分身スキルの最強戦術って自爆特攻じゃね? 作:sasarax
物心ついたときには、わたくしはスラムにいた。
どうやら親には捨てられたらしい。よくあることと言えばよくあること。周りには同じような境遇の子供が何人もいて、身を寄せ合って暮らしていた。
頼る相手のない子供など、食い物にされて当然だ。
ゴミ拾いなどで小銭を稼いでも、すぐにスラムの大人に奪われる。隠しても、守っても、暴力によって奪われていく。
そうして唯一残った大切な命すら、簡単に奪われてしまう。
そんな子供を、何人も見た。
奪われたくないのなら奪うしかない。食べ物を、お金を、命を、奪われる前に奪う。それが生きるということだと理解した。
そんな自分に強奪スキルが授けられていたのは運命だったのかもしれない。
けれど、幼いわたくしにとって強奪スキルは無用の長物だった。
なぜなら、強奪スキルは単体では機能しない。奪うべきスキルがあって初めて意味を持つスキルだからだ。
スキル持ちは珍しく、周囲にはいなかった。
奪えないのなら、ないも同然。わたくしはスキルがあっても、無力な子供のままだった。無力な子供のまま、大人になった。
犯罪と呼べるものはその過程でひととおり経験した。
逆に命以外のなにもかもをひととおり誰かに奪われた。
よくも悪くも、停滞した時間の中にわたくしはいた。ある意味では穏やかだったその日々は、一人の女が現れたことで終わりを告げた。
スキルを持った女。
解毒スキル。どんな毒でも癒せると豪語して、スラムの権力者に取り入った女。
実際には大したスキルではないと今のわたくしは知っている。なぜなら、解毒できるのは自分だけだからだ。つまり毒を喰らい、即死しなかったことを前提としたスキル。正直にいって使えないスキルだろう。
それでも女は他者にも使えると嘘を吐き、権力者の女として地位を得た。
そして同じグループに属していたわたくしを迫害し始めた。
理由は簡単だ。取り入ったボスにわたくしが気に入られていたから。要は自分の地位を固めるための行為。
あの女は、わたくしから安寧を奪おうとした。
だから――その前に奪うしかなかった。
女の前で何度も這いつくばりながら、なんとかそのスキルの在り方を理解し、そうして初めて他者のスキルを奪い取ることに成功する。
正直に言って、要らないと思った。使うこともないだろうとも思った。
なのに――返して、返して、と女は泣いて縋ってきた。
こんなもののために、プライドを投げ打って這いつくばる。どうやらわたくし以外の人間にとって、自身のスキルというものはそれほど大事なものらしい。
でもごめんなさい。わたくしは奪うことはできても、返すことはできないの。
唯一の方法は、わたくしが死ぬことだけ。
わたくしが死ねば、奪ったスキルは元の持ち主に戻る。そう言えば、女は血相を変えて襲い掛かってきた。
だから殺した。嘆息しながら処分した。
これで安心。ああ、また安穏な日々は戻ってくる。そう思った。
けれど……
返して。返して。そう言って、泣いて縋って来た女の姿が忘れられなくなった。
あの惨めな姿を。絶望した形相を。思い出す度に興奮してたまらなかった。
そうしてわたくしは、我慢できずに次の獲物を探してしまった。
スラムの外に初めて目を向ける。そうすると、思いのほかスキル持ちというものは見つけることができた。
内容までばらしているものは少ない。けれど、持っていると風潮する者は意外といた。自分の稀少性を誇示するため、力を持っているのだと自慢するため、人は隠すべきスキルを舌の上にのせるのだ。
ここにそれを奪えるものがいるとも知らずに。
わたくしは言葉巧みにそうした人間に近づいて、スキルの詳細を聞きだした。
簡単に存在を暴露してしまうだけあって、スキルの内容はくだらないものがほとんどだ。
使えないようなゴミスキル。けれど、奪うとみんな縋ってくる。
返して。返して。ああ、なんて素敵なの。
返して欲しいの? じゃあ、わたくしの言うことを聞いてね。そうしたら返してあげる。
初めは簡単な遊びのようなものだった。スキルのためならどこまでできるのか。そんな興味で小さな犯罪をそそのかした。
盗み。詐欺。そして、殺人。
やっちゃうの? それ、あなたの恋人なんでしょ? 殺すの? 自分のスキルを取り戻すために? 嘘でしょ馬鹿じゃないの?
