クソボケに勝手に脳焼かれた人達と要介護者がなんやかんやあって生きる話〜俺はもう終わりたいんですけど!!〜   作:冷製春雨スープ

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予約投稿なんて便利なものがあったんですね。知りませんでした。

あとプロローグを加筆しました。


11話

 

 件の誘拐事件からおよそ数日後の深夜

 ゆかりは厨房にいた。もちろんそこには料理人の姿もある。またもや残業であった。労基があるのなら通報ものである。しかし残念ながらこの世界には労基など存在しない。ナチュラルブラックだった。

 

 「.....それでゆかり様、本日は何を作るのですか?」

 

 「大福です!」

 

 またか。また大福か。私は大福で残業してるのか。

 

 料理人は雇われの身、雇用主に文句を言える立場ではなかった。これがあのクソボケならば違っただろう。しかし奴は外れ値である。

 

 料理人は思う。

 ゆかり様、あの方が来てから変わったな。いつも嬉しそうで私も喜ばしい限りです。

 

 しかし!

 

 残業は....残業は勘弁してください.....明日も仕事があるのです.....

 

 残念ながらゆかりは気づかない。普段は聡明で優しい当主様である。普段のゆかりであれば、このような残業はさせていない。

 しかし、彼女は普段ではなかった。恋する乙女は暴走機関車、迷惑を被る者はたまったものではない。

 

 それはそれで、敬愛する主君が嬉しそうで自分も嬉しいのも事実。どうすることもできなかった。

 

 「今日は大福にいちごを入れることにしたんです!マサオミ様.....喜んでくれるでしょうか....」

 

 乙女ゆかり、妄想の世界に浸る。少し上を向きながら頬を染め、トリップしている。さぞ幸せな想像をしているのだろう。

 料理人は内心、仕方ないですね。と思いながらゆかりに協力することにした。良い人である。

 

 「いちご大福ですか。大福の優しい甘みにいちごの酸味が飽きさせません。大変喜ばれると思いますよ。」

 

 「そうですよね!マサオミ様、喜んでくれますよね!美味しいって言ってくれますよね!」

 

 ここから料理人の激闘が始まった。

 

 数多の試作品の数々、みるみる減って行く睡眠時間、少しずつ目の光が失われつつある料理人、眠気を少しも感じさせない真剣なゆかりの目

 

 ゆかりの納得するいちご大福が完成したのは、太陽がひょっこりと顔を出し始めた頃であった。

 

 「できた......できました!できましたね!」

 

 ゆかりが笑顔で聞いてくる。その表情は正に無垢。輝いている瞳に、窓から入ってくる太陽の光に照らされ、流れ落ちる汗のなんと美しいことか

 

 「......はい.......はい.........そうですね....」

 

 それとは対象的に料理人はまたもや薄くなっていた。途轍もない眠気、試作品をたくさん食べたせいでお腹ははち切れそうだった。もう当分大福はいらないだろう。

 生気を感じない。

 

 「こんな時間までありがとうございました!本日はたっぷり休んでください!」

 

 「.....ゆかり様!」

 

 料理人の正気が少し戻る。もう消えるんじゃないかと思うほど薄くなっていた体に色が戻る。

 

 そうです!ゆかり様は優しい方なのです!この人に仕えていてよかった!

 

 料理人は飴と鞭を食らっていた。DVのようなものである。料理人はそのことに気がついていなかった。ゆかりももちろん気がついていなかった。可哀想である。今日はゆっくり休むといい。

 

 

 

 

 ゆかりは執務室で書類仕事しながらマサオミのことをチラチラとみていた。

 

 マサオミは現在ソファに腰掛けながら本を読んでいる。読んでいる本は前回と同じ、【貴方と私の逃避行(ランデブー)】である。1周目はよくわからなかったから2周目をなんとなく読んでいた。変わらず訳がわからなかった。意見は変わらない。なぜ戦わない?

