プロメテウスの火負い   作:かゆ、うま2世

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感想、くれ〜


さよならは、笑顔で

豊かに実った麦畑も、皆で囲んだ食卓も───幸せだった僕らの日々は、既に過ぎ去った過去のもの

 

 

「本当に…楽しい時間はあっという間よね」

 

 

何度もそうしてきたように、焼け野原の麦畑にキュレネと並んで座り込んだ。暗黒の潮の侵攻が起き、エリュシオンは滅ぶ。いつだってそれは避けられない

 

 

「あなたに会ったときはびっくりしたわ。とんでもない人を2人も連れて来るんだもの」

「……でも、楽しかったでしょ」

「えぇ。あなたも幸せそうにしてくれてたから」

 

 

輪廻の中で摩耗していく僕を見て、キュレネはずっと胸を痛めてくれていた。この十数年、感じた幸福は確かなもので、それは互いにとって、あまりに久しいもので

 

 

「最後までおサボりさんは治らなかったわね?」

「治らないよ、ずっと。………だから、また叱ってよ」

「ふふ、もちろん」

 

 

夕陽が溶ける頃合いだというのに、キュレネの横顔は朝露のように澄んでいる。埃と煤に塗れてもなお褪せない瞳。僕の手を握る指先は細く折れそうで、温もりばかりが嘘のように確かな熱を持っている

 

 

「………見せてない料理もあるし、裁縫だって全部教え切ってないから」

「えぇ」

「行ってない場所だって沢山あるし」

「えぇ、そうね」

「キュレネとしたい事、まだ、あるから」

「うん」

「だから──」

 

 

喉が震えて言葉が出ない。掌に食い込む爪の痛みすら掻き消すほど耳鳴りが渦巻いている。呼吸は浅くなり視界が狭まっていく。闇が視界の端に滲んでゆくその中心で、愛しい青色の瞳だけが灯火のように揺れていた

 

 

「大丈夫よ、プロメイア」

 

 

優しい声音。傷だらけの手を、強く優しく握って、また微笑んだ

 

 

「頼もしい人が2人もいるんだもの、きっとあなたは大丈夫」

「──」

「だから、泣かないで。ね?」

 

 

涙なんてもう出ないのに、何かを拭うように、キュレネの手が目尻をなぞった。そのまま額を寄せて、額と鼻梁が触れ合う距離

 

 

「………やだ」

「え?」

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!死なないで!僕の前からいなくならないでよ!」

 

 

喉奥から溢れ出す叫びは嗚咽に近い。焼け爛れた大地よりも焦燥を煽るのはキュレネの静謐だった。微笑みさえ湛えたまま受け止められて、尚更どうしようもなくなる

子供の癇癪そのものだと思った。だけど止められないし、止めたくない。自分の望みと理性と願いと現実と希望と諦念がぐちゃぐちゃに絡まって解けなくなって、息をする毎に締め付けられているようだった

 

 

「何とか……全部何とかするから、一緒にいようよ…」

「……ごめんなさい」

 

 

その身を強く抱きしめても、返ってくるのは柔らかな拒絶。首筋から立ち昇る匂いは、かつて嗅いだ甘さに灼け跡の苦さが混ざり合っていた。肺の空気が染まるように、その香りが僕の裡に沈殿する

長く側にいれば、それだけ別れは辛いものになるってわかっていたはずなのに、結局抑えきれなかった

 

 

「あなたは1人じゃないもの。きっと寂しくなんてないわ。だから……また会う時の為に、笑顔でお別れしましょう?」

 

 

決して、永遠の断絶などではなく

さようならは、また会う時の為の言葉だって、わかってる。ちゃんと、わかってはいるのに

それでも嫌で、それでもやらなきゃいけなくて。……支えてくれた彼女の強さに、ほんの少しでも返せるように

 

 

「……待ってて」

「えぇ、待ってるわ」

 

 

涙なんて、とっくに出なくなってしまった。だから……精一杯の強がりで、唇に下手な笑みを象って。最期に残るであろう表情を、少しでも良いものに見せて

 

