拝啓、クソガキのママになりました。~自称美人な運び屋と少し壊れてる少女の星間逃避行~ 作:パッタリ
「いい? お嬢様。私たちはあくまでも、物見遊山に来ただけなの。適当に勝ったり負けたりして、絶対に目立たないようにしてちょうだい」
カジノエリアの入り口で、一時的に護衛官としての演技を崩したサンドラは、イリスの耳元で念を押すようにささやいた。
「ええ、わかっておりますわ。少し雰囲気を楽しむだけですもの」
演技をしたまま、優雅な笑みを浮かべて頷くイリス。
(現在、データ転送率……三十二パーセント。莫大な容量の動画すべてをわたしの端末に吸い上げるには、もう少しここに留まって時間を稼がないと)
イリスは赤いカラーコンタクトの奥で計算を巡らせながら、ひときわ熱気を帯びている高レートのポーカーテーブルへと足を向けた。
──そして、三十分後。
「フルハウス。……あら、またわたくしの勝ちですわね。皆様、お強いと聞いておりましたのに、少々拍子抜けですわ」
扇子で口元を隠し、コロコロと可憐に笑うお嬢様の目の前には、文字通り山のようなチップが積み上がっていた。
その背後で直立するサンドラは、青いカラーコンタクトの奥で(あいつ、適当に負けろって言ったのに……!)と盛大に胃を痛めていた。
イリスにとって、ポーカーで勝つことなど息をするより容易い。
彼女は背骨の端子から微弱な干渉波を放ち、同卓しているプレイヤーたちの心拍数や、表面的な脳波の動き──つまり思考を完全に読み取っていたのだ。
相手の手札も、ブラフを仕掛けるタイミングも、すべて筒抜けである。
連戦連勝。無敗の美少女令嬢の登場に、テーブルの周りにはいつの間にか人だかりができ、注目を集めてしまっていた。
「ふざけるな、このクソガキ……! イカサマだ! イカサマに決まってる!!」
ついに、同卓していた傲慢そうな富裕層の男性が、血走った目でテーブルを叩き割らんばかりに立ち上がった。
「十回連続で勝ち続けるなど、確率的におかしい! おい、こいつのドレスを剥いで、どこに通信機を隠してるか調べろ!」
彼が怒鳴ると、背後に控えていた屈強な護衛らしき者たちが二名、いかつい顔のままイリスへと歩み寄ってきた。
「……はぁ」
サンドラは小さく、誰にも聞こえないため息をつき、イリスの前に進み出た。
「お戯れはそこまでになさってください。お嬢様に気安く触れることは、この私が許しません」
凛とした声で警告するサンドラに、護衛の一人が鼻で笑い、丸太のような太い腕でサンドラの胸ぐらを掴もうと手を伸ばしてきた。
サンドラは決して、単騎で軍隊を相手取れるような超人ではない。
裏社会で生き抜くための実践的な喧嘩殺法と、身を守る術を身につけているだけ。
一般人よりは戦えるが、体格差と筋力では目の前の大男には敵わない。
だからこそ、一切の容赦はしなかった。
「はっ!」
サンドラは伸びてきた大男の腕を両手で弾き払うと同時に、相手の膝関節の側面へ、鋭利なヒールを全力で叩き込んだ。
「ぐあっ!?」
鈍い音が響き、巨体がバランスを崩して傾く。
その隙を逃さず、サンドラは相手の首根っこに腕を回し、自分の体重と相手の推進力を利用して、重い体をカジノの床へと強かに投げ飛ばした。
ズドォン、と地響きが鳴る。
「てめえっ!」
もう一人の護衛が血相を変えて殴りかかってくる。
サンドラはギリギリでその剛腕をスウェーで躱したが、頬をかすめた拳の風圧だけで姿勢が乱れた。
(やっぱ、実際に戦うのってきっつい……!)
一瞬の力負けで壁際まで押し込まれそうになるが、サンドラは咄嗟に近くにあったドリンク用の重いガラストレイを掴み取り、護衛の顔面に向けて中身ごと乱暴に投げつけた。
「ぐっ、酒で目が……!」
視界を奪われ怯んだ護衛の腹部に、渾身の前蹴りを叩き込む。
相手がくの字に折れ曲がったところへ、サンドラは容赦なく手刀を首筋へ振り下ろし、完全に意識を刈り取った。
「……ふぅっ、ふぅっ……」
息を乱し、少しだけ乱れた結い髪を直しなら、サンドラは倒れ伏す二人の大男を見下ろした。
決して余裕の勝利ではない。
ギリギリの立ち回りだったが、見事に二人を無力化した美人な護衛官の姿に、周囲のギャラリーからは水を打ったような静寂が広がった。
「なっ……」
護衛がやられた富裕層の男性は、顔面を蒼白にしてあとずさる。
「これ以上、騒ぎ立てるおつもりなら、次はあなたの番ですが。……いかがなさいますか?」
サンドラが冷酷な視線で睨みつけると、男性は「ひっ」と短い悲鳴を上げ、倒れた護衛たちを置いて逃げるようにその場から走り去っていった。
(データ転送率……八十五パーセント。あともう少し……!)
イリスはドレスの裾を握りしめながら、目の前で息を整えるサンドラの背中を、恍惚とした目で見つめていた。
「お怪我はありませんか、お嬢様」
振り返り、気丈に護衛官を演じ続けるサンドラ。その額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
自分のために必死で戦い、息を切らすその姿が、イリスの歪んだ愛情をさらに深く刺激する。
「ええ。見事な手際でしたわ、サンドラ」
イリスは心からの賛辞を送りながら、残りのデータが自分の手元へと完全に落ちてくるカウントダウンを、甘い高揚感とともに待ちわびていた。
(やっぱり、ママって最高……!)
