拝啓、クソガキのママになりました。~自称美人な運び屋と少し壊れてる少女の星間逃避行~ 作:パッタリ
「五キロメートル級の移動型カジノ船、ゴールデン・タラスク……。これまた派手な場所に隠れたものね」
エリンジウム号のコックピットで、サンドラはいくつかのダミー回線と複数の連絡先を経由してようやく繋がったノアからの指定座標を見つめ、小さくため息をついた。
星系の辺境宙域を巡航するその巨大船は、表向きには、贅を尽くしたギャンブルやショーを楽しみたい富裕層が集まる合法的な娯楽施設として登録されている。
しかしながらその実態は、地上や一般コロニーでは重罪になるような非合法なギャンブルが日夜繰り広げられている、暗黒の社交場だった。
「大企業の私兵も、さすがに星系政府の要人や富裕層のパトロンがひしめくカジノ船には、そう簡単に手出しはできないってわけか。情報屋にしちゃ、上出来な隠れ家ね」
「ねえ、ママ。カラコンしておくの? なんかゴロゴロする」
補助席から不満げな声が上がった。
振り返ると、そこにはいつもとまったく違う雰囲気の少女が座っていた。
今回の潜入にあたり、二人は徹底的な変装を施していた。
セレスト・インダストリーの捜索網を欺くためだけでなく、カジノ船という場所に馴染むために。
「我慢しなさい。必要なことなんだから」
サンドラは、いつもは無造作に下ろしている長い黒髪を頭の後ろで品良く結い上げ、衣服もカチッとした上質な黒のパンツスーツに変えていた。
さらに、本来の赤い瞳には青いカラーコンタクトを嵌め、隙のない大人のお姉さんといった佇まいの護衛官を演じている。
一方のイリスは、金の髪をブラシで入念に整え、仕立ての良い貞淑なお嬢様風のシックなドレスを着ていた。その青い瞳には赤いカラーコンタクトが嵌め込まれており、まるでどこかの格式高い名家の令嬢そのものに見える。
「今回は世間知らずのお嬢様とその護衛官という設定。あんた、カジノ船に入ったらちゃんとお嬢様らしく振る舞うのよ?」
「わかっているわ、サンドラ。わたくしをどなただと思っていまして?」
イリスはふっと表情を消し、静かで澄んだ、完璧なお嬢様の微笑みを浮かべてみせた。
出会った時のガラス玉のような冷たさとも、普段の生意気なクソガキっぷりとも違う、気品に満ちた完璧な演技。
「……あんた、本当に器用ね」
「これくらい、電子書籍を読み込めば容易いことよ。それより……」
イリスは赤い瞳をわずかに細め、サンドラの青い目をじっと見つめた。
「やっぱり、ママの目は赤い方が好き。早く二人きりになって、その偽物の膜を剥ぎ取りたいな」
「はいはい、お仕事が終わったらね」
お嬢様から少女に戻ったイリスの頭を軽く撫で、サンドラはエリンジウム号をカジノ船の巨大なドックへと進入させた。
***
ゴールデン・タラスクの内部は、まばゆいばかりの黄金の光と、欲望に狂う人々の熱気に満ちていた。
イリスは一歩ドックを出た瞬間から完璧にお嬢様を演じきり、サンドラの一歩前を、背筋をピンと伸ばして優雅に歩いた。
すれ違う人々がイリスの端正な容姿に目を留めるが、その後ろに控えるサンドラの、鋭く冷徹な護衛としての視線に気づくと、一様に視線を逸らして去っていく。
ノアが指定した、最上階のスイートルームの扉を叩く。
電子ロックが解除され、扉が開くと、そこには相変わらず豪華なソファに踏んぞり返る赤髪の女性ことノアがいた。
「ようこそ。今度はお嬢様ご一行かしら?」
ノアは妖艶に笑って見せたが、サンドラは彼女が一歩足を踏み出した瞬間、その動きにわずかな違和感を覚えた。衣服で巧妙に隠されてはいるが、前回の小惑星基地にいた個体に比べて、肌の質感がどこか人工的で、関節の駆動音もわずかに大きい。
「……ノア。ずいぶんと安物の体に乗り換えたわね」
サンドラが指摘すると、ノアはちっと舌打ちをして、自分の金属の腕を軽く叩いた。
「気づいちゃった? これだからプロの運び屋は嫌なのよねえ。……まあ、前回の小惑星爆破の時に、五感を完璧に同調させられる最高級のオーダーメイド機を一台失っちゃったからさ。あんな高いやつ、そう何台も無駄に壊したくないの。だから今回は、倉庫に眠ってた型落ちの比較的安い体で来たってわけ」
ノアは面倒そうに首を回しながら、ソファに深く腰掛けた。
「さて、世間話はここまで。わざわざこんな厳重な場所を指定してあげたのよ。私に持ち込みたい特大のネタって何かしら? つまらないものじゃないといいけど」
赤い目を模したノアの義眼が、怪しく明滅する。
サンドラは青いコンタクトの奥の目を鋭く光らせ、ジャケットの内ポケットから、例の未登録区画で撮影したデータチップを静かに取り出した。
ここからは、裏社会の大人たちの一歩も引けない政治的な駆け引きの始まりだった。
「……うわぁ。これはまた、セレスト・インダストリーの首根っこを締め上げるような、特大の爆弾を持ち込んできたわね」
データチップの中身を自身のシステムに読み込ませたノアは、義眼をせわしなく明滅させながら、楽しげに口角を上げた。
大企業が娯楽コロニーの裏で密かに進めていた、禁忌とされる人型遺伝子調整ペットの量産事業。
このデータが表に出れば、セレスト・インダストリー内の派閥争いは激化し、本社が関わりを否定しようが株価は暴落、政府の査察は免れない。
