クソボケ激メロ術師の現代伝奇バトルでハーレム構築スローライフ希求譚 作:所羅門ヒトリモン
八千代&八千花とのデートも、基本的な流れは同じだ。
午前中を姉、午後を妹、夕方頃に合流して三人で。
そんなワケで、秋水は翌日、〈グランド・ハーバー汐坐〉と直通になっている商業施設──
汐高浜町ウォーターフロント〈アストラ・ギャレリア〉に来ていた。
早い話、デパートである。
ただし、〈アストラ・ギャレリア〉は南湾岸区の国際色を多分に反映した超大型商業施設であり、普通のデパートとは毛色が異なる。
地下から屋上まで、全階〝世界旅行〟がテーマの館内構成となっているのは、コンセプトがハッキリしているが。
その特徴は世界各地の伝統的な文化から、最新の流行。
最先端の〝文化を体験できること〟に重きを置いているようだった。
◇─────────────────────◇
【屋上】:天空リウム
【8〜10F】:デジタルアートミュージアム
【5〜7F】:国際文化体験フロア
【1〜4F】:世界各国のライフスタイルショップ
【地下】:グルメ・スイーツ/ホテルフロア
◇─────────────────────◇
地下は高級ホテルである〈グランド・ハーバー汐坐〉と直通していることから、半ばリゾート施設も同然だ。
デパ地下らしいグルメ・スイーツエリアだけに飽き足らず、高級スパや温浴場まである。
その反対と言っていい高層階。
地上8階から10階になると、時代の先端を行くデジタルアートミュージアム。
LEDやらプロジェクションマッピングやら。
光や映像を駆使した非常に現代的なアミューズメント・パークが三フロアにまたがり公開されていて、大人のデートコースとして極めて大人気だそうだ。
秋水も今日、当然、足を運ぶ予定である。
しかし、それはまだもう少し後になってからの話。
「しゅーうーくんっ♡ だーれだっ?」
「八千代さん。おはようございます」
「えー? 私、八千代じゃなくて八千花よ?」
「いいえ。その手には引っかかりません」
秋水は首を振って断言した。
背後から忍び寄ってきた少女は、たしかに秋水の目元を隠すことに成功している。
しなやかで細い綺麗な手指。
声音も似ているし、余人ならばまんまと引っ掛かっただろう。
ただ、実を言うとこの手のイタズラは、もう何度も経験していた。
鳶瀬山家の家族構成は、三組の双子姉妹。
そのなかでも特に八千代と八千花は、秋水に対して双子特有のモーション・アプローチが多かった。
自分のカレシが、きちんと自分を見分けられるか?
二人は度々、秋水を試そうとする。
しかしながら、秋水から言わせてみれば、こんなのは千回やっても間違えようがなかった。
その差は体重の重さとして、如実に足音など細かな所作の違いとして表れている。
筆頭の五感は誤魔化せない(変態の五感かもしれない)。
第一。
「八千代さん。貴方は俺と事前に取り決めておいた予定を、勝手に変えたりしないでしょう」
「うーわっ! すっごい自信! ……だけど正解なのよね〜」
八千代は手を離した。
振り返ると、案の定そこには私服姿の八千代がいる。
少女は顎に人差し指を当て、「む〜ん」と唸っていた。
「なんで毎回当てられるのかしら?」
「愛の力、とか言ったら笑います……か?」
「やだ。しゅうくん、自分でもそれ笑っちゃってる」
「すいません、さすがに歯が浮きすぎました」
「じゃあ、リテイクね?」
「え」
「だって、ネタに使えそうなんだもの」
おーねーがいっ。
可愛らしくおねだりされ、秋水は少々たじろぐことになった。
が、これは仕方のない話だ。
秋水が八千代たちからの様々なモーション・アプローチに慣れて来たなら、当然、向こうも同じように秋水のクソボケムーブに慣れて来ている。
中途半端に狙った一撃では、クリティカルを出すなど不可能だった。
「では──愛の力です」
「おっふ」
もっとも。
クソボケはその上でクソボケを繰り返すので、戦歴で言えば結局、八千代たちのほうが白旗の数は多いのだった。
ただ、頬を若干赤らめた八千代は、その後の受け流しも上手くなって来ている。
「うっ、撃たれちまったぜ……」
「どこをですか?」
「は・あ・と♡ ──今の良かったから、同人誌にするわね?」
「どうぞどうぞ」
「はーっ! ほんっとッ! 理解のある彼くんって最高だわ〜!」
「八千代さんが幸せなら、OKです」
少女は実に朗らかな笑顔だった。
まさに、向日葵のように明るく清々しい笑み。
そんな八千代を見ていると、秋水も思わず目元を慈しみ深く細めてしまう。
特に、今日のようにデート着に身を包んだ八千代だと、その寛容性もひとしおだ。
白のサマーシャツ。
ハイウェストのライトベージュロングスカート。
キャメル色のストラップヒールサンダル。
色彩はシンプルにまとめられているが、〝華〟もきちんとある。
