻き込まれ、立ち上がることができないのは俺も同じ。あまりにもギリギリの勝利だった。
特に最後の最後、強奪スキルを使われたときは終わったと思ったものだが。
……なんであのとき、スキルを奪われなかったのだろう?
移動不可とか言っていたけど、分身スキルにそんな能力はないはずだ。まだ解析が終わっていなかっただけなのだろうか?
「あり、えない」
そのとき地獄の底から響くような怨嗟の声があがった。
顔だけなんとか上げれば、同じようにイライザが倒れたまま血走った眼だけを俺に向けていた。
「なぜ? どうして? わたくしの強奪スキルが通じなかったの?」
「しぶとすぎるだろ!」
すぐに分身スキルを使おうとする。
「鑑定」
だがそれより先に、イライザがスキルを発動していた。
彼女の瞳が妖しく光る。攻撃スキルではなく鑑定スキル。簒奪者が最後の最後に使用したのは、俺を攻撃するためのものではなく、自身が負けた理由を問うためのスキルだった。
「分身スキル。あらかじめ見ていた条件に移動不可なんてどこにもなかった。分身は分身スキルを使えない。本体以外には使えないから移動不可だとでも? いえ、そんなはずはない。きっと、もっと、先に、きっと」
こんな結末はありえないと、イライザの瞳がさらに見開かれる。
まるで見るものすべてを暴こうとするように、その眼差しが力を帯びた。
輝く瞳ににらまれ、金縛りにあったかのように身体を動かせなくなる。
雷光スキルの影響やダメージによるものだけではない。イライザの鑑定スキルによって、頭の中を鷲掴みにされている。脳が揺れ、頭蓋の奥から魂と呼べるものを強引に引きずり出されていくような、そんな錯覚に陥る。
「極小確率で、存在しない自分を出現させる。やはりまだ隠れた力があったのね。けれどこれくらいの見逃しなら強奪は成功したはず。存在しない自分、それはいったい……」
「やめ、ろ」
「我は天地を暴くもの――真明鑑定」
血の涙を流しながら、イライザが最後の力を振り絞る。
やめろ。見るな。引きずり出すな。それ以上俺の知らない俺を暴かないでくれ。
でないと、俺は。このままだと、俺は。
分身スキル の 奥底にあるモノ を 知って しまう。
「存在しない自分……
その言葉が合図だったかのように――刹那、俺の意識は深淵に引きずり込まれていった。
そこは紛れもない地獄だった。
血の荒野。灰の渦巻く空。積み重なった人間とモンスターの骸の数はあまりにも多く、総数を数えることはできない。
この地で戦いが起きたのだ。人間とモンスターの、あまりにも凄惨な戦いが。
聖都を出発した最後の騎士団は、そこから遠く離れていないこの戦場で、あまりにも呆気なく壊滅した。
モンスターたちを率いる八体の知恵あるモンスター。その一体すら倒すことができず、人類領域の奪還という悲願は儚く散った。近くモンスターによる総攻撃が行われ、人類最後の都は攻め滅ぼされるだろう。
これは絶滅戦争。正義と悪を問うための戦いではなく、人とモンスターのどちらかが滅ぶまで続く聖戦だ。
生き残った人々も全員殺される。奴らは一人たりとも生存を許さない。
敗北を重ね続けた人類にとって、壊滅した騎士団が最後の希望だった。
所詮は追い詰められたが故の乾坤一擲、無謀にも近い特攻部隊だったとしても……それでも残った戦力をかき集めて作られた、紛れもない最強の部隊だったのだ。
あらゆるすべての物質より剣を引き抜ける男がいた。
どんな攻撃すら剣に変えて敵を切り裂く彼は、三日三晩続いた飽和攻撃に耐えきれず死んでしまった。
あらゆるすべてを投げるだけで破壊の矢に変える男がいた。
集中攻撃を浴びて人間の形を保てなくなるほどに戦い続けた結果、石礫すら拾えない状況に追い込まれて消滅させられた。
あらゆるすべてに境界を敷いて攻撃を防ぐ女がいた。
初撃から騎士団を守るためにその力を使い、他の誰よりも先に死んでしまった。
他にも、他にも、他にも……強力なスキルの使い手たちが集められていたのだ。
我らこそが最強の騎士団であると、そう自負し、皆に見送られて都を出発したというのに。
「……結末はこれか」
生き残ったわずかなうちの一人、十五歳ほどの少年がそうつぶやきをもらす。
涙にぬれた頬を隠そうともせず、彼は血濡れた戦場を見回して、一人絶望に打ちひしがれていた。
