キュレネは静かにキッチンに向かい、慣れた手つきで野菜を切り始める。その後ろ姿を椅子に座りながら見つめていた。さっきまでの告白劇が嘘のように部屋は静かで、けれど耳元にはまだキュレネの言葉が響いている
「プロメイア?……もう、照れ屋さんね?」
「っ! ……バレた?」
「ふふ。あなたの気持ちならよくわかるわ」
振り向かないまま、野菜を刻む音と共に彼女が答える。その声音は穏やかで楽しげだ。さっきのことが夢じゃないと確信できて安堵する反面、いざその現実を突きつけられると妙に緊張する。
カチャカチャと鍋の蓋が閉まる音が聞こえた
「手伝うよ」
「ありがとう、でもゆっくりしてて?頑張ったあなたのことを労ってあげたいもの」
断られてしまった。……まぁ座っていた方が落ち着くといえば落ち着くから丁度いいかもしれない
適当に髪を弄ったりしながら、手持ち無沙汰を誤魔化す。目を閉じて、漂ってくる匂いに集中したり、窓の外の夕暮れを眺めたり……色々してても、気づけば意識せずとも彼女のほうに視線が向きかけている
不意に想いを伝えられて、半ば反射でそれに応えた。ずっとそばに居たい人に選ばれて嬉しいような、まだ信じられないような……複雑な心境だった
「………〜♪」
鼻歌交じりに調理を続けるキュレネの背中。ちゃんと想いを伝え合う前から、彼女には甘えてばかりだったけど……僕らの関係が変化した今となってはどう接したらいいのかわからない
今までと同じように接したらいいのか、それとも彼氏……みたいな感じで積極的に振舞ったらいいのか……そもそも「彼氏」ってなんなんだ?恋人同士なら相手を支えたり寄り添ったりするのが普通だと思うけど…
……まぁ、こんな風に色々考えてるのは僕だけなんだろう。キュレネのことだ、いつだって余裕たっぷりに笑って、僕をドギマギさせてくるに違いない
「んぐふっ」
「キュレネ?」
そんな事を考えていた矢先の出来事だった。突然咳き込むような声が聞こえた。いや、ようなじゃなくて咳き込んでる。慌てて席を立って傍に向かう
「ゴホッ……うぅ……」
「だ、大丈夫? 気管に入った?」
「いえ……ごめんなさい。塩と砂糖間違えちゃったわ。すぐに作り直すわね」
そう言ってキュレネは鍋を持った。けど明らかに慌ててる──そんな状態で持ったりするから、手が滑りそうになっていて
「危ない!」
片手を鍋を持つ手に添えて、もう片手でキュレネを抱き寄せるようにして庇う。結果として中身が溢れるようなこともなく、ゆっくりと鍋を戻した
「大丈夫?火傷とかしてな………」
視線を下げてキュレネを見───て
「……ぁ、えっ、と、ありが、とう…」
目を見開いて、声は上擦って、口はぱくぱくと小刻みに動いて……今まで見たこともないくらいに赤くなってる。顔だけじゃなくて耳まで赤くなってるのが丸わかりで
間違いなく、露骨なまでに照れてた
「…………あたし、だって…いつも通りじゃいられないわ」
「きゅ、キュレネ」
「あなたに気持ちを伝えて、あなたから気持ちを貰った。それが……こんなに、嬉しいだなんて」
途方もなく長い旅の中、ただの一度の例外もなく子供のまま生涯を終えてきた少女。何度も何度も自害を強いて、その身を貫いて、喰らった
こうして想ってもらえるのも、奇跡以外の何物でもない
「あなたの事をずっと見ていたくて、話をするだけで楽しくなって、こんな風に触れられたら……もう、どうしようもなくなって」
普段の様子が見る影もないぐらい弱々しくなって、僕の服を掴む手にもほとんど力が入っていない。こんなキュレネは見たことないから新鮮すぎて、一周回って冷静になるくらいに混乱してる
「あなたのおかげで、こうして生きて、あなたに触れられる。あなたが笑って、穏やかに過ごしていける。……本当に、幸せなの」
キュレネの手が、控えめに僕の頬に触れる。両手で挟むようにされると、なんだかくすぐったい気分
視線を彷徨わせながら必死に話そうとする姿は、まさに年相応の乙女だ。初めて見る一面に驚きつつも心が和む
同時に、その姿があまりにも愛らしくて、両手を使って強くキュレネを抱き寄せた