それは髪飾りとブレスレット。
八千代と八千花と言えば、榛摺色の長髪を後ろで高く結い上げているのがチャームポイントだが、今日の八千代はべっこう調の
銀杏型で螺鈿細工も施されたそれは、ワンポイントでありながらも非常に目を惹くオレンジとゴールドに、
簪と聞くと、かなり和の趣きを感じてしまいがちだが、今日のは現代的なヘアアクセとしても成立している絶妙なデザインだった。
両手首のレディースブレスレットも同系色のため、合わせて身に付けているのは明白である。
「不思議ですね」
「? なにが?」
「ここは向日葵畑じゃないのに、初めてデートした時のことを思い出しました」
「え。エッチする?」
「そうじゃなくて」
苦笑を挟んで、秋水は八千代の手首に手を伸ばした。
「触ってもいいですか?」
「ブレスレット? いいけど」
なに? と首を傾げる八千代に微笑んだまま、秋水は細い手首を持ち上げてその輪郭を撫でる。
八千代がわずかに身を捩らせた。
「あはっ、ちょっとくすぐったいっ。どうしたの?」
「オレンジ色。もともと柑橘系が好きなのは知ってますけど、気のせいですか?」
「え?」
「あれ以来、俺と会うときは必ず同じ色がある気がして」
太陽。向日葵。黄色。橙色。
「自惚れだとは思うんですけど、それってもしかしたら──」
「……もしかしたら?」
「俺に、あの約束を忘れさせないために、なのかなって」
秋水は小さく、八千代に訊ねる。
「だから、自惚れてしまってもいいですか?」
「……」
「勘違いでもいいんです。単にこれが、八千代さんが好きでしている格好なだけでも、いや、十分にそれだって最高なんですけど、俺のなかでは少なくとも、〝そういうことだ〟って決めつけてしまいたい気持ちがあります……」
なので、いいですか? と繰り返し訊ねると。
八千代は秋水の手を掴んだ。
自分の手首を撫でていた男の手首を捕まえて、今度はその手首の輪郭をお返しのように撫でていく。
手全体の動きは、そのまま互いの両手に、蛇のように絡みつき。
にぎにぎと噛み合わさった。
まるで、動物の求愛行動じみた湿り気が、そこにはある。
「あのね? しゅうくん」
「はい」
「さっきも言ったけど、女の子が自分からエッチする? とか言ってるのよ?」
「はい」
「愚問じゃない?」
「言われてみれば、たしかに」
「でも、言ってほしいの?」
「嫌ですか?」
「その返しはずるいわね」
八千代はにぎにぎを繰り返しながら、顔をやや
「……自惚れなんかじゃ、ないわ」
「ありがとうございます」
「もうっ! さっさとデート行きましょっ? 初手からずいぶんな羞恥プレイっ! しゅうくんはSだわっ、ぜったいSっ! こんなのネタが捗っちゃうわよ!」
「それは……どういたしまして?」
「天然ドS王子様!」
八千代は意外と、オープンスケベなようでいてちゃんと可愛らしい部分もある。
そんなこんなで、国際商業施設デートの開始である。
秋水たちの現在地は、地下。
孔雀堂家から提供された〈グランド・ハーバー汐坐〉の一室。
荷物置き場やレストルームとして使いやすいそこから、エレベーターだけで移動が叶うというスーパー便利なアクセスしやすさもあって、ホテル直通階からひたすら上へめがけて〈アストラ・ギャレリア〉を攻めていくデートプランだ。
だが、当然一日では回り切れない。
妹の八千花もそうだが、八千代は事前に公式サイトのショップリスト一覧やショップガイド・インフォメーションをチェックしてから、本日のデートに臨んでいる。
最初の目的地は、高級腕時計店だった。
「おお。本当にここ入るんですか?」
「うん。どうして?」
「いや、オシャレすぎてビビりませんか?」
「変なしゅうくん。一周回ってブランド物とか興味無くなっちゃった人?」
「普通に身分不相応なだけですよ」
「汐坐の筆頭術師で身分不相応だったら、誰も入れなくなっちゃうわよ?」
秋水が息を飲んでいると、八千代が腕を引っ張り高級腕時計店へ入ってしまった。
するとすかさず、スーツ姿の店員が完璧な営業スマイルで近づいて来る。
(ま ず い)
このままでは高い買い物をさせられる。
庶民魂がレッドアラートを上げたが、秋水の腕は八千代にしっかりロックされていた。
「いらっしゃいませ、お客様──」
「あ。ごめんなさい、写真だけ撮りたいんですけどいいですか?」
「は?」
と、そこで機先を制する八千代の一撃。
虚を突かれたダンディーな店員が、思わぬ発言に目を丸くする。
そこに、八千代はすかさず追撃を打ち込んだ。
「彼が試着をするので、そこを撮らせていただきたいんです」
「は、はぁ……それはもちろん結構でございますが……えっと、本日のところはお写真を撮られて、ご自宅で吟味されるということでしょうか?」
「いえ、資料用に」
