明治・大秘密結社時代 〜社畜が転生したら10歳で暗殺組織の幹部(笑)でした。給料未払いは美学に反します!〜 作:だいたい大丈夫
人食い熊事件の真相、そして時の番人たちの実力と考え方の違いが明らかになります。
【悪徳役人の屋敷 地下への階段】
俺たちは今、悪徳役人の屋敷のさらに奥深く、隠されたように存在する地下への入り口の扉を押し開けているところだ。
石造りの階段が、まるで地獄の底へと続くかのように、どこまでも暗く下へと伸びている。
俺と連子は、その階段を一段、また一段と慎重な足取りで降りていく。
一歩降りるごとに、生ぬるい空気が足元から這い上がってくるのを感じる。
そして、それと同時に鼻腔を強烈に突き刺すのは、錆びた鉄のような匂い。
前世で満員電車の空気や、何日も風呂に入っていない徹夜明けの同僚の匂いには慣れている俺の社畜センサーでさえ、この異常な環境には警報を鳴らしっぱなしになる。
「ぐええ……臭え!」
「なんだこの匂い。換気どうなってんだよ。建築基準法違反で営業停止レベルだぞこれ」
「臭いです〜。死にます〜」
背後を歩く連子も、同じように鼻をつまんでいる気配がする。だが、その足音に一切の迷いはない。
「でも奥に進みましょう〜。この先にきっと、私を待つお宝……じゃなくて、事件の真相があるはずですから〜」
「お前、今本音がダダ漏れだったぞ」
振り返って半眼を向けるが、暗闇に阻まれて彼女の表情までは窺えない。
「この匂いは……生臭い……」
ただの獣の匂いじゃない。動物園の檻の前で嗅ぐような獣の匂いとは明らかに違う。
◇
階段を降りきると、そこには広大な地下の広間が広がっていた。
壁に設置された松明の揺らめく炎が、部屋の全貌をゆっくりと照らし出していく。
目の前に広がっていたのは、この世のものとは思えない地獄絵図だった。
部屋のあちこちに、太い鉄の棒で作られた頑丈な檻がいくつも設置されている。
そして中央には、黒ずんだシミがこびりついた、皮帯のついた無機質な拘束台が鎮座している。
そこには、人間の腕や足、ボロボロに引き裂かれた衣服の残骸が、無造作に散乱していた。
全身の血の気が一瞬にして引いていく。
呼吸が浅くなり、心臓が早鐘のように打ち始める。
子供の身体には、この光景はあまりにも刺激が強すぎる。中身が三十路の大人であっても、こんな狂気の世界を直視できる人間などそうはいない。
「ふふふ……ここを……こうすると〜?」
「ぎゃあああああ!!!!」
拘束台の上に縛り付けられている血まみれの男が、全身を海老反りにしている。
「なるほど、なるほど……この腱を切ると腕が上がらなくなるか……」
「なら、こちらの筋肉はどうかな……?」
「いやああああはああ!!!!!!!」
今度は、隣に転がされている女性が、悲痛な声を上げる。
「おや、痛みで気絶してしまったか」
悪徳役人と思われるその男は、悪びれる様子もなく、つまらなそうに息を吐き出す。
「もう少し強くやってみるか……。人間の身体というのは、本当に脆くて面白いおもちゃだねぇ」
「こ……この人達は……!」
「……遺体の損壊具合」
背後で、連子が普段のふざけた態度を消し去り、氷のように冷たい声で呟いた。
「まさか、熊の仕業に見せかけて、人間が自らの手で切り刻んでいたとは……。あのおぞましい傷跡は、獣の爪ではなく、人間の狂気が作り出したものだったんですね」
この男は、熊の獣害を隠れ蓑にして、自分の異常な性癖を満たしているだけの完全な猟奇殺人鬼だ。
前世で、理不尽な労働やパワハラには散々耐えてきた。だが、命を弄ぶこんな外道の所業だけは、絶対に許すことができない。
奥歯をギリッと噛み締め、怒りのあまり無意識に一歩、前へと強く足を踏み出す。
ザッ、と石の床を擦る音が、地下室の静寂を切り裂いた。
手には、鈍い光を放つ鋭利なメスが握られている。
「おや?」
役人は、俺たちを見ても慌てる様子を見せない。
それどころか、珍しい客人を歓迎するかのように、目を細めてニタニタと笑う。
「何者かな??私の聖域に勝手に入るのは感心しないな。ここは私の大切なアトリエなんだよ」
『おい……こいつは……狂ってる』
