痴漢を憎んでいた。
全く進まない痴漢対策。
痴漢に無関心な鉄道会社。
自己防衛意識に欠ける利用者達。
全てに腹を立てていた。
そして彼の戦いが始まる。
「痴漢を撲滅させなければ」
若林良雄は
「チカン、アカン」
と書かれたポスターの前で一人義憤に駆られていた。
若林自身も痴漢被害の経験があり、
その際、何も出来なかった悔しさもその怒りを高めていた。
「男の俺が痴漢に狙われる訳がない」
という戸惑いで脳みそが停止してしまったのだ。
それに加えて、普段同性愛者達がうそぶく、
「私達には同類を見抜く超能力がある」
というありもしない虚言に惑わされた事で、
実際に自分に起きた同性愛者による犯罪行為を
「偶然だ!気のせいだ!」
と思い込む事で否定しようとしたのだった。
この様な事情がある為、一般的な痴漢犯罪に対する
憤りとは違っていただろうが、その点は若林は承知の上で、
今は『痴漢犯罪』全体に怒りを感じていた。
何故、痴漢は無くならないのか?
簡単である。
みんなどこか本気じゃ無いのだ。
若林はこれまでの事を思い出す。
まず、鉄道会社。
痴漢被害を受けた時、一度鉄道会社に問い合わせたことがある。
「私服警備を増やしたり、防犯カメラをつけられないのか?」
それに対する鉄道会社の返事はけんもほろろ。
「予算的に難しいですね」
と全くやる気のない返事だった。
はっきり言おう。
警備員はまだしも防犯カメラはそこまでべらぼうに金が
かかる事は無い。充分、実現可能なラインだ。
断られてから調べたのだが、
私が電話した阪急電車の全車両数は1249車両だ。
防犯カメラを1車両に3個つけても、4000個弱。
防犯カメラといえば大層に聞こえるかもしれないが、
ぶっちゃけドライブレコーダーレベルのもので充分効果はある。
いちいちリアルタイムで誰かが確認する必要はないのだから。
「痴漢です」と声が上がった時だけ、その人が乗っていた車両の
カメラを確認すりゃあ良いだけなのだから。
最低1日分、録画されてりゃそれで良い。
ドライブレコーダーなら安いもので5000円、
高い物でも40000円程度。
まとめ設置費用は多少かかるだろうが、設置するだけなのだから
まとめ買いで安く割り引かせさせりゃお釣りが出るだろう。
単純に計算して全車両にカメラをつけても1億円もかからない。
阪急電車の年間の利益は100億円以上である事を考えれば、
多くの利用者が被害に遭っている現状を改善できるかもしれない
防犯カメラに予算をつける気がないのは、
痴漢犯罪を軽視しているに他ならない。
次に本気を出していないのは警察だ。
いまだに被害者の証言のみを頼りに犯人を特定する。
こんなの冤罪が発生し放題だ。
その冤罪のせいで、本当の被害者が被害を訴え辛くなるのだ。
被害を訴えても、
「冤罪じゃ無いの?」
と周りが信じてくれなかったらどうしようと不安になる。
ちゃんと繊維や指紋など科学的視点から捜査を行う
方法があるのだから、ちゃんと客観的事実をもとに犯人を
特定してくれれば被害者も他人を逮捕させるという
心の負担を軽減できる。
なのに、科学捜査では無く被害者の証言に全ての責任を
丸投げしているのだ。
しかも、
痴漢犯罪は現行犯でしか捕まえられないらしい。
被害者の女性が、
「お巡りさん、あいつ痴漢犯人です」
と何日か前に電車で見た犯人を警察に伝えても、
「え?今やった訳じゃないんだよね?
