白糸台すずかの思い違い   作:後菊院

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01話

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 超至近距離でクラスメイトの赤宮(あかみや)くんと手をつなぎ、見つめあっている自分に気づいて、私は「うぇぇ?」と間抜けな声を出した。

 

 びっくりした。慌てて手を放し、のけぞり、二歩、三歩下がってから、「す、す、す、すみませんでした」と謝る。赤宮くんにはものすごく申し訳ないことをした。私はどうしようもないストーカー女で、赤宮くんにずっと付きまとっていて、今まさに無理やりキスをせがんでいたのだけど、我に返った。私はなんて愚かな人間なんだろう、赤宮くんは私のことを嫌っていて、何度も何度も激しく拒絶されたというのに。しかも赤宮くんには恋人がいる。久瑠崎(くるさき)サクラさんっていう、私とは比べようもなく素敵な彼女さんがいるのにもかかわらず、私はなんてことをしてしまったんだ。

 

 名状しがたい感情を含んで私を見ている赤宮くんに対して、私は平謝りする。「すみません、本当に、すみません……!」

 

「あ、あはは……うん」

 

 赤宮くんのぎこちない苦笑い。赤宮くんのほうも二歩後ろにさがっていた。やばい、死にたい。私、ホントになんでこんなことしたんだろう。頭がおかしくなってたとしか考えられない。

 

「ふ、ふざけんじゃねえよ、すずか――!」

 

 名前を呼ばれ、私はびくっと反応する。私の後ろに、サクラさんがいた。心なしか、息が荒かった。サクラさんはぜえぜえと息をしながら、私のことを睨んでいる。

 

「あっ、いや、ええと、えっと――」まずい、一番見られたくない人に見られてしまった。サクラさんは私の憧れの人で、私にとっては絶対にたどり着けない高みにいる人で、どんな分野であっても私はサクラさんには及ばなくて、まさに神みたいな存在。

 

「あのっ、すみません、すみません! 私っ、なんてことを、あの、本当に、本当に! 本当に申し訳ありませんでしたっ!」

 

 私は地面に膝をついて謝った。そこは私たちの高校から少し歩いたところにある公園で、大きなケヤキの木陰に置いてあるベンチのそばだった。スカートが汚れてしまうけれど、そんなことはどうでもよかった。謝らないといけなかった。押しつぶされそうなほど大きな罪悪感が、私の中にあった。

 

「……あ、謝って済む問題じゃ、ないだろ!? あんた、自分の立場、わかってんの!?」

 

「わかってます、うぅ、うう……!」

 

 土下座する私の頭上から、サクラさんの声が浴びせられる。サクラさんの言う通りだった。謝ってすむような問題じゃない。私はどうしようもない奴だ。申し訳ない、申し訳ない。罪悪感が大きすぎて、涙があふれ出てきてしまう。泣くなんておこがましいのに。私は加害者なのに。

 

「すみませっ、すみませんっ……!」

 

「謝罪の言葉なんか、どうでもいいんだよ! 立場、立場を言ってみろよ! あんた、赤宮くんのなんなんだよ!」

 

 サクラさんの怒号が響く。

 

「なんでもないですっ! あのっ、すみません、何でもない部外者です!」

 

 私は地面に頭をこすりつけて叫んだ。

 

「部外者? ちげーだろっ、ストーカーだろ!」

 

「はい! ストーカーです! 申し訳ありませんでした!」

 

 悲しい。

 

 後から後から涙があふれてくる。

 

 赤宮くんと私は、当然ながら恋人でもなんでもない。赤宮くんは私なんかなんとも思ってなくて、私と赤宮くんは直接言葉を交わしたことなんかこれまで一度もない。そんな赤宮くんに、私は、劣情に身を任せて迫っていた。

 

 サクラさんを裏切ったという事実も重い。

 

 サクラさんは神だ。高校入学以来、いや、幼稚園のころからずっと、私はサクラさんに何度も助けてもらった。愚図で馬鹿で出来損ないの私を、サクラさんは何度も何度も救ってくれたんだ。サクラさんがいなかったら、私は生きてこられなかった。そんなサクラさんの恋人を奪うような真似、なんで私は。

 

 なぜ私はこんなことをしたんだろう――?