だって、わたくし、スキルを返すことなんてできないのよ?
怒り狂って恋人を殺した男が襲い掛かってくる。くだらないスキルのためにそこまでしたのに、そのスキルも取り戻せないと知った絶望の形相は、こちらも上り詰めてしまうくらい哀れで愉快だった。
だけどわたくしの命を奪おうとするなら殺すしかない。そうでなくとも、わたくしが死ねばスキルは戻ってしまう。わたくしの物になったのに奪われてしまうのだ。それは許せないから、最後には必ず殺すことにしていた。
そんなことを続けていれば、当然街にはいられなくなる。あいつは魔女だと噂され、後ろ指を指される。
そう、わたくしは魔女になったのだ。
人のなにより大切なスキルを奪う、強奪の魔女に。
街から街を渡り歩き、趣味に興じる。
スキルを奪う。奪われた哀れな誰かを嘲笑う。逆上してきたそいつを殺す。その繰り返し。
そんな日々の中で、わたくしは実用的なスキルをいくつか手に入れた。
無論、そんなスキルを持っていたような相手だ。こちらも危機に陥ることは多々あった。けれど、だからこそ昂ぶるというものだ。犯行を繰り返すうちに、ゴミスキルを奪ってもわたくしは悦びを覚えられなくなっていた。
強いスキルを、有用なスキルをこそ奪いたい。
そんなスキルを手にして調子にのっている誰かを、這いつくばらせて、嘲笑って、絶望させてから殺したい。
超人と呼ばれた男がいた。寝所に連れ込んで睦言を囁き、情事の最中にスキルを奪ってやった。
女を乱暴に犯すことしか能のないそいつは、わたくしの力に押さえ込まれて子供のように泣き叫んだ。奪った力でゆっくりと身体の先から潰していけば、惨めに腰をカクカクと震わせる。最高の瞬間だった。最高の死に様だった。
奪ったスキルで殺す。これがどうやら、一番愉しい殺し方らしい。
わたくしは今後、そうして相手を殺すことにした。
奪って、奪って、奪って、奪われたくないから奪い続ける。
いいじゃない。そんなスキルを持っているんだから。きっとこれまでは楽しかったのよね? 幸せだったのよね? なら最後くらいは惨めで哀れに死んでくれないと不平等じゃない。
だからわたくしは必死になって殺す。スキルを奪った相手を殺しつくす。
そうした日々の中で、いつしかわたくしは自分の命よりも奪うという行為の方に重きを置くようになっていた。
そうなれば、当然破滅は訪れる。
帝国の皇子皇女らは、生まれながらに素晴らしいスキルを持っているらしいと聞いて。恵まれた地位に生まれたのに、スキルまで持っているなんて絶対に許せないと思って。そしてわたくしは襲撃を仕掛け、スキルを奪うことに成功し。
その上で皇子皇女らを殺そうとして、当たり前のように捕まった。
ああ、今際の際にいる今だからこそ、わかる。
わたくしは自分のスキルに溺れていた。冷静な判断というものができなくなっていた。
浮浪者も同然の装いで、虫や路地裏を這いずるネズミなんかを喰らいながら、ただただスキルを奪うことだけを思考する生き物。それが当時のわたくしだった。
わからなくなっていたの。もう強奪スキルを使ったことのなかった頃のことをほとんど思い出せなくなっていた。奪うこと以外のなにに楽しさを覚え、幸せを感じていたか、わからなくなっていたの。
食べ物の味も。安らかな眠りの心地よさも。人とつながる快楽も。なにもかもを喪っていた。
……それを思い出せたのは皮肉にも、拘束され、地下牢に繋がれたあとのことだった。
そうだ。囚われ、処刑を待つだけの身だったわたくしの下に、あの御方は来てくれた。
我が君――帝国第五皇子オズワルト様は、わたくしに人間としての感情を、愛を、思い出させてくれたのだ。
だから、わたくしはあの方を愛すると決めた。
決めた、はずだった。
深い闇から浮上する。
意識を取り戻してなお、視界はほとんどが闇に染まっていた。
夜だからというだけではない。鑑定スキルを使い、酷使し過ぎてしまった瞳は、もうほとんど光を失いかけていた。
それでも、誰かの腕に優しく抱かれていることだけは理解できた。
温かな、人のぬくもりに包まれていた。
「……我が君、ですか?」
「生憎と、私はオズワルドではないよ」
