Angel Beats! PAST SIDE EPISODE 作:純鶏
「……まつ! 目を覚ませ、たかまつ~!!」
誰かが私を呼んでいる。聞いたことのない声の主だが、明らかに私を呼んでいるのだろう。そう感じた私は反射的に顔を上げてしまう。
さっきまでうつ伏せで眠っていたからか、視界がぼやけて目の前の光景がうまく見えない。それでも、私はまばたきをしたり、目をこすったりしながら、目を開かせては視界をクリアにさせていく。だが、いまいち頭がぼーっとしているからか、思考が上手く働かない感じがする。やけに実感が湧かないでいる。
どうやら私は机に顔を伏せて座っていたみたいだ。私の座る机の上には、筆箱や日本史と書かれた教科書があった。私は自分自身の周りに視線を向けると、そこにはどこかの学校の制服を着た男女ばかりがいる。見た限りでは、年齢は自分と同じ高校生の同年代の学生に見えた。そんな彼等達は、クスクスと笑いながら私を見ている。いったい何を笑っているのか私には分からない。
そんな彼等をそっちのけにして、私は名前の呼ばれた方向へと視線を向けることにした。視線の先には、教卓と黒板がある。そのそばには見知らぬ大人の男性が、やや険しい表情で私を見ている。よく見てみれば、教師のような背格好で教科書を片手に持っていた。
とりあえず、私がいるこの場所が学校の教室であることはさすがに理解することができた。誰が見ても、目に見える光景が教室である以外は考えられないだろう。よく見たら自分まで、他の方と同じ制服を着ているではないか。どう見たって私が学校の中にいるという現状でしかない。
しかし、何故私はここにいるのだろうか。たしか、私は気を失ったのではなかったのだろうか。かつて中学校の時の友人であった永井剛の顔を見た後、そのまま気を失ったのだけは覚えている。たしか、バットか何かで殴られたんだったか。その場面だけは鮮明に覚えていた。きっと、あのまま地面に転がったままなら、地面に転がったまま気を取り戻すはずだ。もしくは、病院の中とか自分の部屋の中とか、そういう場所で目を覚ますはず。
でも、ここは学校だ。その上、目に見える全てが初めて見るものばかり。窓から見える光景も、自分の机に置いてある教科書も、周りの学生達も、目の前で立っている教師も、何もかも知らないものばかり。ここにいる理由がさっぱりな上に、何がどうなって、何が起こっているのかが全く分からない。私は頭の中の思考が回り始めれば始まるほど、疑問が増え、このおかしい現状に心の中に不安が募っていく。
「こ、ここは、いったい……」
「はぁ? 何を言っとるんだ高松。教科書の78ページの5行目の段落から読めと言っとるんだ。何をそんなにキョロキョロしているんだ、寝ぼけてるのかおまえ」
どうやら、私は挙動不審に周りを見ていたようだ。教卓のそばに立つ教師らしき男性がそう言うと、教室の中の学生達から笑いがあがる。教室の中にいる人間の大半が私を見て声を出しながら笑みを浮かべていた。そんな光景が私にとってはとても気味が悪い。彼等にとっては何が可笑しいのだろうか。黒板の前にいる教師も、何を言っているんだろうか。
そもそも、君たちは誰なんだ? 教師らしき男はなぜ私を見て名前を呼んでいる? なぜ私は、ここにいる? ……あれ? そういえば私は? 私は……いったい、誰なんだ!?