生き残ったからにはその務めを果たさなければならない。そうわかっていても、だからといってどうすればいいのか。
五百人の騎士団でも駄目だったのに、生き残ったわずか数人だけでどうすれば『八天魔』を倒せるというのか。ましてや自分など、騎士団の中でも下から数えた方が早い実力だ。本国との連絡員として便利だからという理由だけで入れられたような、文字通りの数合わせだ。
ある程度のモンスターならば倒せる。けれど、八天魔どころかその配下のモンスター相手ですら勝てるかどうか。
「……生き残るべきは僕ではなかった」
境界を操る彼女のように、他の誰かのために死ぬべきだった。
「僕はこの戦場で死ぬべきだったんだ」
「そんな寂しいことを言わないでください」
懺悔の言葉に応える声があった。
振り返れば、戦場にあって白く輝くような少女がいた。
幼くも女神を彷彿とさせる整った顔立ち。木の葉のようにピンと横にのびた耳が特徴的な、金髪碧眼の少女だった。
「ネル。君も生き残っていたんだね」
「はい。他のみんなに庇われて、なんとか生き残ることができました」
ネルと呼ばれた少女は少年に近づくと、強く握りしめられた彼の手に触れた。
「血が出てしまっています。そんなに拳を強くにぎらないでください」
言われて初めて握った拳から血が滴り落ちていることに気付く。
ネルは服の袖を破ると、包帯代わりに少年の手に巻き付けた。労わるような、そんな優しい手つきだった。
「悔しいのですね」
「悔しいだなんて。僕なんかは、そう思うことすら烏滸がましいよ」
「訂正します。自分を許せないのですね」
「……ああ、そうだね。きっと、そうなんだ」
許せない。そう、許せないのだ。
みんなを殺したモンスターたちが。人類を追い詰めた八天魔たちが。なによりも、そんな奴らを前にして逃げまどうことしかできなかった自分の弱さが、なによりも許せなかった。
「なんで僕は分身スキルなんて持って生まれてきたのだろう? 弱い自分が増えたところで、一体なにになるというんだろう? なにもできない無能が、守られるだけのお荷物が、ただ増えただけじゃないか」
「…………」
ネルはなにも言わない。ただ悲しそうに、顔をうつむけるだけだった。
それを見て、少年ははっと我に返る。
「すまない。君を責めたわけじゃないんだ」
「わかっています。わたしは気にしていません」
「だとしても、あまりにも心のない言葉だった。許してほしい」
少年は五歳は年下の少女に向かって、深々と頭を下げた。
「変わりませんね、あなたは」
彼のそんな態度を見て、ネルは口元を緩ませた。
「初めて会ったときのままです。あなたは自分を弱いと言いますが、わたしはそうは思いません。たしかに力はありませんが、それでも此処にあなたはいる。危険な戦場に、あなたは怯えながらもやってきたじゃありませんか」
「……なにか力になれるかもと思ったんだ。こんな僕でも、なにか」
小さなことでもいい。人類のために、みんなのために、なにか出来ることがあるのならと。
「死ぬのは怖いよ。けど、なにも出来ないまま朽ち果てていく方が怖かったから」
騎士団に参加した。そう決断したときの想いに嘘はない。
白い布が巻かれた手を見て、少年は後悔を振り払った顔つきとなる。
覚悟を決めた、そんな男の顔に。
「ネル」
「はい」
「君は、この騎士団でも特別な立場だったと聞いている。人類最後の騎士団を最強の騎士団たらしめる、切り札を握っていると」
「……はい」
「それは、君の持つ『継承』スキルのことだろう?」
ネルは返事をしなかった。しかし、彼には確信があった。
少年は目の前の少女の持つスキルを知っていた。継承スキル。死んだ人間が生前結んだ契約を履行するスキル。彼女を仲介人にすることで、死をもって力を継承させることができるスキルだ。
「僕の腕の中で息を引き取った騎士団員が、生前に君と契約を結んだと言っていた。死んでも自分の意思は引き継がれると、そう笑って死んでいった」
「…………」
「他の皆も似たようなことを言っていた。もしかして、騎士団に参加した人は君と契約を結んでいたんじゃないのかい?」
「それ、は……」
ネルは逃げるように視線を逸らす。