「……ユーヴェイン様でしたか」
「フッ、そうあからさまに顔をがっかりされるというのも悲しいものだな。――立てるか?」
わたくしを抱きかかえていたのは、袂を分かったはずのユーヴェインだった。我が君ではなかったことに落胆しつつ、身体の調子を確かめる。
「……申し訳ありません。少々、難しいようですわ」
「そうか。まあ、その怪我ではな。一応、持っていた回復ポーションはすべて飲ませたのだが」
「飲ませた? どうやって?」
「それを聞くのは淑女ではないな」
「なるほど。……面倒をかけてしまったようですわね」
身体に力は入らず、片手も失ったままだったが、先ほどまでのように死に転がり落ちていく感覚はなくなっていた。最低限、致命傷からは回復できたようだ。
この男に感謝しなければならないだろう。けれど、それよりも先に疑問が喉をついた。
「ユーヴェイン様。どうしてわたくしを助けてくださったのですか? あなたはわたくしにはついていけないのおっしゃられたのに」
「そうだな。貴様のやり方には付き合いきれん。だが、それでも我らは今回の任務を共にする仲間だからな」
「仲間?」
「そうだ。だいたい、先に我らの関係をそう呼んだのは貴様だろう?」
システィー・レビュテッドを嘲笑うときに言ったあれか。あれは彼女を精神的にいたぶる以外の意味はなかったのだが、ユーヴェインはその言葉を律儀に胸に刻んで、好きでもないわたくしのことを救出に来たらしい。
「あなた、馬鹿だ馬鹿だと思ってたけれど、本当にお馬鹿なのね」
「はっはっは! 不敬罪で処刑してやろうか?」
「まあ怖い」
「まったく。こちらとしても、かなり危ない場面を潜ったのだがな」
ぼやくようにそうユーヴェインが言ったところで、自分が今いるのがすでにゼルクトの街の外であることに気付く。
「ここは?」
「街の外だ。レオンハルトにスキルを使ってもらい、強引に城壁を突破した。あれから時間もそこまで経っておらん。今頃は我らを探そうと捜索隊でも組まれた頃合いだろうな」
「そう、ですか」
「このまま我らは街道を避け、森を通って帝国に戻る。よいな?」
「…………」
いい、わけがない。
我が君より願われた六聖を手に入れるという任務。それをようやく達成できるかと思ったところなのだ。
分身スキル。今となっては、あれが六聖である【不滅の騎士団】であることは疑いようのない。このまま街を後にしてはいけない。任務。オズワルド様の命令。それを叶えることが、わたくしにとっての最優先事項なのだから。
だからわたくしは戻らなければならない。
「これはオズワルドも承知のことだ」
「え?」
そう言おうとした直前、ユーヴェインがそう言った。
「我が君が?」
「ああ。貴様が別行動をしている間に連絡があった。この先の森でちょうど待ち合わせをしているのだ」
「我が君がここに来ていらっしゃるの!?」
「のわっ」
それを聞いて、慌ててユーヴェインから離れる。
他の男の手の中に抱かれている姿なんかを、我が君に見せるわけにはいかない。
超人スキルを発動させ、なんとか最低限、歩くだけの力を取り戻す。
「まったく」
ユーヴェインが呆れた声をあげる。申し訳ないという気持ちがなくはないが、それよりもなによりも我が君が優先される。
そうだ。六聖は手に入れられなかったが、その持ち主の情報を持ち帰ることはできた。まずはそれを我が君に伝えよう。そのあとで命じられるのなら、再びドライを襲って六聖を手に入れるのだ。
弾む胸。高鳴る心臓。それは忘れて久しい、人間としての感情だった。
愛している。愛している。わたくしはオズワルド様を愛している。
だから――
「やあ、兄上。イライザ。久しぶりですね」
「我が君!」
森の中、姿を見せた黒髪の皇子様に、わたくしは笑顔で駆け寄った。
「お久しぶりです、我が君! このイライザ、再び会える日を待ち望んでおりました!」
「ああ、私もだよ。イライザ」
オズワルド様は、優しくわたくしを抱擁してくれた。
「それで、首尾はどうだった? 【輝ける槍】は手に入れることはできたのかな?」
「申し訳ありません。【輝ける槍】を手にれることは叶いませんでした」