 

「いってらっしゃい、プロメイア」

 

 

儀礼剣を以て、その命を狩り取った

 

 

「っ、ぁ……」

 

 

悲鳴も断末魔も上げず、キュレネは僕の腕の中で事切れ、地面に崩れ落ちていく。何回も、何回も見てきたけれど──こうして、ちゃんと自分で殺したのは初めてだった

 

 

「カイザー……ヘレクトラ」

 

 

呟くように名を呼べば、二人が影から現れる。どちらも表情は硬いが、視線は迷うことなくこちらを捉えていた

 

 

「もう……ここに用はないから、早く───」

「プロメイア」

 

 

カイザーが、僕の名を呼んだ。ただひたすらに強い眼差しが、偽りを許さないと告げていて。……ヘレクトラの方も同様に、優しさの中に芯を持った瞳をしていて

どちらも、誤魔化されてはくれないようだった

 

 

「……少し、待ってもらえないか。ワタシも…きちんと、彼女との別れを惜しみたい」

 

 

きっと半分は本当で、半分は僕の為なんだろう。ヘレクトラはキュレネを大事に想ってたし、同時に彼女自身もきっと苦しんでるはずだ

あくまで僕の為じゃなく、自分の都合でもう少しここに居たいのだと、そういう気遣いなのだと思う

 

 

「これを、何度繰り返した?」

「これで……444445回目です」

「……そうか」

 

 

あっという間に答えを出してしまった自分の頭に辟易とする。無慈悲で残酷な真実を突き付ける、途方もなく大きな数字。いつか救世主が訪れるまで、僕らは終われない

 

 

「……旅路の終わりが見えずとも、進み続けるのみだ」

「はい」

「少しは、肩の力を抜け。お前は1人ではないのだから」

「……やっぱり、カイザーはいつも頼もしいです」

「カイザーではないと何度言えばわかる?」

「あ……」

 

 

確かにその通りだ。けれど、僕の中での印象はあまり変わることなくカイザーとして刻まれてるし、今さら呼び方を変えることもできない

 

 

「……しばらくはこれで我慢してください」

 

 

困り笑いと共にそう言うと、カイザーは溜息を吐いたものの、それ以上は何も言わなかった。今の状況で怒る気になどなれなかったのか、あるいは諦めたのか、とにかく許してくれたようで

 

 

「……死なないでくれ、どこにも行くな。そういうことを、お前はもっと口に出すべきだ。お前は世界を救う機械ではないのだから」

 

 

……なんだか、改まって言われると照れくさいような、恥ずかしいような。でも、素直に嬉しい

 

 

「はい……ありがとう、ございます」

 

 

彼女の目は僕を見透かすようで、けれどそこに嘲りも哀れみもなく、ただ共にある者の意志が宿っていた。今、たしかにカイザーはここにいて、ヘレクトラもいて──だからこそ僕も此処にいられるのだと、噛み締めるように思う

キュレネが遺したものは、これ以上ないほど尊い。この命を賭けてでも守るべき、未来への燈火。どれだけ絶望しても、痛みを忘れずに進めるように

 

 

「行きましょう、2人とも」

「あぁ」

「もちろんだ」

 

 

2人の傍にいると、不思議と心が落ち着く。これから起こり得ること、いつか迎えるべき結末への恐怖も薄れる気がする。それは、カイザーやヘレクトラがいればどんな困難にも立ち向かえるからで───或いは、2人がいてくれて、僕の心は確かに安らいでいるからかもしれなかった

 

 

 

──────────────────

 

 

 

 

そうして長い時が経って、ついに───ついに、その時がやって来る

 

 

「……わかってると、思うけど」

 

 

2人の表情、特にヘレクトラのそれには緊張が滲んでいた。カイザーはじっと静かに立っているが、肩の力の入り具合は隠しようがない

 

 

「これから、皆を殺しに行く。アグライアも、セファリアも、トリビー先生達も……ファイノンの事だって」

「わかっている」

 