「いや、全員じゃないか。僕はそんな契約を結んだ覚えはないからね。……騎士団の中でも役に立つ人間だけの話なのかな」
「違います! わたしがあなただけはと!」
ネルは大声で少年の言葉を否定し、そのあと我に返ってぎゅっと自分の二の腕をつかんだ。
「……わたしがあなただけは許してほしいと、そう団長にお願いしたのです。決してあなたが役立たずだからとか、そういう理由で除け者にしたわけではありません」
「そうだったんだね」
少年は仲間外れにされていたことを気にした素振りもなく、ただ優しい声音でネルに尋ねた。
「契約の内容は?」
「……騎士団に参加する者は、死後生き残った団員に力を貸すこと。死後の安寧を売り渡し、死滅の軍令に従うこと」
終わらない戦争を終わらせるために、死んでもなお終わらない闘争に参加する。
「永遠の騎士団、か。どうしてこの騎士団がそう名付けられたか、ようやく得心が言ったよ」
少年は周囲を見回す。
「じゃあ、みんなは今も見えていないだけで周りにいるのかい? ネル。君にはみんなの姿が見えているのかい?」
「いいえ。所詮はスキルによる契約です。明確な意思が死後も残るわけではありません。その力と、かすかな残滓が漂っているだけです」
「そうか。残念だ」
「黙っていてごめんなさい。それに、あなたに内緒でこんな冷たい作戦に参加させてしまって……」
「冷たい? どこが?」
傷ついた様子を見せるネルの手を、今度は逆に少年が優しく包み込んだ。
「みんな死ぬときは笑っていたよ。それはきっと、君との約束があったからだ。ただ死ぬだけじゃない。遺せるものがある……それが死に行くみんなにとって、どれだけの救いになったか」
「だとしても、託される側にとっては関係ありません」
ネルのスキルは継承だ。契約は、託される誰かがいて初めて履行される。
「わたしは誰かにこの力を、遺志を、継承させなければなりません。それが契約だから。それが制約だから」
「ネル……」
「五百人近い人の意思と力です。それが残滓であれ、集まって膨大な怨念になっている。人類の救済を。モンスターの絶滅を。叫んで叫んで狂い叫んでいる五百人の意思です! 託された側は間違いなく人間じゃなくなってしまう! みんながそう願ったなにかになり果てる!」
彼女の言葉は途中で叫びとなっていた。
儀式を執り行うネルは自責の念にかられている。
そんな彼女にこんな言葉を吐くのは申し訳ないと思いつつも、少年は告げた。
「ならその継承、僕が引き受けよう」
あまりにも簡単に、人間を辞めると言い切った。
「あなたならそう言うと思いました。だから契約のことを黙っていたのですが」
少年の言葉を、しかし予想していたように少女は笑みで返した。
「残念ですが、わたしのスキルによる継承は、本体のあなたじゃないと行えません。分身体のあなたには継承させることはできませんよ」
「う~ん。試してみるのもダメかい?」
「ダメです。これは一度きりの継承なのですから。条件は同じ騎士団員であること。戦場に参加した英雄であること。それだけです。決めるのは託す側のみんなと、託される側の誰か。その誰かを決める権利すら、わたしにはありません」
そう契約の内容を紡いだこと。それをすぐに、彼女は後悔することになった。
「そうか。僕が望み、みんなが望めば、継承はなるんだね」
そう口にした少年の身体を中心にして、そのときなにか得体の知れない力が渦巻き始めた。
祭司であるネルにはすぐに理解できた。自分のスキルによって戦場にとどまっていた力が、ゆっくりと目の前の少年に流れ込んでいっていることに。
「な、なんで? どうして?」
「ごめんね、ネル」
謝罪の言葉を口にする少年に、ネルは表情を引きつらせた。
少年が少女のスキルを知るように、彼女もまた彼のスキルを知っていた。
「分身ではないのですか!? あなた、本体でこの戦場までやってきていたのですか!? 団長はあなたの本体は聖都に残すと、いざというときは箱舟に乗せてくれると、そう約束してくれたからわたしは騎士団に参加したのに!」
「ああ、そうだったんだね。道理で僕なんかが騎士団に参加できたと思ったよ」
すべては目の前の少女を騎士団に参加させるため。
今は亡きあの騎士団長ならば、それくらいの企ては平然とやりそうだった。
