分身スキルの最強戦術って自爆特攻じゃね? 作:sasarax
《別視点》
六聖教会は悪である。
たしかに勇者ハルルカンは人類の救世主だった。
そこに疑いの余地はなく、かの者の行いを否定することは誰にもできない。
しかし後継を名乗る六聖教会は、果たして救世の担い手にふさわしいのだろうか?
人類を守って来た。人類領域を守護してきた。
そう謳って、彼らは有り余る力と権威を振りかざす。
そうして得られたものは平和でも平穏でもなく、人類同士が争う醜悪な世界だ。楽園の奪還など夢のまた夢で、逆に大陸の半分を失ってしまっている。
すべては世界の舵取りをしてきた六聖教会の責任。
教皇ネルこそ、世界をここまで腐らせた諸悪の根源なのだ。
正さなければならない。本当の意味で、この世界を救わなければならない。
そのために、まずは今の乱れた秩序を壊さなければならない。古い世界のすべてを一掃し、炎をもって浄化する。その後に、正しき世界を築くのだ。
世界の破壊と再生――経典に書かれていた教義は、かいつまんで説明すればそんな内容だった。
一部はまあ正しいことを言っているのかもしれない。六聖教会がモンスターを駆逐できていないのは事実だし、人類領域の半分を失ったことも真実だ。
だからといって人類守護の祈りを捧げている教皇聖下を悪と断じるのはどうかと思うし、平和をもたらすために一度世界を滅ぼすという考え方には賛同できない。いかにも異端の宗教らしい過激な内容である。
変な奴ら。怖い。近寄らないでおこう。
一般人の反応はそんなものだろう。熱心な六聖教会の信者なら怒り狂って反論するかもしれないが、基本的には忌避感を覚えて関わることを避けるはずだ。
しかし不思議なもので、そんな教えを信じてしまう人もいるのである。
ましてや、そんな宗教施設と化していた村で生まれ育った人間ならなおのこと。幼い日のあたしにとって、その考えが世の常識だった。
周囲にいる子供たちもそうだった。
親がそうだったから。周りの大人がそうだったから。六聖教会は悪の組織だと寝物語に聞かせられ、悪の首魁である教皇ネルを倒すために、小さな頃から厳しい修行を課される。
剣や槍、弓の稽古から始まり、音を立てない歩き方やばれない尾行のやり方、笑顔の作り方から人の懐に入り込む話術、さらには寝所で男女問わず骨抜きにする作法まで、ありとあらゆる暗殺術と諜報技術を叩き込まれる。
同時に教義を疑わないように洗脳教育を施され、完成したところで一人前の暗殺者として出荷される運びとなる。
あとは誰とも知らない教団の主の指示の下、身命を賭して六聖教会を打倒する青春に身を捧げることになるわけだ。
……今になって思い返してみれば、異常極まりない場所だろう。
当時のあたしにしても、そんな過酷な場所に愛着があったわけではない。
訓練は辛いし、遊ぶ時間もまったくない。なにより食事だ。毒に耐性をつけるためだと、毒入りのご飯や腐りかけの残飯を食べさせられる。それが幼い頃のあたしにとって、なによりも辛かったのを覚えている。
家族の愛とも無縁だった。父と母を名乗る人はいても、本当に血のつながった両親なのかは定かではない。守ってはくれても、大事にはしてくれなかった。
それでもそんな生活を疑うことはなかった。疑う余地もなかった。
そのまま行けば、あたしもいずれどこかに出荷され、教会関係者の誰かを殺し、異端審問でも受けて処刑されていたことだろう。六聖教会に逆らった者のお決まりの末路だ。
そうならなかったのは運がよかったから。
そうなる前に、お母さんがすべてを壊してくれたからだった。
あとで聞いた話になるが、お母さんは六聖教会から依頼され、あたしが生まれ育った暗殺者の里を滅ぼす任務を引き受けたのだそうだ。
どこから情報がもれたかはわからないが、教皇を殺さんと企む兵を育てている場所だ。教会にばれた時点で必滅が当然であり、事実容赦なく村人たちは皆殺しにされた。
唯一、まだ洗脳されきっていない子供だけが生存を許された。あたしもそのうちの一人で、そのまま教会が出資する孤児院へ放り込まれることになった。もちろん、他の子供とは別々にだ。
あなたたちが教えられてきたものは正義ではありません。
あなたたちが学んできたものは当たり前ではありません。