 ねいとカレラはセレクトをミスっていた。マサオミにはとりあえず絵本から進めるべきであった。

 

 ゆかりは隙をうかがっていた。今日の朝に完成したいちご大福。それはゆかりにとって会心の出来だった。

 

 本来は夕食後、マサオミが帰るタイミングでお出しして、少し引き留める算段だった。でもゆかりは今食べて欲しいと思った。思ってしまった。

 

 「マサオミ様。実は大福を作っ....」

 

 「食べる。くれ」

 

 マサオミは食い気味に反応した。ゆかりはその様子を見て少し驚きながらふふっと笑った。

 

___あの時とは本当に違いますね。

 

 ギャップがあった。ゆかりは彼が助けに来てくれた時美しいと、かっこいいと思った。戦っている姿は少し怖かった。悲しかった。痛かった。

 

 それが今はどうだ?いつもと同じ仏頂面、それはあの時と同じだ。でもあの時とは違って、少し感情が見える。無機質でもなければ、怖くもない。

 

 言うならば、そう。

 

 彼が無事でよかったと言ってくれた時に感じた愛おしさ。それをずっと感じている。

 

 ゆかりはこんな日常が好きだった。何気ない一瞬一瞬がとても大切だった。

 

 「ふふっ。はい!もちろんです!すぐに持ってきますね!」

 

 ゆかりは立ち上がり、執務室の扉に向かう。

 その時、珍しくマサオミが動いた。

 

 「俺も行く。」

 

 いつもはソファに座ったまま「ああ」と一言呟くだけだったマサオミが今日は着いてきてくれるらしい。

 ゆかりはどうしたのでしょうか?とマサオミの顔を見た。

 いつも通りの仏頂面、しかしその瞳は少し心配そうだった。

 

 マサオミは考えていた。

 あの誘拐事件は俺のミスだ。団員のみんなが"アレ"を持ってきてくれるまで、出来るだけ警戒をしておきたい。

 

 ゆかりはその瞳を見て少し嬉しかった。彼の瞳に私が写っているような気がして、私を気にかけてくれているようで嬉しかった。

 

 「....はい!では"一緒に"いきましょう!」

 

 「ああ」

 

 ゆかりは"一緒に"を強調した。ゆかり的にはずっと一緒に、と言うようなニュアンスだったのだが、そんな回りくどいものをマサオミが気づくはずがなかった。

 ゆかりもそんなことはわかっていた。しかしゆかりはそれでよかった。だって彼の「ああ」が聞きたかっただけなのだから。

 

 私の"一緒に"に、ああってああって返してくれました!これは合意が取れたと思って良いですよね!

 

 などと1人で勝手に幸せになっていた。簡単な女である。

 

 

 そんなこんなで応接室についた。マサオミと初めて会った部屋である。ゆかりはそこに大福を保管していた。ゆかりはこの部屋で一緒に食べたかったのだ。

 

 マサオミは部屋に入った瞬間、素早い動きでソファに座った。お馴染みの上座である。

 しかし、今回はなんとなくではない。上座は窓に近く、扉がずっと視界に入る。もしもの時に対応がしやすいからだ。

 

 ゆかりはマサオミの行動をいつも通りと受け取った。

 ゆかりはそんなマサオミを見て、スタスタとマサオミの元に向かう。マサオミは少し不思議そうにゆかりに尋ねた。

 

 「なんだ」

 

 「....お隣....いいですか...?」

 

 ゆかりはマサオミの返答を聞かずに隣に腰掛けた。距離が近く、肩と肩が触れ合いそうな距離感だ。マサオミの息遣いを少し感じられて、ゆかりは顔を赤くする。

 

 マサオミはそんなゆかりの姿を見て、不思議そうに首を傾げたあと、まあいいかと言うように机の上の大福を見た。

 

 「食べていいか?」

 

 マサオミの一切気にしていない様子を見て、ゆかりは、少しくらい気にしてくれても良いのに...

 

 ほんのちょっぴり拗ねながら言った。

 

 「....いいですよ」

 

 マサオミは早速一個手に取って口に運んだ。

 餅は薄く柔らかい。餡の甘さにいちごの甘酸っぱさが程よく合わさっていて、とても良い出来のいちご大福だった。

 

 「うまい。」

 

 感想は淡白、それでもゆかりはマサオミが美味しそうに食べているとわかった。それが嬉しくて、拗ねていることなんかすぐに忘れてしまう。

 

 「今回はいちごを入れたんです!どうですか?」

 

 「ああ、うまい」

 

 ゆかりは思う。作ってよかったです!