完全に狂気に支配されている。罪悪感など欠片もない。人間を自分と同じ命を持つ生き物だと思っていない、本物の化物だ。
「むむ?君たち、子供と……若い女!」
「良いですね!実に素晴らしい!君達!私に最高に美しく切り刻まれてみないか?」
「あ?」
「これはいい趣味なのだがね。子供や若い女の肉体は非常に貴重でね、柔らかくて反応が良いんだよ。悲鳴が素晴らしい楽器になるんだ。私の指揮で、君たちも最高の音楽を奏でてくれないか?」
役人は恍惚とした表情で、血塗られたメスを指揮棒のようにヒュンヒュンと振り回す。
「なんでこんな事をしている??」
「役人なら、もっと真っ当に生きられるだろうが!金も権力もあるはずだ。なんでこんな狂った真似をする必要がある!」
「趣味といったよ?」
役人は全く理解できないというように、きょとんとした顔で小首を傾げる。
「せっかく得た権力と地位だ。面白おかしく生きたいじゃないか。他人の命を自分の手のひらで転がす。これ以上の極上の娯楽が、この世にあると思うかね?え?」
おぞましい笑みを浮かべ、彼は息も絶え絶えになっている女性の腹へ、再びメスを突き立てようと腕を振り上げる。
「いやあああ!!!!!!!」
「この!!!」
身体が、思考よりも先に動いていた。
咄嗟に腰に下げている十二本の短剣『刻巡刃(こくじゅんじん)』の一本を引き抜き、渾身の力を込めて役人に向かって投げつける。
暗殺組織の特務部隊四番としての、これが初の実戦攻撃だ。
ガンッ!!
鈍い音が地下室に響く。
「いてっ!」
「……痛いじゃないか。大人の高尚な趣味を邪魔するなんて、最近の子供は礼儀というものを知らないのかね……全く理解できないですかね……」
『くそっ!』
当たったはいいが、刃じゃなくて柄のほうが当たったみたいだ……!庭で筋肉ダルマから逃げ回りながらちょっと素振りしただけで、まともに投擲の訓練なんてできてないからな……!コントロールが酷すぎる。重心すら把握していない中二病武器め!
「私のやることの邪魔をするなんて……全くふざけるなよな!!!!!!」
完全に逆上した役人は、額に青筋を浮かべ、怒りの矛先を再び拘束台の女性へと向ける。
腹いせのように、女性の足や腕をメスで何度も何度も、浅く刺し始める。
「やめて!!!!!ぎゃああ!!!!」
切り傷一つ一つは浅いが、それがもたらす苦痛は想像を絶するものだ。
「せっかく気分良かったのによお!!!」
「……まあ良いです。君たちは、こいつの『餌』になってもらおう。極上の餌が手に入ったとあれば、あいつも喜ぶだろうて」
役人がニヤリと笑いながら後ずさりし、部屋の一番奥にある壁際に設置された、大きな鉄格子のレバーに手をかける。
ガシャン!
金属音と共に、鉄格子の檻が上に開く。
すると、その奥の漆黒の暗闇から、大地の底から響いてくるような、地鳴りのような重低音の唸り声が聞こえてくる。
グオオオオオオオオ!!!!
暗闇の中から、ドスンドスンと重い足音を立てて姿を現したのは、体長二メートルは優に超えるであろう、規格外の熊だ。
目は血走り、口からは生臭い涎をダラダラと垂らし、鋭い牙を剥き出しにしている。
「マジか!!!!」
あんな化物、どうやって倒すんだ。前世の動物園で見たヒグマより遥かに大きく凶暴そうだ。
「連子!下がってろ!俺の後ろにいるんだ!!」
本能的に両手に『刻巡刃』を構え、震える足を踏みとどまらせて、連子を庇うように一歩前に出る。
相手は人食い熊だ。文字の読めないアホとはいえ、仮にも俺の部下である連子を食わせるわけにはいかない。
「朗人さん、勝てるんですか!?そんな短いオモチャみたいな短剣で!!」
「わからん!!」
「俺だってこんなの相手にするの初めてだよ!でも、こういう時は男が前に出るのが当然だろうが!!ブラック企業で鍛えた俺の根性を見せてやる!!」
グオオオ!!!
熊が立ち上がり、その圧倒的な質量を揺らしながら、一直線に拘束台の方へと向かっていく。
その目は、俺たちではなく、拘束台で血を流している女性に釘付けになっている。
あいつ、血の匂いにつられて、拘束されたさっきの女の人を食べるつもりだな!