世の一般常識というものに、そこで初めて触れることになった。
孤児院の神父様が語る言葉に、ああそうなんだ、とどこかで納得しつつも、結局それも六聖教会が用意した正しさなんだろうな、と醒めた部分が冷笑する。
それでもこの世界で生きる人間として、正しいのは教会の教えで、間違っていたのは両親の教えだった。あの人たちはどうしようもないほどに悪だったのだ。
そのまま行けばあたしに施された異端の洗脳教育は解け、正道の教育に染まっていただろう。必死になって学んだ殺人技術は錆びつき、修道女かなにかにでもなっていたのではないだろうか。
そうならなかった理由は前ほど劇的なものではなく、至極単純なことだった。
孤児院のご飯も美味しくなかった。そこも、悪徳施設だったのだ。
あたしが預けられたのは帝国西部にある孤児院だった。
王国に比べて、帝国の孤児院は色々とお粗末だ。聖都から遠く、出資している教会の監査の目が届かないからである。
その中でもあたしがいた孤児院を経営していた神父様はお金にうるさく、寄付金を袖の下に入れることになによりも熱心な人だった。
相手を安眠させるというだけのスキルでも、スキルを持っていたあたしは孤児としては貴重な人材だったらしい。幼い子供が大好きだと言う帝国貴族に、奉公に出るという名目で売り飛ばされ、貞操が普通にピンチな状況に陥ってしまった。
しかしそこで幼い頃に学んだ暗殺技術が役に立った。立ってしまった。
組み敷こうとしてきた貴族の股間をサクリと破壊すると、見張りの目を搔い潜って館から抜け出すことに成功する。
なんとか危機は脱したが、孤児院に戻ることはできず、かといって行く宛もない。
暗殺者としてやっていくしかないかと思い始めていたとき、あたしは街でその名前を耳にした。
クインシア。銀翼のクインシア。忘れもしない家族の仇だった。
よし、やるべきこともやりたいことも特に思いつかないし、家族の敵討ちをしよう。そう思い立ったあたしは、クエスト中で街の外に出た彼女に襲い掛かった。
奇襲は当たり前のように成功し、クインシアに深手を負わせることに成功する。
しかし仕留め切れなかった。最後の最後、ナイフを振り下ろした瞬間に殺してもいいのかと迷ってしまった結果、狙いが逸れてしまった。
そのまま反撃に遭い、あたしは縛りあげられる。奇襲を避けられてしまえば、十歳の子供なんて所詮そんなものである。
この場で殺されるか、兵士に突き出されるか、どちらにしてもこれでお終い。
家族の仇は討てず、あたしの人生はここで終わる。
……と思ったのだが。
あの日、あのときと同じように。
クインシアは、やはりあたしを殺そうとはしなかった。
「どうしてあたしを殺さないんですか?」
宿の一階、食堂になっていたその隅の席。
拘束を解かれたあたしは、クインシアと同じテーブルを囲んでいた。
背中に深い傷を負ったはずの彼女は、しかし平然とした様子で背筋を伸ばして対面の席に座っている。湯冷ましの水と豆のスープ、それと芋が混ぜられたパンを無感動に口にしていた。
あたしの目の前にも同じ食事が用意してある。
お金なんて持っていないので、当然彼女が奢ってくれたものだ。
それには当然手を付けず、あたしはクインシアを睨みすえて同じ質問をぶつける。
「答えてください。どうしてあたしを殺さないんですか?」
「殺す理由がありませんから」
今度は質問に答えが返ってきた。
「殺す理由がない? あたしが殺そうとしたのにですか?」
「ええ。だって、あなたが私を殺そうとするのは当然のことでしょう?」
「当然って……」
「私はあなたの父親を殺した。母親も殺した。他の家族も殺しました。であれば、報復するのは残されたあなたにとって当然の権利でしょう」
どうやらあたしのことは覚えていたらしい。
「……そう思っているのに、あのときあたしを見逃したんですか?」
「あなたは罪を犯していませんでしたからね」
「でもあたしを見逃せば、またあなたを殺すかもしれませんよ?」
「どうぞご自由に。私に止める権利はありませんので」
「……なるほど。あなたを殺そうとする行為は、あなたにとっては罪に該当しないんですね」
最初に手を出したのは自分だから。その一点で、クインシアはあたしの蛮行を許すらしい。
「ならあたしの一撃で死んでおいてくださいよ」