「八千代さん」
事態を把握した秋水は、高級店の雰囲気に怯んでいる場合ではないと姿勢を正した。
こういうお店で接客をやっているだけあって、ダンディーな店員の頭のキレも良かったが、さすがにエロ同人の資料用として商品の撮影を求められているとは分からないだろう……というか、それだったら許可してくれない気がする。
(どうせ財布は孔雀堂家持ちだ)
秋水は懐から、筆頭徽章を取り出して店員に見せた。
「すいません、自分はこういうものなのですが──」
「! それは……! おおおぉっ、これはこれは! 孔雀堂様より申しつかっております! どうぞご自由に! そうだ! 一眼レフもご用意いたしましょうか!?」
ダンディーな店員は、目の色を変えた。
ちょっとあからさまなくらいに、揉み手の姿勢になった。
ダンディー感が四割、いや六割ほどは台無しになっている。
秋水はやや緊張感が解けた。
「一眼レフは結構です。ていうか、あるんですか? まぁ、普通に携帯端末を使うので、お心遣いどうもありがとうございます。二人で、選ばせていただいても?」
「もちろんでございます! ささっ、ささっ!」
エセダンディーは去った。
「効果バッチシ♪」
「はは。
「どっちの効果も凄いのよ? 少なくとも、うちみたいな一般術師家系からしたらビックリするくらい」
八千代はわざとらしくうそぶく。
鳶瀬山家を一般術師家系と評するのは、もちろん反論のしがいしかない。
とはいえ、今はそこに食い下がっても仕方がないだろう。
秋水は店員が近くにいないことを確認してから、小声で確認した。
「それで──資料用ですか?」
「あ、うん!」
「わ。めっちゃいい笑顔ですね」
「いいでしょう? お願い、しゅうくん。私、さっきので手首フェチに目覚めちゃった♡」
「手首フェチ」
「だから写真撮らせて? ね? おねがぁい」
「それは構いませんが、お店の人にはいろいろ、聞かれないようにしてくださいね」
「はぁい♡」
秋水は無言で腕を差し出した。
八千代はご満悦な顔で、腕時計の吟味を始める。
腕時計の試着は、タッチパネルを操作するとセルフで出来るようだ。
最近はレストランの注文もタブレット式が多いが、こういうところでも電子化の波は及びつつあるらしい。
「やっぱり、カレシがいるなら資料は生に限るわよねっ」
「そういうものですか?」
「ええ、そうよ? うふふ。どうしよう? いま、私かなり優越感でいっぱいかも」
「優越感」
「だって、万年非モテ喪女だった同人女が、カッコいいカレシを手に入れて自分の作品のネタにまで使うとか……使うとかよ……?」
「はい」
瞬間、八千代の肩がぞくりと震えた。
その顔に宿っていたのは、なんとも形容しがたい恍惚感に満ち満ちたものだった。
「ネットで自慢できるわっ!」
「絶対やめましょう」
秋水は即座に首を振っていた。
「えー! ダメー!?」
「客観的に見ると、ちょっと嫌すぎるネット仕草ですね」
「そんなっ! ……少しくらいなら、いいでしょう?」
「ダメです。可愛いけど、ダメです」
「ちぇっ」
唇を窄めて、本物の舌打ちではなく言葉で「ちぇっ」と言う八千代。
その様子はとことん可愛かったが、秋水は惑わされずに首を振り続けた。
(八千代さん。結構えぐめの発想するな)
男女の性別を置き換えて考えてみて欲しい。
八千代の発想は、昨今のネット社会でなかなかに擁護し難い炎上の火種となり得る。
少なくとも、ある一定の層からは白眼視を避けられまい。
パシャリパシャリ。
秋水が厳しく首を振り続けたからだろう。
八千代は「じゃあ、せめて作品のクオリティで匂わせるわっ!」と入念に資料の撮影を続けた。
薄型でシンプルな文字盤のドレスウォッチ。
高い防水性と逆回転防止ベゼルが特徴のダイバーズウォッチ。
視認性が高く航空計算尺機能を備えたミリタリー発祥のパイロットウォッチ。
高級感と頑丈性に特化したラグジュアリースポーツウォッチ。
などなど。
幾つかのタイプごとに、八千代は様々な角度から携帯端末のカメラを構えた。
ディティールに凝りたいようだ。
「よし。撮りたかったやつは、これでだいたいOKだわ」
「じゃあ、試着させてもらったやつで、一番高いのを買いますか……」
「お買い上げありがとうございますぅぅ!」
店員に目配せをすると、エセダンディーがすぐに対応しに来た。
商売人としての嗅覚……いや、対応力が凄まじい。
秋水は最後にまた、別の意味で圧倒されかけた。
商品を包んでもらい、孔雀堂家経由で郵送の手配をしてもらってから、二人で店を後にする。
「ところで、ここって予定外のお店じゃないですか?」
「予定外?」
「だって、八千代さん手首フェチに目覚めたからって……」
「ああ。それなら大丈夫! もともと資料用に寄りたいと思ってたのっ。手首フェチになったのは、つまり素養があったからよねっ」