 

 ゆかりはマサオミが何かを食べている姿が好きだった。色々変わってしまった彼だけど、好きなものを食べている時の顔は、昔と良い意味で変わっていなかったから。マサオミは美味しいと思っている時、少しだけ眉が上がるのだ。

 

 ゆかりは昔からそんなマサオミの何気ない仕草が好きだった。

 

 マサオミをジッと見つめる。初めて会った思い出の詰まった部屋で、私の作った大福を食べている。私の隣にいてくれる。

 

 そんなことを考えながらマサオミを見つめること正に数分。やっとゆかりに見られていることに気がついた。マサオミは大福に夢中になっていた。

 

 「いいのか?」

 

 ゆかりは突然話しかけられて少し困惑する。しかも何を言っているのかわからなかった。圧縮言語がすぎる。

 

 数秒の沈黙の後、ゆかりはその意味を理解した。"ゆかりは食べなくていいのか?"

 少し笑って、ゆかりは言う

 

 「...ええ、いいのです。私は貴方が食べている姿を見るために大福を作ったのですよ?」

 

 「そうか」

 

 マサオミはよくわからなかった。なんで俺の食う姿が見たいんだ?変な奴だ。

 そういえば、昔も似たようなことを言っていた気がする。

 

___それは確か....

 

 「"貴方を見ていていいですか"。だったな。」

 

 

 

 ゆかりの微笑みがピシリとひびが入る。

 

 

 

 「....覚えていたのですか....?」

 

 「ああ」

 

 ゆかりは驚く、それ以上に胸が高鳴った。

 その言葉は、そのセリフは、ゆかりにとって始まりの言葉だったのだから。

 

 

 幼少期のゆかりは引っ込み思案で、シャイな子供だった。そして絵本が好きな普通の子だった。

 

 シャイで人に話しかけられなかったゆかりは友達がいなくて、そんなゆかりを心配した両親が連れてきた子がマサオミだった。

 マサオミは分家の子供なのに遠慮がなくて、仏頂面で。何にも喋ってくれなかったけれど、それでも側にいてくれた。マサオミはその時、特に意味なんてなかったのだろうけど、確かに他の子とは違って「面白くない」と言って離れていかなかったのだ。

 

 初めて会った日は一言も会話はなく、2日目、3日目も何も喋らなかった。喋られなかった。それでも側にいてくれた。それがゆかりは嬉しかったけれど、不思議にも思っていたのだ。だから勇気を出して聞いてみることにした。

 

 「.....なんで....いてくれるの?」

 

 声も小さく、耳を澄まさなければ聞こえないほどの声量。それでもマサオミは反応した。

 

 「知らん。なんとなくだ」

 

 冷たい声だった。淡白で、愛想もない返答だった。優しさの感じられない声。

 ゆかりは、そうですよね....とうさま、かあさまに言われたからですよね.....と少し落胆しながらマサオミを見た。

 

 瞬間、ゆかりの時は止まった。

 

 優しい目をしていた。幼いながらにこの人は、なんて柔らかい目をする方なんでしょう。そう考えた。声は淡白で、瞳は優しさに溢れたチグハグな人。そんなマサオミが少しだけおかしくて、なんだか胸が高鳴って.....

 

 これがゆかりの初恋であった。

 

 そしてゆかりは無意識に言葉を発していた。

 体も年齢も、多分関係だって変わってしまった。それでも秘めたる想いはあの日から一切の陰りはない。変化などあるはずがない。

 故に口から漏れ出した。

 

 

 

 

 あの時と同じ言葉が

 

 

 

 「.....貴方を見ていていいですか?」

 

 「?いいぞ」

 

 この思い出はゆかりにとって初恋の記憶であり、何にも変え難い宝物だった。だからこの応接室が大切なのだ。思い出がたくさん詰まっていて、自分の原点でもあるこの部屋が

 

 だからゆかりは驚いた。それ以上に嬉しかった。だって覚えていてくれてるなんて思ってなかった。それでもいいと思っていた。私だけが大切にしていればそれでいい。

 なんて思ってもないことを考えていた。

 

 でも私だけじゃなかった。

 

 マサオミ様も大切にしてくれているような気がして、嬉しくて、嬉しくて、少し涙が出てしまう。

 

 「!?どうした」

 

 マサオミは珍しく困惑していた。

 どうした?なぜ?なぜ泣いている?わからん。なぜだ?