「それもできません。襲われるのは当然ですが、それを跳ねのけるのもまた当然のこと。生きている以上は、自分の命は守らなければなりません」
「殺すあたしは見逃しても、殺されること自体は見逃せない?」
「そういうことですね」
なんだか頭が痛くなってきた。
彼女の中では筋の通った話なのだろうが、聞いているこちらとしてはよくわからない思考回路だった。自分の命が大事なら、当然狙ってくる人間なんて排除しなければならないはずなのに。少なくとも、六聖教会の神父様の語った世間一般の常識では理解できない話だった。
むしろ、幼い日の頃の教えから逆算した方が理解がしやすい。
きっとこの女は、六聖教会があたしをなんらかの理由で悪と断じたのなら、容赦なく殺しに来るだろう。でもそうじゃないから殺さない。自分の命が狙われているのだとしても、教会の敵じゃないから罪には問わない。
教会が正義。それに反する者が悪。それがクインシアの教義なのだ。
ひとつの正義に殉じる。そのためなら誰でも殺すし、誰でも許す。幼いあたしからすべてを奪い、太陽の下に連れ出したのは、そんな信仰の戦士としてひとつの完成形みたいな女だったのだ。
気持ちが悪いとは思わなかった。
ただ、なんとなく納得だけはしてしまった。
こんなにも正しい人が家族を殺し、村を滅ぼしたのだとすれば……やはり間違っていたのは家族やあの村の方だったのだろう。あたしの心の奥底にへばりついて消せない教会への敵意は、きっと間違いでしかない。
……どうしたものか。
この世界で生きていくには、この感情は邪魔だった。
せめて孤児院の神父様がまともな人で、美味しいご飯を毎日食べさせてくれる善人だったら、今頃はあたしも綺麗さっぱりこの憎悪を洗い流せていただろうに。
そういう意味でも、目の前の女はあたしにとって仇と言えた。あそこが一番簡単で、一番わかりやすい改宗のタイミングだったのに。
「あなたはどうしてあの孤児院にあたしを預けたのですか?」
恨み節をぶつけるように、あたしは美味しくもない食事を眉ひとつしかめることなく食べ終えたクインシアに問う。
彼女はどうしてそんな質問をされるのかわからないようで、年齢に似合わない可愛らしい仕草で小首をかしげる。
「どういうことですか?」
「あそこの神父様はですねぇ」
あたしは襲撃に至った経緯を語った。
「あなたがもう少しまともなところに預けてくれていたら、あたしも今頃はもうちょっとまともに生きていたかもしれません」
「それは……申し訳ないことをしましたね」
そこで初めて、女は謝罪の言葉を口にした。
「教会が出資をしている孤児院ということで、よく下調べもせずに頼ってしまいました。寄付金も積んだので、あなたが大人になるまで問題なく生活できると思ったのですが……」
「うわぁ、わかりやすい間違いをしちゃってるじゃないですか」
「面目次第もございません」
深々と頭を下げられる。十は年下の子供に向かってこの低姿勢。あの日見た美しい戦乙女とは思えない姿だった。
「すぐ孤児院の調査を知り合いにお願いします。あと別の孤児院も探しますので、見つかるまでは私と一緒に行動してください」
「……両親の仇であるあなたと一緒に?」
「ダメでしょうか? その方が殺す機会にも恵まれると思いますが」
「はあ……それは、そうだと思いますけど」
しかも自分を襲ったあたしの世話をしてくれるという。
う~ん。一緒に行動するのはその理由でよしとしても、この調子ではまた変な孤児院に預けられかねない。たぶんこの人、六聖教会の関係者がニコニコ笑顔で接して来たら、簡単に信じてしまうに違いない。
よくも悪くも、まっすぐすぎるくらいまっすぐな人なのだ。
「あたしの孤児院探しはいいです。それ調査費用を使って、美味しいご飯を奢ってください」
「美味しいご飯、ですか?」
「はい。よくわからないところに寄付金を積まれて放り込まれるよりも、そっちの方がよほどあたしは嬉しいです。もっとも、こんなご飯を食べてるくらいですから、あなたもお金があるわけじゃないと思いますけど」
安宿の最低価格で頼める食事だ。懐具合は透けて見える。
「たしかに、美味しい食事というものがどれだけ高いかは知らないのですが」
そう言って、彼女は懐から財布を取り出し、あたしに差し出した。
不用心だと思いつつ受け取って、中身を覗き込む。