「………僕も、同じだよ」
同じ事を思って、同じ幸せを感じて、同じように喜んでる
「好きだよ、キュレネ」
僕の方からも気持ちを伝える。あぁ、なんでだろう……さっきはあんなに躊躇ったのに、今はいくらでも言葉にできる気がする
キュレネはしばらく固まっていたけど、やがて小さく頷いてから、体を向けて僕を抱きしめ返した
「あたしも好きよ、プロメイア」
目と目を合わせて、お互い笑い合う。そのまま数秒見つめ合ったあと、どちらからか、あるいは互いに、距離を詰め始めて───
『──やっほー、貪慾のお子ちゃま。朗報だ……』
固まった
ギギギ、と壊れたロボットのように2人して声の方を向いて、そこにいたのは以前にも何度か会ったことのある魔女っ子──って呼ぶのが憚られるぐらいの大天才、ヘルタ
『何、あなたたちデキてたの?どうでもいいけど………そうだ、子供ができたら教えてね。色々特殊とはいえ、貪慾の使令と無漏浄子の子供とか興味あるし』
動揺するでもなく、あくまで平静なヘルタに当てられて、僕たちの頭も冷えてくる。ゆっくりと腕を離して、ほんの少しだけ距離をとった。熱は冷め切って、もう完全に元通りだ
「………子供…あたしと……プロメイアの…」
嘘だ。キュレネはまだ燃え滾ってる。それどころか妄想膨らませてる。指摘しても良かったけど、なんか変に突っつきたくなくて
「で、要件は?」
『あぁ、ルアン・メェイがとんでもないこと隠してたの。あなたたちにとっては朗報だよ』
ヘルタの隣に構成され始める、同じく半透明のホログラム。人の形を成していって、立っていたのは黒髪の美女だった
『──初めまして、貪慾の仔。ルアン・メェイです』
「プロメイアです、よろしくお願いします」
ルアンさんは僕をじっと、品定めするような視線で見てきていた。どういう人なのかはよく知らないけど、なんか圧が強くて緊張する
ヘルタは多少人当たりと口が悪いだけでかなりの善人だった。けど天才クラブにも色々いる。ヘルタと組める以上はザンダーのクソ野郎みたいな人ではない……はずだけど
『端的に。貪慾のウロボロスは既に死に、その死は幾重にも隠されています』
「えっ」
ウロボロス───貪慾の星神。かつて存在し、現在は行方不明となっていた星神。それの復活を恐れ、ヘルタに色々と頼み事をしていた。でも──今の話が本当なら、心配事は
『現在は各地に其の神骸が残るばかりです。活性化したそれに近づけば…発作程度は起きるかもしれませんが、あなたが危惧しているような事態にはならないでしょう』
「えっ、と……つまり…」
『方法が見つかったら、気にせず外に出ていいから。それじゃ』
本当に言うことだけ言って帰ったヘルタと、あまりに情報量が多い割に簡潔すぎる報告内容に軽い眩暈を感じた
其の復活を恐れた。それ自体が杞憂の可能性を考慮しなかったわけじゃない──けど、実際そうだったと聞かされて……やっぱり、1番に来るのは安堵だ
『星神が息絶えようとも、その運命が消えることはありません。あなたの身に刻まれた貪慾の烙印も、弱々しくとも健在です。あなたが貪慾の運命の行人である以上、その味覚障害から逃れる事は───』
「はい?」
「プロメイア?」
味覚障害?何のことだろう。キュレネの思考が一瞬で戻ってくるぐらいには──というより怖い。キュレネの視線が超怖い
「味覚障害って、なあに?」
「知らない!ほんとに知らない!僕味感じる!美味しいも不味いもわかるから!おやつ全部賭けてもいい!」
なあにと言われてもそんなもの患っていないので全力で否定する。キュレネはそんな僕の必死さが逆に怪しく見えたのか、訝しげに睨んできた
「詳しく聞かせてもらえるかしら」
『かつて、貪慾は愉悦によって味蕾を奪われました。それ以来、貪慾の運命が本来持っていた"味を愉しむ"という側面は消え、現在のただ全てを呑み込むモノへと成り果てたのです』
「らしいわね?」
「知らない!!!」
全くもって身に覚えがない
力を失った今はもちろん、死ぬ前ですら味を感じないなんてこと一度もなかった。あらぬ疑いをかけられている。冤罪だ、断固として抗議する!
