「待っ─────」
ベッドから跳ね起きて、最初に見たものは月明かりに照らされる部屋の天井だった。2人がいた筈のそこは空っぽで、当然誰もいない
息を荒くして、背中にべったりと嫌な汗が滲むのがわかる。喉がカラカラに乾いて、視界が霞んでいる。酷い悪夢を見ていたようで──身体を起こしてみれば、違和感があった
「っ!」
不自然なぐらい元に戻っている右半身の感覚。枕元に置かれたピアスと花飾り。どこかに消えた2人。どれも、どれも、酷く受け入れ難いもので
「ケリュドラ!」
扉を開けて部屋を出て、脇目も振らずに駆け出した。城中を走って、どこにもいなくて、白い雪をかき分けて走って、どこにもいなくて
「ヘレクトラ!」
何度名前を叫んでも、返ってくるのは無慈悲な静寂ばかりで
──世界中の空を巡るように、走って、叫んで、何度も探して、息を切らして、声を枯らして、どれだけ足掻いても
「なんで……どこなの?ねぇ……」
そうして、ヒュペルボレイオスの雪の中に膝をつく
もう、本当はわかりかけていた
何一つ痕跡を残さずに消えた2人がどこに行ったか、わかっていて──それを受け入れたくなかっただけなんだ
「…………………」
胸に手を当てた
僕の体温とはかけ離れた、灼熱の陽光のような熱と、春を告げる朝日のような暖かさ。僕の全身に火を通し、今なお生き続ける炎。それは2人の魂だと、わかってしまう
「ぁ」
声が喉に引っかかるような感じがして、呼吸が上手くできなくなって。どう考えたって泣いてるのに、それでも涙は出なかった
「な、んで」
雪原に倒れ伏した。寒さは感じなかった、火照る身体がそれを忘れさせるから
心臓が熱い。何にも負けないぐらい強くて、綺麗で、僕の一番大事な人たちから貰った、何よりも大切な焔
「……ぁ……ふふっ」
もう、何をしても間に合わない。どれだけ僕が力を使おうと、2人はもうどこにもいない。でも、だったら
「あぁ」
このまま、朽ちてしまえば──楽になれるのかも知れない。愛した人も、救われたかった心も、全部燃え尽きて、灰になって、夜空に散ってしまえば、きっと
「………なんて、言えるわけない」
ずっと手に握っていたピアスと花飾りをポケットに入れて、2人の魂を入れた胸に手を置いた。涙は結局流れなかった
僕は2人によって生かされた。それなら、きっとここで終わりは許されない。僕が終わる時は、2人の為に生き抜いた時だから
「ちゃんと、終えないと」
立ち上がった足取りに力は込められていて、それでも不安定に見えたかもしれない。だって、そこに居るのは、まるで抜け殻みたいな人影だから
でも、それでも、心の芯に残った炎だけは──
「いつか…2人に誇れるようになるから」
──まだ、消えてなどいない
「それまでは、絶対に折れたりなんかしない」
──2人が僕を生かしてくれたから
「必ず、成し遂げて見せます」
──────────────────
遅れながらも僕はカイザーの軍門に降り、いつものように彼女の火追いに協力する
いつものように黄金戦争を乗り越え、タレンタムを下し───ファジェイナ討伐戦は、何事もなく終了した
「……法の火種が僕に課した試練は、500の黄金裔の命を捧げる事だった」
「知ってますよ」
盤を挟み、駒を動かす。知ってる動き、覚えのある対応
「だが…いつしか、法の火種は沈黙した。試練は達成された?違う──最初からそんなもの存在しない、とでも言いたげにな」
そして、聞いたことのないセリフ
「千に別れたという運命卿も、どういうわけか一つに戻った。……代償を踏み倒したまま、僕らは半神へと至った」
「そうですか」
カイザーの両目がこちらを真っ直ぐ捉えた
「何をした?」
「別に……ちょっと不味いものを食べただけです」
……2人が、僕の運命を戻してくれた
僕は貪慾の運命へと踏み出しながらもこうして自我を保ち、かつ権能を損なうこともなかった
貪慾──あらゆるものを喰らい、呑み込む力。半神の試練そのものを呑み込んでしまえば、その先の結果だけを享受することも可能
トリスビアス先生は千に別れることもなく、カイザーは臣下500人を殺すことなく…いずれ半神となるアグライアだって、その人間性を捧げる必要もない
「……」
カイザーは一度言葉を詰まらせると、諦めたように駒を動かした
「チェックメイト。考え事が多いといけませんよ」
「減らず口を…」
やっぱりカイザーは僕に勝てなくて、悔しそうにする。そういうところはやっぱり全然変わらなくて、苦笑した
「……話を聞く限り、お前の歩んできた旅はまさに地獄だったように思える」
「まぁ。否定はできませんね」
1000年かけて火種を集めて、また1000年時を戻して、延々と繰り返してきた。たったそれだけの旅路なのに、狂ってしまいたかった時間もたくさんあって
「多分……僕は若くて、馬鹿で無知だったんです」