じゃあ証拠ないからダメだ」
と協力してくれないのだとか。
再犯が大半の痴漢犯罪に、現行犯で捕まえるしか手が無い、
というのも、本気で捜査をやる気がない証拠である。
最後に被害者であるはずの女性たちの意識も低いと
言わざるを得ない。
服装やら露出や抑えろという話では無い。
車両を変える。
時間帯を変える。
乗る時に同性が多く並んでいる列に並ぶ。
など、被害に遭い辛くなるような工夫をする者が少ないのだ。
若林自身も痴漢被害にあった以降、
電車に乗る時間をずらしたり、
改札近くの混む車両から改札遠くの空いてる車両に移動したり、
痴漢にあった時に着ていた緑のカッターシャツを着れなくなったり、
ドア側に立ち、お尻をドアにつける事で、
背後を取られないよう対策したり、
それまでの生活スタイルを変更した。
少しでも痴漢被害から遠ざかる為に行動したのだ。
しかし、世の女性たちの対策は若林から見ると不十分だと
主張せざるを得ない。
駅のホームを見ると、女性が多く並んでいる列があるのに、
わざわざ男性ばかりのに並んだり、
女性専用車両があるのにガラガラだったり、
もっと本気で対策しようぜと同じ被害者として
物足りなさを感じてしまうのだ。
「みんな、痴漢犯罪に対して徹底的に撲滅させようという
気概が足りない!」
と若林は憤った。
そして、どうすれば、人々が痴漢犯罪撲滅に動くのか考えた。
痴漢についてのテレビインタビューを観まくった。
ネットで痴漢について話題を振ってみた。
周りの知り合いに片っ端から痴漢についての考えを聞いてみた。
それらを総括して、若林の口から漏れた言葉は、
「みんな、どこか他人事なんだよな」
という呟きに集約されていた。
「当事者じゃ無いから関係ない。」
そうなのだ。それが大半の意見なのだ。
それでは、どうすれば人々に「当事者意識」を持たせられるのか。
若林は考えた。
しばらく考えた末に出された結論。
それは、
「痴漢被害が他人事なら一緒に痴漢で被害に遭って貰おう」
若林は冷たく光る眼で虚空を見ながら、
それでも声だけははっきりと一人言い放った。
そこから若林の行動は早かった。
有志を募り、痴漢撲滅自警団なるものを立ち上げた。
自警団と言っても、大っぴらには主張しない。
ただ、日々痴漢を撲滅する為に電車に乗るのだ。
一乗客として。
しかし、彼らには一つの使命がある。
「痴漢を見つけたら、即止める」
それがその使命だ。
止めるというのは痴漢を止めるという意味だが、
手段は違う。
彼らは痴漢を止める為に、電車を止めるのだ。
どうやって止めるか?それは簡単。
電車なら必ず設置されているアレだ。アレを使うのだ。
そう『非常停車ボタン』だ。
それを押し、電車を止める。
痴漢犯人も流石に電車が止まっては痴漢行為を
中断せざるを得なくなる。
被害者を地獄の時間から助け出せるのだ。
もちろん、電車が止まれば他の乗客にも影響が出る。
電車は遅れ、
ダイヤは乱れ、
遅刻する者、商談に間に合わなくなる者が出てくる。
給料に、会社の売上に、直接の損害が生まれる。
鉄道会社などはさらに多くの金銭的な被害も出るだろう。
若林の狙いはそこにあった。
「痴漢、即、電車が止まる」
この認識を全ての人々が持つ事により、痴漢行為への
意識も変えられるはずなのだ。
事実、全国各地にいる自警団メンバーの活躍により、
日本中で電車の緊急停止が頻発する。
理由はもちろん痴漢だ。
停車ボタンを押した人達は声を揃えて、
「悪質な痴漢行為があったので、犯人確保のために押した」
と説明した。
その理由に誰もが面と向かって文句を言えない。
何故なら彼らの行動は正義だから、
それを非難する事は「悪」という事になってしまうからだ。
かくして、痴漢犯罪により、正確無比で有名だった日本の
鉄道のダイヤは狂いに狂った。
そうして痴漢による被害をみんなが受ける様になる。
しかし、停車ボタンを押している人は善意で押している。
では、誰が悪いのか。
決まっている。
「痴漢犯」だ。
「痴漢ヤローを許すな!」
全国で痴漢犯への暴行事件が多発する。
「停車ボタン」を誰かが押す前に痴漢を制しなければならない。
その緊急性と、「痴漢を止めるのが最優先である」という正義が
彼らを焚き付けた。
度重なる停車によるストレスの解消の意味もあり、
痴漢犯罪者達は皆一様に大怪我を負うほどの暴行を受けた。
多くの場合、緊急避難や正当防衛が適用されたが、
過剰防衛や通常の暴行罪で逮捕される者も数名は出た。
それでも、再犯率の高い痴漢犯罪者を長期間無力化させる
暴行者は密かに「英雄」として称賛されので、
痴漢犯を暴行する人は後を立たなかったし、
周りも止めずに見守るという事も珍しく無かった。
同時進行で鉄道会社への非難も強行手段を実行した。
有効的な対策を一切行わなかったのだから当然だ。