 

生半可な相手じゃない。手加減や躊躇をしてられる相手じゃない。殺意を持って、全霊を尽くす必要がある。だから……僕は本物の殺意を、皆に対して向けている

誰一人として見逃すことなく、容赦することなく、一人残らずその命を摘むつもりだ。………しなければ、ならないのだから

 

 

「……キミこそ、大丈夫なのか」

「大丈夫、ちゃんと、殺せる」

 

 

………少なくとも、口でも内心でも、僕は自分にそう言い聞かせてる。そうしないと、歩けなくなる

キュレネを殺したように、きちんと役割を果たして、全員殺して、託されたものに報いてみせる。そうじゃなきゃ、この命に価値なんてない

 

 

「……………やはり、ダメだ。2人はここで待っていてくれ、ワタシが全て…」

「───やるなら、まずは金織卿だ。金糸の守りと監視を断つ。それが先決だ」

 

 

どこまでも冷静な、カイザーの声。ヘレクトラの動揺を鎮めるためか、単に合理的な判断からなのか、いずれにせよ的確な提案だった

 

 

「やるなら、皆でだよ。ヘレクトラ」

「───そう、だな」

 

 

……そもそも、僕1人で挑むはずの戦いだった。2人が付いてきてくれて、この戦いに、誰かと共に臨めるというのはどれだけ心強い事か

 

 

「……この範囲なら、僕の百界門でも届きます。奇襲を仕掛けて、一瞬で」

「それで良い。……僕は、戦いの役には立てん。だが肉壁ぐらいには───」

「後ろにいてください、カイザー」

 

 

時を戻せば訪れる別れだとしても、2人を失いたくはなかった

 

 

「行きましょう」

 

 

百界門を開いて、通り抜けて───驚愕に満ちたアグライアの首に、斧を振り下ろした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………何故、だ」

 

 

僕らの戦いは、どこまでも順調だった

負けることも、負傷もなく、ただ順当に勝利を重ね、黄金の血溜まりを増やしていった

 

 

「何故、何故君が、こんな事をするんだ───プロメイアさん!」

 

 

最後に残った、エリュシオンの少年。彼が旅立つまでの十数年、僕らは共に笑い合って暮らした。一時の別れを経て…僕は彼の第二の故郷を滅ぼし、目の前にいる

 

 

「…………ごめん」

 

 

それ以外に、言える事なんてなかった

いつかこうなるとわかっておきながらエリュシオンで過ごし、いらない傷をファイノン君に負わせた。全て、全て僕のわがままだった

 

 

「ほんと……最低だと思ってる」

「ならば、何故!」

「……ごめん、もう、わからないんだ」

 

 

この殺戮に意味はあるのだろうか?

犠牲も、苦しみも、どこにも吐き捨てられない程積み上がった。……どれだけ積み重ねられようと、この閉鎖された世界に救世主が来なければ何もかも徒労に終わる

 

 

「多分、僕は何かを見落として……もう、こんな間違いしか選べなくなった」

 

 

アグライアの言う通りだ。何かを憎むだけの僕のような人間には、世界を救うなんて事出来やしない

 

 

「でも…いつかきっと、選べる時が来るから。それまでは間違い続けなきゃ、選ぶことすらできなくなる」

 

 

何かを選び続けるのが人生なら、僕の人生は間違いに満ちたゴミのようなものだ。でも……いつか、皆がそれを足場に、本当に尊いものを得てくれると信じてる

 

 

「………君に教わった料理を、皆にも振る舞った事がある。裁縫も…何もかも……君の教えは、ずっと僕の旅を支え続けてくれた」

 

 

恨み言でなく、本当に──その言葉には、感謝が満ちていた。眩しいほどに純粋な想い、紡がれた感謝を真正面に受けても、もう僕には笑いかけることができなかった

 

 

「ありがとう───君の、君たちのおかげで、僕はここまで歩んでこられた。……何でこんな事をしたのかも、君たちが何を抱えているのかも、僕にはわからないけど…このオクヘイマは、僕にとっての第二の故郷だった。だから」