 

 ずきりと、頭が痛む。

 

「うっ……、うう」

 

 地面につけたままの頭を、私は片手でおさえる。痛い。

 

「くっ、あははは。クソビッチ。あんたさ、前に約束したよね? 私を裏切ったら、何するんだっけ?」

 

「はい、あの……新宿駅で、裸踊りして、警察に捕まります……」

 

 私は、以前にサクラさんと交わした約束を思い出す。

 

 サクラさんは、私が高校生にもなって、その、すごく子供っぽくて恥ずかしい失態をしたときも、私を庇ってくれた。サクラさんは人格者で、私はサクラさんのおかげで今も学校に通えていた。そのとき誓ったのだ。サクラさんを裏切るような真似をしたら、あのときの百万倍恥ずかしいことをして、人生を終わらせるって。

 

「あははははは! 本当に本気なんだね」

 

「はい! 本気です! サクラさんには、本当に申し訳ないことをしてしまって、私は、うう、私は……! ごめんなさい、サクラさん……!」

 

「じゃあ、さっさと行って来いよ」

 

「はい! 行ってきます! さ、さよなら……」

 

 私はベンチに置いてあった二つの鞄のうち、自分の鞄を手に取ると、駆け足で公園を後にした。

 

 

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 揺れる電車内、扉の横に立っている私は、遠くに見える高層ビルの群れを見据えて、ぐっとこぶしを握った。

 

 指が震えていたからだ。

 

 今日、私の人生は終わる。それもこれも、私がサクラさんを裏切ったからだ。

 

 私はサクラさんの恋人である赤宮くんを略奪しようとした。とんでもない裏切りだ。

 

 今日の放課後、私は赤宮くんを公園に連れ出し、キスをせがんだ――待った、「公園に連れ出した」? どうやって?

 

 私はなんと言って彼を公園まで連れ出したのだろう。彼としゃべったことなんか、一度だってないのに。

 

 ……いや、違う。そうだ、サクラさんの話で釣ったのだ。私は……そう、赤宮くんが興味を持ちそうで、なおかつ私が知っていそうな話をでっちあげたのだ。

 

 私はサクラさんが他の男と一緒に歩いていると言って、赤宮くんを動揺させたのだ――なんて恥知らず!

 

 ドンと、手が閉まっている扉にぶつかる。震えが大きくなっていた。

 

「三鷹、三鷹ー」

 

 電車が停車して、乗客が出入りする。私は一度ホームに降りて、下車する客の流れをやり過ごすと、座席の前まで移動して吊革につかまる。

 

 自己嫌悪、自己嫌悪、自己嫌悪。こんなやつ、処刑されたほうがいい。

 

 下半身の欲望に負けて、恩人の名誉を貶めるなんて。

 

 動揺する赤宮くんを前に、私は色仕掛けをした。思い返すと、自分の醜さに虫唾が走る。あんなへたくそな迫り方で、赤宮くんをどうにかできると思っていたなんて。愚かすぎる。公園に着くなり、一刻も早く赤宮くんを自分のものにしようとしていた私は、息つく暇もなく話を切り出して、そのまま、立ったまま赤宮くんに近づいて――

 

 公園に着くなり?

 

 おかしい、それは変だ。

 

「鞄は、ベンチに置いてあった……」

 

 私は自分の肩にかけている鞄を見て、そうつぶやいた。

 

 鞄の取っ手の感触を右手で確かめる。

 

 赤宮くんのリュックサックと、私の通学用鞄は、公園のベンチに固めて置いてあった。私はそこから鞄を取って、ここまでやってきたんだ。

 

 記憶違い?

 

 それにしては、鞄をベンチから取った記憶も、公園に着くなり鞄を置かずに話し始めた記憶も、鮮明に覚えている。でも、つじつまが合わない以上は、どちらかが記憶違いなのだろう。そうとしか考えられない。

 

「中野、中野ー」

 

 新宿まであと一駅。

 

 ……記憶力は良いほうで、それだけが取り柄だと思っていたけれど、ひょっとしたらそれすら驕りだったのかもしれない。

 

 本当に、私は駄目なやつだな。

 

 そうやって自分の無能さに打ちひしがれたとき、スマホが鳴った。

 

 ピコンと、メッセージの着信。私は鞄のポケットからスマホを取り出し、画面を見る。送信元は白糸台(しらいとだい)すずか。つまり自分自身だ。タイマー機能で自分宛てに送られるメッセージだった。

 

 ――「注意しなさい。私は記憶を書き換えられている」

 

 通知欄には、そんな文章が表示されていた。

 

 

    3

 

 

 ――注意しなさい。私は記憶を書き換えられている。

 

 にわかには信じがたい文面を目にしたことで、私は動揺する。最も信じがたいのは、私自身、こんなメッセージをタイマー機能で送るようにセットした記憶がないということだった。

