明治・大秘密結社時代 〜社畜が転生したら10歳で暗殺組織の幹部(笑)でした。給料未払いは美学に反します!〜 作:だいたい大丈夫
旅費、切符、そして新たな番人との邂逅。順調に進むはずが、もちろん順調には進みません。
ここは文明開化の象徴とも言える新橋駅だ。
重厚な赤レンガ造りの駅舎が威風堂々とそびえ立ち、その周囲は、白い煙を吐き出す蒸気機関車の音と、行き交う人々の活気に満ち溢れていた。
シルクハットを被った紳士や、色鮮やかな着物を着た婦人たち、そして忙しそうに荷車を引く商人たち。
新しい時代のエネルギーが渦巻く、帝都の中心地の一つだ。
そんな華やかな喧騒の中、俺、拝原朗人と、我が担当連絡員である連(つらね)絡子(らくこ)(通称:連子)は、改札口へと続く人波の中に立っていた。
今は明治十一年
標的である「人食い熊に偽装した悪徳役人」のいる静岡の山奥に行くには、普通なら箱根の険しい山道を、何日もかけて徒歩で越える必要がある。
しかし!
俺はただの十歳児ではない。賢い現代知識を持った転生者である。
徒歩で何日もかけて山を越えるなど、タイパ(タイムパフォーマンス)が悪すぎる。疲労で現場に着く前に倒れてしまう。
ここは出来たばかりの鉄道を使って、文明の利器の力で横浜まで一気に移動し、そこからは船に乗って海路で静岡方面へ向かう。
これが、前世の出張で鍛えられた俺の、明治のスマートな移動術というやつだ!
「朗人さん、さっきから一人でニヤニヤしながら意気揚々と改札に向かってますけど、お金はどうするんですか?」
「私、出張経費なんて一銭も本部からもらってませんよ。無給出張です。切符、買えませんよ?」
「ふっふっふ」
「たとえお前にこれまでの俺の給料を全額着服されているとしても、腐っても俺は華族・拝原家の嫡男! 路銀程度に事欠くことはないのさ! 用意周到に……」
自信満々に、半ズボンのお尻のポケットに手を入れた。
今朝、屋敷を出る前に、しっかりと分厚い財布を忍ばせておいたのだ。
ふふん、連絡員(お前)に頼らなくても、俺は一人でやっていけるんだぞ、という無言のアピールである。
しかし。
「…………あれ?」
ポケットの中にあるはずの、ずっしりとした重みがない。
布の感触しかない。
慌ててポケットの奥まで手を突っ込み、ゴソゴソと探る。
ない。
右のポケットもない。上着のポケットもない。
「ここに財布を入れておいたはず……」
スリか? この人混みの中で、プロのスリにやられたのか?
だとすると、完全に詰みだ。静岡に行けない。任務失敗だ。
「どうしたんですか?」
連子が、もぐもぐと口を動かしながら、無邪気な顔で尋ねてきた。
「財布が……ない」
そして、ふと連子の手元に視線を落とした。
「…………って、おい」
「お前が持っているそれは何だ?」
連子の右手には、半分食べかけの、海老の天ぷらが豪快にはみ出した、高級そうな『天むす』が握られていた。
そして左手には、何やら見覚えのある柄のがま口財布が、だらりとぶら下がっている。
「え? これですか?」
「朗人さんのお尻のポケットに入っていたお金です。お腹が減ったので拝借して……(にっこり)食べますか?」
「食べかけの天むすいらねーよ!!」
「ってか、すげーなお前! 相手は仮にも戦闘訓練を受けてる『時の番人(幹部)』だぞ! しかも俺、警戒心は人一倍強い方だぞ! いつ俺からすりやがった!」
完全に虚を突かれていた。
このポンコツ連絡員に、いつの間にスリの技術が身についていたんだ?