熊の狙いを察知し、さらに焦燥感が募る。
このままでは、目の前で女性が生きたまま食い殺されてしまう。
「くそっ!ここから目を狙えば……!この!!!」
両手に持った短剣を、祈るような気持ちで熊の顔面めがけて連続で投擲する。
シュッ!シュッ!と空を切って飛んでいく短剣。
しかし、素人が投げた短剣は、またしても緩やかな山なりの軌道を描き、熊の顔面ではなく、その背中の毛皮にポスッ、ポスッと情けない音を立てて当たる。
そして、熊は短剣が当たったことすら全く意に介さず、『刻巡刃』はポロポロと虚しく床に落ちていく。
「くそくそくそ!!全然ダメージ入んねえ!!毛皮が硬すぎるのか、俺のパワーが足りないのか!どっちにしろ全く効いてない!」
残りの短剣を握りしめながら、絶望の淵に立たされる。
こんなおもちゃのナイフで、あの動く肉の要塞にどうやってダメージを与えろというのだ。
「終わった!!俺の転生ライフ、第二の人生はここで熊の胃袋の中でフィニッシュかよ!!労災も降りないブラック任務で!!」
悲痛な声が、血塗られた地下室にこだまする。
熊の鋭い爪が、拘束台の女性に振り下ろされようとしている。
自分の無力さを呪いながら、それでも前に飛び出そうと足に力を込める。
逃げることなどできない。
俺は、時の番人の四番なのだから。
【悪徳役人の屋敷・地下室】
絶体絶命。
迫り来る人食い熊。
俺の投げた中二病短剣『刻巡刃』は、硬い毛皮に弾き返され、全くの無力だった。
死を覚悟したその瞬間――。
パパァァァン!!
空気を鋭利な刃物で切り裂くような、甲高い破裂音が地下室に響き渡った。
「四番。……何を遊んでいるの?」
静寂を破ったのは、氷のように冷たく、そしてドス黒い殺意を孕んだ女の声だった。
ハッと目を見開くと、目の前の信じられない光景に息を呑んだ。
さっきまで突進してきていた熊の全身に、漆黒の『鞭』がギリギリと食い込むように巻き付いていたのだ。
まるで大蛇が獲物を締め上げるように、熊の身体を完全に拘束している。
「あ……この人は……朝比奈さんだ!!」
あの細腕の鞭一本で、熊の突進を完全に止めている。なんて馬鹿力だ。しかも片手で。
入り口の階段の深い影から、ダボダボの作業服を着て、長い前髪で目を隠した朝比奈加里がゆっくりと歩み出てきた。
しかし、その足取りにはいつものようなオドオドとした気弱さは微塵もない。
そして、その声は俺が知っている小動物のような蚊の鳴く声ではなく、絶対零度とも言える冷酷さを帯びた、女王のそれだった。
「時の番人の十一番、朝比奈加里です」
彼女は、静かに、しかし威圧感たっぷりに名乗った。
「え!!この人が、俺と同じ『時の番人』……十一番!?」
あの、駅で「お茶しない?」と声かけただけでバク転で逃げ出した超絶陰キャ清掃員が、俺と同じ暗殺組織の特務部隊だっただと!?
世間狭すぎだろ!ていうか、人事の採用基準どうなってんだ時守!
「なんと無様な……」
加里は、俺と、俺の背後に隠れている連子を見下し、吐き捨てるように言った。
「時の番人ともあろう者が、図体ばかり大きい熊ごときに手こずり……しかも、標的を確実に殺す機会を逃すなんて……。反吐が出るわ」
その辛辣な言葉は、俺のプライドをグサリとえぐった。
しかし、彼女の言葉に激怒したのは俺だけではなかった。
拘束された熊が、自らの力を誇示するように、グオオオッ!と激しく咆哮し、暴れ狂ったのだ。
その凄まじい力は、加里の華奢な身体を、鞭ごと天井近くまで跳ね上げた。
「あ、危ない!!」
いくら時の番人でも、あんな獣に振り回されて壁に叩きつけられたらひとたまりもない。
しかし、加里は空中で全くパニックに陥っていなかった。
むしろ、眼下の熊を見下ろしながら、余裕の笑みすら浮かべていた。
「時の番人に敗北は許されない。なぜなら……」
空中で身を翻した加里の右腕が、ブレて見えなくなった。
俺の動体視力では、彼女の腕の動きを捉えることができない。
ただ、彼女の手から伸びる漆黒の鞭が、肉眼では追えないほどの超絶的な速度でうねり、空気を切り裂く唸りを上げているのだけが分かった。
「――轢断軌道(れきだんきどう)……」
加里が、静かに、死神のような宣告を下した。
グオオオ……、グオ……ッ!!!!!!