「ネル。純粋なのはいいことだと思うけれど、少しは人を疑うことを覚えないとね。特に笑顔で平然と嘘を吐く団長みたいな人には気を付けるんだよ? 君のお兄ちゃんとしては、僕はちょっと心配になっちゃったよ」
「最期の言葉みたいに言わないでください! すぐに、すぐにわたしが止めてみせます!」
ネルは一心不乱に祈りを捧げる。
しかし力の流入は収まらず、より勢いを増していく。
「やだ。やだやだやだ。止まらない。止まりません! なんで? みんな、いつも馬鹿にしてたじゃないですか? 弱虫だって、意気地がないって、そうあなたのことをいつも馬鹿にしてたじゃないですか!?」
「そうだね。意外だ。みんなの意思に触れたからわかるけれど、うん、僕は案外みんなからの評価が高かったらしい」
少年には今、みんなの声が聞こえていた。戦場で散った、大切な仲間たちの声が。
ああ、我らが戦友。自分たちの中で一番弱くて、一番泣き虫な、けれど一番勇敢で一番優しかったあなた。
最も辛い役目を押し付ける。けれど、それでも。
「そうだね、戦友。大丈夫。僕も気持ちは同じだよ」
そう、同じなのだ。この戦場に集った誰も彼もが、そう心の底から思っていた。
「だって、僕は許せない」
許さない。許さない。絶対に、絶対に許すものか。
モンスター。この忌々しき侵略者どもめ。
殺す。殺しつくす。一匹たりとも逃がさない。必ず絶滅させてやる。
その願いが、祈りが、生き残った彼と死んでいった彼らを結び付けている。
「ネル。僕は決めたよ。みんなの意思を引き継ぐと」
「ダメです! あなたは、あなただけは生き残らないとダメなんです!」
少女はなんとかしようと試みるが、悲しいほどになにもできなかった。ただただスキルの力だけを使われ、無理やりに駆動させられる。
「いや、ダメ、このままじゃ、このままじゃお兄様が消えちゃう!」
「ネル」
泣き叫ぶ小さな少女を、少年は呼び止めた。
「いいんだ、ネル。これが僕の運命だったんだろう」
「お兄さ、ま」
「君が継承スキルを持って生まれてきたと知ったときから、いずれこの日が来ることを覚悟していた。いや、望んでいたんだ」
「……わたしと出会ったから、あなたは苦しむのですか?」
「そうじゃない。君がいてくれたから、僕は絶望の果てに最後の希望を見いだせたんだ」
少年はネルの前に膝をつくと、優しい手つきでそっと彼女の涙をぬぐった。
「君は教えてくれたね。僕のスキルの本質は、命を生み出すことだと。他のスキルにはないそういう力を持っていると。君がそう言ってくれたから、僕は僕を少しだけ好きになれたんだ。こんな僕でもみんなの幸せを守るためにがんばろうと、そう思えるようになったんだよ」
「誰かの幸せのためにって……あなたの幸せはどこに行ったのですか?」
「どこにも行ってないよ。僕は誰かのために生きられるのなら、それで幸せなんだ」
「押し付けられた願いに、きっとその幸せだと思う心すらなくなってしまうのにですか!?」
いよいよ耐えられなくなったネルが叫べば、少年は首を横に振った。
「僕はみんなから願いを押し付けられるんじゃない。みんなの願いを引き継ぐだけだ。君の力はそういうものだよ」
だから、と彼は願った。
「頼むよ、ネル。僕に祝福を与えて欲しい。一緒に新たな誕生を祝って欲しいんだ」
「……苦難の道になります」
「覚悟の上だ」
「……道半ばで果てるかも」
「そうしたら、僕の想いも乗せて、次の誰かに託すだけだよ」
「わ、わたしは、それでも、あなたを、あなたが……」
その先の言葉を、少女は言えなかったし言わなかった。
長い葛藤のあと、一筋だけ涙を流し、少年に向かって静かに頷いた。
そして朗々と、誓うように声を響かせた。
「契約を此処に。汝、人類を救わんとする者よ。その誓いを忘れぬかぎり、彼ら彼女らは汝の力になるだろう」
その声に導かれるように、戦場全体が光り輝く。
ひとつひとつの光は弱い。けれどふたつみっつと合わさっていくうちに強い輝きとなっていく。
やがて光は五つの巨大な輝きになって戦場を照らした。
長い夜を切り裂く朝焼けの光のように、それは希望の到来を祝福し、五つの光はさらにひとつの巨大な塊となって、少年の身体を包み込んだ。
これまでとは比較にならない喝采の声が聞こえてくる。
殺せ! 殺せ! 殺せ!