「フフン」
「情報伝達のプロフェッショナルですから。気配を消して懐に潜り込むのなんて造作もないです。私のミステリアスな指先にかかれば――」
「そんな高度な技術を味方の財布に使うな! ただの掏摸(スリ)じゃねーか! 犯罪だぞ犯罪!」
連子からがま口財布を引ったくった。
そして、中身を確認しようとがま口を開いた。
「……おい待て」
「財布の中身、一銭も残ってね〜ぞ!! 空っぽじゃねえか!! 天むす数個買った位で、なくなるような額じゃないだろうが! 汽車賃と船代、それに静岡での宿泊費まで入ってたんだぞ! どこに消えたんだ!!」
がま口を逆さまにして振ったが、小銭一つ落ちてこない。
完全に無一文だ。
「え? 気づかないんですか?? フフン」
連子は、再びドヤ顔をキメて、その場でクルリと一回転した。
改めて彼女の姿をまじまじと見た。
そして、さっきまでは気づかなかった(というか、気にしていなかった)恐ろしい事実に気づいた。
………よくよく見てみると
こいつの髪に、いつもと違う舶来物のシルクのリボン! 指にはキラキラ輝く真珠の指輪! そして肩に羽織っているのは、無駄に豪華なカシミヤのショール!!
どう見ても、ただの連絡員の給料で買えるような代物ではない。
明らかに、銀座あたりの高級舶来品店で買い漁ってきたような、最新のトレンドを盛り込んだ高級品の数々だ。
「似合いますか? 帝都の最新ファッションです! やっぱり女は美しく装わないと!」
「他人の出張費で何着飾ってんだ! ふざけんなよなあ!!!」
ボカァン!!!
俺の堪忍袋の緒が、完全に、そして見事にブチ切れた。
腰から抜いた『刻巡刃』の鞘で、連子の頭を容赦なく、そして強めにポカポカと叩き始めた。
「いったーーい! 何するんですか!」
「自分の女が綺麗に着飾るのを見て、何が不満なんですか!! この甲斐性なし!」
「いつから俺の女になった!! 脳内お花畑か!」
「だいたいお前、いくつだよ!! 十歳の俺の彼女面するには無理があるだろ! 犯罪の匂いしかしないわ!」
「レディの年を聞くのはマナー違反だといったばかりでしょうが!! これだからデリカシーのない男は!!」
痛がるふりをしながらも、年齢の話題になると途端に反撃に出てくる。
「ふん……。どうせ、三十路の行き遅れだろうがよ!! その図々しさはオバチャンのそれだ!! 関西のオバチャンも真っ青の図太さだぞ!」
「なんて失礼な!! 行き遅れじゃありません!! 当年とって二十四歳です!! ……あ」
「ニヤリ」
「引っかかったな! バカ女!! 年齢隠してるやつは、極端に高めに言うと秒で訂正するんだよ! 前世で得たライフハックだ! やっぱり文字もろくに読めないバカは単純だな!!」
二十四歳。
十歳の俺からすれば十分に年上だが、三十路のオバチャンという推測は外れていた。
しかし、これで一つのマウントは取れた。
「ひ……ひどいです朗人さん……!!」
「女の純情と秘密を踏みにじるなんて……ひどいですー!! うえーん!! うわぁぁぁん!!」
大勢の人々がいる前で、大袈裟に、そして悲痛な声で泣き崩れた。
嘘泣きだ。絶対に嘘泣きだ。俺にはわかる。
しかし、周囲の人々にはそうは見えなかったらしい。
「ひそひそ……ねえ、見て。あの男の子、天下の往来で年上の女の人を泣かせてるわよ」
通りすがりのご婦人Aが、連子を見て同情的な声を上げ。
「まだ子供だろうに……恐ろしいねぇ。どんな悪さをしたんだか。親の顔が見てみたいよ」
ご婦人Bが、俺を非難がましい目で見つめる。
「あれ、学習院の制服着てるぜ? おあつらえ向きに刃物(短剣)なんて下げてさ。上流階級のボンボン様には、平民の女なんて使い捨てのゴミと同じくらいに考えてるんだろうぜ……。ひそひそ。許せねぇな」
労働者風の男性Cが、身分差別の怒りを俺にぶつけてくる。
「ぐむむむむむむ!! 違う!」
「俺は被害者で……スリの被害者で……!! こいつが俺の財布を空っぽにしたんです! カシミヤのショールとか買っちゃってるんです!」
しかし、俺の悲痛な叫びは、周囲の冷ややかな視線と、連子の大袈裟な泣き声にかき消されてしまう。
誰も俺の言葉を信じようとしない。
「泣いている年上の女性」と「刃物を持った金持ちの子供」
この構図では、どう見ても俺が悪者だ。
◇◇
通行人たちからの冷ややかな視線を一身に浴び、俺の社会的なHPがゴリゴリと削られていく中。
完全に孤立無援となった俺の背後から、微かな、本当に微かな声が聞こえてきた。
「………あの…………」
「ん?」
そこに立っていたのは、長い前髪が顔の半分以上を覆い隠し、目は全く見えない状態の、スレンダーな女性だった。
服装は、駅のホームで見かける鉄道員風の制服。
彼女は、まるで借りてきた猫のように背中を丸め、指をモジモジと絡ませながら立っていた。
「すいません……………」
「おお!」
この声、この身のこなし、そしてこの圧倒的なまでの陰キャオーラ!