 

 

身の丈ほどもある大剣を、エリュシオンの少年は構えた

 

 

「武器を取れ、処刑人」

 

 

その言葉だけで、充分だった

 

 

 

──────────────────

 

 

 

「……お別れですね」

 

 

呟いたその声に応える者はいない。オクヘイマには静寂だけが残っていた

 

ファイノンも

 

アグライアも

 

セファリアも

 

誰も彼もいなくなった。残されたのは、僕と、カイザーと、ヘレクトラ。そして──再び輪廻に足を踏み入れる為の最後の選択だけ

 

 

「…………」

 

 

時を戻せば、この2人は消える。共に輪廻の旅を歩んだ、本当に、本当にかけがえのない、2人。今ここにいる2人は、二度と戻らない

四十四万回の輪廻の果てに辿り着いた、このカイザーも、このヘレクトラも、この瞬間だけの存在で

次に会う2人は、同じ顔をしていても、同じ声で話していても、きっと違う。

そんな当たり前のことを、今さら理解してしまった

 

 

「……プロメイア?」

 

 

不思議そうな声に顔を上げる。ヘレクトラは眉を寄せながらこちらを見ていた。その視線に、思わず苦笑して、本当に誤魔化せないと思った。キュレネもそうだったけれど、この人達も僕のことをよくわかっている

 

 

「いや……その」

 

 

言葉を探す

何か言わなければと思うのに、何を言えばいいのかわからない

 

ありがとう、では足りない気がした

 

ごめんなさいでも違う

 

寂しい、というのも違う

 

どれも本当で、どれも本当じゃない。この胸の中にあるものを言葉にできるほど、僕は器用じゃなかった

 

 

「…………」

 

 

沈黙だけが流れて、けれど不思議と居心地は悪くなかった。長い旅の中で何度も経験した沈黙。焚き火を囲みながら、星空を眺めながら、あるいは何も考えず並んで歩きながら

言葉がなくても、隣に誰かがいるだけで救われる時間があって、その大半に二人はいた

 

 

「……僕」

 

 

ようやく声を絞り出す。思っていたより情けない声だった。

 

 

「2人がいてくれて、良かったです」

 

 

口にした瞬間、自分でも拍子抜けする。もっと気の利いた言葉があったはずなのに。もっと伝えるべきことは沢山あったはずなのに

結局出てきたのは、そんなありふれた一言で、それ以上の言葉も見つからなくて

ヘレクトラが少しだけ目を見開いて、カイザーは視線を伏せ、小さく息を吐いた

 

 

「そうか」

 

 

カイザーが、そう呟いた

次も同じ事をしようとは思わなかった。仲間を殺させるような真似は、もう二度とさせたくなかった

 

 

「案外、すぐに会えるかもしれないぞ?」

「カイザー、こんな時に冗談ですか?」

 

 

また、会えるなら。本当に……本当に、素敵な事だと思った

 

 

「……なぁ、プロメイア」

 

 

今度はヘレクトラの声が少しだけ真面目になった。静かな声音だった。戦場の時とも、宴の時とも違う。もっと柔らかくて、もっと個人的な響き

 

 

「キミは、よくやった」

 

 

息が止まった。あまりにも不意打ちで、返事が、言葉が出てこなかった

 

 

「何度折れそうになっても、キミは歩き続けた」

 

 

優しくて、ひどく──強い声だった

 

 

「キミにできなくても、ワタシはキミを誇りに思う」

 

 

偽りなんてどこにもなくて、だからこそ胸が軋んだ。褒められる資格なんて、僕にはないはずなのに

これは……確かに、僕がずっと欲しかったもの

 

 

「………いって、きます」

 

 

声は思ったより掠れていて

それでも、ちゃんと届いていて

精一杯の笑みを浮かべて、最後は笑ってさよならを

 

 

 

そうして、僕は再び──輪廻に足を踏み入れた

 

 

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