『……有り得ません。力を失ったとはいえ、使令…オンパロスという、閉鎖環境が原因でしょうか?』
「本当に、何もないのよね?」
「ない!ないったらない!キュレネのご飯美味しくて好きだし!」
必死に訴えると、一応キュレネは納得してくれたのか表情を緩めてくれた。心底ほっとしていると、ルアンさんも何かを察したようで一応結論づけてくれた
『……貪慾の運命を歩み始めた時期、オンパロスという閉鎖環境、様々な条件が組み合わさった結果──あなたは貪慾が失ったはずの愉悦を備えた…現状の銀河において唯一の、完全な貪慾の運命の行人となった。そう考えるのが妥当でしょうか』
だから何と言うわけではありませんが、とルアンさんは付け加えた。完全な貪慾だとかどうとかの前に、星神は死に、僕は力を失っているという事実が覆ることはないから……特に関係ない事柄ということになるんだろう
……まぁ、なんだかんだで厄介事の種は潰れたわけだ。これ以上面倒を抱え込むのはゴメンだし
『ただ───星神が殞落し、運命だけが残るこの銀河において、あなただけが本来の運命を歩んでいるというのは、どのような意味を持つのでしょうか』
一歩、二歩、ルアンさんが僕に近づいた。人差し指を向けて、触れるか触れないかのギリギリで
『何か、ほんの些細なきっかけさえあれば……あなたは、次代の星神になる事があるかも──しれませんね?』
とんでもない爆弾だけ残して、ルアンさんのホログラムは消えていった。何から何まで唐突すぎる……色々聞こうにも相手がいなければ何もできない
僕たちにもたらされたものは…ひとまずの安心と、星神がどうこうと…あと子供───は味覚障害の話でうやむやになってそうだしいいか…?
「……嵐みたいだったね」
「そうね───あっ!プロメイア!暴走の心配はもうしなくていいってことよね?」
キュレネが僕の服を掴んで嬉しそうに聞いてきた。それは確かに……うん。いつまた暴走するかビクビクする必要もないのだ
アレになる心配も、皆や多くの人を殺す心配も、もう無い
「……よかった」
ホッと安堵のため息をつくキュレネ。自分のことみたいに、本気で僕のことを喜んでくれる
出会った時からずっと、そういう人だった
「そっ、か。もう心配、いらないのか」
星神がどうこう───は殆ど起こり得ないだろうし。そうなると全ては杞憂で、僕を封印する必要もない
肉体を取り戻す方法を探して、外に出さえすれば、僕たちは本当の命として世界を自由に生きていけるのだ。好きな所に行って、好きな時間を過ごして、好きな人たちと一緒に居られる
「良かった、なあ」
「自分のことでしょう?もっと感情的になってもいいと思うのだけれど」
「そういうキュレネは嬉しそうだね」
「当たり前じゃない!」
その場でピョンピョン跳ねて、大きく腕を振り上げて。全身で喜びを表現するキュレネとは裏腹に、僕はどこか他人事みたいに見ている
「……僕は多分、これからかなぁ」
段々ちゃんとした実感がでてきて、その時初めて自分のこととして喜べるんだろう。今も確かに嬉しいけど、キュレネほど素直に表に出せなかった
「……ご飯にしよっか。一緒に作るよ、また間違えたら大変だし」
「ふふ、そうね。お願いしようかしら」
2人並んで、2人一緒に、2人で食べるものを用意していく。唯一にして最大の懸念も取り払われた。これからも変わらず続く毎日
「───そういえば、結局何でキュレネはここに残ってるんだろう」
「え?」
食材を切りながら、ふと思った事を口に出す。ずっと謎だった、キュレネが皆と同じような新生を迎えなかった理由について
「うーん………」
ふと口に出した疑問に、キュレネは顎に手を当てて考えるように唸って
そして思い当たる節があったのか、ぽんと手を叩いた
「あなたを1人にしたくなかった、とかどうかしら?」
「はぁ?」
確かな理由を知ってたわけじゃなく、それらしい答えを引っ張り出してきたことに呆れつつ。それでも一蹴してしまうのはあまりにもったいない気がして
「そっちの方が、ロマンチックでしょう?」
「……まぁ、それもそっか」
ちゃんとした理由はわからないけど、そう思ってた方がずっといい
僕たちは生きて、心配事も消えて、こうして2人で立っている。それ以上に重要な事なんて、この世界にはないんだから