潮風の匂いがした。
巨大な輸送船の甲板。
灰色の海の上を、
GUIDE本部行きの船が静かに進んでいる。
一色紡は、
手すりへ凭れながら海を眺めていた。
空も海も曇っていて、
境界線が曖昧だった。
まるで世界そのものが、
灰色に塗り潰されているみたいだった。
「……寒」
小さく呟き、
制服の襟を少し上げる。
GUIDE候補生用の黒い制服。
まだ袖を通したばかりで、
妙に着慣れなかった。
胸元には、
日本支部所属候補生を示す白銀のプレート。
――今日からここが、
自分の新しい人生になる。
そう言われても、
いまいち実感は湧かなかった。
⸻
『まもなくGUIDE海上中央本部へ到着します』
無機質なアナウンスが響く。
周囲の候補生達がざわつき始めた。
「本当に島なんだな……」
「デカすぎだろ……」
「緊張してきた……」
その声につられるように、
紡も顔を上げた。
そして。
「……うわ」
思わず声が漏れる。
海の向こう。
巨大な人工島が、
都市のように海上へ浮かんでいた。
白と灰を基調にした建築群。
空へ伸びる通信塔。
武装ヘリ。
停泊する艦船。
世界最大の対大罪機関。
GUIDE海上中央本部。
その光景に、
候補生達が息を呑む。
⸻
「――紡?」
後ろから、
聞き覚えのある声がした。
紡が振り返る。
そこには、
淡い桃色の髪を肩辺りで揃えた少女が立っていた。
「……え」
数秒、
思考が止まる。
相手も同じだった。
そして次の瞬間。
「紡!?!?」
「結!?」
天音結だった。
⸻
「なんでここに!?」
「それこっちの台詞なんだけど!?」
「いや、だって結……」
「連絡返さなかったの紡だからね?」
ぐさりと刺さる。
紡は視線を逸らした。
「……ごめん」
「ほんとにもう」
呆れたように溜息を吐く結。
でも、
その表情は少し嬉しそうだった。
紡も少しだけ笑う。
数年ぶりなのに、
空気はほとんど変わっていなかった。
⸻
「GUIDE入ったんだ」
歩きながら、
結が言う。
「まあ……適性出たから」
「そっか」
結が少し複雑そうに笑う。
「紡、昔から無茶するし」
「なんだそれ」
「本当のこと」
即答だった。
⸻
本部内部は広かった。
白い通路。
忙しなく行き交う職員。
機械音。
モニター。
全部が、
紡の知っている日常から遠い。
「迷子になりそう……」
「最初はみんなそう言うよ」
結は慣れた様子で歩いていく。
どうやら結は、
かなり前からGUIDEにいたらしい。
「結って今何してるんだ?」
「通信支援。前線サポート」
「へぇ……すごいな」
「紡は?」
「まだ候補生」
「でも適性高かったんでしょ?」
「……なんで知ってんの」
結が一瞬だけ言葉を濁した。
「あー……ちょっと噂になってるから」
「噂?」
「紡、検査結果かなり変だったらしいよ」
「変?」
「普通、適性って一つか二つなの」
結が指を折る。
「でも紡、
全部の美徳に高適性出したんだって」
「……は?」
今度は紡が固まる番だった。
⸻
「いやいや、そんなわけ――」
「本当。しかも数値かなり高かったみたい」
「えぇ……」
全く実感がない。
というか、
怖い。
「なんか機械一瞬止まったらしいし」
「余計怖いんだけど」
「でも前例無いんだって」
結は少し心配そうに紡を見る。
「……紡、昔から自分より他人優先するから」
「別にそんなこと」
「ある」
即答だった。
⸻
その時。
通路の向こうから、
一人の男が歩いてきた。
長身。
後ろで束ねた金髪。
目付きが悪い。
怖い。
周囲の候補生達が、
自然と道を開ける。
男はそのまま近づき――。
「お、結」
気軽に片手を上げた。
「あ、譲さん」
結が軽く会釈する。
譲。
その名前を聞いた瞬間、
紡は少しだけ姿勢を正した。
前崎譲。
GUIDE日本支部、
前崎部隊隊長。
そして。
現・救恤の美徳核保持者。
⸻
「そいつ新人?」
譲が紡を見る。
視線が鋭い。
それだけで空気が重い。
「あ、一色紡です」
「ふーん」
値踏みするみたいな視線。
怖い。
めちゃくちゃ怖い。
だが次の瞬間。
「……お前、変な目してんな」
「え?」
「死に急いでる奴の目」
突然そう言われ、
紡の喉が詰まった。
譲は興味無さそうに煙草を咥える。
「まあいいや。結」
「はい?」
「そいつ、うちの部隊に回すから仲良くしとけ」
「……は?」
今度は紡が固まる。
「ちょ、ちょっと待ってください! まだ正式配属も――」
「俺が決めた」
それだけだった。
有無を言わせない声。
結が頭を抱える。
「また勝手に……」
「細けぇこと気にすんな」
譲は煙草を指で回しながら、
紡を見る。
「お前」
「……はい」
「死ぬなよ」
そう言って。
前崎譲は、
そのまま通路の向こうへ消えていった。
⸻
沈黙。
数秒後。
「……怖」
紡が本音を漏らす。
結が苦笑した。
「慣れるよ」
「慣れたくないんだけど」
「みんな最初そう言う」
そう言って笑う結を見ながら。
紡は窓の向こうを見る。
灰色の海。
灰色の空。
灰色の世界。
だけど。
さっきまでより、
少しだけ色が見えた気がした。