情報屋にとって、これ以上ない最高級の飯の種だった。
「取引成立よ、サンドラ。求める報酬はこれね」
ノアは金属製の手指で、机の上に別の小さなデータチップを弾いた。
「はい、まずは洗浄済みのクレジット。最新型宇宙船をオプション全部盛りで買えるわ。あとはこれ。例の恥ずかしい記録集。またの名を、黒歴史ログ。サンドラが十代の頃、私の趣味で孤高の暗殺者風の痛い演技をさせられてた時期の、恥ずかしい写真と動画のすべてよ」
「……っ、二度とその設定を口にしないで」
サンドラは顔を引きつらせながら、ひったくるようにしてそのチップを回収した。
「一応確認するけど、バックアップとかは?」
「私の方にある分は、今この瞬間にすべて消去したわ。証拠? それを示すことはできない。あるのは、私という情報屋とのこれまでの取引、そして信頼だけよ。私がそんな約束を破るようなケチな真似をしないことくらい、サンドラが一番よく知っているでしょう?」
ノアはそう言って、安物の体をソファに深く預けて笑った。
裏社会の情報屋にとって、信頼というのは命と同じ意味を持つ。
サンドラは小さくため息をつくと、ノアの言葉を信じることにした。
「不安はあるけど、信じるわ」
そして、手元の情報端末にチップを差し込み、本当にあの忌々しい記録が入っているか、フォルダのサムネイルを軽くスクロールして確認し始めた。
画面には、今より髪が短く、鋭い目つきで黒いコートを羽織り、カメラに向かって格好つけたポーズを決めている、若き日の自分の姿が映し出されている。
「うわ、きつ……。胃が痛くなるわ……」
サンドラが羞恥心で眉間を押さえている間、イリスは違う反応を示す。
(……消す? ママが、あの貴重な記録を、消してしまう?)
お嬢様の仮面を被ったイリスの赤いカラーコンタクトの奥で、ドス黒い執着の炎がパチパチと音を立てて燃え上がっていた。
ノアの元データが消去されたのはいい。
だが、サンドラの手元にあるデータまで消されてしまっては、自分は永遠に昔のママを見ることができなくなる。
そんな損失は、イリスの精神が到底許さなかった。
(ノアから手放されたのなら、あとはママの端末から奪うだけ。ママが消去の操作をする前に、どうにかしてわたしの物にしなきゃ……。そのためには、ママの注意を端末から逸らさないと)
「──確認終わり。確かに私のろくでもない過去の記録ね」
サンドラが端末の画面を閉じようとした、まさにその瞬間。
イリスは完璧なタイミングで、お嬢様らしい鈴を転がすような声を被せた。
「サンドラ。せっかくこのような華やかな場所に参りましたの。わたくし、ギャンブルをいくつかやってみたいわ」
「はあ? あんたねえ、私たちは遊びに来たんじゃ……」
「あら、世間知らずのお嬢様が、護衛を連れてカジノ船へ物見遊山にやってきた……そういう設定なのでしょう? すぐに部屋へ引きこもっては、かえって怪しまれますわ」
一理ある反論を、完璧な気品とともに突きつけられ、サンドラはぐうの音も出なくなった。
「……ちっ。わかったわよ。まあ、一般人がやるような、合法で健全なスロットやカードゲームなら、少しは付き合ってあげる。ノア、私たちは行くから」
「はいはい、楽しんできなさい、お嬢様方」
ノアに背を向け、二人はスイートルームを後にした。
高級感あふれる絨毯が敷かれたカジノ船の通路を、ドレスの裾を上品に揺らしながら歩くイリス。
その後ろを、鋭い視線で周囲を警戒するパンツスーツ姿のサンドラが追う。
移動の最中、イリスの背骨に埋め込まれた金属端子が、衣服の奥で静かに熱を持ち始めた。
(さあ、お仕事の時間だよ、ママの可愛い端末さん)
イリスは前を向いて優雅に歩いたまま、脳内のハッキングコードを不可視の電波として放ち、サンドラのジャケットの内ポケットにある端末へと侵入を開始した。
サンドラが設定している防壁など、イリスにとっては薄い紙のようなもの。
一瞬でセキュリティを突破し、先ほど差し込まれたデータチップの領域へとアクセスを確立する。
ターゲットは、サンドラの過去の恥ずかしい写真、そして多数の動画データ。
「……っ」
写真だけでなく動画群ともなれば、データサイズはかなりの大容量だ。
いくら規格外のハッキング能力を持つイリスであっても、自身の持つ端末へ転送を完了させるには、それなりの時間がかかる。
端末が通信の負荷で熱を持てばサンドラに気づかれるため、イリスは慎重に、細い糸を引くように少しずつ、バレない速度でデータを吸い上げていった。
「ねえ、まずはあちらの、キラキラした機械の並ぶエリアへ行ってみましょう?」
「ええ、お嬢様。お好きなように。ただし、予算の範囲内でお願いしますね」
護衛官として生真面目に答えるサンドラは、自分の内ポケットの中で、かつての若気の至りの映像が、隣の少女の端末へと刻一刻と複製されていることに、まったく気づいていなかった。
(ふふ……絶対に消させないよ、ママ。あなたの過去も、現在も、未来も……全部、わたしのコレクションなんだから)
カジノの煌びやかなネオンを浴びながら、作られた少女はカラーコンタクトの奥の瞳を妖しく歪め、誰にも見えない腹黒い笑みを浮かべていた。