「だろうね」
我が君はぎゅっとわたくしの顔を自分の肩へと抱き寄せながら、耳元でそう囁いた。
「元々、槍がゼルクトの街に残っている可能性は低かった。しかも、とある筋から新たに情報が入ったんだ」
「情報ですか?」
「ああ。【輝ける槍】の持ち主であるフィーネ・アルトゥールは、すでに六聖教会が保護しているという情報さ」
「なんだと!? それは本当か!?」
ユーヴェインが吠える。
「ではなんだ? 我らは最初からいない人間の捜索をしていたということか?」
「そういうことになってしまいます。兄上には無駄足を踏ませてしまい申し訳ございません」
「うむむ、仕方あるまい。オズワルドも知らなかったのだからな」
「今回の情報も、まるで誰かが我らの動きを見て慌てて差し出してきたかのような届き方でした。兄上の行動は無意味ではなかったと思いますよ」
「我が君」
「ああ、イライザ。君にも苦労をかけたね」
「いいえ、そんな滅相もございません! 我が君の役に立てるのなら本望です!」
「そう言ってもらえると助かるよ。これからも私の役に立ってくれると嬉しいんだけれど」
「もちろんでございます!」
当たり前のように頷いたあと、わたくしはさらに言葉を続けようとした。
喜んでください。槍とは別の六聖ですが、このイライザが我が君のために見つけましたわ。
そう報告しようとしたのだが、その言葉は口から出なかった。
代わりに頭の奥がぎゅうっと痛みを発した。雷光スキルを乱用し過ぎたことによる、脳の痛みだろうか。我が君の役に立つ情報を伝えようとすれば、わたくしの中のなにかがそれは嫌だと絶叫するように拒んでいる。
「イライザ、他になにか報告はあるかい?」
「……いえ、特には」
結局、わたくしはそう答えてしまった。
ぬか喜びをさせるのも申し訳ないし、我が君に伝えるのは分身スキルを手に入れたあとにしよう。そんな風に言い訳を心の中でしながら。
「そうか。それは仕方ないね」
オズワルド様はわたくしの言葉にがっかりした素振りはなく、逆に褒めるように抱きしめる力を強くしてくれた。
「だが君が捕らえられることなく戻ってきてくれたことが、私にとってはなによりだ。本当に、本当によかった」
耳元でオズワルド様が囁く。愛しい声。胸がぎゅっと痛くなる。
掻きむしりたいほどに、痛い。
「だって――君にはここで、確実に死んでもらわないといけないからね」
もう一度、耳元で愛しい人の声が響く。
わたくしを優しく抱き寄せるのその手には剣が握られ、背中からわたくしの胸を貫いていた。
「オズ、ワルド、様……?」
「さようなら、イライザ。ゆっくりと休むといい」
その言葉を最後に、愛しい方の手が離れる。
支えを失って倒れそうになるところを、慌てて駆け寄ってきたユーヴェインが抱き留めてくれた。
「大丈夫か魔女よ!? ええい、オズワルド! 貴様、なにをやっている!」
「簡単な話ですよ、兄上。その女は犯罪者なのです」
事も無げにそう言って、オズワルド様はわたくしを冷たい目で見下した。
「我ら帝国の皇室を狙った最悪の犯罪者。必ず死ななければならない罪人。そうでしょう?」
「それは! だが、父上が許可を出して!」
「父上が許可をだしたのは死刑の執行猶予です。罪そのものではありません。いえ、あるいは【輝ける槍】さえ手に入れれば、それも叶ったのかもしれませんが、それも無理となればね」
「しかし!」
「他の兄上や姉上、弟や妹たちもそれを望んでいます。特にスキルを奪われたものからすれば、その女には絶対に死んでもらわなければなりません。でなければ、奪われたスキルが戻ってこないのですから。兄上も、薄々はその末路を察していたのではないのですか?」
「それは……」
ユーヴェインが言葉を濁す。ああ、そうか。最初からわたくしの死は折り込み済だったのか。
「それに私がやらなくても、そこの男がやっていましたよ」
「そこの男?」
ユーヴェインが横を振り向く。
そこには誰もいなかった。夜の闇が広がっているばかり。
「気付いていましたか」
しかし、声が返ってくる。男とも女ともつかない声が。