「なるほど」
実に楽しそうで、何よりだった。
今日のデートはもしかすると、八千代のエロ同人資料集めに終始するのかもしれない。
秋水は段々、戸惑いや恥ずかしさよりも、こういうデートって自己肯定感を高められていいなと感じつつあった。
男としての自信が湧いて来る。
だいぶ調子に乗ってしまいそうだ。
「それじゃあ、次はどこでしたっけ?」
「次は、世界の民族衣装を見て回りましょっか」
「民族衣装ですか」
「一個目は、同じ階にあるドイツのお店ね?」
八千代はルンルンだった。
〈アストラ・ギャレリア〉の一階から四階は、世界各国のライフスタイルショップとなっている。
そのため、一部エリアには伝統的な民族衣装を体験できるお店もあるのだが、これは日本で言うところの着物体験ショップのようなものだろう。
普通は外国人観光客が、その国のお店でインバウンド価格で旅の情緒を楽しむものだが、〈アストラ・ギャレリア〉では複数の国の衣装をひとつの場所で同時に体験できるのが、魅力のひとつでもあるとか。
ドイツ民族衣装専門店〈
そこは南ドイツ・バイエルン地方を再現したようなお店で、店内には木造ロッジ風の内装が広がっていた。
壁にはディアンドル、レーダーホーゼン、種々の帽子や羽飾りなど本格的な衣装が並んでいる。
体験用更衣室にはアルプスの村を模した撮影ブースもあった。
どうやらそこで、衣装を着たまま写真撮影が可能なようだ。
「ねえ、しゅうくん」
今さらだが、八千代は秋水を二人っきりの時に〝しゅうくん〟と呼ぶようになった。
歳下扱い感が増して、非常に良い。
「なんですか?」
「しゅうくんって、女の子に自分の好きな格好をさせたい人でしょ?」
「────昨日の」
「うん、そう。私たちに隠し事はできないからね?」
「しまった。千歳先輩の前でエロがろうとしてたのが、バレてたんですね」
「というか、わざとやってるのかと思ってたわ」
鳶瀬山家の特殊な体質は秋水も知っている。
なら、どんなに個々の時間を設けたところで、最終的には全員との共有に他ならない。
「チト姉、あざとかったわよねぇ。〝エッチな格好なんでもする〟とか言っちゃって」
「そうですね」
「そうですねて。言わせた男の子が、なんか言ってますけど」
八千代はディアンドル衣装を手に取り、イタズラ気な流し目を作る。
「とにかくね? さっきは私のために色々試してもらっちゃったし、ここからは逆の立場を楽しんで欲しいわ」
「……? つまり、八千代さんが俺のために色々な格好をしてくれるんですか? さっきの俺、腕時計だけでしたけど」
「い・い・の。チト姉が水着でアレだけやったなら、私だって同じくらいやらなきゃだもの。こう、姉属性として!」
「姉属性として」
むんっ、と力こぶを作って最後に付け足された理由は、いまいちピンと来なかったが秋水は頷いた。
なんであれ、八千代が秋水のために着飾ってくれるなら嬉しくないはずが無い。
「それはとっても、楽しみです」
「で、でしょっ? じゃあ、八千代お姉さんがディアンドル・八千代お姉さんになるまで、ちょっとそこで待っててね?」
お店の人に声をかけ、八千代はドイツ娘に扮するため更衣室に入っていく。
秋水はカーテンの前で、その着替えが終わるのを待った。
衣擦れの音というのは、何度耳にしても不思議な心地を招き寄せる。
「んっ……ちょっと、なによこれ……」
「? どうしました?」
「あ、なんでもないわ! なんかちょっと、思ったよりキツかっただけ……太ってるわけじゃないわ! 胸! 胸がキツいの!」
「声を落として」
誰もそんな心配なんかしていないというのに、八千代は普通の女性なら言い淀みそうな言葉を平然と吐く。
そこが魅力的でもあるのだが、秋水は内心で「そりゃそうでしょあのおっぱいなら」と思うしかなかった。
千歳のサイズが判明してしまったことで、千景、八千代、八千花についても、必然的に近似値が導き出されている。死ぬべきかもしれない。
「っ、ん、ふっ……くぅぅ……信じられない」
秋水が自分を殺すべきか迷っていると、更衣室からはなおも悩ましげな声が続いた。
「ディアンドルって、おっぱいのための服でしょう……?」
「は?」
「あ、聞こえちゃった? ごめんね? でも、おかしいのよ!」
「なにがですか?」
異国の民族衣装に対して、八千代は何かとんでもない発言をした気がする。
しかし、まさかそんな失礼な言葉が聞こえたはずがない。
空耳だろう、と秋水は聞き返した。
「ディアンドルっておっぱいのための服じゃない? なのに、このディアンドルちっともおっぱいが仕舞えないの!」
「声を落として」
幸い、〈
それでも、更衣室から聞こえる「胸」だの「おっぱい」だのの言葉に、にわかに注目が集まりつつあった。
ドイツ人女性と思しい店員からは、凄まじく怪訝な顔をされている。
