拝啓、クソガキのママになりました。~自称美人な運び屋と少し壊れてる少女の星間逃避行~ 作:パッタリ
少しゴツゴツとしたコロニーの外壁を、強い衝撃が起きないよう慎重に歩いていたサンドラは、突如として重機の足を止めた。
「……待って。あそこ」
重機のメインカメラが捉えた映像を拡大し、サンドラは顔をしかめる。
宇宙港の出入り口付近、そしてコロニーの外部デッキにおいて、漆黒の戦闘用宇宙服に身を包んだセレスト・インダストリーの私兵たちが、一定の間隔で配置されていた。
どうやらクローンを見つけて救助したようで、警戒レベルが上がったらしい。
彼らは宇宙港の内外で監視を強め、完全に封鎖する気のようだった。結局のところ、そこを抑えれば逃亡者は宇宙に出られないからだ。
「ねえ、ママ。コロニーの中で広域放送が流れてる」
身動きが取れないサンドラに代わり、胸元にすっぽりと収まったイリスがサンドラの腰のポーチから通信端末を抜き出し、音声を拾い上げた。
『皆様にお知らせします。現在、コロニー内に危険な指名手配犯が紛れ込んだとの情報が入りました。安全のため……』
表向きは指名手配犯の捜索と誤魔化しつつ、出港前の検問を強化して、出ていく者がビームブラスターのような武器を持っていないか調べているようだ。
コロニー内部はできる限り騒ぎにならないよう綺麗に動いているが、外においては私兵が目を光らせている。コロニーの外壁を移動して港に向かう者への対策は万全だった。
「ゆっくり歩いてるからまだ気づかれてないけど、スラスターを吹かせば熱源探知で一発でバレるわね……」
幸い、向こうは見張りに徹しており、こちらへ向かって動く気配はない。暗闇に紛れたまま、急いで作戦会議の時間となった。
「コロニーには各所にメンテナンス用の通路があるから、そこから内部へ戻る? でも、監視カメラに一度でも映れば問題になるか」
「わたしがハッキングで一時的に映像を誤魔化すことはできるけど、システムに異常が起きたってことは知られちゃうから、完全に気づかせないのは無理だね」
「あるいは、遠隔操作でエリンジウム号を港から出して、この外壁部分に近づけて乗り移るか。……駄目ね。それは確実に私兵たちとのドンパチになる」
どう転んでもリスクが高い。サンドラが頭を悩ませていると、イリスがくすくすと笑った。
「もう一つ、手っ取り早いのがあるよ。わたしが、あそこにいる者たちのバイザーが機能しなくなるようハッキングする。そして、報告を行わせないよう脳を操るの。一気にやると、そこそこわたしに負荷がかかるけどね」
「…………」
確かに、それが一番波風を立てずに突破できる方法だ。だが、この狡猾な少女が、無条件で自分をすり減らすような真似をするはずがない。
「……で、それをやる見返りとして求めるのは?」
サンドラがジト目で尋ねると、イリスはにんまりと口角を上げた。
大量殺戮すら事もなげに計画した頭脳が、今、サンドラを逃げ場のない交渉のテーブルにつかせていた。
「んふふ。可愛い娘とか、大事な娘とか……とにかく、わたしのことを娘として愛してる言葉を口にしてほしいなあ。もちろん、優しく、甘ーいママの声でね」
「……ふざけてる場合じゃないんだけど」
「ふざけてないよ。こういう時でもないと、絶対に断るでしょ? さあ、時間はどんどんなくなっていくよ、お母様♡」
イリスはサンドラの胸に顔をすり寄せ、悪魔のように微笑んだ。
非常に腹立たしいことだが、今のサンドラにはどうすることもできない。
パワードスーツの延長線上である人型重機を操作するため、両腕は機械の腕に突っ込んでいる。
本来一人乗りなところを二人で乗ってるため、内部は非常に狭く、腕を引き抜くことはできず、宇宙服を着ていないので降りることもできない。
そして何より、イリスの能力を目にしてきたサンドラにとって、この提案が一番安全に生き残れる方法に思えた。
「ねえねえ、どうする? どうする?」
「……ぐっ、うぅぅ……」
サンドラは喉の奥で唸るような声を漏らした。
割と本気でこの厄介なクソガキを宇宙に放り出してやりたい衝動と数秒ほど戦い、やがて深く、とても深く深呼吸をして覚悟を決めた。
残されたなけなしの理性を総動員し、脳内の母親スイッチを強制的にオンにする。
「……イリス」
それは自分でも寒気がするほど、砂糖を煮詰めたように甘ったるく、とろけるような声だった。
「あなたは、私の、世界で一番可愛くて、大事な……たった一人の娘よ。ママはね、あなたのことが心の底から愛おしいの。目の中に入れても痛くないくらい、本当に、本当に大好き……」
言っているそばから、羞恥心で胃が裏返りそうになる。吐き気もしてくる。
だが、サンドラは顔を真っ赤にしつつも、全力で言葉を紡ぎ続けた。
「だから、これからもずっと……ママのそばで、可愛い笑顔を見せてね。ママの愛しい、愛しいイリス……」
言い終えた瞬間、サンドラは羞恥心で発狂しそうになった。
だが、見返りを受け取ったイリスの反応は劇的だった。
ビクビクと、その細い体がわずかに痙攣した。
そして、ひどく熱を帯びた、ねばつくような声を漏らす。
「……あぁっ。恥ずかしくて、苦しくて、それでも必死に即興で考えた愛の言葉を語るママ……最高だったよ」