「あんたは、この間鉄道でお掃除していた朝比奈さんではないか! 奇遇だな!」
第一話で、俺が「綺麗だねーお茶しない?」と軽く声をかけた瞬間、片手バク転からの屋根走りで逃亡した、あの超絶身体能力を持つ謎の清掃員、朝比奈加里(あさひな かり)さんだ!
なぜ彼女がここに? 俺のピンチを救いに来てくれたのか?
「…………………」
しかし、朝比奈さんは何も答えない。
ただ、下を向いたままモジモジしているだけだ。
「んん? なんだこれは……??」
不思議に思っていると、朝比奈さんがガタガタと小刻みに震える手で、何かを無言で差し出してきた。
それは、厚紙でできた小さな長方形の紙片が二枚。
「おお! これは切符!!」
よく見ると、行き先は『横浜』と印字されている。
「まさに今一番欲しかったもの! なんで掃除の人がこんな物を??」
これはまさに渡りに船、地獄に仏、砂漠のオアシス!
「…………………、ので」
「んん?? 声が小さすぎて何も聞こえんぞ。もっとはっきり言ってくれ」
彼女の言葉を聞き取ろうと、無意識のうちに一歩、グッと距離を詰めた。
純粋に、声を聞くための自然な動作だ。
しかし。
「ひっ!!!! 来ないで!!!!」
朝比奈さんが、悲鳴のような声を上げた。
そして、次の瞬間。
シュタッ!!
俺の目の前で、彼女の体が信じられない軽さで宙に舞った。
第一話で見せたあの人間離れした身のこなしで、なんとその場で後方へとバク転をキメたのだ!
しかも一回ではない。連続バク転で一気に数メートル後退し、そのままの勢いで駅舎の壁を蹴って跳躍し、近くの売店の瓦屋根にフワリと着地した。
まるで重力など存在しないかのような動きだ。
「ひぃぃぃぃっ!」
朝比奈さんは、屋根の上から俺を怯えたような目で見下ろし、そのまま脱兎のごとく屋根伝いに逃げ出してしまった。
「ええっ!? また逃げた!?」
差し出した手を宙に浮かせたまま、ポカンと立ち尽くした。
俺、なんか悪いことしたか? ただ一歩近づいただけだぞ!
俺の何がそんなに怖いんだ! 十歳の可愛い男の子だぞ!
「ひそひそ……今度は、大人しそうなお掃除の女の人に襲いかかろうとしたみたいだぞ……」
「泣かせた女の横で、別の女に手を出すとは……獣のような坊ちゃんだ……。末恐ろしいねぇ」
「やめろ!!! 俺の社会的信用が加速度的に悪化していく!!」
俺は一体何が悪いことをしたのか!? 切符もらっただけだぞ! 俺は紳士だ!!
しかし、通行人たちの視線は冷ややかなままだ。
もうだめだ。俺は帝都で生きていけないかもしれない。
「いやー、あの人、足早いですねえ。ミステリアスな逃げ足です。私と同類ですね」
いつの間にか泣き止んでいた絡子が、天むすの残りをモチャモチャと食いながら、全く空気の読めない感想を漏らした。
こいつ、俺が社会的制裁を受けている間に、ちゃっかり自分の腹を満たしてやがる!