居た堪れない時間の到来である。
「……そもそものサイズが、合ってないんじゃないですか?」
「うーん、そうなのかしら……でもおかしくない?」
「えっと、なにがです?」
「ヨーロッパの人って日本より、おっぱい大きい人が多いわよね!? なのにどうして私が着れないのよ!」
「八千代さんが、とんでもない爆イケだからでしょう!」
強引に言葉を上被せするしか、これ以上の手段が無かった。
秋水の珍しい大きめボイスに、八千代は照れたようだ。
「そ、そうなの? じゃあ……しゅうくん?」
「はい」
「ちょっと手伝って?」
「うぉ」
更衣室のカーテンから、八千代の腕がミミックのように秋水を引っ張り込んだ。
──ときに、ディアンドルとは実に素晴らしい民族衣装だ。
服装の構造自体は、ひどくシンプルながらも女性を効率的に魅力的にしている。
その姿は今日において、多くのウェイトレス・ユニフォームの原型になったとも云えるだろう。
ボディスと呼ばれる胴衣は、言ってしまえばベスト型のコルセットなのだが。
ディアンドルではそのボディスを、胸元が大きく開いたブラウスの上からしっかりと締め付けることで、女性のウェストをキュッと細めている。
と同時に、フリルやレースがあしらわれて〝ふんわり〟と飾られたバストを、非常に美しく柔らかに強調することにも成功しているのだ。
ウェストから下のスカートも、ギャザーと呼ばれる
スカートの上から重ねられているエプロンも、ウェストの細さを強調する役割があり、一説には結んである紐の位置によって異なるメッセージが秘められているそうだ。
着用者本人から見て左側に結び紐があれば、未婚。
右側であれば既婚ないし婚約中。
中央の正面で結べば、純潔または子ども。
後ろ側の場合は未亡人か、ただの給仕を意味するらしい。
八千代はエプロンの結び紐を、正面よりやや右側で結んでいた。
秋水はまず、そこに気がつきテンションが上がり。
そのあとすぐに、上半身のとんでもなさに愕然とした。
「ブラウスが、どうしても上がらないの……」
「諦めましょう」
八千代が着ようとしていたディアンドルは、肩出しタイプのブラウスだった。
つまりオフショルダーで、なのに胸元が大きくラウンド状に開いてしまっているものだから、その内側に収めた推定100センチ越えIカップ相当の爆乳によって、袖がひどく苦しそうに引っ張られてしまっている。
ディアンドルのブラウス袖とは、パフスリーブと呼ばれるゆったり膨らんだものが多い。
八千代がいま着用しているのも、同じようにパフスリーブタイプだ。
だが、おっぱいが大きいとは、こうも視覚的な暴力を備え持つのか。
もはや胸元から袖までを繋いでいるブラウス布は、パツ♡パツ♡パツ♡パツ♡ギチ♡ギチ♡ギチ♡ギチ♡ 状態であり、腋まで露出させてしまっている。
(谷間なっっっっっっっっが)
ボディスに至っては、ベストとしての役割は果たせず、コルセットの機能しか果たしていない。
それもおっぱいで、上半分横半分近くは見えなくなってるし。
「俺に何を手伝えと? 明らかに無理です」
「えーん! しゅうくんに喜んでもらいたかったのに……」
「喜んではいます。とてつもなく喜んではいます。ただ、ここは諦めましょう」
「……分かったわ」
八千代はしゅんとしてしまったが、この世には物理的な限界というものが存在している。
秋水が仮にどうにか手伝ったとして、その先に待つ未来はディアンドルの破壊という無惨な結果だけだっただろう。
泣く泣く店を出た八千代は、「じゃあ、次は二階のお店!」と気を取り直した。
「あ、でも……」
「どうしました?」
「二階のお店は、あんまりエッチじゃないかも」
「八千代さんが着れば、だいたいエッチだと思うので大丈夫ですよ」
「しゅうくんは優しいわね。えっとね? 次はジョージアの民族衣装店なの」
「ジョージアですか?」
「うん。ナウ●カのデザインモデルにもなったって言われてる民族衣装で、前からすっごく興味があったのよ」
「へ〜、それは普通に俺も興味ありますね」
国民的アニメ映画のタイトルを出されてしまうと、必然的に好奇心をくすぐられる。
二人はエスカレーターを使い、目当ての店へ移動した。
すると、そこにはたしかに、ファンタジー世界のコスチュームのような民族衣装があった。
〈
コーカサス地方の貴族文化をテーマにした、料金設定が割と高めのお店のようだ。
女性用の伝統衣装は、金糸刺繍入りのローブや王侯風ドレスなど。
内装も石造りの宮殿をイメージしているのか、品のいい静かな空間となっている。
そこに民族楽器による演奏音楽がかけられ、ブティックのような雰囲気もあった。
「結構近代的なんですね」
「男物はチョハって言って、両胸にある細長い装飾はガズィリって言うんですって」
「あ。ここに解説がありますね」