 

 「いえ....いえ!違うのです...嬉しくて...覚えていてくれたことが嬉しくて....」

 

 グスッグスッと啜り泣きながらゆかりが答える。

 

 そんなゆかりを見て、何が嬉しいのかがマサオミにはわからなかったが、悲しいわけじゃないならいいか。と思った。

 

 「そうか」

 

 そこからマサオミは静かにそこに居続けた。涙を流すゆかりに何も言葉をかけなかった。あの時と同じように、昔と変わらないまま側に居続けた。

 

 ゆかりはそれで満足だった。

 

 

 

 

 夕食を食べ終わり、ゆかりと別れたあと、帰路についていたマサオミは考えた。

 この間の誘拐は、俺が帰った後すぐに起こった。ならもう少し宿屋に帰る時間を遅くした方がいいかもしれない。

 

 マサオミはすぐに行動に移した。来た道を引き返し、方陣の屋敷に向かう。あまり離れていなかったからかすぐに門の前についた。

 

 そこには門番がいた。

 

 数秒の沈黙

 

 「....なんですか?」

 

 門番は尋ねる。やはり少し怖い。体格の良い筋骨隆々のグレートソードを背負った不審者面がジッと見つめてくるのである。当たり前だ。

 

 「通せ」

 

 彼は何も学んでいなかった。あの日の失敗をいまだにわかっていない。それを知るのは傭兵団のみんながここに着いた時だろう。

 

 しかし、門番はそんなマサオミのことをもう不審者だとは思っていない。彼が来てからゆかり様は明るくなったのだ。しかも彼はゆかり様を助けてくれた。だからもう疑える訳がなかった。

 

 「どうぞ」

 

 門番は門を開ける。

 

 「ああ」

 

 マサオミはスタスタと屋敷に入って行く。目的地はゆかりの執務室だ。外から執務室の淡い明かりがついていたのは確認していた。

 

 その途中途中ですれ違う使用人全員に感謝を告げられていた。一人一人に身に覚えのない"ありがとう"と言う言葉をかけられ、ああと返し続ける。

 そんな中マサオミは不思議に感じていた。なぜ?

 

 そんな折にゆかり専属の側仕えに会った。聞いてみることにした。

 

 「なぜだ」

 

 「.....?.......??」

 

 「ありがとうと言われる」

 

 側仕えは突然の圧縮言語に困惑して、思考が追いつかなかったが、その後の言葉で理解した。

 側仕えは少し笑いながら、マサオミに言い聞かせるように言った。

 

 「私達はみんな貴方に感謝しているのです」

 

 「なぜだ?」

 

 「貴方が来てからゆかり様は明るくなりました。そして貴方はゆかり様を助けてくれた。」

 

 優しい表情だった。その顔からは本気の感謝が滲んでいる。なにもわからないマサオミだが、それでも感じることはあった。

 

 「その事を私達一同全員が感謝しているのです」

 

 「慕われているな」

 

 「ええ。私達は皆、ゆかり様が大好きなのですよ」

 

 「そうか」

 

 マサオミはなんだか嬉しかった。何故かはわからないけれど、なんとなく嬉しかった。

 

 マサオミは思い出した。昔のゆかりを、あの俯きながら何も話さない。それでも側を離れようとしなかったゆかりを。友人などマサオミとマサオミの妹であるゆめのしかいなかったゆかりを

 

 そんなゆかりが今では多くの人に慕われている。その事実がなんとなく嬉しかった。

 

 少し気分を良くして歩き出す。

 

 その後に執務室の扉の前につき、ノックもなく扉を開けた。

 少しビクッと肩を振るわせたゆかりはバッと顔をあげてマサオミを認識する。

 

 「...!?え?マサオミ様?なぜ?どうしたのですか?...いえいえ!もちろん嬉しいのですが、珍しいなと思いまして....」

 

 マサオミはゆかりの顔をジッと見つめた。

 ゆかりはそんなマサオミが少し珍しくて、照れくさそうに目を逸らす。

 

 マサオミは気がついた。ゆかりの目元に少し隈があると。化粧で上手く隠しているのか、日中は気が付かなかったが、ジッと見つめた今気がついた。

 

 頑張っているんだな。だが眠れていないのか?