憎悪を叫び、絶滅を叫び、敵を殺しつくすと彼らは合唱する。
我らは最後の騎士団! 永遠の闘争に身を捧げた死者の群れ!
おお、新たなる我らの旗よ! 我らを継承せし騎士団長よ! 早く死滅の軍令を下してくれ!
猛る魂が極限の戦いを求め、少年の身体に殺到する。
その瞬間、彼は一人の個ではなくなり、騎士団という名の軍勢の主と化した。
「継承は成った! 我ら永遠の騎士団の誓いは今、あなたの新たな力となった!」
少女は涙を流しながら、最後の祝福を贈る。
「世界よ讃えよ! 我らが救世主、偉大なるハルルカンを!」
祝福を受け、硬く、力強く握りしめられていく拳。
人間には過ぎた力を手に入れた代わりに、失われていく人間としての記憶や感情。
寂しいと思うことはない。そう思う心すら、砂のように消えてしまった。
悲しいと思うことはない。そう思う心すら、死の彼方に消えてしまった。
残ったのはただひとつ。世界を、人々を、必ず救うという救世主の誓いだけ。
「誓おう。モンスターを駆逐し、人々が笑って暮らせる世界を取り戻すと。この世界を救ってみせると。そうだ。僕が、否、僕らこそが――」
その日、その瞬間、少年と少女の手によって勇者の在り方は定義された。
即ち、剣を、槍を、鎧を、騎馬を、秘薬を手にした騎士団の主こそが――
「――勇者だ」
だから知るがいい。薄汚い盗人よ。
この最後の希望を奪いたいというのなら、世界を滅ぼす気概で挑んでこい!!
「いやぁああああああああ――ッ!!」
イライザの瞳が輝きを失い、喪失の痛みに彼女は絶叫をあげた。
俺もまた声にならない悲鳴を心の中でもらし、自然と自分の頭をおさえていた。
遠い、誰かの夢を見た。
あまりにも尊く、それゆえに悲しい、一人の少年が人間を辞め、勇者という力に成った日の記憶。
神話の始まりの一頁、その輝くような記憶を。
強奪スキルは相手のスキルを理解しないと奪えない。イライザに足らなかった情報はこれだった。六聖というスキルに秘められた遠い日の誓い。アルフィリアさんによく似た幼いエルフが与えた、継承という名の祝福だ。
その残滓は勇者が死んでなお、彼が言っていたとおり残っていたらしい。
つくづく恐ろしいスキルを背負わされたものだと思いつつ、今だけは亡き先達に感謝する。
「こんなの知らない。スキルに、こんな……」
イライザは目を押さえ、地面にうずくまって子供のように震えていた。
「眼が、頭が、身体が、痛い。苦しい。うぅ……助けて、助けて、我が君」
その身体から命の灯が消えていくのを感じる。このまま放置しても、そう長くは持たないはずだ。
いや、相手は魔女、簒奪者イライザ。命あるかぎり、その在り方は変えられない。
俺はしびれ震える手で、なんとかもう一度手印を組もうと試みる。
容赦はするな。分身スキルを使い、もう一度自爆して彼女にトドメを刺す。
「助けて、我が君……オズワルド様!」
「うぉおおおおおおおおお――ッ!!」
イライザの助けを求める声に答えるように、戦場に優雅とはいえない声が響く。
瓦礫を踏みしめてやってきた帝国の第一皇子は、イライザの身体をお姫様のように抱き上げると、そのままの勢いで駆け去っていく。
「おまっ」
ふざけんな?! 帝国に帰ったんじゃないのかよ!?