私は座っていた机から無意識に立ち上がる。そして、後ずさりしては、逃げるように一気に教室の扉を開けて走っていく。知らないものばかりのこの場所で、私はとてつもない不安と焦りを感じていた。ただ、何かを求めるように私はがむしゃらに廊下を駆けていった。無我夢中に、廊下を走り、階段を下り、角を曲がったりしながら、ひたすら走る。
学校の玄関を抜けたところで、私は太陽の日差しを浴びる。急に浴びた太陽の光の眩しさで私は目を細め、ひたすら走りながらも前へと躓いてしまい、転んでしまう。運が悪かったのか、そこにはグラウンドへ続く階段があり、私はそこへと転げ落ちていってしまった。ゴロゴロと転げ落ちながら、全身を階段の段差に打ちつけていく。階段から道へと変わったところで、私は後頭部と背骨を手で押さえるように横になって悶える。
階段から転げ落ちたことがないから知らなかったが、体の所々が死ぬほど痛い。全身打撲で、体が動けなくなるんじゃないかと思ったほどだ。それでも、痛みを耐えるように無意識に手で押さえては悶えることが出来るくらい、人間というものは丈夫なようだ。
しばらく痛みに耐えるように悶えた後、私は雲一つない晴天の空を見上げる。晴れ晴れとした空の下で、私は横たわって空を見る。この光景だけは、昔見たことがあるような気がした。それは、いつだろうか。何かを握りしめ、汗をかきながら、土の上に横たわっていた気がする。分からないことが多い現状の中で、自分の中の記憶が思い浮かびそうだ。
しかし、私が思い浮かべようとするのを遮るように、誰かが階段を下りてくる音が聞こえる。いつのまにか、学生服を着た学生が一人私のそばに立ち、私を心配するように顔を近づいてきた。
「階段から転んだようだけど、大丈夫かい?」
「……あの長い階段から転げ落ちて、大丈夫だと思いますか?」
実際には階段はそんなに長くはないのかもしれない。でも、私にはとても長いように感じたのだ。しかも、勢いよく転げ落ちたのだから、ケガをしてもおかしくはないのだろう。
「あははっ、たしかに。普通は大丈夫ではないだろうね」
寄り添ってきた男子学生は、笑みを浮かべる。何気ないその笑みは、先ほどの教室で見た笑みとは違い、優しさというのか温かみを感じるものだった。
「でも、大丈夫っていうことは、君はどうやら普通の人間みたいかな」
「普通の人間って……私が普通に見えなかったのですか?」
「まぁ、僕が見た限りでは“普通”ではなかったと思うよ。それはそれでいいんだけどさ」
嬉しそうにそう語る男子生徒は、私を見てどこかしら安心したように見えた。まるで、初めて着た場所に一人ぼっちだった自分が、知り合いを見つけて安堵したような感じだろうか。
私のそばにいる男子生徒が手を差し伸べてきたので、私はその手を掴んで立ちあがる。階段に転げ落ちたこともあり、誰かと会話できるくらいには私は少し落ち着くことが出来たみたいだ。
「君の名前は何て言うんだい?」
目の前にいる男子生徒の問いかけに、私は少し戸惑ってしまう。何故なら、私は自分のことが思い出せないからだ。気を失った時のことは鮮明に覚えているのだが、その時の弊害なのか、何かと自分のことを思い出せないことが多い。
「えっと……た、たか、まつ? たしか、たかまつだった気がする」
「そっか。僕は光村《みつむら》っていうんだ。まぁ、君が教室で“たかまつ”と呼ばれていたから、君の名前は知っていたんだけどね」
「えっ?」
さっきまで私がいた教室の中にこの男子生徒もいたというらしい。さっきは急なことに取り乱していたので、見た覚えはなかったのだが、どうやら私の行動の一部始終見ていたのかもしれない。というか、私の名前を知っていたのなら、この人は何故聞いてきたんだ?
「でも、どうやら君は僕の時と一緒で記憶喪失みたいだね。そういえば、僕も最初はそうだったな~」
目の前の男子生徒は、昔の思い出に浸るように私にそう語った。
「……ということは、私はこの学校の学生なのですか?」
「うん? どうだろ、違うと思うけどな」
「え? じゃあ、私はなんでここにいるんです?」
「さあ? それは僕にも分かんないな」
どういうことなのだろうか。とりあえずこの男子生徒は、私がなぜここにいるかは知らないようだ。この男子生徒に聞けば、今の現状について何か知ってそうな気がしたのだが、分からないのなら仕方がない。結局は何も分からないままだが、せめてでも彼が知ってそうなことだけでも聞いておこう。
「そもそも、ここはどこなんですか?」
「きっと、死後の世界なんじゃないのかな?」
「……えっ、は、はあっ!?」
私は男子生徒の予想外の言葉に、ただ呆然と驚いてしまった。でもたしかに、目の前の男子生徒は私にそう告げたのだ。
これが、私がこの世界に来て初めて出会った人間であり、この世界でできた光村という友人との出会いだった。
第4話:“死後の世界”