「誰かは知らないが、御覧のとおりその女はまもなく死ぬ。それで我々は見逃してもらえないだろうか?」
「ふむ。どうしましょうか。実は私には二人の主がいましてね」
闇の中で、誰かが淡々とした口ぶりで語る。
「一人はただ黙って見守ってあげてといい、もう一人は積極的に邪魔者は排除せよという。板挟みになっている身としては、こういう場合はどうしたものかと迷ってしまうところです」
「な、なんの話だ? 我々に危害を加えようと言うのか?」
「……いいえ、帝国の第一皇子ユーヴェイン殿下。このままなにもせず帰っていただけるのなら、これ以上はなにも致しません。ですが、これ以上邪魔をするのなら」
夜の闇が形を変え、人の姿を形取る。その手に爪のような凶器がのびていた。
「わかりました。我々はすぐに帝国に帰還します。ですよね? 兄上」
「う、うむ。レオンハルトが戻り次第、すぐに帝都へ戻ると約束しよう」
二人がそう約束すると、闇はゆっくりとほどけていく。最後に、まるで帽子を取るような仕草をして、闇はただの闇へと戻った。
「そういうわけで、兄上。その女は諦めてください」
オズワルド様がそう結論を述べた。なんて酷い話なのか。
けれど……仕方がない、か。わたくしが罪人なのは事実。それで我が君の心が晴れるのなら本望だ。
わたくしはオズワルド様を愛している。
愛した御方の手によって殺されるなんて、なんて幸せな死に様なのか。
幸せよ。幸せなの。幸せでしょう。ああ、だからそこの馬鹿皇子。
なんでそんなにも、哀れな女を見るような目でわたくしを見るの?
「……ならばせめて、お前以外の手にかかるべきだっただろうに。惚れた男の手で殺されるなんて、あまりにも哀れではないか」
そんなことはない。そう言い返してやりかった。けれど、声はもう出せなかった。
こうなってしまった以上、言わないといけないことがあるのに。ここで我が身が朽ち果てるのだとしても、せめてあの御方のために六聖を、【永遠の騎士団】の在り方だけでも!
わたくしは我が君に向かって、残った手を伸ばした。
我が君は、その手を汚らわしいものでも見るかのような目で見て無視する。
違うの。別に嫌うのはいいの。ただ、お近くに。わたくしには触れただけで相手に言葉を伝えるスキルがあるから。最後の言葉を、最愛のあなたのために、どうか。
「ナター、リア、様」
「ナターリア? そこにいるのはオズワルドだぞ?」
なにを言っているの? わたくしにとっての最愛の御方は、ナターリア様をおいて他にいないというのに。
いや、違う。わたくしが愛しているのはオズワルド様だ。ナターリアなんていう女ではない。
違う。違う。違う。違う……はずなのに、耳にはあの女の声が木霊する。
頭に奔る鋭い痛み。忍び寄る死の影に、ようやく思い出すことができた。
そうだ。わたくしは、あの地下牢で、あの女に……。
「ふ~ん、これが噂の魔女?」
「ええ、姉上」
囚われ、処刑を待つ身だったわたくしの下に、一組の男女がやってきた。
黒髪の皇子オズワルドと銀髪の皇女ナターリア。二人は共にわたくしを汚いものを見る目で見る。特にナターリアなどは、侮蔑の視線を隠そうともしない。
「本当にこんな汚い女が役に立つの?」
「間違いなく。強奪スキルの恐ろしさは、姉上とてご存じでしょう?」
「奪われたのは取り巻きもほとんどいない雑魚どもじゃない」
「ヴォルフ兄上も奪われていますよ」
「あの人は自分から奪われに行ったんでしょうが。長期休暇って叫びながら走り寄っていったって聞いてるわよ」
「お労しや、兄上。激務の所為で錯乱して」
「誰よりも冷静な気がするけれどね。まあ、兄上のスキルが奪われたことはあたくしとしても助かるけれど」
「姉上のスキルをこれ以上知るものが増えないから、ですね」
「……オズワルド。あなた、あたくしのスキルをどうやって知ったの? あれを知っているのは、父上を除けばヴォルフ兄上だけだったのに」
ナターリアがオズワルドを射抜くような目で見る。
それに対し、オズワルドは肩をすくめた。
そのやり取りをぼんやりとした思考で聞きながら、わたくしは自然とスキルを行使していた。彼らの兄から奪った鑑定スキル。それはスキルや魔法のみならず、その詳細までを暴く規格外のスキルだった。
