POV:レム
―――ナツキ・スバル。
やけに姉様と親しげに話す、おぞましい魔女の臭いを濃く纏った得体の知れない人間。
王都で偶然知り合ったなどと言うけれど、それは彼を庇うために姉様が吐いた嘘だということは直ぐに分かっていた。
それは数日前の事。
王都から帰還した竜車の中から降りてきたのは、血まみれで意識を失った姉様を背負って降りてきた見ず知らずの男――スバルくんだった。
姉様の一大事に慌てて近寄った瞬間、男の全身から放たれる強烈な魔女の臭いに気づき、レムは思わずその背中から姉様を引きはがしてスバルくんを睨みつけてしまった。
スバルくんは少し困惑した様子で固まっていたけど、続いて竜車から降りてきたエミリア様が事情を説明してくれた。
話を聞けば、王都で腸狩りという恐ろしい暗殺者と戦いで姉様が負傷し、エミリア様も危機に陥ったところをスバルくんが助けたのだという。
より正確に言えば、助けを求めるために奔走したのが殆どで、エミリア様への一撃を一度防いだ、という程度ではあったけど……少なくとも命に関わる重要人物であることは確かだそうだ。
その翌日、スバルくんは使用人としてこの屋敷で雇われることになった。だけど、ロズワール様はスバル君のことを陣営に潜り込んだ間者ではないかと警戒し、レムとラムは教育係をすると同時に、監視をする事にした。
姉様は彼をやたらと気にかけ、庇っていたようだったけど……姉様は彼の纒う魔女の臭い、瘴気がどれだけ濃いかを知らない。
魔女の瘴気というのは、汚染されたマナ。マナを吸収できなくなってしまった姉様では感じ取る事ができないから。
だからもし、エミリア様に―――否、姉様に危害を加える可能性があるならば、直ぐにでも始末しようと決めていた。
だけど、この屋敷で一緒に仕事をしていくうちに、スバル君が悪人ではないことをレムは少しずつ理解し始める事になった。
それは姉様がいつも通り、千里眼を行使してメイザース領地内で不審な動きが無いか監視をしに向かった後の出来事。レムとスバルくんは、二人で大浴場の掃除に取り掛かっていた。
彼は相変わらず慣れない手つきでありながらも、休むことなく浴槽の汚れを落とし続けている。
「スバル君。そこはもう、十分に綺麗になりましたよ」
「うーん……でも角のほうにまだ少し水垢が残ってる気がしてさ……」
声をかけても彼は手を止めず、額に汗を浮かべながら懸命にブラシを動かしていた。
姉様曰く、昨日も夜遅くまで文字の勉強をしていて、明らかに寝不足のはずなのに一切の妥協が見られない。
「お屋敷の仕事だけでなく、毎日の勉強まで……どうしてそこまで必死に頑張るんですか?」
「え? そりゃあもちろん、何も出来ないなんてかっこ悪いからな」
不意に投げかけた問いに対し、彼はようやく手を止めて振り返った。顔に泡をつけたまま、照れ隠しのように鼻の頭を擦る。
「あとはやっぱり、ラムに認めてもらいたいんだよ。あいつはなんでもできる、すっげーやつだからさ」
「姉様に……ですか?」
「ああ。もちろん、男としてエミリアたんとレムりんにもいいとこ見せたいしな! ……あ、これラムには内緒な?」
思いがけない名前が飛び出し、思わず目を瞬かせてしまった。姉様を高く評価すること自体は当然の事だけど、スバルくんがレムと同じ事を思っていたことが少しだけ予想外だった。
姉様は料理も洗濯も掃除も出来るし、色んな事を知っているし、ツノが無くなっても独自の戦闘方法を編み出して戦えるように訓練をして……とにかく何でもできる素敵な人で、レムは幼いころからずっと憧れていた。
そして何より―――あの日、姉様が自分を必要としてくれた、頼ってくれた事がうれしくて、此処まで腐らずに生きる事ができた