たくさんの金貨がまばゆいばかりに輝いていた。
「なんでこんなにお金があるのに、こんなご飯を食べてるんですか!?」
「食事など、腹に入れば同じでしょう?」
迷いのない瞳をしていた。ドン引きである。
「あ、あたしですら美味しいご飯を食べたいって欲求があるのに、あなたには自分の欲望というものがないのですか?」
「欲望、と大層な名前をつけていいかはわかりませんが」
やはり迷いのない瞳で、彼女は恥ずかし気もなくその願いを口にする。
「今日より明日の世界が平和であればいいと、そう思っています」
「……実はあなたも、どこか秘密の里で育てられたりしていますか?」
「いえ、両親ともに畑で作物を育てています」
「じゃあ、あなたはどうやってそんな風に育ったんですか? 幼い頃に六聖教会に引き取られて、パラディンとして英才教育でも受けたのですか?」
「いえ、特には。十歳までは村で普通に育ち、そのあと口減らしとして捨てられたので、それ以来冒険者をやっています。ああでも、村でも、冒険者になってからも、毎日の祈りを欠かしたことはありません」
どこか自慢気だった。どのあたりが自慢になっているのかはわからなかった。
たぶん特別な理由はなかったのだろう。
単純に、生まれたときからこの人はこういう人なのだ。
あたしも暗殺者として教育されたにしては能天気が過ぎると注意されたことがあったし、どんな環境で育っても生来の気質というものは存在するのだろう。
「……お金があるなら、遠慮なく頼んでもいいですか?」
「構いませんよ。そちらの食事は私がいただきましょう」
あたしの目の前の粗末な食事を自分の前に引き寄せる。
「いえ、そちらは二人で食べましょう。どんなに美味しい食事でも、目の前でそんな食事を食べている人がいたら台無しです」
「私は気にしませんが?」
「あたしが気にするんです!」
気まずいじゃないですか!
「そういうものですか。昔から、一人で食事をしていたので気にしたことはありませんでした」
彼女はそんな寂しいことを気にした素振りもなく口にすると、硬いパンを半分に割り、片方をあたしに差し出した。
「どうぞ。半分こ、です」
「……半分こ、ですね」
パンを受け取る。
かじってみれば、混ざりものがされたパンらしいお粗末な味がした。食べ慣れた味といえば食べ慣れた味。昔の残飯よりはいくらかマシという味だ。
けれど。
不思議なものだ。
家族の仇である女と一緒に食事をとっている。そう思うと、なんとも言えない気持ちになって、パンもいつもと違う味に感じられた。
でもやっぱりまずい。
「このパンを頼むくらいなら、豆のスープを大盛にすべきじゃないですか?」
「言われてみればそうかもしれませんね。なぜでしょうか。いつも、特に意識せず頼んでいるのですが」
よくよくパンを見ながら彼女は口に運ぶ。モグモグと、規則正しい回数咀嚼する。
「……そういえば、昔、お母さんがご馳走として作ってくれたパンとよく似た味をしています。もしかしたら、それが懐かしかったからなのかもしれません」
「なんだ。味の好みがちゃんとあるんじゃないですか」
先ほど腹に入れば一緒だと言っていたから食事なんてどうでもいいと思ってるとばかり思ったのだが。
やはり彼女も、一応は人間ということなのだろう。
であれば……もしかしたらこの先、心変わりをする日が来るかもしれない。
正しいこの人が、間違った選択をする日が来るかもしれない。
使命よりも感情を優先させ、信仰を踏みつける日が来るかもしれない。
見てみたい。そう思った。
綺麗なこの人が、薄汚れたただの人間に堕ちた瞬間を、この眼で見てみたい。
そうすればきっと、あたしはもう迷わないで済む。
迷うことなく、この人の心臓にナイフを振り下ろせるはずだ。
この人は強いが、あたしなら殺そうと思えばいつでも殺せる。
必要なのは、そのために自分の心の迷いを振り払う方法だ。
「お母さん」
あたしがおもむろにそう呼ぶと、彼女は不思議そうな顔をする。
「お母さんと、そう呼んでもいいでしょうか?」
「私を、ですか?」
「はい。あたしのお母さんになってください。変な場所に預けた責任を感じてくれるのなら、いっそのことあたしを引き取って育ててほしいんです」
無茶なお願いを言っている自覚はあった。