「止まれ馬鹿皇子! そいつを置いてけ!」
「ふははははっ! その願いは聞けんな、あのときの小さき庶民よ! なぜなら腐ってもこの女は私の仲間だからな!」
「このっ、クソボケ露出狂が!」
「ふはははははっ!」
高笑いをあげ、ユーヴェインは去っていく。なんという逃げ足だ。
追いかけたくとも身体が動かない。
「くそっ、取り逃がした!」
逃してはいけない敵だった。あの女には晒してしまったことが多すぎる。
なによりも、システィー先輩のスキルが奪われたままだ。
「……ごめん、システィー先輩。先輩のスキル、取り返せなかった」
「ドラちゃん」
俺のつぶやきに返す声があった。見れば、身体を引きずるようにして這いながら、システィー先輩がすぐ近くまでやってきていた。
「先輩、無事だったか」
「まあね。元々は雷光スキルの持ち主だから、雷撃には耐性があったのかな」
イライザの雷撃に撃たれたことでドレスは破れ、素肌が見え隠れしている。傷も多い。それでも、命に別状はないようだ。
「ドラちゃんも無事だったんだね。見てたよ、最後の一撃。私の位置からはドラちゃんがいきなり簒奪者の背後に現れて、自爆したようにしか見えなくて…………なんていうか、その、さ」
システィー先輩はひたいを俺の胸に預けてくる。
「ドラちゃんが死んじゃったと思った。でも……生きてた。生きててくれた」
「システィー先輩……」
「よかった。よかったよ。本当に、本当に、よかった」
そのままシスティー先輩は肩を震わせ始めた。
俺はそれを見て、固く組んでいた手を解いて頭を撫でてあげることにした。
「そうだな。先輩も無事で、本当によかった」
「うん、うん」
システィー先輩は何度も頷く。そのあと、声をあげて泣き始めた。
悲しい涙じゃない。嬉しく嬉しくてたまらないという、そんな安堵の涙だった。
ならいいだろう。存分に泣いてほしい。
そうだ。命さえあれば、終わりではない。遠い夢のように、死んで誰かに引き継ぐなんて真っ平ごめんだ。やり残したことは生きて自分で叶えるのだ。
残してしまった問題は多くとも。
それでも生きてさえいれば、何度でもやり直せるのだから。
そのまま起き上がる力もなく、システィー先輩に抱きつかれたまま転がっていると、にわかに周りが騒がしくなってきた。
「こちらは冒険者ギルドからの援軍です!」
「おい、モンスターはすべて倒されてる! 救助活動に移れ!」
「怪我人が多いぞ! 救護魔導院から来たプリーストはすぐに治療を始めろ!」
そんな声が戦場だった場所に響き渡る。
さらにもうしばらくしてから、聞きなれた声が聞こえてきた。
「おおい、本体。システィー先輩」
やはりボロボロな顔で分身の俺が近づいてくる。ツヴァイとして生き埋めにされていた俺だ。
「お前、地上に出られたのか?」
「なんとかな。他の人に掘り返して治療もしてもらえたよ」
分身の俺は後ろを振り返る。
なんとか首を持ち上げてそちらを見てみれば、駆けつけてくれた人々とようやく動けるようになった何人かの兵士たちが、救助活動を始めているところだった。
「どうやらいざというときの後詰をあらかじめ依頼していたらしい。ああ、ゼルクト伯爵も重症だけど、命に別状はないってさ。向こうで治療を受けてる。他の人たちも、怪我人は多いけど今のところ死者はほとんどいないみたいだ」
「そうか。よかった」
さすがは精鋭といったところか。この世界、死んでさえいなければ治癒魔法で案外なんとかなるからな。
「そうだ。フレデリック先生は?」
「先生は……」
そこで分身の俺が夜空を見上げた。
「黒騎士が生きて邪魔しにきたからもしかしてと思ったけど……」
「ああ、フレデリック先生は――地面から足だけ生えた状態で発見されたよ」
「なんで?」
「黒騎士との戦いの途中で上空のワイバーンに連れ去られたらしく、斬り殺したはいいけど落下してそのまま気絶したらしい」
「怪我は?」
「ないよ。あの人、なんであれで生きてたんだろう?」
知らない。きっと鍛錬の成果かなにかだよ。
「そっちも無事みたいだな」
「ああ」