「皆、昔はそういうものだろう」
「えぇ、そんな状態で旅に出たから、当たり前のように道を踏み外しました」
記憶をなくして、2度も仲間を殺した。わがままでファイノン君にいらない傷を負わせて、1人先走ったせいで大切な人を喪った
「それでも、僕を戻してくれた人がいたんです」
ずっと持って、今は身につけているピアスと花飾り
僕に名前をつけてくれた人、僕を教え導いてくれた人、僕と友達になってくれた人、僕と共に歩んでくれた人
「辛い事だって沢山ありましたけど、そればっかりじゃなかったんです。そう思わせてくれた人がいて、愛した人がいた。……それだけで、充分でした」
「……そうか」
2人の事を考えていれば、まだ、耐えられるから
だから、きっとまだ行ける
「これからも色々ありそうですが……何とかなりますよ、きっと」
「……なら、その下手な笑いをやめろ。僕といる時ぐらい、涙の一つでも───」
カイザーは僕の顔を見て、言葉を止めた
「───そう、か。お前は…」
「大丈夫ですよ。全部終わって、泣けるようになったら、その時にいっぱい泣きます。だから……心配しないで下さい」
いつか訪れる旅の果てで、それを誰かに受け止めてもらえたなら、僕は充分報われたって、そう思えるから
──────────────────
「お、らぁッ!」
背後のキャストリスさんを庇いながら、紛争のタイタンの一撃を砕いた。半ばから折られた天罰の矛が地面に突き刺さる
「っ──はぁっ!」
即座に放たれる鎌からの斬撃。間髪入れずに叩き込まれる赤い拳と鋭い大剣の連撃。命を奪うには至らずとも、隙を作るには充分なもの
「火種を──寄越せ!」
万力を込めて地を蹴り、その脳天を叩き割る。またいつものように、この世から紛争が消えた
「ふぅ…怪我はない?」
「えぇ、おかげさまで……ありがとうございます」
もう2度と、皆を失ったりしない
2人の火種が、忘れてはいけなかったことを教えてくれる。僕は輪廻を証明できて、なら後は皆を守るだけ
『力を求める必要など無い、守りたいと願ったのなら、それ以外を考える必要はない筈だ。……成し遂げてみせろ、我が臣下よ』
あの言葉の通りだ。守りたいのなら、それ以外を考える必要なんてない。力を求めるよりも、守ることだけを考えていれば良かったんだ
「………って感じで、最近は元気にやってるよ」
「そうね、あたしが思ってるよりもあなたは元気みたい」
僕が見てきたことを、何度だってキュレネに語った。辛かったことも、嬉しかったことも、成し遂げたことも、ぜんぶ
「カイザーだって死ななくてもいいし、このまま…皆生きて輪廻を終えられそう。こんなの、最初の輪廻以来かな……」
「……えぇ」
本当に嬉しそうに微笑んでくれるキュレネの姿がある。貪慾の力を制御して…2人の犠牲の上に、僕が本当に歩みたかった旅路があった
「だから……多分、今ならやりようあると思うし、キュレネにも生きてて欲しいんだけど」
「…ごめんなさい」
「わかってるよ、死んだ後で誰かに…話をしてるって、言ってたもんね。…はぁ、だめか」
キュレネにはキュレネのやる事がある。それを為せるのは死んだ後だけ。だから仕方ないって、悲しいけれど、割り切るしかない
「あなたの願いなら、出来るだけ叶えてあげたいけれど……これだけは、ごめんなさい」
「いいんだ。……お互い、頑張らなきゃね」
「……そうね」
こればかりは譲れないこと。どうしても必要なこと。キュレネにとっては退くことが出来ない話で、違う道を歩んでいる
だから、せめて僕は、意志だけは同じでありたい
「2人は僕の中で生きてる……だなんて、言えるような人間じゃない。2人から託された大切で、特別な火種…だけど、僕にはこれを命だなんて思えない。けど……これがあるおかげで、寂しいとは思わない」
「知ってるわ。あなたはずっと、寂しそうな顔はしてないもの」
胸にある炎が2人の温もりを教えてくれる。2人の全てをくれて、託されて、それを守っていかなきゃダメだ
あの夢のような時間はもう来ない、それは覆しようのない事実で、変えようもない現実で、それでも──戻してもらった道には、寂しさなんて一つもなかった
「だから、僕は大丈夫。皆と、世界を守らなきゃ」
これが強がりなのか、自分でもよくわからないけど──確かに、僕は前に進める
「……きっと、できるわ」
ふと、キュレネは地面を撫でた。何かを探しているような仕草の後に、その何かを見つけたのか、微笑んで
「あなたの心に植えられた種は、こうして芽吹いているもの」
キュレネの手が僕の手を握って、そのまま何かを手渡してくる。手の中に感じる、小さな、それでいてどこか、重みのある何か
託されたもの、気付かされたもの、ケリュドラが、僕の心に植えたもの
手の中には、琥珀の欠片が握られていた