ガズィリ:胸の両側に施されたホルダー。
「〝かつて火薬や、銃弾を携帯するために使われていた機能性の名残り〟」
「ウェストベルトは細い革製で、短剣を吊り下げられるようになっているみたい」
「元々は軍服に近かったんですね」
「あ、こっちのは女物ねっ」
「名前は、カバ?」
「ふふふっ。日本人的には微妙な感じだけど、すっごくエレガントな感じじゃない?」
「ええ。刺繍のデザインも綺麗です」
「よかったら、一緒に着てみる?」
「いいですね」
秋水と八千代は、二人でジョージアの民族衣装に身を包んだ。
店員に声をかけると、ドイツ店とは違って店員が着付けを手伝ってくれたので、着れないという悲劇も無かった。
なんとインナーの貸し出しまで、準備されていたのだ。
国や人種の違いというより、明らかに店の違い。
料金設定と客層の違いが感じられた。
その後、記念の写真撮影もして、二人は店を出る。
今どき珍しいが、撮影はポラロイドカメラによるもので、その場で現像された写真をサービスでもらうことが出来た。
八千代がその写真を、大事そうに抱え込む。
「優しい店員さんだったわね」
「騎士と王女、なんてからかってましたが」
「もうっ、だから優しいって言ったのっ」
想い出は二人だけのものにはならない。
しかし、今この瞬間だけは、たしかに八千代と秋水だけの時間があった。
八千代の根底にあるのは、もどかしいばかりに過去の上書きを求める衝動だ。
だからきっと、二人だけで映った写真を得られたのは、思っていた以上に得難い体験となったのかもしれない。
「よしっ! じゃあ今度こそ、エッチな衣装でしゅうくんを喜ばせるわっ!」
写真をしまった八千代は、すぐに普段のノリになってしまったが。
秋水はそんな八千代を、狂おしいほどに愛おしく思うのだった。
三階に移動した。
八千代が秋水を誘ったのは、ハワイアン民族衣装ショップだった。
〈Aloha Lei Market〉
店名も英語なので、実に読みやすい。
南国文化を体験できるトロピカルな雰囲気漂う内装で、お馴染みのアロハシャツから、ハウスカート、レイ(首からかける花飾り)、花冠などが並べられている。
ちなみに、ここではやっていないようだが、フラダンスの体験教室に関する案内も店内の壁にはポスターとして貼られていた。
しかしまぁ……
「さすがに、こういったお店は民族衣装感をあまり感じませんね」
「日本でも、夏になればアロハシャツを普段使いしている人って、結構いるものね」
「汐坐だと特にそうじゃないですか?」
海のある地域では、海に生きる人種も増えがちだ。
そして、ハワイアン系の民族衣装は、どちらかといえば水着感が強い。
体験するにしても肌の露出が多いので、抵抗感のある客が多いのだろう。
一階のドイツ店、二階のジョージア店に比べると、半分以上は普通の洋服店感があった。
だいたい半分くらいは、リゾート着が売られているだろうか?
「じゃじゃーんっ!」
秋水の前に、八千代がトロピカルな柄のベアトップワンピースを持ってくる。
「しししっ。今からこれ、試着するわね?」
「大丈夫ですか? サイズ、合ってますか?」
「今度のはゴム製だから、大丈夫♡」
八千代は自信ありげに、秋水をフィッティングルーム前に連れ立った。
「べつに、そこまでしてエッチな格好して俺を喜ばせようとしなくとも──とは言いません」
「え? あ、うん」
「ただ、俺は八千代さんだったら、どんな格好をしていても好きですからね。それだけは覚えておいてください」
「ぴぴ〜!」
「ぴぴ〜?」
「反則! そんなこと言われたら、ますますエッチな格好で喜ばせてあげたくなっちゃうんだからっ、大人しく待ってなさいっ」
カーテンが閉められる。
秋水は幸せものだ。
ほんと、こんな日常があっていいのだろうか?
かけがえの無い大切な日々。
試着室の前で、秋水はしばし夢想する。
八千代が手にしていたのは、ベアトップのサマーワンピースだった。
基本カラーは白で、胸元にあるフリル、フリルスリットスカートのフリル部分に、薄い黄色を使われている。
やはり八千代といえば、白のロングワンピースか。
麦わら帽子を被った、一夏の想い出系お姉さんなのか。
夏の浜辺や、プールサイドで歩く八千代。
裾のほうはスリットが深いから、自然と風を受け入れて広がってしまう。
挑発的で艶かしい生足のライン。
チラリ、チラリ、と微かに覗くムッチリとした太ももの内側。
チューブ状の胴衣は、基本的にゴムで腰を締めているだけだ。
ベアトップとは「むき出しの上衣」を意味し、肩紐などは存在しない。
ぴったりと素肌に張り付く形で、上半身は筒状。
バスト部分はゴム紐によって、パッツンと覆われる──いや、引っ掛ける形になるはず。
それを、八千代ほどのスタイルの持ち主が身につければ?