 

 マサオミはそう思う。そして思い出した。

 昔から寝つきの悪かったマサオミは、幼少期の頃、母の膝の上でよくお昼寝をしていたことを

 

 その時は、何故かすぐに寝ることができて、安心していたことを

 

 マサオミはグレートソードを鞘ごと扉の前に立てかけ、ソファに向かい端っこに座った。

 隣をポンポンと叩きながら

 

 「こい」

 

 そう言った。

 

 「....え?」

 

 ゆかりは突然のことに戸惑い、恥ずかしそうに立ち上がり、マサオミの隣に腰掛けた。

 するとマサオミはゆかりの頭を掴み、少し強引にゆかりの頭を膝の上に乗せた。

 

 「え!?」

 

 「どうだ?」

 

 ゆかりは、え?なに?なんで?と思うが言葉が出ない。今回に限っては何が"どうだ?"なのかもわからない。

 

 「と、突然なんですか?」

 

 するとマサオミは少し考え込み、数秒の沈黙の後に語りだした。

 

 「昔、母がこうしてくれた」

 

 ゆっくりと紡ぎだす。いつもの圧縮言語ではなく、淡白な口調でもない。

 

 「俺は母の膝の上で昼寝をするのが好きだった。何故かはわからない」

 

 ゆかりの頭を優しく撫で始める。

 ゆかりは少しビクッとしたけれど、抵抗はしなかった。

 

 「ある時、ふと思ったのだ。なぜ母の膝の上はあんなに寝られるんだ。と」

 

 優しい声だと感じた。そして珍しく思う。マサオミ様はあまり昔話をしないお方の筈

 

 「母は俺の顔を見ながらいつも笑っていた。そして静かに見つめていたんだ。」

 

 ゆかりは横向きの状態から少し顔を上に向け、マサオミの顔をみる。

 

 「何故かはわからない。だが、その眼差しを向けられると......」

 

 息を呑むとはこのことか。彼のこんな顔は見たことがない。昔でさえこんな表情はしたことはなかった。初めて、マサオミ様の微笑んでいる顔を見た。

 

 「何故か安心できたんだ。」

 

 「.............少し寝ろ。どこにも行かん」

 

 マサオミは語り終えたのか、それ以上何も言葉を発することはなかった。

 

 ゆかりの瞳から雫が溢れる。何もかもが溢れ出していた。

 再開時の落胆

 誘拐された時の恐怖と絶望

 彼への恋心、愛おしさ

 

 嬉しさも悲しさも、その全部が雫に変わって流れ落ちているような感覚に陥っていた。

 

 10年ぶりに再会できた時、喜んでいるのが私だけみたいで悲しかった。

 でも、それ以上に嬉しかった。

 

 誘拐された時、死んじゃうことよりも、彼に会えなくなることの方が怖かった。

 だから月光を纏って現れた彼を見て、美しいと思った。

 

 彼の戦う姿は少し怖くて、痛くて、悲しくて

 それでも無事でよかったなんて言われて、ズルい人だと思った。嬉しかった。

 

 そして今は彼を見つめている。

 優しい目をしている。優しい表情をしている。優しい手付きで私の頭を撫でている。

 

 時が止まった。胸が高まる。

 この感覚にゆかりは覚えがあった。あったかくてじんわりと広がるような胸の鼓動。

 彼の顔から目が離せないほど釘付けになっている。

 

 ああ、そうです。私は彼が、マサオミ様が好きです。愛しています。小さい頃からずっとずぅっと大好きなんです。

 

 昔、本に書いてありました。初恋は叶わないって書いてあったのです。信じたくなくて、受け入れたくなくて

 

 でも彼は側にはいなくて....

 

 でも今なら認められます。初めての初恋は叶わない。それはもう、私には当てはまりません。

 

 何故なら私は、今この瞬間、彼にどうしようもないほどに惚れさせられてしまったのですから

 

 絶対に諦めません。絶対に離しません。貴方の隣に立たせてください。私の側にずっといてください。

 

 ゆかりの想いが内心でぐるぐる回る。

 

 方陣ゆかり 22歳 独身

 人生で2度目の初恋だった。

 

 相手は同じ人、昔とは少し違うけど、昔よりも優しくなった素敵な殿方。

 仏頂面で無愛想、淡白な返答が特徴な少し困った人。

 

 それでもゆかりにはもう彼しか、マサオミしか目に入らない。受け入れられない。ずっと見ていたい。

 

___だから

 

 「絶対に諦めませんよ」

 

 「?そうか」

 

 月明かりが優しく照らす室内、窓の外には満天の星空が広がっていて

 

 そんな空間の中、1人の女は決意した。

 

 彼の隣に立つのは私です。誰にも譲りません。

 

 沈黙が続く、ゆかりもマサオミも一言も発さない。それでもどこか温かい空気がそこにはあった。

 

 それだけで充分だった。ゆかりはゆっくりと眠りについた。

 





次回一章エピローグです。
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