「お前と一緒にすんな! お前はただの金食い虫だ!」
「……そうだな……。一般人の清掃員であの身のこなしだもん。俺なんか、なんだかんだで……一般の秘密結社員だよな」
自分の身体能力を顧みる。
短剣を投げれば三メートルで落ち、巨乳のアネキのハグで背骨が砕けかける、ただの貧弱な十歳児だ。
「あんな人間離れした身体能力ないし、絶対、人食い熊(物理)には勝てないわ……」
山奥でのミッション。不安しかない。
「まあ、とりあえずこれで鉄道に乗れるよな。うん。なぜか切符だけは手に入ったし。俺の強運(悪運?)に感謝しよう」
「行くぞ連子。まずは横浜だ。そこで美味しい中華まん(まだあるか知らないけど)でも奢ってやるから、さっさと歩け」
「本当ですか!? 行きます! 中華まん二個食べます!!」
現金な奴だ。
俺たちは、通行人たちの冷たい視線から逃げるように、改札口へと向かった。
◇◇
その頃、帝都のどこかにある、秘密結社『時守』の本部。
その一室で、帝国大学の制服(角帽)を着た六番・蒔田緑郎は、窓から勢いよく飛び込んできた人物に怪訝な顔を向けていた。
「ん? 加里(十一番)。どうしてここにいる?」
蒔田は、机に置かれた書類から目を上げ、窓枠に蹲るようにしている加里に問いかけた。
「お前はすでに四番と合流して、横浜に向かっているはずでは?」
そう、朝比奈加里の正体は、特務部隊「時の番人」の十一番。
表の顔は清掃員だが、裏の顔は、驚異的な身体能力を持つ組織のエージェントだったのだ。
「緑ちゃん! 怖いよお……」
十一番というエリートらしからぬ、完全に怯えきった様子だ。
「あの人、私に一歩近づいてきたの!! 食われるかと思った!!」
「いや、お前には共に静岡まで同行し、四番の任務のサポート(主に戦闘面)にあたるようにと指示したはずだが……」
彼は、十歳の四番には戦闘力が不足していると(正しく)判断し、サポートとして加里を派遣していたのだ。
「あの人、絶対怖い人だよ! 関わっちゃいけないタイプだよ!」
「だってね! 自分の連絡員を白昼堂々、駅前で鞘で殴って、泣かせていたの! 暴力男だよ!」
「なに……? あの四番が?」
「書類上は、真面目で異常な執念を持つ優秀な子供だと思っていたのだが……」
蒔田の脳内には、「二十日間徹夜で監視任務をこなす修羅」という、完全に歪んだ俺のイメージが定着している。
「やはり、華族のボンボン特有の傲慢さと、女性を蔑視する残忍さは変わりないということか……。失望した」
「で、私が切符を渡して話しかけたら、目をギラギラさせて思いっきり近づいてきて、三尺(約90cm)まで来られたの!ありえないよね!」
「……それに関しては、会話をするには十分かつ正常な距離だと思うが……」
ツッコミを入れるが、加里には届かない。
「とにかく無理だよお。女を殴るような野蛮な獣と一緒になんて、任務できない……。私、帰る。お布団に帰る」
加里は、体育座りのままジリジリと後退りし、部屋から出ようとする。
「お前も一応、一流の暗殺者だろうに……」
「しかし、身内である連絡員を白昼堂々殴るとは、組織としては看過できないな。品位に欠ける。四番の査定を一つ下げておこう」
蒔田は、手元の書類(俺の人事評価ファイルだろう)に、ペンで何かをサラサラと書き込んだ。
こうして俺の知らないところで、俺の組織内の査定が、また一つ理不尽に下がっているのであった。助けて。
俺は悪くない! 財布を空にされた怒りだ! DVじゃない!
「……と言うか」
「切符は渡したのだろうが、横浜まで行ってもそこから静岡(清水港)までの船代が必要だぞ。船代(現金)は渡したのか? 加里」
「え……へへ……」
気まずそうにモジモジしながら、ダボダボの作業着のポケットから茶色い封筒を取り出した。
「ここにあります。怖くて渡せなかったの」
「はあ………」
……と言うか、横浜まで行っても船代がないんだけどな、俺たち!!! どうすんだこれ!!!
ここまで読んでくださりありがとうございます。
連子の年齢や、朝比奈加里の正体が少し明らかになりました。
朗人たちの出張が無事に始まるのか、感想をいただけると嬉しいです。