ベアトップの伸縮性にも限界があるだろう。
ウェストは辛うじて、キュッと窄まっているだろうが。
あれだけの大きなおっぱいを覆うとなると、それはもはや両胸の先端から上を、全開放しているような状態になるはず。
チューブの直径は最初から決まっているため、背中の下の方からギリギリ斜めに伸ばされたそれは、八千代のおっぱいを危ういバランスで隠すに留まるのだ。
なので、きっと上から見下ろせる位置関係に立てば、八千代の乳房は先端周りと下乳しか、ワンピースの内側に収まっていないだろう。
フリルに縁取られたゴム紐の上には、それでもまだ横乳や上乳がはみ出ているかもしれない。
必然、先ほどのディアンドルと同じく、脇も腋も丸見えで。
もしも誰かが両脇に手を差し込んでしまえば、簡単にベアトップをずり落とすことができるに違いない。
無論、前側からフリルをわし掴んで、豪快に引きずり下ろしたり。
露わになっている谷間の中央。
わずかな窪みに指先を引っ掛けて、スッと指を落としても。
爆乳は〝ばるん♡〟とまろび出るに違いなかった。
そんなお姉さんが、幼気な
「ハハハ。誰か俺を、殺してくれ」
溢れ出る青春コンプレックスに、秋水がそう希死念慮の発生を確認していると。
「やっったっ! 着れた! 開けてもいいわ!」
八千代がそこで、ちょうどワンピースの試着を終えたみたいだった。
幸い、秋水の独り言は聞こえていなかったみたいである。
「では、開けますね?」
「うんっ!」
カーテンを掴んで、秋水はゆっくりと布をスライドさせた。
「あ」
たったいま妄想していた全てが、そこにはあった。ハレルヤ。
「これはダメです」
「えっ」
本能的に、カーテンを後ろ手で閉める。
秋水は試着室内に入り込み、外から八千代と自分の姿を隠す。
そして、八千代の肩(むき出し)を両手でガシッと掴むと、衝動的に壁まで追い込んでしまった。
「わっ、きゃっ、しゅうくん……!?」
「っぅ──……」
目蓋を閉じて、ガクリと顔を俯かせ。
バキバキと血管の浮かぶ感触を、手甲の皮膚の裏側に感じながら。
両腕を伸ばした体勢で、八千代の鎖骨の前あたりまで頭を倒してしまう。
ふわっ、と前髪がおっぱいを掠った。
「ひゃんっ♥」
「すいません」
慌てて頭を上げ、秋水は天井を仰ぐ。
やがて出てきた感想は、ただ一言だった。
「──エッチすぎますね」
「……そ、それって嬉しいって事でいいのかしら?」
「思わず、襲いかけたくらいには──」
「……へ、へ〜? そうなの」
ドキドキドキ。
ドキドキドキ。
ドキドキドキ。
ドキドキドキ。
二人は互いに、心臓の鼓動を感じていた。
鼓動だけが、耳にうるさかった。
そうしてしばらくの間は、静止と沈黙だけが場を支配していた。
「……ねぇ」
「はい」
「チト姉が言ってたことだけど」
「……」
「私も、まだ成長中よ……?」
「うーわ」
秋水はようやく手を離し、八千代に背を向けた。
今のはとても反則だった。
恥じらいに赤らんだ顔。
上目遣いに、誘惑ボイス。
しかも、無意識にか両腕で挟み込んでアピールまでしている。
公共の場でこれ以上は、マズい。
鳶瀬山家のなかで、実は一番秋水の情欲を
「そろそろ、軽く腹ごなしにしませんか?」
「やぁん♡ 私のこと、食べちゃう?♡」
「……それができないのも、もう知ってますよね?」
「はぁい♡」
八千代は従順に、てへぺろをした。
試着室を出る前、秋水は一言だけ残した。
「そのワンピース、絶対買いです」
「♥」
言葉はなく、ウィンクだけが返ってきた。
その後、二人は上の階のハワイアンカフェに入り、パンケーキ界の二●系ラーメンとしか言えないクリーム量のパンケーキを楽しんだ。
マカダミアナッツクリームメープルシロップびしゃ掛けベリー&ホイップパンケーキ。
グァバジュースとパッションフルーツソーダ。
甘くて甘くて、なのに胸焼けしない。
有り余る若さが、そうさせるのか。
あるいは、それ以上に甘い空気感──まるで恋人同士が愛し合う直前、互いに最高潮までメロついている時間のような……そういう独特な雰囲気が、口の中よりも数倍甘やかだったからなのか。
秋水と八千代のデートは、この後いつまでも全体的にエッチだった。
「とんでもない状態にしてくれたわね」
交代の時間になると、八千花は八千代を恨めしげに睨んた。
その顔は切なげで、悶えそうになるのを必死に堪えた疲労感でいっぱいだった。
●エロ妹:『だからエロ姉なのよ! 家族全員発情させる気!?』
●エロ姉:『正直悪いとは思ってるわ。でも、私も苦しいんだから許して欲しいの』
●巫女母:『私はいいと思うわ! 思春期エキスで若返っちゃう!』
●淫酒女:『実の娘にアレだけど、現役! 現役の原液って感じよね!』