 

 そんな私の思考回路を見抜くように、メッセージが続けて送られてくる。長いメッセージだった。

 

「特別なことがない限り、私はいつもこのメッセージをタイマー機能で自分自身宛てに送る設定にしていて、送られる直前にその日のタイマー機能をオフにしている。だからこれが送られているということは、私はこのメッセージを設定している記憶がないということだ。

 

「このスマホを他人に触らせるようなことをしていない限り、このメッセージは、私自身の記憶に矛盾があることを証明している。『記憶を書き換えられている』傍証になると思う。

 

「どんな内容の記憶を書き換えられているかは、この文章を書いている時分の私にはわからない。ただ、自分の記憶を信じてはいけないということだけが確かだ。自分の記憶を信じるな。私自身の、信頼性の高いプロフィールや来歴は、このスマホの該当ファイルに入っている。確認してほしい。

 

「記憶を書き換える能力がある超能力者がいる。久瑠崎サクラという名前の、私と同い年の女。私とは小さいころからの友達だ。記憶があてにならない以上、そこには絶対に『おそらく』という但し書きがつくけど。一応言っておくと、同じ幼稚園に通っていて、自宅が30メートルも離れていないことは確認可能。

 

「詳細は諸々のファイルを確認してもらうとして、最後にひとつだけ言っておく。

 

「彼女はどうしようもない人間で、自分の力によく溺れる。意志薄弱で、卑屈。だけど、私の友達。

 

「どうか彼女を見捨てないで。」

 

 メッセージは以上――そのあとは、「白糸台すずかの来歴.md」と、「久瑠崎サクラの来歴.md」というファイルへのリンクだけが貼られていた。メッセージを読み終えたころ、電車が新宿に到着した。

 

 新宿駅のホームに降りた私は、端に寄って私とサクラさんの来歴を読み始める。家族構成や出身地、小学校中学校の名前とか、基本的な来歴は、今の記憶と合致していた。

 

 問題は、それ以外の部分だ。

 

 「白糸台すずか、17歳。都立月野坂(つきのざか)高等学校2年1組在籍。出席番号6番。

 

 性格:理知的。論理的思考力に長ける。得意科目は現代文。IQが高いが、そのため世間とずれたところがある。意図せず他人を傷つける発言が多い。鋭い目つきのため、普段から近寄りがたい雰囲気を纏う。表情筋が死んでいる」――うわ、うわああああ、と私は身を震わせた。

 

 自認ウェンズデーかよ。

 

 死んでいるらしい表情筋がぴくぴく痙攣する。

 

 いかにも痛々しい自己プロフィールを読んでみて、どうして自分が「記憶を書き換えられている」なんて発想に思い至れたのか、なんとなく察せられた。きっと私は、日ごろからこういう妄想ばっかりしていたのだ。そのうちのひとつが、たまたま現実で、たまたま当たった。

 

 ちなみに、私のスマホにはネットフリックスのアプリがインストールされていて、ネトフリ制作ドラマ『ウェンズデー』はしっかりマイリス登録されていた。登録した記憶もなかったけど、ドラマの内容は覚えている。ここにも小さな記憶の齟齬がある。考えれば考えるほど、私の記憶が信じられなくなっていく。

 

 いや、正直まだ私の直感は「今すぐサクラさんのために裸踊りをしろ」と叫んでいるのだけど――でも、さすがに自分の記憶のいい加減さから目を背けることはできない。

 

 サクラさん、というのは変な呼び方らしくて、私は彼女のことを「久瑠崎」と名字で呼んでいたらしい。全然しっくり来ないけど。

 

 「久瑠崎サクラ、17歳。都立月野坂高等学校2年4組在籍。出席番号12番。

 

 性格:わがまま。子供っぽい。論理的思考力に欠ける。TikTokとインスタに人生を溶かしている。何かを投稿することはない。ROM専。陽キャに憧れる陰キャ。私のことを見下すことで『自分は陽キャ』であると思い込んでいる。馬鹿。英語の点数が悪い。小3のときに貸した消しゴムのことを完全に忘れている。あほ。ちょっと自分に変わった能力があるからって調子に乗っている」――等々。

 

 まあ、サクラさん――久瑠崎と私の関係性がどういうものかは、大体わかった。

 

 これらの記述を鵜呑みにするというのも、それはそれで危険な気がするけど、少なくとも私の記憶よりは頼りになりそうだと思った。私の記憶の中のサクラさんは、スポーツ万能、頭脳明晰、赤宮くんの恋人で、絵に描いたような完璧超人だから。