下地づくりの為に、まずは防犯カメラによる
犯人の特定能力の高さを周知する。
その上で国内の鉄道会社全てに防犯カメラの取り付けを要望
する旨をホームページや封書を使い送り付ける。
案の定、鉄道会社の反応は芳しく無い。
しかし、それは想定内。
各鉄道会社から返答がある程度帰ってきたら段階で、
その対応や返答内容を各SNSや動画サイトに定期的に貼り付ける。
内容の主旨は大体こんな内容だ。
「痴漢の検挙数は不同意わいせつも含めて、2572件。
しかし、実際の被害者数はその数十倍、十数万件とも言われている。
それだけ多くの人が泣き寝入りしているのだ。
防犯カメラの設置により痴漢犯罪の20%から50%を
未然に防げると言われている。
ならば防犯カメラにより、数万の被害者を救えるのだ。
にも関わらず、利益100億円以上も上がる企業が、
そのうちの1億円の投資すら渋る。」
この事実を殊更センセーショナルに書き立ててやった。
さらには過去の鉄道会社関係者による
痴漢、わいせつ事件を掘り起こし、
「鉄道会社は身内の痴漢行為を助成する為に
抜本的解決を先送りにしている」
と受け取れる様な文章も書き添え、
読む人の義憤を掻き立てる。
痴漢へのヘイトは痴漢犯に加え、鉄道会社へも向かう。
ヘイトが鉄道会社にも向きかかった段階で、
有名人やユーチューバー、著名人にも防犯カメラの有用性を説き、
「防犯カメラの設置に賛成か反対か?」
という決断を迫る。痴漢擁護者と思われてはまずいと
大半が賛成を表明する。
返答が無い者は、情け容赦なく、
「痴漢撲滅に賛同しない著名人達」
と返事をくれるまで煽った。
言質を取った上で、公の場での発言までチェックされ、
設置反対ととれる発言をした場合は徹底的に叩き、
晒し上げた。
マスメディアのスポンサー企業に対しても、
「痴漢助長企業である鉄道会社と同じ番組に
広告を出す事に倫理上、どの様に考えているのか?」
という質問状を自警団総出で行う。
スポンサー企業にとっては視聴者はそのままお客様なのだ。
せっかく広告費をかけたのに客離れを招いては本末転倒と、
放送局側に鉄道会社と同じ番組へのスポンサーにはならない旨、
要望が出される。これがマスコミにとって圧力となる。
結果、テレビ局自体が鉄道会社の広告を拒否する様になる。
クレームへの対応に匙を投げたのだ。
狂うダイヤ。
毎日の様に来るクレーム電話。
利用者からは面と向かって罵倒される。
近所から村八分にあっていると嘆く妻。
学校では父親が鉄道員だってイジメられる子供。
多くの鉄道会社の社員が退職していった。
鉄道会社は急増する退職者の対応に汲々となる。
そして、ついに具体的な痴漢対策として、
『痴漢を無くそう5対策』
を掲げる。
内容は以下の通り、
一つ、全車両に10ヶ所の防犯カメラの設置
死角もなく、リアルタイムでAI監視システムを導入
一つ、痴漢前科者の乗車制限
痴漢前科者は全鉄道会社がラッシュタイムの使用禁止
など制限する
一つ、痴漢通報アプリの導入
利用者にアプリの当落を呼びかけ、ワンタッチで
痴漢被害を通報!
一つ、男性専用車両の導入
原則、家族やカップル以外は女性・男性専用車両を
使用するようご協力を呼びかける
一つ、痴漢犯罪懸賞金制度の導入
痴漢を見つけた方には金一封を進呈
この対策により、痴漢対策は格段に進む。
毎日のように痴漢犯罪者が大量に検挙された。
しかし、不思議な事が起こる。
検挙者が5万人を過ぎた辺りから痴漢による被害が
ピッタリと止まる。
「検挙数が下がっている!気を引き締め治せ!」
若林は今ではあまり活躍しなくなった自警団に檄を飛ばし、
再び、電車内の監視を行うが、事実、痴漢は起きていなかった。
若林は考えた。
そして気が付いた。
痴漢犯罪者は再犯率が高い。
中には仕事の行き帰りに痴漢行為を日常的に行う者、
さらには、痴漢行為の為に同じ車線内を何往復もして、
その都度、痴漢行為を繰り返している輩もいるらしい。
すなわち一人で何十回、生きている限り何百回も
卑劣な痴漢行為を続けるのだ。
日本全国で十数万件とも二十数万件ともいわれる
痴漢被害があると推定される。
逆にいうとMAX二十万件だ。
一方、検挙され前科付きになった痴漢犯罪者は5万人。
奴らの再犯件数を考えれば、充分な、いや少な過ぎる数字だ。
そう、日本国内の痴漢犯罪者を全て排除する事に成功したのだ。
5万人。
実に全日本男性の0.08%に満たないこのクソ野郎達のせいで
多くの日本国民達が苦しめられたり、肩身の狭い思いを
強いられてきたのだ。
理不尽だ。
不条理だと思う。
しかし、ついにその撲滅に成功したのだ!
若林は
「ついに達成したのだ」
と一人呟いた。
そして、
「この流れを止めてはいけない」
と呟き、机の上にある、書類の束をチラリと見た。
リストには
「痴漢犯罪者抹殺計画」
と書かれていた。