今だって姉様のツノが折れたことに安心してしまった自分が居たことに対して、自己嫌悪や罪悪感が残っていないわけではない。だけど、それ以上に前向きに生きていけるようになったのは、ひとえに姉様のお陰だ。
そんな姉様に憧れを持つのはレムにとっても自然な事だった。
「……スバル君は姉様の事をどう思っているんですか?」
「そこ、深堀されると普通に恥ずかしいんだが……」
思わず聞いてしまったことに対して、スバルくんはポリポリと頬を搔いて目を泳がせる。しかし直ぐに「そうだなぁ……」と呟いて、スバルくん自身が自分の心を整理するようにしてぽつぽつと答え始めた。
「俺に姉ちゃんが居たらこんな感じかなー……とか、まあ普通に女の子としてドキっとするところはあったりするけど……うーん」
「何だか曖昧ですね……」
「そうだな……やっぱり、一番しっくりくるのは『憧れの人』だな!」
「憧れ……」
―――レムと同じだ。
屈託のない笑顔で答えるスバルくんを見て、レムも自然と口元が緩んでしまう。
レムには相手の嘘を見抜く、魔法のような力は持っていない。だけど、その真っ直ぐな言葉には何の打算も含まれていないように感じられた。
かつてはエミリア様に対しても、得体の知れない半魔として姉様に危害が及ぶのではないかと深く警戒していた時期があった。だけど同じ時間を過ごすうちに、彼女は純粋で真っ直ぐな心を持つ女の子で、姉様の事を大切に思ってくれているという事はすぐに分かった。
……ちょっと姉様とエミリア様の仲が良くなりすぎて、妬いてしまう気持ちはあったけど。
もしかしたら、目の前で笑うこの少年もエミリア様と同じような存在なのかもしれない。
彼が危険な人物である可能性は、まだなくなったわけじゃない。それでも、大好きな姉様が認めた相手なら、レムも認めてあげるべきなのかもしれない。
スバルくんもエミリア様と同じように……いや、エミリア様以上に姉様と近い感じがあって、かなり……大分……相当妬けてしまう部分はあったけど、それでも志を同じにする同僚として、これからうまくやって気がしていた。
―――そう思っていたのに。
その日の夜、今日も姉様が独占されているのが気に食わなくて……ではなく、姉様とスバルくんの勉強の様子を見に行ってみようと思い立ち、スバルくんのお部屋の前までやってきたその瞬間。ガチャリと勢いよく扉が開け放たれ、スバル君のお部屋から飛び出してきた姉様の姿が見えた。
姉様は手で口元を覆い、その頬に一筋の涙を伝わせ、こちらに全く気付いた様子もないまま廊下の奥へと足早に消えていった。
「……え?」
見間違いではない。
あの気丈な姉様が、涙を流していた。
―――あの男は、なにを、した?
その瞬間、レムの全身の血がドクドクと音を立てて沸騰し、視界が真っ赤な怒りで染め上げられるような感覚に襲われた。
レムは、物心ついてから今日に至るまで、姉様があんな風に涙を流して感情を乱す姿などほとんど見たことがなかった。ツノがなくなった時でさえ、あんな顔は浮かべたことはなかったのに。
あの男は、きっと姉様の心を踏みにじった。
姉様の尊厳を傷つけ、あまつさえ涙を流させたという事実に、先ほどまでの歩み寄る気持ちは跡形もなく消し飛んでいた。
レムは、あの男を決して許さない。
全身を怒りの炎で焦がしながら、レムはゆっくりとスバル君の部屋の扉へと向き直った。
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POV:スバル
………なんで??
突然、ラムが涙を流しながら部屋を飛び出て行ってしまった。ぶっちゃけなんでラムが泣いてしまったのかよく分からない。体調不良?それとも何か地雷踏んだ?