ドパァァァァァッ!!!
地下室に、凄惨な血飛沫が舞った。
鉄の匂いが一気に濃くなる。
俺は自分の目を疑った。
なんと、加里が放った高速の鞭の乱舞が、一瞬にして熊の全身を、文字通りサイコロステーキのように『轢断』したのだ。
硬い毛皮も、頑強な骨格も、彼女の鞭の前では豆腐と何ら変わりなかった。
ドスンドスン、という鈍い音を立てて、かつて熊だった肉塊が床に崩れ落ちる。
「時を守るため」
加里は、血の雨が降る中、静かに、そして美しく床に着地した。
彼女のダボダボの作業着には、一滴の返り血すら浴びていない。
「我々、時守の導きあってこそ、この国は歴史の歪みを正し、今まで続いているのだから」
「つ……強え!!!」
完全に圧倒され、言葉を失う。
なんだこのバケモノ。
俺の知っている「鞭」という武器の概念が根底から覆された。
あんなの、鞭の形をしたチェーンソーだろ!物理法則を無視した圧倒的な殺傷能力。
これが、本物の『時の番人』の実力なのか。
ただの十歳の社畜とは、戦闘力の次元が違いすぎる。
【悪徳役人の屋敷・地下室】
「さて」
加里は、鞭についた血糊をパチンと弾き飛ばし、こちらへと振り返った。
「私の任務は四番、あんたの戦闘補佐。……そこの役人の始末は、あんたが自分でやりなさい」
ハッと我に返る。
そうだ。まだ一番の標的である悪徳役人が残っている。
「なっ!熊が……!!」
役人は、自慢のペットが一瞬で肉塊に変えられた現実を受け入れられず、顔を引きつらせていた。
「おのれ、むざむざ殺されてたまるかー!」
役人は絶望と怒りで我を忘れ、手元に残っていたメスを握りしめ、奇声を上げながら俺に向かって突進してきた。
バチュっ!!
短い音がしたかと思うと、役人の手からメスが弾き飛んだ。
加里の鞭が、視界の端で小さく動いたのだ。
まるでハエでも追い払うかのような、手首の返しだけの軽い一撃。
「だーめ。獲物は四番に譲るの」
加里は、笑みを浮かべて役人を見下ろした。
無言で役人の前に立つ。
丸腰になった役人は、俺の放つ怒りを感じ取り、ついに恐怖で顔を歪ませた。
「ま……待て!!命だけは!金か!?金ならある!いくら欲しい!?」
役人は、必死に命乞いを始める。
金で全てが解決できると信じている、浅ましい人間の末路だ。
「あ……上の階にあった金庫のお金は、もう全部私がもらいましたよ?」
突然、背後から、風呂敷を背負った連子がひょっこりと顔を出して、悪びれる様子もなく報告してきた。
この緊迫した状況で、なんて間抜けな報告だ。
「なっ!?」
役人は、連子の言葉にさらに絶望の表情を浮かべた。
「隠し預金もある!私の護衛になってくれたら、一生遊んで暮らせるぞ……!」
それでも役人は諦めず、取引を持ちかけてくる。
一生遊んで暮らせる。前世の社畜だった俺にとっては、悪魔の囁きのような甘い誘惑だ。
だが。
「……黙れ」
一言だけ短く吐き捨てた。
武器を持たない役人の懐に、低い姿勢で一気に飛び込む。
前世で中学・高校と打ち込んだ、柔道経験がここで活きる。
腕を掴み、背中越しに体を入れ替え、十歳の小さな体格を利用して、思いっきり背負い投げを食らわせた。
ドゴォォン!!