オズワルドのスキルは『調伏』――範囲内のモンスターを従えるスキル。
そして、ナターリアのスキルは『血属』――血を注いだ相手を自らの虜とする洗脳スキルだった。
「どうせモンスターを使って薄汚く這いまわったのでしょうけれど。……いいわね? 今回はあなたのためにあたくしのスキルを使ってあげる。その代わり」
「ええ、姉上のスキルのことは誰にも言いません。その女にも、そのように命令すればよろしいかと」
「当たり前よ。この女はあたくしの虜になるの。その上で、オズワルド。あなたに貸してあげるわ」
「功績もそうやって自分のものにするおつもりで?」
「ふんっ、どうせ槍はもうないわよ。父上の前ではああいったけれど、今回の任務は最初から無駄骨よ。あなたが引き受けてくれて清々したわ。むしろ、あなたの方こそ大丈夫なの? この女を使おうなんて、他の兄弟たちに恨まれるでしょう?」
「そこは使い方次第ですよ。私が欲したのはこの女の生殺与奪権です。そうすれば、私をよく思っていない何人かの心も変わるでしょう」
「この女を殺す代わりに、ってこと? あら酷い。女をそんな道具にするなんて」
「姉上にだけは言われたくありませんね。それに偽りの愛情を向けられても、ね」
「……オズワルド。口を慎みなさい。その言葉は、あたくしに対する戦線布告も同義よ?」
「申し訳ございません、姉上。私としましては、姉上に逆らうつもりはございません。ひらにご容赦を」
「ふんっ、そういうことにしておいてあげる。あたくしもあなたも、一番上の二人を処理しなければいけないという部分では方針が一致しているわけだしね」
牢の扉を開け、中にナターリアが入ってくる。
近くで見た彼女は、あまりにも白い肌をしていた。血の通っていない、白蝋の肌。
帝国の吸血姫。そんな呼び名にふさわしい女だった。
「だから、偽りの愛がどれだけ強力なものかは身をもって教えてあげるわ」
ナターリアは手袋を外す。その下には包帯がまかれており、それを解けば、治らないほど何回も傷が刻まれた手が露になる。
彼女は胸元からナイフを取り出すと、手慣れた様子で手首を切った。
したたり落ちる血は生き物のように蠢き、触手となってわたくしへ近づいてくる。
血の触手は猿轡の隙間から口内に入り込んでくると、わたくしの脳へと枝分かれしながら一直線に進んでいく。
頭の中を血の粒が跳ねまわる。その度に、自分のなにかが変わっていくのがわかった。
いや、戻っていくというべきか。スキルに侵されていた脳が、人間らしい機能を取り戻していく。
代わりに、ナターリアへの忠誠心が刷り込まれていった。
「オズワルド。同盟の証として、とびきり重たい愛情をあなたにくれてやるわ」
「それは困りますね。重たい女は趣味じゃないんだ。ああ、けどそこまで自信がおありなら、一人実験したい人物がいるんですが」
「黒騎士を手に入れたって噂は聞いたわ。なに? そいつも虜にしてほしいの?」
「ええ。今のままでは戦場に放り込んで暴れさせることくらしいしかできないので。頼めますか?」
「仕方ないわね。貸し一よ?」
「高い貸しになりそうですね」
「当然よ。精々、兄上たちを排除するのに役に立ってもらうわよ。あら?」
わたくしの顔を見て、ナターリアがニヤリを嗤う。
その手から流れ落ちる血が止まり、すべてがわたくしの中へと入りこんだ。
「ずいぶんと抵抗するのね。でもダメよ。無理よ。意味ないのよ」
ナターリアはわたくしの頭を掴むと、嗜虐的な顔で瞳を覗き込んでくる。
「あなたの人生はここで終わるの。あとはあたくしの操り人形。虜になって踊ることしかできないのよ。ざまぁないわね!」
「……ひ、ゃだ」
「いや? 嫌だっていったの? 今まで自分も同じようなことをしてきたのに? 貴方今嫌だって言ったの?」
吸血姫は嗤う。嗤う。
「ゴミが。皇女たるあたくしの命令を拒否する権利なんて、あなたにあるわけないじゃない! 喜んで受け入れなさいよ! 感謝しながら脳を入れ替えなさい!」
いや。いやよ。奪わないで。
わたくしの命よりも大事な自分自身を、そんな簡単に奪わないで!