確率で言えば………元の世界であらゆる人たちとBADコミュニケーションをし続けた自分が、気づかないうちにラムを傷つけ、その結果ラムの事を泣かせてしまったという可能性があまりにも高すぎた。
「ラム!悪かった、俺が何か―――あ?」
慌ててラムを追うために廊下に出た瞬間、俺の思考は肌を刺すような異常な冷気によって強制的に停止させられた。
暗い廊下の先に立っていたのは、全身から殺気を立ち上らせるレムだった。その青い瞳には、初めてレムに会った時以上の憎しみと、ただ純粋な敵意だけが渦巻いていた。
「―――姉様に、何をしたんですか」
「うっ……俺もよくわからねぇんだけど、突然ラムが泣き出して……」
「とぼけないでください。そんなに禍々しい魔女の臭いを漂わせておいて。……遂に正体を現したんですね」
戸惑う俺を他所にレムの声音は低く、冷酷だった。
魔女の臭い? 正体を現した? ……一体何を言っているんだ?
その問いをするよりも先に、彼女の周囲の空気が更に冷たくなり、大気中の水分が凍りついてキラキラと輝く氷の塊を生み出していく。
「答えなさい。あなたはエミリア様に敵対する、他候補者の陣営の者ですか? それとも、はじめから姉様を狙って屋敷に潜り込んだのですか?」
「な、何言ってんだよレム……」
余りにも突拍子もない発言に頭が混乱する。しかしレムはその動揺を何れかの肯定だと捉えたのか、鋭く尖らせた氷の塊を一つ放った。
空気を切り裂く鋭い音と共に、俺の顔の横を掠め飛び、それは背後の壁に深々と突き刺さる。
凍てつく痛みが走り、俺の頬から一筋の生温かい血が流れ落ちる。俺は死の恐怖を感じて、慌てて口を開いて弁明を始めた。
「ま、待てよ!!お、俺は何も……誰かのスパイでもない!大体何で俺がそんな事を……!」
「……疑念はそれだけじゃありません。王都でも、姉様は死にかけています。それなのに、そんなにも魔女の臭いを漂わせたあなたが、都合よく現れた」
「……っ!」
「これが無関係だと本当に信じろと? ……そんな出鱈目を信じる人なんていませんよ。それに、レムと姉様はあなたの教育係であり、―――監視役でもあったんですから」
……は?俺を監視していた?
もしかして、昼間に得意げに語っていた『千里眼』は、最初から疑って監視するためのものだったのか?そして怪しい俺を殺そうと?
俺の心の中に、ラムへの猜疑心という真っ黒な感情が一瞬だけ顔を覗かせた。しかし、そんなわけがないと俺は首を振り、レムに問いを返した。
「……なら、今のこの状況を……お前が俺を殺そうとしていることを、ラムは知ってるのか?」
「……」
案の定、レムは言葉を詰まらせた。間違いなくこれはレムの独断と暴走だ。恐らく監視を指示したロズワールさえも知らない可能性が高い。
俺は、一瞬でもラムを疑ってしまった自分を激しく恥じながら、レムを説得することにした。
「……やめろレム。ラムは間違いなく、お前がこんなことをしたって知ったら悲しむぞ」
「は……? あなたなんかが、姉様の何を知っていると言うんですか?」
俺の言葉が逆鱗に触れたのか、レムの顔が夜叉のように鋭く吊り上がった。
「レムの姉様を知ったような口を利かないでください! レムは―――レムは姉様と約束したんです。だから、レムが姉様を傷つけた貴方を許さない!!」
「お前こそ、ラムの事をなんにもわかっちゃいねぇよ!!」
『何を知っているのか』と問われれば、確かに俺は彼女の過去も、抱えている痛みも、知らないことだらけだ。
―――だけど、あの誰もかれも救ってしまおうとするお人好しのラムが、俺を命がけで助けてくれたあのラムが、こんな結末を望むはずがない。
死に戻りを繰り返す中で見たラムは、自分の命を張ってまで、俺やフェルト、ロム爺さえも守ろうとするくらいに優しくて気高い女の子だった。