●春 巳:『妾思うんじゃが、これ最悪の母親ではないかや?』
●巫女娘:『叔母さん、今は酔ってるから……』
●少女脳:『逆に言えば、酔ってもないのにアレなお母さんって……』
●雛 菊:『変な話よねぇ? 全然気にするような肉体じゃないでしょうに』
●巫女母:『あ、あら? なんだか私への尊敬ポイントが下がったような気が……気のせいよね?』
●約全員:『……』
●巫女母:『あ、あらー!?』
●エロ妹:『クッ! そろそろ行くわ』
頭ピンクの色ボケ退魔巫女たちは、一斉に八千花へ声援を送った。
秋水の前で、八千代が「うん」と頷く。
「それじゃ、ここからは八千花の時間ね。秋水くん、大丈夫そう?」
「問題ありません」
「そ。じゃあ──っわ!?」
「ええ。よろしくお願いするわ」
姉の背中をぐぐいと押しのけ、妹がスンと澄まし顔を作って言った。
国際商業施設デート。
八千花のターンが始まる。
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tips
◆青墨夏乃の小姑査定・2
「鳶瀬山家の皆様、どうして急にフリーズされて、お顔が赤くなってますの? ハッ、さてはお兄様を想うがあまりに熱中症に!?」
「隙ありですわ! はいはいはい!」
「私を! 次の回答はぜひ私を当ててください夏乃さん!」
「夏乃ちゃん! 私たち同い年だよね!? 友だちにならない!?」
「おおーっと? ここで孔雀堂家の皆様が、やる気もりもりで追い上げて来ましたか。ですがサラさん、貴方ちょっと馴れ馴れしいですわね。ツースキップッ!」
「ええええええええ!?」
「さぁ昨日に引き続き二日目の『お兄様大好きアピール大会』! 判定は100%わたくし青墨夏乃の独断と偏見でしてよ! かかってくるがいいですわ! ハリー! ハリー! ハリー!」
ヒナギクは主人に、「良い空気吸ってるわね」と思った。
あと、もう面接じゃなくて、大会になっちゃってるとも思った。
「ねぇ、夏乃? これ、ぶっちゃけどうしたらこの子たちの勝ちなの?」
すでに昨日の時点で、各々の〝理由〟はだいたい語られていた。
だから同じことを二日以上続けても、初日以上の言葉は出てこないだろうとヒナギクは考えていた。
夏乃は式神に、髪をばっさぁ! とやってから答えた。
「ぶっちゃけ申しますと、最終的にはぜんぶお兄様が決める事ですから、わたくしの判定に意味などありませんわ!」
「「「ええええええええ!?」」」
主に孔雀堂家が、口をあんぐり開けて仰天した。
ヒナギクは眉をひそめた。
「意味ならあるでしょ。秋水は夏乃の嫌がる相手は選ばないわよ」
「ですわね。だから、ヤメ時を見失いつつありましてよ!」
「あらあら」
「「「? ? ?」」」
ヒナギクは夏乃を背後から抱き締めた。
いま夏乃は、少なくとも鳶瀬山家にも孔雀堂家にも、嫌なところを感じていないと明言したからだ。
不快さを覚えていれば、そもそも日をまたいでまで、こんな事はやらない。
つまり、現状は可愛らしい妹心の発露と捉えられる。
「大好きなお兄ちゃんのために、ちゃんと向き合うなんて偉いわ」
「お兄様の幸せが、わたくしの幸せですもの」
「ええ。本当に私もそう思うわ」
ヒナギクは頷く。
青墨家兄妹の絆ほど、やはりこの世で固く結び合わされた糸は無いだろう。
だからこそ、提案した。
「じゃあそろそろ、全部
「……」
「こら。露骨に嫌そうな顔しないの。秋水もいろいろ手を回し済みみたいだけど、私たちが
ねぇ、紅の伝奇姫さん。
ヒナギクは、自身の異名でもあるそれを、主人に使った。
「私たちの
「……ですわね」
きょとん、と二人の会話を見守っていた面々に、夏乃は「ハァ」と嘆息した。
「皆様がもっと、嫌な方たちだったらよろしかったですのに」
アッパー系のギャグキャラと思われがちな夏乃だが、秋水と同じで裏ではいろいろ真面目な考え方もしている。
孔雀堂家が割とアンポンタンなノリに付き合ってきた時点で、そこに邪心が無いのは瞭然だった。
少なくとも、ライン越えの悪意は感じられない。
なら、この状況を作り出したのは誰か?
誰が、青墨秋水の孤高を切り崩して、十年間の不動に変化を与えようとしているのか?
夏乃は伊達に協会との折衝を繰り返していない。
祖父の死により、秋水のストッパーが消えた事実はあるにしても。
その前提を巧妙に利用するように、何者かの意図が蠢き始めている。
利用されている者の気配も、そこにはあった。
ゆえに、青墨夏乃は魔眼の稼働率を上げる。
瞳に真紅を宿して、運命線と因果線を紐解く。
ヒナギクが三日月のごとく、口角を釣り上げた。
「あら。躾のなってない犬がいますわね?」
「二匹。飼い主は──」
どこかで、狼憑きの姉妹が獣の霊感から総毛立った。