石の床に、役人の背中が強かに叩きつけられる。
肺から空気が絞り出され、役人は「カハッ」とくぐもった声を上げて悶絶する。
すかさず、先ほどまで俺と連子を拘束していた『前抱っこ紐』を取り出し、役人の腕を後ろ手にして、プロ顔負けの手際で縛り上げた。
「これでよし……」
息をつき、立ち上がる。
「何をしているの四番」
加里が、氷のように冷たい目でこちらを睨みつけていた。
「こんなゴミのようなヤツ、生かしておく価値がないと思うけど。さっさと首を掻き切って殺しなさい」
加里の殺気が、地下室の空気をピリピリと震わせている。
彼女の言うことはもっともだ。この男は、多くの無実の人々を猟奇的な趣味で切り刻み、殺してきた完全なる悪だ。
生かしておく価値など微塵もない。
「生かしておく価値がないのは同意する」
加里の冷たい視線を正面から受け止め、静かに答えた。
「だが、それを決めるのは俺たちじゃない。『司法』だ。警察に突き出し、裁判にかけ、それで死刑になるならそれがいい……。俺はそれでいい」
加里から目を背け、拘束台で震えている被害者たちの元へ歩み寄り、彼らを縛っている皮帯を解き始めた。
「ありがとうございます……ううっ……」
「ありがとうございます……助かった……」
被害者の男女が、涙を流しながら感謝の言葉を述べる。
『これで良い』
心の中で、自分自身に言い聞かせるように呟く。
暗殺より、人助けのほうが優先だ。俺は前世の倫理観を捨てきれない。……俺は、人殺しの暗殺者にはなれない。
悪を裁くのは法律であるべきだ。
たとえ俺が暗殺組織の一員であったとしても、その最後の一線だけは越えたくなかった。
「……甘いわね」
加里の低い声が響いた。
「組織の障害になるなら、私がここで……!」
加里が凄まじい殺気を放ち、役人の首に鞭を巻き付けようと一歩踏み出した。
その瞬間だった。
「動かないでくださいね」
加里の背後に、いつの間にか連子が立っていた。
そして、加里の頸動脈スレスレに、俺が先ほど役人に投げて床に落ちていたはずの『刻巡刃』の刃が、ピタリと突きつけられていたのだ。
「今回の任務の主導は『四番』です」
連子の声は、普段のアホなトーンとは全く違う、静かで、冷え切ったものを帯びていた。
「ならば、その四番の指示に絶対に従いなさい。それが、時の番人同士の『美学』と『掟』でしょう?」
「……っ!」
加里は、首元に突きつけられた刃の冷たさに、動きを止めた。
(いつの間に私の背後に……全く気配がなかった……!)
加里は冷や汗を流し、目だけで背後の連子を警戒している。
一流の暗殺者である加里に、全く気配を悟られずに背後を取り、刃を突きつける。
それがどれほど異常な実力か、加里自身が一番よく分かっているはずだ。
「お前……何者だ?あの動き、ただの連絡員ではないでしょう?」
加里が、警戒心を露わにして問う。
「ええ!私はミステリアスで謎を纏った、最高にビューティフルな美少女!連絡子さんです!!(ウインク)」
緊張感の張り詰めた空気を、連子がいつものアホなテンションでぶち壊した。
刃を突きつけたまま、ふざけたウインクを飛ばしているのが気配でわかる。
完全に絶句する加里。
恐怖と混乱で、彼女のサディストの脳内回路がショートしたようだ。
連子、ほんとそういうところだぞ。
内心で深く息を吐き出す。
せっかく最高にかっこよかったのに。台無しだよ。
【悪徳役人の屋敷・地下室】
チャリン。
緊張が解けたのか、加里の手から力なく『軌刻鞭』が床に落ちた。
その瞬間、加里の全身から立ち上っていた禍々しい殺気と、女王のオーラが霧散した。
代わりに現れたのは、いつものオドオドとした、気弱な少女の人格だった。
「ハッ!?……あ、あれ?わたし……」
加里は、まるで夢から覚めたように周囲を見回した。
そして、血まみれの地下室、肉塊となった熊、縛られた役人を見て、ビクビクと震え出した。
「……ま、まあ良いです」
加里は、必死に自分を落ち着かせるように早口で喋り始めた。
「任務報告は私がちゃんと本部に上げておきますよ。四番、貴方は任務を全うした。これは暗殺任務じゃない。『調査と対処』、そう報告書に書いておきます」
「あ、ちなみに外の門の見張りは……わ、私が始末しました。えへへ……それは私の戦果ですから。横取りしないでくださいね?」
「あ、やっぱりやってたんだ……」
「うう……朗人さん……これからもよろしくお願いしますう……。えへ……えへへ」
ここまで読んでくださりありがとうございます。
静岡任務の山場でした。
朗人の判断、加里の戦闘、連子の介入について感想をいただけると嬉しいです。