「俺の知ってるラムは、誰かを殺してまで自分を守れなんて絶対に言わない!!」
「っ……黙れぇっ!!」
自分がスバルよりもラムの本当の優しさを分かっていないのだと突きつけられた気がしたのか、レムは激情に駆られて、怒号と共に
「うおぉっ!?」
レムは怒りを叩きつけるように氷の礫を俺の近くの壁や天井に叩きつける。俺は無様に床に転がり、その様子を眺める事しかできなかった。
しかし、氷の礫が壁や天井を破壊したことで、凄まじい轟音と共に巨大な石の瓦礫が俺の頭上へと降り注いできた。
「あ―――」
その声が誰から発されたのかを理解する前に、俺は目を硬く閉じた。
避ける隙もない。俺は瓦礫の破片に潰される。諦めにも似た死の覚悟が脳裏をよぎったその瞬間。
「エル・フーラ!」
聞き覚えのある詠唱と共に、見えない風の刃が吹き荒れ、俺を押し潰そうとした巨大な瓦礫を空中で粉々に粉砕した。
「姉様!? 」
「―――レム」
そして砂煙の中から現れたのは、俺の前で両手を広げて庇うように立ち塞がるラムの華奢な背中だった。
彼女の桃色の髪が風魔法の余波で激しく揺れ、その声には一切の妥協を許さない姉としての強い威厳がこもっている。
対照的に、レムはみるみる小さくなっていく。
「っ……そ、その男は危険なんです! その男と一緒に居たら、また姉様が傷ついてしまう! だから―――」
「レム!! いい加減にしなさい!!」
「っ!」
悲痛な叫びを上げるレムに対し、ラムはさらに強い怒号を叩きつけた。
大好きな姉に全力で拒絶されたレムは、まるで世界の終わりを見たかのような絶望的な表情を浮かべてその場にへたり込む。
ラムは厳しい視線を崩さないまま、静かに、しかし断固とした口調で告げた。
「……自分の部屋に戻りなさい。今日は話し合っても無駄よ。頭を冷やして、話の続きは明日、ロズワール様を交えて行いましょう」
そう言い放たれると、レムは力なく立ち上がり、重い足取りで自分の部屋へと姿を消していった。
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その後、ラムは散乱した瓦礫を魔法で片付けようとしたが無理だと諦め、頬を少しだけ怪我をした俺を連れてラムの部屋へと移動した。
俺をベッドの上に乗せると、ラムは救急箱を取り出し、無言のまま俺の頬の傷を手当てを始める。
「……今夜はここで眠ると良いわ。あとで少しだけロズワール様にご報告してくるけど、それ以外はずっとここに居るから」
「あ、ああ……」
静かなランプの光の下、ラムの言葉を聞いた瞬間。俺の心の中で張り詰めていた糸がプツンと切れ、レムに襲われたショックと、唐突に舞い降りた恐怖が津波のように押し寄せてきた。
「……っ」
腸狩りであるエルザとの戦いで腹を裂かれた時の激痛や、死の淵で感じた絶望的な寒さがフラッシュバックし、全身の震えが止まらなくなる。
みっともないと分かっているのに、大粒の涙が次々と溢れ出し、シーツを濡らしていった。
「……」
ラムは冷たく突き放すことも、情けないと罵ることもせず、ただ無言で俺を抱きしめ、背中を撫でてくれる。
その体から伝わる確かな温もりと、優しく響く心音に包まれながら、俺は深い安堵の中で次第に意識を闇に沈めていった。
14話姉様「ラムが泣かされるような事があってからでも遅くはないわ」キリッ
↑これフラグじゃね?って思ってた人は物凄く察しが良いので誇ってください。泣かされました(誤解)
台詞の改行について、どっちが良いですか?
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台詞と台詞の間の改行無し(1章)
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台詞と台詞の間に改行有り(2章)