 

 スポーツ万能だけど、特に何かの部活に入っているわけではないし、何かで彼女が表彰されていたような記憶はない。頭脳明晰ではあるけれど、定期テストの学年10位圏内に名前が張り出されていたことはない。

 

 馬鹿で愚図な私を何度も助けてくれた記憶はあるけど――具体的には、「消しゴムを貸してくれた」、「シャーペンを貸してくれた」、「プリントを届けに来てくれた」などなど。そのたびに私は泣いてサクラさんに感謝していて、そのときの感謝の記憶は鮮明に思い出せるのだけど、客観的に考えて、泣いてお礼申し上げるほどのことかとも思う。おもらしの処理だけは、まあ、それほどのことではあるけど……でも、そんなことをしてくれた相手を、「馬鹿」とか「あほ」とか、書面上でこき下ろすだろうか?

 

 改めて記憶を思い起こしてみると、色々な部分でつじつまが合わない。急ごしらえで、ハリボテのセットで作られたみたいな、ずさんな映画を観ているようだった。

 

 サクラさん、じゃなくて、久瑠崎はどうして私の記憶をいじくったのか?

 

 この際、「どうやって」という疑問は置いておくことにする。記憶がどうのこうのなんてお話、どのみちまともな理屈じゃ取り扱えない。私は「なんで」の部分を考えた。

 

 予想はすぐに立った。嫉妬だ。

 

 私は赤宮くんと一緒に、学校近くの公園にいた。しかも手をつないでいた。高校生の男女が公園で手をつないでいたということは、ほぼ間違いなく恋人関係だ。つまり私と赤宮くんはつきあっていた。ここはとても重要な点だ。私は、赤宮くんと、恋人関係にあった。ストーカー加害者と被害者じゃない。ラブラブだ。超ラブラブだったんだ、多分。そう考えるとものすごく嬉しくなってくるけど、いったんそれは置いておいて、推理を進める。

 

 私と赤宮くんがいちゃついていたところに、サクラさんが通りかかった。

 

 サクラさんもまた、赤宮くんが好きだったのだ。そのうえ、私とサクラさんは幼稚園からの腐れ縁らしい。つまり親友。一方的な「助ける・助けられる」の関係じゃなくて、親友。

 

 「親友が、自分の好きな人とつきあっていた」――そんなシーンを目撃したサクラさんは、私に激しく嫉妬した。そして、私の記憶を改変したのだ。

 

 サクラさんが普通の人間だったのなら、激しいショックとともにその場から走り去るか、ものすごく怒って2人の間に割って入るか、そういうアクションを取るだけだっただろう。でも、サクラさんは普通の人間じゃなかった。

 

 ――「久瑠崎サクラ 特筆事項:超能力者(他者の記憶改変能力)」。

 

 怒り狂ったサクラさんは、私と赤宮くんの記憶を書き換えた。赤宮くんは久瑠崎と付き合っていて、私はストーカーだったっていう記憶に。そして私に社会的な死を与えるため、新宿で裸踊りする約束をした記憶まで植え付けた――

 

「やりすぎだろっ!」

 

 思わず私は叫んでいた。

 

 いや、さすがにやりすぎだって。裸踊りだよ? しかも新宿。やりすぎとしか言えないって。間違いなく補導、ってか逮捕されるし。めちゃくちゃ深くてでっかいデジタルタトゥーが彫られるじゃん。

 

 ここまでずっと他人事のように推理を積み上げてきたけど、ようやく事態が自分事として呑み込めてきた。要するに、怒りがわいてきた。サクラさん――じゃない、久瑠崎。久瑠崎サクラ! 悪魔め! 復讐してやる!

 

「うー……。しかし超能力者相手にどうやってやり返したものか……」

 

 ふつふつとわいてくる怒りとともに、反撃の方法を思案していると、スマホがぶるぶると震えだした。画面を見てみると、着信相手は「久瑠崎サクラ」。当の記憶改変能力者だった。

 

 ちょっと、いやかなり迷ったけど、私は電話に出た。「はい、もしもし……」と、慎重に私が言ったのとほぼ同時、というか通話が開始された直後に、久瑠崎のでっかい声が私の耳元で鳴り響いた。

 

「――すずか!? あの、ごめん、やりすぎた! 裸踊りとか、しなくていいから! 冗談だから! あのっ、やめてね!? ほんとにやめてね!? お願いだからやめてねっ!?」

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