「悪趣味が過ぎるわ」
顔から火が出るほどの羞恥心に耐えながら、サンドラは吐き捨てるように言った。
「だって、作られたわたしは少し壊れてるから」
「開き直るな」
「えー? “親子”なのに」
その甘い毒のような言葉を最後に、イリスの顔からふっと幼さが消え失せた。
彼女の背骨に埋め込まれた端子が、服越しにわかるほどわずかに熱を持つ。
作られた実験体としての本能が目覚め、莫大な処理能力を持った不可視のハッキングコードが、真空の宇宙空間へと一斉に放たれた。
ターゲットは、宇宙港を封鎖しているセレスト・インダストリーの私兵たち。イリスの意識は彼らの戦闘用バイザーの視覚システムをわずかに書き換え、同時に脳神経へ直接干渉し、異常なしという認識を強制的に植えつけていく。
「……ふぅっ。完了。全員の目と頭、塞いでおいたよ」
数秒後、イリスが小さく息を吐いてサンドラの胸に頭を預けた。
重機の外部モニターに映る私兵たちの動きが、わずかながら不自然なほど規則的なものへと変化している。
「……信じられないわね。本当に一瞬でやり遂げるなんて」
「さあ、ママ。わたしが作ったこの短い隙に、一気に駆け抜けちゃって。……ここからは、ママの腕の見せ所だよ?」
イリスの言葉に、サンドラは残っていた羞恥心を無理やり胃の奥へと飲み込んだ。
鈍重な人型重機のメインスラスターが、静かに、だが力強く予熱を開始する。
現在、宇宙港のゲートは開いている。騒ぎの最中とはいえ、スケジュールの決まっている民間船や商船が多く出港していくためだ。
それゆえに、コロニーの外壁から作業用の人型重機が入り込んでも、怪しく思う者はいない。
『おい、外から入ってきたやつ。危ないじゃないか。もう少し落ち着いて動かしたらどうだ。事故になったらどうする』
『ごめんなさいね。ちょっと急いでて』
コロニーの専属作業員もいれば、独自に自分の船をメンテナンスするために自前の重機に乗って外に出る者もいる。
イリスのハッキングによる隠蔽も手伝って、サンドラの乗った重機は誰に咎められることもなく、堂々と宇宙港の内部へと滑り込んだ。
そのまま、見慣れた──いや、外装がすっかり変更されて真新しくなったエリンジウム号の貨物室を開け、重機を乗り込ませる。
ハッチが閉じられ、シューッという音とともに区画内に空気が充填されていった。
「ふう、ここまで来れば一安心ね」
サンドラは重機のシステムを落とし、操縦席から降りようとした。だが、胸元にいるイリスが首に腕を回して、しがみついたまま離れようとしない。
「離れなさい」
「あとでぎゅっとして」
「なんで、そんな風に積極的になってきたわけ?」
「わたしを依存症にさせるママが悪い」
「あんたねえ……」
これ以上言い合っても仕方ないと悟り、サンドラは大きなため息をつくと、イリスをぎゅっと抱きかかえたまま降りた。
いつもの着慣れた服へと着替えたあと、サンドラはコックピットの操縦席に座り、宇宙港の管制に通信を繋いで出発の申請を伝えた。
「こちらエリンジウム号。次に出られる時間は?」
「少々お待ちを……そちらの区画は船が少ないため、十分後になります」
偽造IDと完璧な外装の偽装により、何事もなく許可が下りる。
やがて煌びやかな娯楽コロニーから出港し、暗黒の宇宙へと機首を向けたあと、サンドラはコンソールを弄り始めた。
すると、横のサブモニターに、先ほどまで乗っていた重機の記録カメラが捉えた映像が表示された。
それは、未登録区画に隠されていた、違法に作られた生物──人間に近しい姿を与えられた遺伝子調整ペットたちが眠るカプセルの映像だった。
星系を牛耳る大企業の、決定的な犯罪の証拠だ。
「ママ、これをどう使う?」
モニターを見つめながら、イリスが面白そうに尋ねる。
「すぐにそういう考えが出る時点で、ろくでもない娘だこと」
「ふふん、特例扶養控除法を悪用した人の娘だからね」
「それはあくまでもそういう設定で……まあいいわ。これ、やばすぎる代物だから、大企業相手の直接的な交渉材料には使えないのよ」
効果がありすぎるため、使おうとすると逆効果になる。
「うん。向こうからしたら、内部の者が勝手にしたことにするのは難しい規模だし、何がなんでも消しに来るよね。口封じのために艦隊ごと差し向けてきそう」
「だから、これを有効活用できる情報屋のところに持ち込むわ」
情報屋、という単語が出た瞬間、イリスの顔がすぐさま不機嫌なものになった。
その情報屋が、十中八九、小惑星ごと基地を吹き飛ばしたノアのことだとわかったからだ。
「あのね、裏社会では信用できる相手かどうかってのは大事なの。それが性格が合わない相手だとしても。私としても、あいつから記録とか奪いたいし」
「……記録」
その言葉を聞いた途端、イリスの耳がピクピクと反応して動いた。
あの高級レストランで聞き出した、当時の痛い設定で撮られたというサンドラの恥ずかしい写真や映像のことだ。
イリスの不機嫌さは一瞬で消え去り、目を爛々と輝かせて身を乗り出した。
「そうだね、早くノアに会いに行こう!」
「……なんか嫌な予感がするんだけど」
都合のよすぎる娘の態度に呆れつつ、サンドラはエリンジウム号のメインスラスターを吹かし、情報屋の次なる潜伏先へと向けて船を加速させた。