そう思うのに、彼女の血が頭の中で爆発する。大事なものを壊して、その代わりに偽りの愛情を刻んでいく。
「さあ、教えてゴミ女。あなたの愛する人は、だぁれ?」
ナターリア様が聞く。
それに、わたくしは笑みを浮かべながら答えた。
「はい。わたくしは、オズワルド様の、愛の下僕です」
「よくできましたぁ! あはっ、あはははははは!」
哄笑が響く。それを聞きながら、わたくしはこちらを冷たい目で見る少年を。
「……ああ、我が愛しの君」
思い出した。どうして自分がオズワルドを愛し、その命令に従っていたのか、すべてを思い出した。
そうだ。すべては偽りの愛情。わたくしはこの男を愛してなどいないし、この男もわたくしなんて愛していない。
なんて滑稽な。こんな男のために懸命になって駆けずり回っていたなんて。
……いや、そうでもないか。
男の命令に従うと口にはしつつも、わたくしは強奪スキルでスキルを奪うことを優先していた。ナターリアの虜になっても、愛にうなされても、わたくしという人間の本質は変わらなかったらしい。
わたくしは強奪の魔女。簒奪者と、そう呼ばれた犯罪者。
ならば、この結末は当然の末路といえよう。
偽りとはいえ、愛した男に殺されて死ぬ。惨めで哀れで、なんてふさわしい罰なのか。
自嘲の笑みがこぼれる。
オズワルドに向かってのばした手は、誰に届くこともなく、地面に落ちる。
その前に――そっと、その手を握る人がいた。
見れば、ユーヴェインが酷く悲しそうな目でわたくしの手を握っていた。
どうしてわたくしの手を握るの? あなた、わたくしのことが嫌いなのでしょう?
きっと、そう聞けばこの男は頷くのだろう。それでもユーヴェインは一緒の任務についた仲間として、わたくしを看取ろとしていた。
「さらばだ、イライザ。貴公の犯した罪が許されることはないが、我らのために行ったその最後の献身を、私は忘れないとここに誓おう」
なんて甘い男なのだろう。これでは弟に皇位継承権で上を行かれても仕方がないというものだ。
「……馬鹿な、人」
たった一言の言葉を贈る。
同時に、最後に切り替えたスキルを使って、握られた手を伝ってその情報を彼に伝えた。
――わたくしを倒したあの子を、味方につけなさい。
それが彼に正しく伝わったかはわからない。伝ったとしても、それを彼がどう使うかはわたくしの知るところではない。
ほんの少しの感謝と、わたくしの意思を奪った彼ら彼女らへの意趣返しに過ぎないのだから。
そうだ。わたくしは結局、最後の最後まで変わらなかった。
奪って生きて、奪われて死ぬ。
魔女の結末として、当たり前のように死ぬのだ。
けれど……ああ、けれど。
皇子様の腕に抱かれ、献身を讃えられて死ぬだなんて。
スラムで生まれ育ち、罪ばかりを犯して生きてきた罪人の末路としては。
きっと望むべくもない、上等な結末なのだろう。