けれどこの人なら断らないだろうという確信もあった。
実際に、しばし考え込んだ彼女が感情的に拒否することはなかった。
「生憎と、私に子育ての経験はありません。それどころか、あなた以外の子供と接したこともないのですが」
「大丈夫です。あたし、美味しいものを食べさせてもらえれば、割とそれで満足ですから。あ、もちろんそうしてくれている間は襲ったりしませんから安心してくださいね」
「……そうですか」
困ったような顔でまたしばし悩んだあと、
「仕方がありません。ここであなたを引き取らないというのも、正しくはないと思いますから」
「そうですね。あたしもそう思います」
「わかりました。あなたを引き取ります。しかし引き取るからには、厳しく育てますよ。間違った道に進ませるわけにはいきませんから」
「それはこっちの台詞です。あたしは別に、あなたのことを許したわけじゃありませんので」
そうだ。復讐の炎が消えたわけではない。
ただ、あのとき正しかったのはこの人の方なのだと、そう受け入れただけ。
だから――
「あなたがもしも間違ったら、そのときは容赦しません。今度こそ、その心臓に背中から刃を突き立てます。――それでいいですよね? お母さん」
「ええ、そのときはどうぞ遠慮なく」
銀翼の戦乙女はあの日と同じく、どこまでも綺麗に。
「あなたが私を殺しなさい。パトリシア」
それがあたしとお母さんの、忘れてはいけない約束。
だから――あたしはあの人にだって、本当のことは言っていない。
あたしは能天気だ。それは否定しない。
美味しいご飯さえ食べられればそれでいいと、そう言った言葉も嘘じゃない。そんな日々が一生続くなら、あたしの人生は幸せだった思いながら死ねるはずだ。
それがパトリシアという人間。
きっとお母さんも、フィアーさんも、あたしのことをそう思っている。
……リリちゃんはちょっと怪しいかなぁ。
あの子もあの子で、あたしと同じように表情と内心が食い違っていることがある。あたしは努めてそうしているが、あの子の場合はそうすることに慣れてしまったがゆえに、本心と表情が異なっていることがある。
たぶん、本当のリリちゃんはかなり愉快な子だ。
でなければ、人をパトちゃんなんて呼び出して、あたしに自分のことをリリちゃんと呼んでなんて言い出さないだろう。
観察眼の鋭いあの子だけはきっと、あたしの本心を見抜いている。
天真爛漫なパトリシアをどこからか見下して冷笑する、冷たいもう一人のあたしに気付いている。
……ああ、そうだ。
結局のところ、あたしの奥底にあるのはそれなのだ。
幼い頃、あたしが徹底的に叩き込まれたのは暗殺術であり、諜報技術である。他者をだますために本心を隠して笑うのではなく、どんなときでも本心から笑えるように自分をだます術。
笑顔で誰かを殺せる暗殺者として育てられ、完成間近だった生き物があたしだ。
だから努めて嘘は吐かないようにしているけれど、本当に一番大事な刃は誰にも言わずに隠し続けている。
当然だろう。誰だって、好きな人とは離れたくない。
お母さんに引き取られて四年。
最初は殺すために近づいた。けれど親子として過ごしていくうちに、この人の隣は居心地がいいと感じるようになってしまった。
小言は多いが、美味しいご飯を食べさせてくれる。モンスター食も止めはしても、力づくでやめさせようとはしない。
教会が絡まなければ、なんだかんだ優しくて甘い人なのだ。
それに小言にしても、あたし的には雑に扱われれば扱われるほどに、ちょっとだけ嬉しい気持ちになる。この人はあたしの本当のお母さんになってくれようとしている、ううん、そのつもりでいると、そう思えたから。
思えば、最初のお父さんとお母さんは違った。
厳しく育てられたが、それでもそれ以外のところでは恭しく接してきた。祖父という名の、祖母という名の、兄という名の、姉という名の、護衛をつけられて村の一番安全なところで育てられた。
きっと、あたしは本命だったのだと思う。
他の子供たちが教会関係者を殺すために育てられたというのなら、あたしは教皇ネルを殺すために育てられた。
それができそうな唯一の人材だったから。
そのためのスキルを授かっていたから。
だからあたしは、あの邪教の集団でこう呼ばれていたのだ。
『――聖女パトリシア。どうかこの世界に破滅と再生を』