先ほどの小競り合いで周囲の一般客は遠巻きになったが、カジノ側はすぐさま“より相応しい相手”をイリスのテーブルに送り込んできた。
現れたのは、顔の半分が機械化され、義眼が不気味な光を放つサイボーグの男性。
カジノが雇っている、合法と非合法のギリギリを攻める専属のプロギャンブラーだ。
(データ転送率……八十八パーセント。あと少し時間を稼ぐにはちょうどいい相手かな)
イリスは淑やかな笑みを崩さず、対戦する二人にカードを配るロボットを見つめた。
だが、ゲームが始まって数回のハンドで、イリスはわずかに眉をひそめた。
(……なるほど。ただ体の一部を機械化した人間じゃない。脳内に仕込んだ演算チップで確率を弾き出しながら、義眼の赤外線センサーでカードの微細な傷やインクの温度差まで読み取ってる)
さらに厄介なことに、その義体には軍用レベルの分厚いファイアウォールが施されており、いつものように息をする感覚で脳波をハッキングすることができなかった。
無理に突破しようとすれば、カジノ側のセキュリティに異常を検知されてしまう。
「ふむ、なかなかにやるじゃないか。……表も裏も」
対する相手も、イリスが何かをしていることに薄々感づいているようだった。
互いに見えない電子空間で、ロボットへの干渉と妨害の応酬、そして思考の探り合いが火花を散らす。
サンドラは直立不動で護衛を演じながらも、背中を冷や汗が伝うのを感じていた。
(イリスは、少し焦ってる……?)
常に余裕で人を食ったような態度をとるクソガキの額に、うっすらと汗がにじんでいる。
それは、この勝負が決してこれまでのように楽ではなく、極限の集中力を要する綱渡りであることを示していた。
そして、最終ラウンド。
テーブルの中央には、莫大なチップが積まれていた。
「オールインだ、お嬢ちゃん」
サイボーグの男性が、勝利を確信した機械的な笑みを浮かべて全チップを押し出す。
彼は自身の演算と、ディーラーたるロボットへのハッキングから、自分がフルハウス、イリスがフラッシュであると完全に読み切っていた。
イリスは小さく息を吐き、扇子を閉じた。
「……受けますわ」
静かにチップを押し出す。
次の瞬間、カードがオープンされた。
男性のカードは予想通りのフルハウス。
だが、イリスが開いた手札は、フラッシュではなく──それを上回る、奇跡的な確率のストレートフラッシュだった。
「なっ……馬鹿な! 俺の演算では絶対に……!」
ガタッ、と椅子を蹴倒して立ち上がる男性。
イリスは最後の最後に、ディーラーロボットへの干渉を囮にして、男性の義眼の視覚データに一瞬だけノイズを走らせていたのだ。本当に紙一重の、ギリギリの戦いだった。
ピピッ!
相手が絶望に崩れ落ちるのと同時に、イリスの持つ端末が小さく振動した。
それは、データ転送が完了した合図。
サンドラの恥ずかしい過去の記録は、完全にイリスの掌中に収まった。
(やった……! 勝負にも、ママのデータにも勝った!)
内心でガッツポーズをするイリスの後ろで、サンドラは「これでやっと帰れる……」と深々と安堵の息をついた。
「お見事です」
その時、静かに拍手をしながら近づいてくる影があった。カジノの支配人と思わしき、仕立ての良いスーツを着た人物だ。
「当カジノが用意した者を破るとは。これほどまでの才覚をお持ちの方には、表のカジノは少々退屈だったことでしょう」
支配人は恭しく頭を下げると、奥の豪奢な扉へと手を向けた。
「より刺激的な娯楽を用意しております。VIPルームへご案内いたしましょう。どうか、私どもに最高のおもてなしをさせてください」
断れば逆に怪しまれる。サンドラとイリスは顔を見合わせ、無言で支配人についていくことにした。
(さらに高レートの闇カジノか、大富豪同士のサロン? あるいは……)
サンドラは気を引き締めながら、重厚なエレベーターで船の深部へと降りていく。
やがて案内されたのは、カジノテーブルが並ぶ部屋ではなく、すり鉢状になった薄暗いオークション会場だった。
円形のステージを見下ろす特別な席に案内された二人の前で、スポットライトがステージ中央にある檻を照らし出す。
『さあ、今宵の特別出品です。とある企業の最高機密、未登録の“人型遺伝子調整ペット”! そして、辺境から仕入れた、戸籍を持たない新鮮な“素体”の数々!』
司会者の熱狂的な声とともに、檻の中が映し出される。
そこにいたのは、未登録区画で見たのと同じ人間に酷似したペットたちと、怯えて身を寄せ合う身寄りのない孤児の子どもたちだった。
「二千万クレジット出す!」
「こちらは四千万!」
下劣な笑い声と共に、次々と莫大な金額が提示されていく。
その狂気の光景を見下ろしながら、かつて孤児だったサンドラは、護衛官という仮面の下で奥歯を噛み締めた。
(……世の中にはろくでもない裏があるって、嫌というほどわかってるつもりだったけど)
華やかな娯楽の裏に潜む、あまりにも救いのない悪意と欲望の煮こごり。
サンドラは、やり場のない怒りと呆れを込めて、深いため息をつく。