未だにぐずぐず泣いている先輩をあやしながら、俺は頷いた。
「問題は残ってるけど……無事、簒奪者の討伐成功だ」
「そっか」
「ほら、システィー先輩も。そろそろ泣き止んでくれ。今夜はまだまだやらないといけないことが多いぞ」
「そう、だね。怪我人を救助しないと」
身体のしびれも抜けてきたので、どうにか立ち上がることができるようになっていた。システィー先輩も同じなのか、お互いを支えにして立ち上がる。
そのまま三人で救助活動に合流する。
簒奪者に追手を差し向けたかったが、とてもすぐにそんなことができる余力はなかった。門番には誰も通さないように下知が飛んだが、幻惑のスキルを有する奴らにどれだけ有効か。
結局、討伐隊が出発できたのは、朝焼けが空を照らす頃のことだった。
夜を徹して救助活動に参加していた俺は、ふと朝焼けに染まる街を見て思う。
この場所で激しい戦闘があったというのに、ゼルクトの街は当たり前のようにいつもの朝を迎えていた。目を覚ました人々が忙しなく動き出し、活気ある一日を迎えようとしていた。
……遠い昔に生きたあの大先輩も、こんな光景を見ていたのだろうか。
だから人々を救おうと、そう思ったのだろうか。
あるいは――あの笑顔の愛らしい、あの子のために。
世界を救おうと、そう思ったのだろうか?
「ドラちゃん? どうかしたの?」
傍らに、血と土で顔と服を汚したシスティー先輩がやってくる。
その姿が一瞬、記憶の中の少女と被り、慌てて頭を振る。
「影響されてるなぁ」
「え? どういうこと?」
「いや、こっちの話」
簒奪者の罪は重いという話だ。
「救助活動はひとまず片付いたかな」
「うん。みんな掘り起こせたよ。あとはプリーストの人たちにお任せかな」
「なら、俺たちもそろそろ休ませてもらおうか。くたくただよ」
「だね」
システィー先輩は頷いたあと、もじもじとなにか言いたげな顔をする。
「先輩? どうかしたのか?」
「うん。ねえ、ドラちゃん」
「ん?」
「今更だけど、私、これからもドラちゃんのそばにいてもいいかな?」
正面から手をぎゅっと握ってきながら、システィー先輩が上目遣いで聞いてくる。
「私ね、ドラちゃんが爆発するところを見て思ったの。もう二度とあんなところは見たくないって。これからは私が絶対に、ドラちゃんを守らなきゃって。スキルもなくなっちゃったけど、それでも私にドラちゃんのことを守らせてほしい」
「システィー先輩、なにもそこまで気負わなくても」
「ううん、私がそうしたいの。伯爵様にも思わなかったのに、あなたの最後の輝きを見てそう思っちゃったの。私を、あなたの騎士にしてほしいの」
手をとった状態で、システィー先輩がおもむろに立てひざをついた。
「あなたに忠節を誓います。だからどうか、私にあなたを守らせてください」
眼差しは真摯に。その様は薄汚れていたけれど、朝焼けに照らされて、騎士というにふさわしい輝きを帯びていた。
「……わかった。これからもずっとそばにいて俺を守ってくれ」
「誓って」
システィー先輩が俺の手の甲に口づけを落とす。
そのあと、立ち上がって今度は俺の頬をつかんできた。
「もちろん、奴隷としてもそばにいるから。なんなりと命令してね」
「ちょま」
慌てる俺の顔を見てにひひと笑うと、システィー先輩が目を閉じて唇を近づけてくる。
手の甲には忠誠を。そして唇には隷属を。
奇襲上手なメスガキ先輩の攻撃に、疲れ果てた俺は抗うことができず、
「あいたっ!」
純粋に、そのとき走った静電気の痛みに思わず顔を逸らしてしまった。
「ちょ、ドラちゃん! ここは素直に受け入れてくれるところじゃない!?」
「いや、ごめん。悪気はなかったんだけど」
ていうか。
「システィー先輩が静電気ってことは」
「あ」
頬を膨らませてむくれていたシスティー先輩が、なにかに気付いて指を軽く鳴らしてみせた。
バチリ、と指の間に小さな雷が起こる。
「……スキル、元に戻ったみたい」
それが意味するのは罪人の死。
その瞬間、本当の意味で簒奪者との戦いは終わりを告げたのだった。